2009-06-11

1659年6月11日

テーマ:「葉隠覚書」oboe gaki
「葉隠徒然」hagakure tsurezure by hidezo

350年前の今日。
佐賀県は片田江横小路に「葉隠聞書」という武士道の口述者である

「山本神右衛門常朝」yamamoto jin-emon tsunetomo

がある指名をもってこの世に生をうけました。

今日はその記念すべき350周年に「葉隠聞書」より
幼少の頃の常朝さんにまつわる聞書をご紹介します。

↓松永義弘訳 原本現代訳「葉隠聞書第2-36」より

私は父の70歳の時に生まれた子だったので
水分が少なかったらしい。若い時、医師に
「20歳まで生きられないだろう」と言われていたので
「たまたま、生をうけて、ご奉公も出来ず死ぬことは無念。
 さらば生きてみるべし」と、思い立ち、7年間、
女を断ったところ、病気ひとつせずに今日まで
生きながらえている。 薬を用いたことさえない。
また、少しぐらいの病気は気力でおしまくって治した。


↓松永義弘訳 原本現代訳「葉隠聞書第2-93」より

神右衛門重澄jin-emon(後に父の名を襲名)の申しつけで、
幼児の時分、町風にあてて人になれさせるためにと
唐人町出橋まで、たびたび使いに出されたそうである。
5歳より、御家中へ父の名代として訪問させられた。
7歳より、身体を丈夫にするためにというので
武者わらじをはいて、先祖の寺参りをさせられたとのことだ。
(なんと小学一年生の歳で往復約20km!!!! ( ̄□ ̄;)!!

↓松永義弘訳 原本現代訳「葉隠聞書第2-140」より

自分は父の70歳の時の子で
塩売りにでもくれてやろう(養子にだす意)などとなったとき
多久図書taku dusho(父重澄の上司にあたる方)殿が
「神右衛門(父)は目立たないところで、立派な奉公をしていると
 勝茂公(鍋島初代藩主:所謂お殿様)が常々仰せられていたから
 必ずや、子孫の上にその結果があらわれて御用にたつであろう」
と、おとめになったので、「松亀matsukame」と名付けて
父の親友の吉枝利左衛門yoshieda rizaemonに袴着の祝いをしていただき
9歳の時、光茂公(鍋島2代目藩主:勝茂の孫)の小僧に召し使われる
こととなり、「不携fukei」と名付けられた。
綱茂様(光茂の嫡子:お世継ぎ)のお側にも使えて
こたつの上にあがったりしていたずらしたり
若殿様におんぶしてもらって遊んだりした。
その頃は、手のつけられない悪戯っ子だと言われたものだ。


現在放映中のNHK大河ドラマ「天地人」にあてはめると
山本常朝を主人公の直江兼続とすると
(不思議に二人には共通点が多いです)
常朝からみて上杉謙信にあたるのが鍋島光茂
兼続が幼少の頃、使える身でありながら逆におんぶしてもらったりと
可愛がってもらった上杉景勝にあたるのが鍋島綱茂(常朝より7歳年上)
と例えるとより身近にわかりやすいといいのですが・・・。
(「天地人」ファンの方失礼仕った)

父、重澄のスパルタ教育。
殿、勝茂公の進言から多久図書の説得があったお陰で
貧弱であった常朝は養子に出されることなく、
松亀、不携、市十郎、権之丞そして神右衛門常朝と名を変え
日々、端的只今の一念で侍として奉公し、人として成長し
42歳で光茂公ご逝去を境に出家し、旭山常朝kyokuzan jouchouと号し
後に「葉隠聞書」という偉大な武士道の書を
後世に残すこととなったのでありました。

此度はそんな彼の人生を一枚の風呂敷に綴らせて頂きました。

(参考までに上述の常朝兼続の共通点として
共に若い頃から「禅」の師に学び仏教に帰依した所から
常朝は「大慈悲daijihi」、兼続は「ai」という
スローガンを掲げ、共に民に愛される侍となったのではないかと。
これはあくまでも推測ですが(^-^)/)

長々と最後までおつきあい頂き誠に有り難き幸せ。
まぁ生誕350周年ということで平にご容赦くだされ。


葉隠壱七壱六    九拝
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

hidezoさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

コメント

[コメントをする]

コメント投稿

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。