はだしの圭-熊谷圭子の「はだしのまんまで歩いて行こう」

はだしのライター 、熊谷圭子がはだしで感じる311後の愛しき日々。

見えない想いを伝わる言葉に。 「インタビュー&ライティングセッション」、 ワークショップ情報は→◉ホームページ◉「はだしの圭ドットコム」 http://www.hadashinok.com/

テーマ:

今回のような大きな災害が起きた土地には
マスコミ、ボランティアやカウンセラーなどたくさんの人たちが集まり、
被害にあった人から話を聞こうとします。


そのこと自体はべつに悪いことではありませんし、
話すことで被災した人の気持ちが楽になることもたくさんあります。


東日本大震災で被災した当時に記者をしていたわたし自身も、
自分と同じように被災した気仙沼の人たちを毎日のように取材していました。


その一方で、被災者のひとりとして県外のテレビ局から撮影されたこともあります。


だから

「苦しんでいる人たちの声を伝えたい」

という気持ちも

「今は何にも話したくないし、こんな姿をテレビカメラに写されたくない」

という気持ちも、どちらもわかるのです。



その両方の体験から、ひとつ言えることがあります。


それは

「相手がだれであっても、言いたくないことは言わなくていい」

ということです。











話したくない、カメラに写されたくない、カウンセラーであっても悩みをうちあけたくない
と思ったときには、静かに相手にそう伝えてください。


だれにでも、言いたくないことを言わないでいる権利があります。


「あなたの体験が役に立つというのに、なぜ話さないのですか?」
という有形無形のプレッシャーに、どうか負けないでください。


いくら誰かの役に立つからといっても、
だれもが心に受けた傷や痛みを言葉にしなければいけないわけではないのです。


そうしたものは自分が心から話したいと思った日が訪れたときに
心から話したいと思った人にだけそっと打ちあければいいし、
もし一生心にしまっておきたかったらそれでいいのです。



東日本大震災のあと、
さまざまな人から心配りのない取材で傷ついたことや
(私も気づかぬうちにそんな取材をしていたかもしれません)、

話したくないと伝えたのにも関わらず、
「話せば楽になるから」と
プロのカウンセラーにむりやり話すようにさせられて悔し泣きしたという話を聞きました。


友人から悪気なく

「震災の体験を伝えないなんてだめじゃない」

と言われてつらかったという人も知っています。



でも、大きな喪失や心の傷を言葉にして伝えるのはそうしたい人だけでいい。


私が震災の体験を伝えているのはそれが魂の発露だからであって、
だれかや何かのためではありません。


そうせずにはいられないから、そうしているだけなのです。


それでも言葉にするにはつらすぎる経験のことにはふれていないし、
私のタイミングが来るまでは外に出さずに心にしまっておくつもりです。



いろいろな人がいろいろなことを言います。


たいていは善意にもとづいてるので
断るのが悪いような気になってしまうこともあります。


でもだれかの期待にこたえることより、
自分の心を守ることの方がずっと大事だと私は思います。










いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
同じテーマ 「震災のこと」 の記事