碓氷峠視察団 隊長 -碓氷羽幌の廃線跡ブログ-

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国鉄志免竪坑と言えば、

 

業界では知らない者は居ないという

 

日本の産業遺産の象徴とも言える構造物である。

 

 

 

 

夕焼けに染まる志免竪坑

 

 

この竪坑櫓は胡散臭さ満載のwikiにすら掲載される

 

大物な産業遺産であり、

 

保存会なるものまで設立されているのである。

 

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%85%8D%E9%89%B1%E6%A5%AD%E6%89%80%E7%AB%AA%E5%9D%91%E6%AB%93

(wikipedia 志免鉱業所竪坑櫓)

 

http://www.tateko.com/

(志免立坑櫓を活かす住民の会)

 

http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/203806

(産業遺産オンライン 旧志免鉱業所竪坑櫓)

 

 

 

 

 

さて、このように色々と保存の話や彼是の話題で持ち切りな

 

旧国鉄志免竪坑であるが。

 

まずどこから話を進めれば良いだろうか。

 

 

 

 

国鉄志免竪坑は戦時中に着工された

 

運輸省志免礦業所の竪坑櫓として建設され。

 

後に運輸省は国鉄に改名。

 

1966年まで存在した炭砿の竪坑櫓であった。

 

もっと正確に記そうか。

 

立坑の坑口の閉鎖は

 

1966年2月10日に始まり

 

同年の5月6日に密閉が完了され放棄されている。

 

実質の竪坑稼働は20年前後と言ったところだろうか。

 

 

志免砿業所が他の山と比べて

 

早期に閉山している理由としては出炭量が

 

芳しくなかったことが大きな要因であるのだが

 

それと共に国営炭砿でありながら国の政策である

 

スクラップアンドビルド政策に

 

真っ先に引っかかりながらも「竪坑があるから~」と

 

これでも閉山を先延ばしにして閉山した炭砿である事から

 

その言葉の意味が分かるだろう。

 

 

つまりは、当時の議会でも竪坑による存続の価値が

 

問質されていた訳である。

 

竪坑が無かったら、

 

将来の出炭量の増強に繋がる物が無かったら

 

真っ先に閉山していたことは言うまでも無いことである。

 

・・・これでも、結構延ばしたらしい(笑)

 

 

志免砿業所が1966年まで永らえたのは竪坑があったから、

 

そう考えても差し支えないだろう。

 

 

ちなみに、この竪坑櫓であるが

 

ワインディング・タワー?

 

とか世間では言われているらしいが一体何の事だろうか。

 

winding tower という言葉は通常ならば炭砿業界では

 

使用されることが無いと先に断言せねばならない。

 

 

志免竪坑のような塔上ケーペ式の櫓は横文字であれば

 

tower machine (タワーマシン)と称される事が通例であり

 

そもそも、ワインディング(winding)とは

 

地上に設置された立坑櫓全般を示すものであって、

 

このような場合に記す事は無い。

 

 

 

 

ちなみに、タワーマシンがあるという事はグランドマシンが

 

存在するという事である。

 

 

大まかな国鉄志免竪坑の絵

 

動力滑車がケーペプーリー。

 

無動力滑車がガイドシーブと言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大まかな三菱美唄竪坑(下風坑)の写真と絵

 

 

動力滑車がドラム巻き、

 

この場合の無動力滑車はヘッドシーブと言う。

 

 

 

 

 

 

つまり、これらの何が違うのかと言うと

 

動力滑車の位置である。

 

櫓の内部に収納され、竪坑の直上に

 

動力滑車(ケーペプーリー)があるのを塔上ケーペ式

 

つまりはタワーマシンと呼び、

 

それ以外の立坑櫓をグランドマシンと総称する。

 

 

つまりは、国鉄志免竪坑や今は無き

 

三井三池の四山第一竪坑はタワーマシン。

 

三井田川砿業所の第一竪坑や

 

三菱美唄下風坑や上風坑の竪坑、

 

住友奔別中央立坑や住友赤平第一立坑等は

 

グランドマシンとして分類される。

 

 

 

 

 

 

 

住友奔別中央立坑

 

これもグランドマシンである。

 

 

 

このような感じに

 

立坑櫓というものは分類される訳であるが。

 

ここで気になるのは

 

立坑(たてこう)と竪坑(たてこう)、

 

どちらが表現として適切なのかという事である。

 

 

これに関連しては諸般諸説存在するが、

 

決定的になったのは住友奔別中央立坑の建設である。

 

奔別中央立坑は石油産業対抗の

 

モデルプラントとなった事は周知の通りであるが

 

この立坑が竪坑を立坑と改め、

 

今後の新設立坑の表現として

 

「立坑」が広く定着される事となった。

 

 

 

 

 

 

 

そんな国鉄志免竪坑であるが、

 

実は原型となった竪坑が中国に今も存在するのである。

 

 

満州国 撫順炭礦の龍鳳竪坑というものである。

 

 

 

 

 

 

 

1920年代の龍鳳竪坑

 

 

この竪坑はドイツより機材一式を購入し

 

据付たという所謂、ボンボンな機械である。

 

 

龍鳳竪坑を半分にした形が国鉄志免竪坑という訳である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この辺りまでの情報は国会図書館辺りを探せば

 

見つかる資料ではないかと思う。

 

しかし、この程度の文献程度で満足は出来ない。

 

 

 

 

 

 

これだけで、国鉄志免竪坑の何が分かるというのか。

 

私は強い憤りを感じた訳である。

 

 

 

 

 

 

以下に記す事は、

 

国鉄志免竪坑の設計者である

 

とある男の簡単なエピソードである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある男が1900年代の初めに

 

撫順炭礦の職員として勤めていた一人の男が居た。

 

大石という男である。

 

 

この男は撫順炭礦の龍鳳竪坑建設に際し、

 

坑外設備の彼是を指揮していたとされる男であるが

 

確かな事は資料が欠落しすぎていて分からない。

 

ただ、設備全般を扱っていたことから

 

機械課のような現場で手腕を発揮していた事は

 

間違いのないことだろう。

 

 

撫順炭礦の龍鳳竪坑が完成のち、

 

時の海軍省より竪坑櫓の建設の噂を聞いた大石氏は

 

一抹の不安を抱いていた事だろう。

 

本邦(日本)にも龍鳳竪坑のような櫓が欲しい。

 

そのような知らせを受け取った訳である。

 

 

しかしながら、志免の地に龍鳳竪坑のような

 

大規模な竪坑を建設するのは無理があった。

 

志免砿業所が存在した場所は土地が狭隘であった為に

 

用地の確保と言うものが無理であったのだ。

 

 

 

特にこの時代は

 

石炭の輸送と言うものはケージと呼ばれる

 

エレベーターの箱によって炭車が連絡されるのが一般的。

 

龍鳳竪坑は、近い将来に複式竪坑にする計画があって

 

両方の上部が突起した形を有していたが

 

炭車が運ばれてくるという事は

 

地上にそれなりの操作線が必要と言う事。

 

つまり、複線や複々線といった線路を敷設する

 

スペースが必要となる訳であるが

 

狭隘な土地の志免砿業所にそんな余裕は無い。

 

つまりは、複式にする必要が無いという訳である。

 

 

 

 

 

 

 

龍鳳竪坑は国鉄志免竪坑のような

 

ケーペプーリー(動力滑車)とガイドシーブが

 

2セット入る予定だったことから、

 

竪坑の両端が突起しているという訳である。

 

(実際は未完に終わった)

 

 

 

 

以上の事から

 

国鉄志免竪坑は単式竪坑として建設された。

 

特に土地が狭い場合のグランドマシンは土地が

 

更に不自由になる為に

 

この機会にタワーマシンを使わない他無かったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、話を大石氏に戻す。

 

 

 

 

 

 

 

時に、志免竪坑の製作の主任を任された

 

撫順砿業所の大石氏は龍鳳竪坑の設計図をコピーし、

 

それを日本に持って帰ってきた。

 

まずは竪坑櫓の形である。

 

 

龍鳳竪坑の外見に合わすとすれば

 

タワーマシンの中でもハンマーヘッド型(第二世代型タワーマシン)

 

と呼ばれるスタイルになるが、当時の九州には

 

もう一つのタワーマシンが存在した。

 

それが平成8年に爆破解体された

 

三井三池の四山第一竪坑であるのだが。

 

この櫓は第一世代型タワーマシンであるテント型を採用していた。

 

四山第一竪坑も外国の竪坑櫓の設計を日本に合わせて

 

再設計の上で製作されたが、その際に問題となったのが

 

材質の問題である。

 

 

 

 

 

通常、この時代のタワーマシンは

 

外国では鉄製であるが日本では戦争の関係もあり

 

極力の鉄の使用を控えるように言われてきた。

 

四山第一竪坑も限られた資材の中で建設するとすれば

 

コンクリート構造が最も安価という事で製作されたが、

 

今回の国鉄志免竪坑も同様である。

 

 

 

 

 

wikipediaにてイギリス製の鋼鉄をふんだんに・・・と

 

記されているがそれは大きな間違いである。

 

逆にコンクリート構造であるにもかかわらず、

 

使用する内部の鉄製資材が来ないと現場から怒りの声が

 

上がっていたことからも前述は間違いである。

 

 

 

 

 

 

大石氏は竪坑設計の基本方針を

 

コンクリート構造、単式竪坑として纏めた。

 

ここで問題となったのが風害の問題である。

 

 

 

 

 

九州というものは台風が来る。

 

そのような場合に外装を覆わなければ

 

風雨を諸に受ける結果となることは間違いはない。

 

つまりは、龍鳳竪坑のように外装を覆う必要があると

 

考えたのが当時の志免砿業所の職員たちであった。

 

 

 

 

 

 

外装が覆われている龍鳳竪坑

 

 

ちなみに、龍鳳竪坑の外装が覆われているのは

 

寒冷期の霜の問題が付近の炭礦で多発したからである。

 

このようなケーペ式と呼ばれる竪坑は

 

ドラム巻と異なり、一本のロープで地上と地下を連絡する。

 

 

 

この場でケーペ式について論述すると

 

逆に混乱を招きそうなので、ここは各自でインターネットの

 

サイトなどを確認して頂きたく思う。

 

 

 

http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/0d6a1dfcfb73fe950aeed181a89dcac2

 

 

 

 

・・・つまり、このケーペ式とは

 

ロープをスリップさせてはいけない、

 

ロープをスリップさせてしまうと大惨事に繋がりかねない

 

方式の竪坑櫓だったのである。

 

その為に、外周を覆い

 

外部の空気と遮断することが出来るタワーマシンを採用した

 

というのが龍鳳竪坑の事の顛末である。

 

 

しかしながら、気温が一定以上の反面

 

大問題が発生していた。

 

 

 

 

 

 

 

それは炭塵の堆積である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通常ならば、入気竪坑と呼ばれる

 

地上から地下へ向かって空気が流動する構造の

 

通気を有した炭礦であれば炭塵は排気斜坑や

 

排気竪坑側に向かって進むのが通例である。

 

しかしながら、入気竪坑であっても

 

炭塵がケージの運転によって入気を逆流し、

 

地下から地上へ送り出される事がある。

 

 

 

 

 

それ故に龍鳳竪坑の竪坑櫓は

 

炭塵による汚染が甚だしく。また高層建造物故に

 

落雷があろうものなら竪坑ごと吹き飛ばす

 

炭塵爆発を誘発しかねない地雷と化していた。

 

 

 

 

 

それを知っていた大石氏は

 

この体質を有する龍鳳竪坑の

 

二の舞いしてはならないと考案し、志免竪坑では

 

風雨に対しては仕方の無いものと考え

 

その代わりに炭塵が塔の上まで行かないよう

 

竪坑櫓の下部を吹き通しとして炭塵の滞留を防ぐ構造にした。

 

当時の志免砿業所の職員たちの反対を押し切り、

 

志免竪坑の保安を優先させたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、現在も残る志免竪坑の下の方が

 

このような骨格剥き出しの理由はそういう事である。

 

 

基本方針を纏めた大石氏は

 

設計方針と簡易図面を各会社に出して指示を仰ぎ、

 

今の志免竪坑を造り上げたという訳である。

 

 

 

上記の資料に関しては

 

よっぽどな事が無い限りは出てくることが無いだろうと思う。

 

 

ただ、私の興味が志免竪坑から遠ざかりつつあるので

 

この機会にまとめさせて頂いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうやってこれらの資料に辿り着けたのかと言われると

 

私にとっては二三の苦言を呈するものであるが、

 

私が今現在も調査している

 

住友奔別中央立坑の設計者(現場最高責任者)

 

である山口氏が、この志免砿業所の大石氏に出会い

 

将来の自分の炭鉱に建設する予定である竪坑櫓についての

 

会談を行っているとする記録が存在するからである。

 

 

また、羽幌本坑運搬立坑の設計者である某氏と

 

住友赤平第一立坑の設計者であるY氏も

 

大石氏と会談を行っているとされる

 

一文も発見されるに至っている。

 

 

この辺りの話についてはまだ調査中の案件である上に

 

親族との交渉に関わってくるので深くは言及しない。

 

 

 

つまり、国鉄志免竪坑の設計者は

 

戦後の志免砿業所で働いていた大石氏当人なのである。

 

大石氏がどこのような役職に

 

就いていたのかについては把握済みであるが、

 

イマイチ記述資料に乏しい。

 

竪坑櫓設計時のノート等が残っていれば

 

是非とも拝見させて頂きたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上のような経歴で

 

志免竪坑は建設された訳であるが

 

本当は摺の話やタワーマシンの分類等に

 

もっと様々なエピソードが存在する。

 

 

ただ、戦時中に建設された程度の認識しか

 

業界が持ち合わせていない以上

 

私がこれ以上の情報を記しても無意味なものだろう。

 

 

本当にこの竪坑櫓が戦時中に完成したのかどうか、

 

ケーペプーリーがいつ搭載されて稼働したのかどうか。

 

本当に戦時中と名乗れるのか。

 

私としては疑問でしか無いし、

 

何よりも設計者である大石氏に辿り着いた人が

 

未だに一人も居ないことに心中複雑である。

 

 

私はあくまでも住友奔別中央立坑の設計者である

 

山口先生を調べているのであって

 

国鉄志免竪坑は然程、重要では無い。

 

 

ただ、大石氏と山口氏が会談を行い

 

現在の住友奔別中央立坑の設計にかかわっている以上

 

看過できない一面があるのも確かである。

 

 

これから先、国鉄志免竪坑を調べる者が

 

どのような研究をするのか私は知らないが

 

そろそろ深い話に突入してほしいものだなと思う。

 

 

 

 

国鉄志免竪坑と同じものが

 

北海道に建設される予定だったこと。

 

国鉄志免竪坑の失敗が生んだ

 

中興砿業福島立坑と北海道初のタワーマシン・・・

 

羽幌本坑運搬立坑より前に北海道にタワーマシンが存在した。

 

 

なんて、「嘘つけ」と非難の的になるだろうけど。

 

 

嘘だと思うのならしっかりと調べてみることだろう。

 

 

 

口で言うだけなら本当に簡単だが

 

私たちはそれなりの資料や記述を揃えたつもりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

その辺の歴史を紐解くことが出来る人が

 

どれほど今の界隈に居るのか気になるところである。

 

 

 

 

 

 

私はまだ22歳という新参者であるが、

 

最近は色々と疲れた。

 

 

羽幌炭鉱を舞台に調査を進めているが、

 

いい加減な語り部に、

 

更には私が得た資料や新発見した構造物を

 

「俺が見つけた」という始末。

 

私も我慢の限界と言うものがある。

 

 

今まで、様々な資料を集めてきたが

 

私が死ぬ時には全部焼却処分することにしたい。

 

国鉄志免竪坑の設計図も

 

中興福島立坑の設計図も貝島大ノ浦炭砿の中央竪坑の図面も

 

某炭砿の立坑櫓の未成図面も全てだ。

 

こんないい加減な状態で、資料を引き継いで欲しくない。

 

だから自らの手で葬ることにしたい。

 

 

これからも研究はするが、何も残すつもりは無い。

 

私たちの調査仲間で調べるだけで十分に楽しいと感じた。

 

なにより、私たちの研究成果を易々と

 

俺が見つけたの一言で片付けるやり方に怒りが収まらない。

 

 

 

この体質を変えなければ

 

何も物語は始まらないだろう。

 

 

 

 

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