碓氷峠視察団 隊長 -碓氷羽幌の廃線跡ブログ-

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自らがどう情報を選択し、どれが正しいと思うか。

 

それが自分にとっての正しい歴史の捉え方だ。

 

 

そう、奔別中央立坑の前で爺さんは言った。

 

 

 

 

 

 

あの時はまだ住友奔別炭鉱の閉山理由も、

 

立坑櫓がどのようなものかも知らない。

 

ただの若者に過ぎなかった。

 

 

「廃墟として肯定する奔別炭鉱」が

 

好きだったことに何かを感じたのだろうか。

 

 

時刻は朝5時近くだっただろうか。

 

夜明けの朝風がのびきった髪を靡かせ、

 

結露に眼鏡が湿る。

 

東雲前の空に、うっすらと白い光が零れ

 

冷え切った春先の風に

 

小刻みに身が震えていたのは覚えている。

 

 

 

 

 

 

お前は奔別中央立坑がどんな立坑だったか分かるか。

 

 

 

 

 

そんなの決まっている。

 

東洋一と呼ばれた巨大立坑櫓で、

 

奔別炭鉱が北海道で一番巨大な炭鉱となった一因で・・

 

 

 

 

 

違う。

 

 

 

爺さんは持っていた杖を翳し

 

鈍い音が今は無き山元に響く。

 

 

 

 

 

 

 

こいつのせいで炭鉱が無くなったんだ。

 

 

 

 

 

 

何を言っているのか分からない。

 

当時の私はそこまで浅はかで、何も知らない

 

一人の大学生だった。

 

 

 

 

 

 

結露で湿った木々が朝風に揺られる。

 

 

 

薄く色づいた東雲に

 

奔別中央立坑にとって54年目の光があたる。

 

 

 

映し出された立坑に向け爺さんは感嘆の息を漏らし、

 

静かに語り始めた。

 

 

 

この立坑櫓は俺の上司だった山口が造った。

 

あの人は偉くなったのか

 

途中で本社かどこかに出向してしまったが、

 

山元に残された立坑櫓は

 

いつまでも力強く動き続けるかと思っていた。

 

 

ただ、そんな事は無かった。

 

この立坑櫓は欠陥品と呼ばれ、

 

故障もメンテナンスも一苦労な立坑櫓だった。

 

そしてヤマの人も浮足立っていた。

 

だからこそ閉山したのだろう。

 

 

 

 

 

 

当時の私は言葉の意味が全く分からなかった。

 

いや、前日から行っていた撮影に疲れ

 

聞く気が無かったと言った方が正しいのかもしれない。

 

ただの老人の戯言、そう感じていただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約1時間余りにも及ぶ爺さんとの会話を経て別れの時、

 

東京から旅行に来たという爺さんは

 

たまたま元の職場だったという奔別炭鉱に訪れていた。

 

行程もあったのか、1時間という長居を

 

私と言う無知な人間に取らせてしまったというのが

 

申し訳なく感じてしまう。

 

 

 

ただ、こうやって出会うことができたのも

 

奇跡という他ないのだろう。

 

 

 

 

 

 

立坑の前で分かれる際に

 

爺さんから握手を求められた。

 

 

冷たく皮が硬く張った爺さんの手は

 

何かを知っているという古老の染みた手であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

もし、本当の歴史を知りたいのなら

 

山口を探し出すか吉田という赤平の人を探し出せ。

 

その2人が真実を知っているはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

爺さんの一行を乗せた車は足早に山元を立ち去り、

 

孤独な頬を巨大な影が迫り来ていた。

 

 

踵を返したその先に

 

巨大な櫓が無垢に佇み、聳えている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

住友奔別立坑、お前は一体なにを知っている。

 

 

 

 

 

 

 

メガネに付き纏う夜明けに湿る結露を拭い、

 

朝の目覚ましに缶コーヒーを啜る。

 

 

眠気を惑わす苦い味に朝の目覚めを感じ、

 

私もヤマを後にした。

 

 

 

 

 

 

私も、爺さんと出会った当時の事はうろ覚え程度しか記憶にないが。

 

あの時の爺さんは私に何を伝えたかったのか

 

未だにはっきりとは分からない。

 

 

ただ、悲しそうな目に何かを訴えるような声。

 

そして今も感覚的に残る古老の手の感触。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奔別炭鉱は坑内が熱くなって

 

どうしようもなくなって閉山したんですよね?

 

 

 

 

 

「自らがどう情報を選択し、どれが正しいと思うか」

 

 

 

 

その言葉の返答には似合わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今考えてみると、爺さんは握手した時に

 

私に何かを託したのかもしれない。

 

この人に会ってから私は数多くの資料を手に入れ、

 

また内容も十分理解できるような人間にもなれた。

 

もとより変な運があった私に更に加勢させる

 

運か何かをくれたのではないかと思っている。

 

 

 

こんな偶然があってたまるかと同業者からは言われ、

 

あまりの偶然と引き合いの良さに

 

人間をやめたのかと言われ、

 

嘘をつくならもう少し面白く言わなきゃとも

 

諭されたこともあった。

 

 

 

 

骨折で入院すれば

 

大部屋の隣が羽幌炭砿の

 

本坑運搬立坑の整備士(機電課)の人だったり、

 

 

夕張のコンビニではコピー機の使い方が分からなくて

 

手助けした爺さんが元北炭夕張の測量士だったり、

 

 

終いには私が働いている会社も

 

炭鉱の同窓会で社長と出会い、入社が叶った。

 

 

 

不気味なほどに炭鉱との縁は深い。

 

 

先日もとある山奥の炭鉱集落を調査している際に

 

出会った爺さんから要らないからと

 

北海道で初めての炭礦用竪坑櫓と言われる

 

木製櫓のケージや櫓の図面を頂いてきた次第である。

 

 

 

 

この爺さんと握手を交わしてから、

 

本当に気味が悪いくらいに炭鉱関係での

 

私を取り巻く状況が変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

この流れは確実に何かを掴める。

 

当時の私はそう感じ、炭鉱や立坑櫓を本気で調査した。

 

大学に収蔵されていた炭鉱業界専門誌を読破し、

 

櫓の構造や性能、派生型や巻上機による問題。

 

ワードレオナード方式とは何か、イルグナ式とは何か。

 

なぜ特殊垂直H型は失敗したのか。

 

なぜ奔別中央立坑はこの形になったのか。

 

 

全てを説明できる人間になる為に

 

必死になって勉強してきた。

 

 

 

中でも、立坑櫓の真の姿を知る為に

 

共に調査した仲間の存在が本当に大きかった。

 

後述の協力人は殆どが10代から20代。

 

 

毎週のように集まり、

 

毎週のように議論を重ね、

 

毎週のように新しいゲテモノな立坑櫓を探して

 

北海道内を歩いた。

 

 

時には解体されたはずの立坑に入り、

 

墜ちたら600mまで逆さまのバントンの上を歩き。

 

時には衝突して喧嘩をすることもあった。

 

 

ただ、ここまでやれたのも

 

彼らの存在あってこそのものだったのだろうと

 

感謝してもしきれない、本当に楽しい時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生活の半分を賭け、

 

本気で調査した立坑櫓の設計者の当時を

 

拙い文章ではあるが感じ取って頂けたら幸いである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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