ギョーカイ文化祭☆天満でわぉ~ん!

今年は「ギョーカイ文化祭」に改名、北区民ホールでやります!
過去2回のスピリットはそのままに、「ギョーカイ人」の交流の場として、その誇りと自戒と、
我々だからこそできることをしようという思いを込めて「より文化祭らしく」開催します。

ギョーカイ文化祭「天満でわぉ~ん!」

日時:2011年11月6日(日) 12:00open / 12:30start
会場:大阪市北区民センター
   関西テレビ横・北区役所隣接 JR天満駅より徒歩3分
参加費:1.000円(参加者・来場者一律)
    ※内500円は大震災被災者支援金に。残り500円は運営費。

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テーマ:
【昨年の文化祭で展示した「歴史」、ようやく掲載^^;】
改めて振り返ってみました。
一部の方だけでしたが、取材もさせていただきました。
ご協力頂いた皆様、その節は本当にありがとうございました!!
それでは、「大阪ナレーター・ポスプロの歴史」をどうぞ!!


大阪ナレーター・声優の歴史
私・畑中ふうが「ギョーカイ」に来てはや・・・えーっと、22年ほど。
私が「入村」をする以前から、大阪には「ナレーター」が既に活躍していました。
「ナレーター業界」なるものがあったかどうかは分かりませんが、
少なくとも「ナレーション」が仕事のひとつとして確立していたのは間違いありません。

そこで、不肖・畑中ふう、今回の文化祭において、
「大阪におけるナレーターの歴史」を、
この模造紙展示という、とても文化祭的なツールで皆様にお伝えしたいと思います。
「畑中ふうが見た!聞いた!まとめた!『大阪ナレーター・声優の歴史』」
最後まで、ごゆっくりお楽しみください。

1954年(昭和29年)3月1日 NHK大阪放送局、テレビ本放送開始
1956年(昭和31年)12月1日 大阪テレビ放送(現・朝日放送)開局
1958年(昭和33年)8月28日 讀賣テレビ放送、本放送開始          
1958年(昭和33年)11月22日 関西テレビ放送開局
1959年(昭和34年)毎日放送、テレビ本放送開始


※1 ラジオ~テレビの時代
「アーアー、聞こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。
こんにち只今より放送を開始します」という第一声で始まったラジオ放送。
1925年(大正14年)3月22日午前9時30分のことです。

時を経て、1951年9月1日、民放ラジオ放送開始。
大阪で毎日放送の前身「新日本放送」が、中部日本放送より遅れること半日、
民放では全国2番目のラジオ本放送を始めました。
後に「ナレーター」が誕生する、
その始まりがこの日だったと言ってもいいでしょう。
1950年代に、ラジオ・テレビの時代が始まったのです。

1958年(昭和33年)4月 
大阪テレビ放送(現・朝日放送)が米・アンペックス社製VTRを輸入
米・アンペックス社がVTRを開発したのは1956年。
そのわずか2年後に「大阪テレビ(現・ABC)はVTRを購入。
4月に買って2ヵ月後の6月に
「本邦初」となるVTR使用ドラマ「ちんどんやの天使」を放送しました。
一人二役の場面で使用したということですから、画期的!
なんというアグレッシブさ!さすが大阪!
そして、このVTRの出現が「ナレーター」という仕事を創っていくことになった、
そう言っていいでしょう。


 ○1955年(昭和30年)大阪初の録音スタジオ、大阪スタジオ誕生
 ○1961年(昭和36年) 名城アバの前身『楽譜工房』誕生
 ○1964年(昭和39年) 東京録音、国際録音、大阪録音など次々に誕生

※2 録音会社が続々!
どうですか、皆さん。時代の動きが見えませんか?テレビ局が出来、
そして録音会社が続々と設立されていきます。
1960年(昭和35年)9月10日には、カラーテレビの本放送が開始。
本格的な「テレビの時代」そして「ラジオの時代」へと走り出しました。
大阪・関西においても、ラジオ・テレビが「隆盛」に向う、
おそらくは活気溢れる時代だったことが想像できますね。

1959年(昭和34年) TTC大阪教室開設
1958年に名古屋で設立されたのが、TTC・テレビタレント養成校
で、
 まずTTC東京教室が、翌59年に大阪教室が、
 そして62年に名古屋教室が開設されたようである(ウィキペディアによる)。
 現在は、2010年3月の名古屋教室閉校をもって3校とも閉校している。

1965年(昭和40年)藤崎照彦、松竹芸能に入所

1969年(昭和44年)TTB(テレビ・タレントビューロ)4月17日設立

1971年(昭和46年)上田彰氏、広告会社を退社、フリーアナへ


1971年か72年頃、本村三知子デビュー

「よう覚えてへんけど・・・」とはご本人談。

※3 CMアナウンサー誕生
役者として松竹芸能に入った藤崎氏。
この頃は大阪でもドラマがたくさん作られていたそうです。
そういう状況下、役者として忙しくしていた藤崎氏に、
CMナレーションの仕事が入りだします。

大手広告代理店と関西の民放が設立したTTB。それは必要に迫られてのことでした。
広告出稿量の増加ともに、生コマーシャル専門のタレントが必要ということになったのです。
それまでは俳優がやっていた生コマーシャル、
さらに放送局のアナウンサーでは立場上難しい。量は増える。
そんな状況の中の必然的なことでした。
故中村健治氏、津田英治氏、相次いでデビュー。


1972年(昭和47年)藤崎氏らによってオフィスQ設立



※4 「声の仕事」本格稼動

藤崎氏独立。10人ほどの仲間達とCMナレーター中心の事務所を立上げました。
そう、「声の仕事」を専門とする事務所が誕生したのです。
これは画期的だったのでは?と推測します。
大阪に「ナレーター」という職業ができた、
そんなジャンルが認められたということでしょう。

60年代に始まった、ナレーター、ラジオ・テレビのタレント需要は、
70年代に「いわゆる大手」事務所が登場し、
ひとつの「枠組み」を構築したとみられます。
現在キャラの代表、島よしのり氏も70年代後半に事務所に所属。
「JAPAN AS NO.1」とまで言われた80年代、
好景気の時代、バブルへと向っていくのです。

 ○1974年(昭和49年) 大貴スタジオ設立


1977年(昭和52年) MC企画設立
1977年(昭和52年)島よしのり氏、TTBへ
1979年(昭和54年) ボイスプロダクション設立
1989年頃か オーバス

 大平透氏が大阪に声優アカデミーを設立。


 ○1980年(昭和55年) テレコープ設立(創立は1972年)
 ○1983年(昭和58年) スタジオ・B&M設立
 ○1984年(昭和59年) フィルムを扱っていた東洋現像所がイマジカ設立
 ○同84年、おとや工房設立
 ○1985年(昭和60年) 撮影機材を扱う三和映材社が三和ビデオセンター設立
 ○1986年(昭和61年) メディアプラザ設立
 ○1987年(昭和62年) 東通AVセンター設立
 ○1988年(昭和63年) 大阪スタジオが録音会社としては
               初めての編集スタジオAZを設立

※5 録音会社から「ポスプロ」へ

80年代は「録音スタジオ」隆盛の時代です。それは、ビデオが本格化し、編集スタジオ需要が高まりました。

《時代背景》
80年代。トレンディドラマが流行り、確かに「ええ時代やったなあ」と。
僕は70年代半ばから後半の頃が好きですが。
なんか「落ち着いてた」という思いがあります。さておき・・・。
80年代の好景気はアメリカ・レーガン大統領の「レーガノミックス」
によるものだそうです。ええ、ちょっとだけ「カシコ」なネタも^0^
「強いアメリカ」政策によって、ドル高円安となり、
それは日本だけでなく世界的に起ったことで、
世界の生産物をアメリカがどんどん買ってくれました。
なにせ「強いアメリカ」「ドル高で輸入コストが安い」「消費は美徳」な国、アメリカ。
当時の円ドルレートは、1982年11月に1ドル=277.65円!!
ひえぇ~!安ぅぅぅぅ!

1978年に176円だったものが!たった4年で!!
しかし、さすがにアメリカも「このままではいかん!」と考えた。
そこで1983年に行われたのが「プラザ合意」です。
先進国間の為替レートを劇的な成功にによって調整しました。
すると!円はいっきに1ドル=240円前後から、1985年末には200円を割り、
1年後にはなんと!150円まで下落、つまり円高方向へ。むちゃくちゃやがな!!
4年で100円さがり、今度は3年で100円上がる・・・信じられん。

すると今度は、「こら、ドル、下がりすぎやで」ということで、
1987年に「ルーブル合意」てのが行われ、
円は140円~160円くらいで安定させよや、ということに。
ところが、そないうまいことはいかん。急激な円高の副作用が日本に出まして、
円高不況に。公定歩合も下げ、さらに「ドル買い・円売り」を実施。
しかし、ドル安・円高の勢いは止められない!
1987年暮れには1ドル=122円台に。日銀はさらに「ドル買い・円売り」で、
なんとか「安定的レート」にもって行こうとしたが、どんならん。

さあ、ここですわ。1986年に日銀が行ったドル買い・円売り介入に使ったお金は
4.3兆円ですと。つまり市場に巨額なお金が行き、金余りに。
これではいかんと、先進国は「そろそろ金利引き上げんことにはあきませんで」となったら、
あーた、西ドイツが金利を引き上げて「金融引き締め」方向へ。
そしたら「ルーブル合意に軋み?どうなるんよ!」てな憶測を呼び、
あのブラックマンデーへ!となったようです。

ところが日本はアメリカとの関係もあり、やいやい言われることもあり、
金利引き上げが遅れた。市場に金はある、ほな株も土地も買うたるで!買うで買うで!
な空気・・・そんな感じやったもんなあ。
ブラックマンデーなどものともせず、不動産バブルへ。

なにせ金はある。借金して不動産や株を買っても、すぐに上がる。
それも結構な上がり方だ。すぐ回収できる、いやむちゃ儲かる。
ほんでまた融資を受ける、つまり借金する。その金で不動産を買う・・・・。

1989年3月末時点で銀行やノンバンク、
住宅金融専門会社が貸し出した不動産業界向けの融資残高は200兆円にも達したそうで、
これは当時の名目GDPの40%。おーこわ!
そしてバブル崩壊・・・・・・・・こんな時代でした。

1983年(昭和58年) 三原徹司氏、オフィス・キイワードよりデビュー
1984年(昭和59年) 前塚あつし、TCC養成所へ入所
             養成所に通いながら85年には仕事をしだす。
             1年半の養成所を経て、85年にTTBへ。
1988年(昭和63年) 畑中ふう、オフィス・キイワードへ

私事ではありますが、ま、流れ的に^0^
29歳でこの業界にこさせていただきました私です。バブル崩壊前のこと。
世の中の好景気に支えられ、振り返れば、
今の若い子達より間違いなく下手だった私にも仕事が。
時代の勢いにも乗り、バブル崩壊後の1991年にはフリーになっておりました。
ええ、業界はまだまだ元気。活気のある現場が多数ありました。

  ▽1989年(平成元年) FM802開局
  ▽1990年(平成2年) Kiss FM神戸開局
  ▽1991年(平成3年) 京都αステーション開局
  ▽1992年(平成4年) コミュニティ放送の制度化
  ▽1996年(平成8年) エフエム滋賀開局

独立FM局も相次いで開局。
大阪のナレーター・タレントにとっては仕事の場が増えました。
DJやCMナレーションなど、80年代から続いた需要の拡大は90年代半ばまでは続いたと
いえるでしょう。また、コミュニティFMの増加もありました。
放送法の一部改正による制度化によって、期待が膨らみました。

大阪本社が東京本社への移行。CM制作も東京制作へと。

■ポスプロ、分社・独立の時代
 ○1989年 平成元年 サウンドシード設立
 ○1991年 平成3年 ガリレオクラブ設立
       元大阪スタジオの吉田氏が設立。
 ○1992年 平成4年 戯音工房
 ○1993年 平成5年 サウンドフォーラム、サウンズ・ユー設立
 ○1994年 平成6年 ステップ設立
 ○1997年 平成9年 スタジオマックス

歴史は繰り返すようです。
「録音スタジオ」で培った技術者が80年代に「ポスプロ」を相次いで誕生させ、
そこで育った技術者が今度は90年代に独立していきました。
まさにこういった歴史が、競争を生み、
切磋琢磨する環境を大阪に創ってきたといえるのではないでしょうか。
そんな「録音する現場」こそが、我々の仕事の場であり、
コミュニケーションの場であり、我々を育ててくれた場であったのです。

■ナレーター・声優、タレント事務所も分社・独立
1989年頃か     セイもしくはシードアシスト設立
1991年       畑中ふう独立、フリーに
1994年 平成6年  ワイワイワイ設立
1997年 平成9年  キャラ設立
2000年 平成12年 ボズ・アトール
2001年 平成13年 パートナーズ・プロ
りある(1988年設立)とチャント(1999年設立)が合併し誕生。
2001年 平成13年 ビー・グラッド
2007年 平成19年 Jプロダクション

ナレーター・声優、タレント事務所が次々に誕生。
「失われた10年」或いは「大阪の不景気」に覆われた時代であったにも関らず、
いや、そうだったからかもしれません、相次いで事務所が生まれました。

そして現在。
我々が生きている場は、今どうなっているのでしょうか?
夢は描けているのでしょうか?
未来をクリエイトしていこうと思っているでしょうか?

大変化の時代です。
果たして、どう変化していくのか。
そして「歴史」はこれからどう記されていくのでしょう?

楽しみか、不安か。それとも特に考えていないか。
いずれにせよ、時は刻まれていきます。

ご精読、ありがとうございました!

                       文責:畑中ふう







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去る、11月6日に行われました「ギョーカイ文化祭~天満でわぉ~ん!」、
盛況のうちに無事終えることができました。
ご来場の皆さん、スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。

頂戴しました義援金は、総額で15万6605円。
こちらを、岩手県・遠野市で支援活動をされている、
「プロジェクトNext」に全額寄付させていただきます。


重ねて御礼申し上げます!
ありがとございました!また逢いましょう!!^0^
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お待たせ?しました!!


あの日の雰囲気満開の
文化祭リポートです。


スタッフのD’z大屋さん作成!!

「たこ焼き女王・ニューヨークへいく」
ブログに掲載!



とくとご覧ください!!


ジャニスでわお~んリポート・その1


ジャニスでわお~んリポート・その2


ジャニスでわお~んリポート・その3
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ほんまにええ雰囲気の中、充実したイベントとなりました。

昨日の模様は、また写真や映像などでお届けしたいと思います。

12時の開場から「文化祭」な雰囲気がありました。

お客さんも想像以上に来てくれはりました。

ライブパフォーマンスも素晴しかった。

そして最後まで「いい熱気」感がありました。


今はまだ分りませんが、振り返った時、

「ああ、あれはこういうことやったんか」と思えたら嬉しいな。

そんな感触があった「大人の文化祭」でした。


とにもかくにも、感謝感謝!
ありがとうございました!!

                            ふう
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いよいよ日曜日!

会場に来て頂いたら、エスカレーターで上へ。

4階では、ウエルカム・ポスター展示と
ウエルカムなストリート・ライブでお出迎え!?

何時になるか分りませんが、
私・ふうは、BOROの「大阪で生まれた女~フルバージョン」を
やります。物語として、ほんまええ話・・・泣けるT-T

三原徹司氏はスガシカオにチャレンジ!するつもりのようだ!
前塚あつし氏は・・・芸達者ふりを如何なく発揮するだろう。
内海同仁氏は、トップで番を終えたあと、さ~て、何をもってくるか?

ストリート・ライブは、付け合せです^^;
「ウルサイ!」とか言われたら、3階でやります^^;
どんなんや!

5階がライブハウス!

会場内に入れば、右手にこれまでのイベントの模様などの写真が!
左手には、メビックの紹介に「コマニメ」・・・DVDで観れます!
さらに、「パラパラ漫画」でお楽しみ下さい。

ライブハウスですので、飲んで食べて!もバッチリ!
美味しい焼ソバ、あります。ええ鉄板で焼いてます!

17時からは、交流会。
それが終れば、一気に後半ゾーンへ!
盛り上がってくださいね^0^

お待ちしております!!

※会場のジャニスへは、堺筋線が便利です。
 堺筋線長堀駅下車、鶴見緑地線の方へは行かず、
 進行方向・・・つまりは一番南の改札口を出て、右の階段を上へ。
 外に出たら、右へ(南)。テクテクあるけば、郵便局があり、
 さらに、タカラベルモントのある交差点を右へ行けば、
 ジャニスビルがありまする!

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