バイオリズム講座(第4回)
日本ではどの様に普及したのか

日本にバイオリズムが初めて紹介されたのは1964年雑誌中央公論でした。「バイオリズムは人生を変える」と題した戸田奈津子氏訳のエバン・ジュロの紹介記事が最初です。
そして日本における本格的なバイオリズム普及活動が始まったのはアメリカのジョージ・トーメン著「バイオリズムの基礎」を翻訳出版された故白井勇治郎氏の活躍によってでした。
                 
<交通安全ツールとしてのバイオリズム>
白井勇治郎先生はバイオリズムの理論書を出版される傍ら、東京警視庁はじめ各県警所轄の多数の交通事故資料を受けて精力的にバイオリズム分析を実施されました。当時、先生の事務所には自らバイオリズム分析をするための計算表や赤青緑の大きなプラスチック製バイオリズム定規が有りました。多忙な合間にも分析を重ね県ごとに調べられたバイオリズムによる分析表は小冊子にまとめて多数印刷し山積になっておりました。
資料はどんどん山積みになっていきました。この様な多忙にも拘わらず更に時間を割いて遠方各地の交通安全協会に出向きバイオリズムを使った交通安全講習会を精力的に展開されたのです。

講習会では「バイオリズムには1ヶ月に要注意日が20-25%(7-8日)あり交通事故の約75%がその"要注意日"に集中しています」と全国の警察所轄の交通事故をバイオリズム分析した資料を配布し説得力ある講習会を実施されておりました。
 事故は殆どの場合相手がいる訳ですが子どもの飛び出しなどでも約70%以上の子ども本人がバイオリズム要注意日であったと資料で示し相手方も同時分析されていることを確認されておりました。追い越し事故の場合は感情リズムの要注意日に最も多いことやベテランドライバーでも身体リズムの要注意日には思いがけないミスを犯すことがあり十分注意する必要があるなど誠実で懇切丁寧な助言をしておられました。                 
 時には自衛隊に出向かれたことも有ります。実力伯仲のサッカー部員に集まって貰い身体リズムの高調期と低調期の組に分けた試合を実施して貰います。事務所でも講習会でもバイオリズム通りの勝負だったと嬉しそうに語っておられたことも有ります。
     
<建設工事現場では>
建設企業関連の導入も多く、建設現場では懇切丁寧に安全管理としての使い方を指導されております。
現場事務所の黒板には「本日要注意日の人」と氏名を書き出して貰ったり、本人のヘルメットに要注意日を知らせるワッペンやカラーの磁石式ボタンを付けさせ本人だけでなく周囲の人にも注意を喚起させる様な指導もされております。

<生保レディのツールとして>
損害保険会社や生命保険会社では積極的に採用されました。二つの大きな理由が有ります。生保では女性のセールス員が最も必要な基本情報である生年月日を収集するツールとして利用しました。建前は顧客サービスで要注意日が分かることから運転する時の安全管理に使えるバイオリズムを差し上げますということでした。保険設計には生年月日は欠かせません。会社では販売促進ツールとして推奨すると同時に保険契約者がバイオリズムを実際に使うことで事故が少なくなれば保険金支払いが減少するという大きなメリットがありました。しかしバイオリズムを採用して実際に売り上げが伸びたとか事故が減ったという証明はなかなか困難なことです。また何より大変だったのはバイオリズムの計算でした。この頃はまだコンピューターが普及していませんでしたから現在の様にパソコンやインターネットで調べる訳にもいかず数値表を利用してのバイオリズム算出でした。この様な理由でバイオリズムの活用は長続きせず利用され無くなっていった側面も軽視できないでしょう。(つづく)【本文は村尾弘明箸・バイオリズム早見表(1978年7月発行)及び「バイオリズムを活用して試合に勝つトレーニングの方法がある」からの転載です。無断で引用することは禁止されております】