都会のラクダ 0章 その3

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「で、渋谷。お前どうするんだ?」
    脳内で反芻される野中先生のことば。
    一体私はどうなりたいんだろう。胸を張ってコメディアンになりたいとも言えず、それより興味があることもない。大学に行きたくない理由だって、受験勉強したくないからとか、どうせその程度の理由しかないんだろう。もし誰かに訊ねられたとして、会社に勤めるのが嫌な理由を明確に伝えられるだろうか私は。
    椅子にもたれて、黒板の前でキャーキャーする女の子達をぼんやり見る。この子達は進路どうすんだろ、多分ちゃんと決めてるんだろうなア。一人がこっちに視線を寄越す。
「ねエ渋谷、何見てんのオ」
    ね、一体私は何を見てるんだろう。重たそうに足元で折り重なるルーズソックスは見えても、自分の未来は見えてないんですよ。参った。
    脚だ。サイテー。あは。一緒にゲームしよう。ゲームしないよ。なんだア渋谷つまんない。ごめん私つまんないね。
    自分のことなのに、自分がわからない様な。自分の未来なのに、自分で選べない様な。自由な筈なのに、いざ与えられると臆してしまう様な。
    こんな筈じゃなかったとか言って、昔は良かったとか言って、今現在を惜しむ様になりたくなかった。一度きりの人生を謳歌してるわアって感じながら生きたかった。それなのに何を選んでも後悔してしまうかもしれないという、卑屈な未来ばかりが浮かぶ。好きなことをしていたい、好きに生きてみたい。

    じゃあ。どうしたい?

    昼休みのおしまいを告げるチャイムが鳴る。教室にみんなが戻ってきてくる。あいつは大学にいくらしい、あいつは実家を継ぐための勉強をするらしい、あいつは役者になるために動いているらしい、あいつは海外へ留学するらしい。みんな色々考えてんだなアと、どこか他人事のようにぼんやりとみんなを見ていると不意に、後ろの席のクラスメイトに肩を叩かれて顔を覗き込まれた。
「面談どうだった?」
    こいつは受験するんだよなア、しかも立派なとこ目指すって言ってたっけ。その後何になりたいんだなんて話、恥ずかしくてしたことないけど。というか、あんまりそういう話に自信がなくて、私が避けていただけかな。
「ぼちぼちだ」
「野中になんて言ったの?」
「ん?総理大臣」
「馬鹿じゃん、野中はなんて」
「日本は任せたって」
「なははは」
    ははは、五限目担当の先生がススッと入ってきてなんとなく授業開始。
    どうしようもないもどかしさと、言いも言えぬ不安と、明確な意思のない自分への落胆と、それを表に出すことを拒むプライドが、ずっとぐるぐるにで絡まり合っていた。うっかり、文庫本も開けず、私語にも混ざれず、この日の学校を終える。
    帰り道、ディスクユニオンにも、紀伊国屋にも寄らずに、その日はうちに帰った。
    自分が無気力だって、そんなことは思ってない。風来坊になりたいわけでもない。ちゃんとお金を稼げるようになって、お嫁さんをもらって、子供も産まれて、なんというか”まとも”ってなんだか知らないけど”まとも”に生きていたい。それなのに。
    ま、考えたってどうにもならないんだけどさ。考えて決まる事なのかもしれないけど考えて決まる事でもないような気がしている。
    何もない事が退屈であり、何もない事が平和である。
    ただ、永遠じゃないからね。
    人生にドラマ落ちてねエかなと、劇的なそんなものを、この時はどこかで求めていた。
    明日も変わらず、多分いつもの毎日の、その中の一日。
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都会のラクダ 0章 その2

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「で、渋谷。お前どうするんだ」
    野中先生は先程よりも少し大きな声で私に訊ねた。
    将来のこと、嫌が応にも考えなければならない時期であった。こないだ高校三年生になりましたからね私は。だから正直今になってまだ悩んでるなんて、ただでさえみんなから遅れを取っている状況であったのだ。
    大学に行きたくはない、会社勤めはしたくない、なんか楽しい仕事がしたい。漠然とそんな感じ。
    だったらば具体的なビジョンはあるのか、とか、それに伴う行動をしているのか、などと問われれば、んん、とか、あア、とかしか言えなかっただろう。
    人と同じことはしたくない、特別なことがしたい、だって普通はつまらないから。という至って普通の考えしかなかった。野心にもなりえない野心が具体性を伴わないまま、輪郭を持たない将来という器にただ流し込まれては流れ落ちていっていた。
    はて、私という男は。ぼうっとしていても仕方がないので流行りに乗っかってインドに自分探しでもしに行こうかと考えたが、少し現実味に欠けていたので考えを改めた。
    日々の暮らしの中で何に惹かれているのだろう。生活の中で何に魅力を見つけるだろう。自分がこれだと思えるものを普段の己の中から探し出そうとアンテナを張った私が、アンテナを張りすぎたことによる不自然さに気が付いてそうじゃなくてもっとフラットに興味を持てるものと考えた時にピンときたのが、何を隠そうコメディアンであった。
    とても単純に、人を笑わせる仕事なんてなんだか素敵だと思っていたからだ。
    素敵だと思った、と今考えてもこの上ない理由である。人生をその感覚に従順に生きるということはとても素晴らしいことだと思う。事、物、人、どれにしたってそうだと思うのだが、この時の私にとってコメディアンになるということは、職業として、インドに自分探しに行くことよりもリアリティに欠けていた。ふわっと、していた。
「渋谷?」
「ん、はい、えエとね」
    言い淀んで、唸ったり、はい、と無駄な返事を繰り返したりして時間を稼いでいた。
    あア、でもなんだか進路相談の場でコメディアンになりたいと口にするのはどうにも恥ずかしいな。それに野中先生は今お耳が遠いので、え?とか言って聞き返されるかもしれないな。一度口にするのも恥ずかしいのに二度も口にするなんて冗談じゃないな。だから聞き返されない為にはそれなりに大きな声で言わなければならないが、他の先生にまで聞こえちゃうのはなんだか嫌だな。もし聞こえちゃって、幾つもの才能と努力がしのぎを削る厳しくて華やかな世界にお前ごときが?とか思われちゃうのとても耐えられないな。
    数多のどうでもいい感情が渦を巻く。でも。それよりもこの場で、やりたい事なんて何もないですから進路とかわかんないです、って言ったり、将来の事まともに考えてないやつなんだって思われてしまう事は、若輩特有の無根拠なプライドが許さなかった。
    だから、耳の遠い野中先生には届くが、他の先生には聞こえない絶妙な声の大きさで、拙すぎる思いを然もありなんというスタンスで伝えてみようと思った。難易度高め。えエと。
「ん。コメディアンになりたいです」
    おオ。言ってもうた。恥ずかしい。しかし幸い、他の先生は聞こえていない様子。
    理想としてはこのまま先生が深く頷いてくれて、お前そういう水物の職業はなア、とか、そのことをお前のご両親とは相談したのか、とか、お前の気持ちはわかるがそんなに甘くないぞ、とか慎重にそういう返しをしてくれたら、なんかそれっぽい流れになるし一番良い。
    頼むから聞き返さないでくれよ、今のでいろいろ精一杯。ハードルの高いことを言った私の、このギリギリの表情も加味して頂けるとより一層大きなヒントになりますヨ。祈る気持ちで、反応待ち。
「え?」
    ちくしょう!ダメだった。
    私が口にした内容に耳を疑う、え?ではなく、やべエわかんなかったわワンモアの、え?である。
    もう、本当、そういうとこ。先生のそういうとこ。私の声のトーンとか雰囲気だけでも何かしらを察するでしょ。至極当たり前に聞き返しちゃうそういう機微だって先生。だからスカートの丈の注意の仕方が下手なんだよ、キモチワルイ!って逃げられちゃうの。全部繋がんの。ふん。
    同じ過ちを繰り返さない為にも腹を括らねばならない。一呼吸おいて、半ばやけくそで、難聴先生の耳にしっかりと届く様に。あのですね。
「コメディアンに、なりたいです」
「え?なんて?」
    罰ゲームかよ。もう。
    他の先生の何人かがこちらに視線を寄越した事により、野中先生以外には不本意にも届いてしまった事を悟る。絶望に頭を掻き毟る可哀想な私の目の前、趣深いそのご尊顔を近づけて、ごめん渋谷もう一回、なんて言ってくる野中先生が心の底から恨めしい。
    しかしもう、三度目を言う度胸も、三度目に耐えられるだけの器量も、三度口に出来る程の情熱も、なかった。
    最早開き直って。私は現状を偽りなく大きな声で、言った。はい。
「まだ、何にも、決めて、おりません!」
「そうか、そうか」
    こうして他の先生には届いたが、野中先生には届かなかった、私のコメディアンになるという幻の未来は、儚くもそこに続く道を閉ざすに至った。
    先生の耳を遠くしてしまった原因を作った私にもきっと責任はあるのだろうから、目の前でふんふん頷くこの先生のことを責めるわけにもいかないよね。因果応報っていうんだっけ、こういうの。自分で蒔いた種がここに来て残酷にも花をつけましたとさ。キレイデスネ。
    しかし、夢をひとつ失い、なんだか恥をかかされた心持ちになった私は、床の木目に落とした視線のまま、青髭坊ちゃんめ、とやる宛のない憤りを小さく独りごちた。
「おい!渋谷!今お前なんて言ったよ!?なア!」
    おオ、今のは聴こえたんだね。
    なアおい!今なんて言ったよ!と激昂する先生に、私は、なんで今のは、と訊ねた。
「なんで今のは聴こえるわけ」
「え?なんて?」
    もう面倒くさい。肩を落として職員室を後にした。クラスに戻って、席に着く。


(続)
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都会のラクダ 0章 その1

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「で、渋谷。お前どうするんだ」
    野中先生は必要以上に大きな声で私に訊ねた。
「先生声でかい」
「え?」
「先生、声、でかい」
「誰のせいだと思ってるんだ」
    進路相談の個人面接。先生と膝と膝を突き合わせて話をするなんざ、心のうちがムズムズする様で妙にいたたまれない。職員室の隅の方、臨時に設けられた謎のスペースでの面談。これから未来の話をするなんていうただでさえ小っ恥ずかしいこの状況であるのだからせめて、個室でも用意してくれたらいいのに。
    高校三年生は多感なんだぜ、そこら辺の機微をわかっちゃないんだから。若さはね、必要以上に恥じることを指すのだよ知ってた?
    しかもこの時、野中先生は突発性難聴を患っていた為に、自らが発する声さえも満足に聞こえていなかった。その為に、常軌を逸したボリュームで話す、し、常軌を逸したボリュームを求めてきた。
「私のせいじゃないでしょうに」
「お前のせいだ!」
    職員室にいた他の先生の視線が痛い。これじゃまるで聞き分けのない生徒と、それを叱る先生の図である。本日はお説教をされる為に私はここにいるのではないぞ、私は未来の話をしに来たのだ。ん、SFかよ。
    まったくお前は、と目の前で憤る野中先生は我々のクラスの担任の先生である。背が小さく色白の童顔で、しっかり締めたネクタイとさらさらすぎる髪の毛は、さながらお坊ちゃんであったが、何を何処で間違ったのかヒゲが非常に濃かった。そのアンバランスさが絶妙な風情を醸し出しており、女子生徒にキモチワルイ!なんてよくからかわれていた。昼休みのこの時間、野中先生は顔の下半分を伸びてきたヒゲでブルーに武装しており、見事な風情であった。
「趣深い風情でございますよ、先生」
「え?」
「なんでもないです。耳、大丈夫ですか?」
「うん。少しは良くなってきているよ。もう本当に勘弁してくれよな」
    先生が患っている突発性難聴の原因はストレスである。で、そのストレスの原因は他の先生からのネチネチした圧力であった。
    我らが担任の先生様に圧力をかけるなんざ、何事でい!と、先生が突発性難聴を告白する為に臨時に設けられたホームルームで私はひどく荒ぶったが、その圧力が、授業中の我々のクラスの私語にあるということを聞いて、腕まくりしていたシャツの袖を元に戻した。
    授業中は基本的に机の下で開いた文庫本の世界に没頭していたし、本を閉じている時は、たまに、本当にたまに、五分に一回くらい、私語を指摘されていたくらいだったから、まさかそんな大事になるなんて夢にも思わなかったのだ。
    私は野中先生のことを慕っていたから、割と真面目に反省したのを覚えている。

    基本的に”先生”が嫌いであった。野中先生(あと、小学校のハトウ先生ね)を除いて、”先生”のことが好きではなかった。
    今の私の歳になってみれば重々理解できることではあるのだが、先生だってなんだって押し並べて人である。ただ、やはり学生の時分に、その本質的なところが理解出来ていなかった様に思う。
    当時は、先生即ち”大人”であり、大人即ち”大人という生き物”であった。漠然とした憧れと、それに付随して生ずる嫌悪の様なものから、未完である我々にとって、大人ってものは万能であると思い込んでいた。マルチプレイヤーであると信じきっていた大人が、実はただの人間だということを、少なくとも私はわかっていなかった。
    だから、先生が不意に見せる人間くさいほころびや、保身に走る姿や、利己的な一面を垣間見ると、大変に軽蔑したのを覚えている。うわア、人間くせエ。みたいなね(先生だって人間ですもの、仕方ないのにネ)。
    野中先生はなにが違ったんだろうか。大人として何歩も先を行って我々に”生徒”ではなく、一人の”人間”として敬意を払ってくれたからだろうか。狭い視野でしか見られない当時の私に、誠意を持って”人間”としての”先生”を体現してくれたからだろうか。ただ単純に良い人だったからだろうか。ねエねエ野中先生や、何考えて我々の先生をやってくれてたの?今ならほんの少しだけわかる気がするんだけどね、驕りかな。

    とにかく、慕っていた野中先生が難聴になっちゃったことに対し、少なからず責任を感じていた私は、先生の耳が回復するまでは、ちょっとだけしっかりしようと、ちょっとだけ誓ったのだ。
「へい、すびばぜん」
    うなだれたこのポーズは完全に振りであるが、少なからずそこに存在する一口サイズの反省の意は先生に伝わった様である。先生は、ったく、とか言いながら鼻からため息を抜いて見せた。
    軽く間を置いて、もう一度私に、言う。

(続)
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