エルミタージュ誕生の由来は、ロシア皇帝たちの創造的で啓蒙的な活動に負うところが大きいと言える。ビョートル大帝によってネヴァ川沿岸に創立されたロシア君主の冬の宮殿は、偉大な美術館とその建築アンサンブル、そして無数の貴重な美術品が結集した中心になった。
旧参謀本部とエルミタージュ美術館 宮殿広場
エルミタージュ美術館と旧参謀本部に囲まれ、中心にはアレクサンドルの円柱がそびえ建つ。
もともと、サンクトベテルブルクの歴史はペトロパヴロフスク要塞とヴァシリエフスキー島を中心に始まった。しかし、早くも18世紀半ばには都市建設の中心は対岸に移り、1762年には冬宮(現在のエルミタージュ美術館)が完成する。19世紀初頭のナポレオン戦争を経て、1827年には冬宮の反対側に旧参謀本保が建ち、現在の広場の姿が出来上がった。
青銅の騎士像
円柱自体は一枚岩の花崗岩で作られ、直径約4m、重さ約650トン。2000人もの兵士がロープを引いて立ち上げたといわれている
円柱はイサク聖堂を建設したオーギュスト・モンフェランによって建てられ、高さ47,5m。円柱の上には、戦争の勝利者であるアレクサンドル1世をモデルにした、十字架を持つ天使の像が掲げられている。
現在のエルミタージュ劇場の場所にあったビョートル大帝の冬の宮殿は、首都の中心の川岸沿いに建設された宮殿建築の礎となった。
1732年に一時モスクワに移されていた都を再度ペテルブルグに遷都した女帝アンナ・ヨアノヴナは、ビョートル大帝の宮殿から少し離れた海軍省の傍にあった豪華なアブラクシンの館をより好んだとはいうものの、宮殿の位置を変える決心はつかなかった。
女帝の指示によってアブラクシン邸に新しい棟が増築され、こうして将来の宮殿アンサンブルの基礎が決定された。
正面階段(ヨルダン階段)は、ラストレッリの設計によって造られ、その卓越した構想は、大火の後の復旧作業の際にスターソフによって保存された。
1839年には、天井に18世紀のイタリアの画家ディツィアーニの作品がはめ込まれた。オリンボスを描いたこの絵は、以前、ラストレッリの設計による幾つかの部屋のうちの一室を飾っていた。
ここでは、バロック的な脚色効果を狙った想像力に圧倒される。低い、影になった初めの数段とは対照的に、そのメイン空間は、鏡にその姿を映しながら、また天井画のイリュージョンの無限さを突き破りながら、あたかも自ら開けていくようである。
本日もご覧いただきありがとうございました。
次回もお楽しみください。