2年足らずで解散するような国会には期待できないとなると、官僚が頑張るしかない | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

何故日本では官僚と言われる人たちが大事にされてきたのか、という理由が段々に分かってきた。

2年で解散するような国会にはもともとゼロから政策を作り上げるような能力が備わっていないし、現実にそういうことを期待されてもいない、ということだ。

中央官庁はどこも政策官庁である。
国の政策は、中央官庁が作り上げている。
毎年のように首相の顔が変わり、大臣がコロコロ変わっても日本国としての機能が殆ど停滞しないで済むというのは、日本国を実質的に支える集団が存在するからである。

国を実質的に支える集団は何か。

中国の場合は、明らかに共産党であり、軍であろう。
日本の場合はどうか。
やはり中央省庁と中央省庁の官僚だと言っていいだろう。
政治家が椅子取りゲームで争っている間も粛々と国を掌っている。
政治家が選挙で競い合っている間も粛々と政策作りに邁進している。

毎年のように顔が変わる大臣には一応指揮命令権、政策決定権があるようには見えるが、実際には官僚がお膳立てしたことしか進まないし、進めようがない。
一部の政治家は政策を左右することが出来るが、それでも官僚を動かさないと物事は進まない。
官僚を動かす術を知っている人や持っている人でないと政治を動かすことが出来ない、ということである。

任期が4年あるのに、いつ解散があってもおかしくない、という日本の政治土壌が結局は政治家の政策策定能力や政策遂行能力を奪っている。

常在戦場とか、当選1回の若い国会議員に向かって、君たちの仕事は次の選挙に勝つことだ、永田町にいてはダメだ、さっさと選挙区に帰って選挙区の草刈りをしろ、などと大真面目に言われているのだから、これではまともな国会議員は育たない。

私も大学を卒業してからしばらくの間霞が関等で仕事をしたことがあるから、多少は官僚の世界を知っていると言ってもいいだろうが、確かに当時自分たちが国を背負っているような気負いでいたことは覚えている。

国会議員は余計なことをしてくれなければいい、ぐらいな感覚でいただろう。

国会議員にそれなりの仕事をさせたいのであれば、やはりそれなりの任期と権限を与えるべきである。
いつも自分の足元が危ないのであれば、オチオチ仕事に没頭していられない。

日本の安定は、日本の政治は実際には官僚が担っているからだ、と言っていいのではなかろうか。
うっかり官僚バッシングの世論に乗ろうとしていたが、2年足らずで解散する国会を抱えている現状では官僚を叩き過ぎると日本の政治が回らなくなってしまう。

そういうことだったのか、と改めて気づいた次第である。

コロコロと意見を変えるものだ、という指摘をされる方がおられたが、自分なりに色々視点を変えて物事の真相を見極めようとしているからそういうことがある、ということでご了解いただきたい。
あくまで、皆さんの考えるヒント程度のことであって、別に私の意見に賛同される必要はない。