「福岡猫の会(ふくねこ)」ブログ|家庭で出来る猫の治療を研究しているグループ

病と闘っている猫と飼い主さんへ。
家庭で出来る猫の治療を日々研究し、実績を上げているグループ「福岡猫の会」のブログです。
このブログでは、日々の記録、活動内容やアドヴァイスなどについて更新していきたいと思います。


テーマ:

 I lost the best friend of my Life:Michael(Ex-Stray Cat)(その2)
「出逢い」と「得がたい絆」

 

1、「出会い」
2011年5月

 

 

我が家から近くのコンビニまでの小路の中程。廃屋の裏庭のわずかに陽射しが当たる放置された棚の上に現れた「マイケル」。初めて出逢い、初めて目が合った瞬間でした。

 

 

 

 

 

何か「感じるもの」があったのでしょうか? ほどなくマイケルは、我が家周辺に現れるようになったのですが、出逢う前にどのような哀しいことがあったのか?とても警戒心が強く、近づくと逃げてしまっていました。

 

 

 

 

2011年6月

 

それからまた、しばらく経って、ほぼ毎日我が家の回りに現れるようになったので、玄関先にFoodを置いてみると、まるで「分かっていた」かのように食べるようになりました。
それでもまだ、近づくと少し離れたところに逃げてしまうので、毎回遠巻きに見守るばかりでした。

 

 

 

 

 

何時ものように「玄関を出ると待っているだろう」と出てみると居ない。「あれっ?マイケル居ないの?」と言うと、「こそっ」という音。


見上げると玄関の軒の上に居ました。「生まれ変わって帰って来た?Chame」の時と全く同じ愉快で楽しく、幸せな日々でした。

 

 

 

2011年7月

 

崖の上の母屋は、下が車庫になっていて、その一角に作った「民族楽器工房」で私が作業をしていると、通りかかったマイケルは、しばらく私の仕事を眺めて行くようになりました。


「ご飯が欲しくてこちらの様子を伺っている」のではなく、玄関でたっぷり食べた後、工房作業を見学してから「巡回」に行くのでした。

 

 

 

それは夜も同じで、夜工房で作業をしていると、また遊びに来て、木材を湿らす為に水を引いたバットで飲水などをしては、また何処かに巡回に行ってしまいました。

 

 

 

ご飯時の前に買い物に走れば、帰る頃には、我が家の門柱の上に、まるで「独りシーサーのように」陣取っていました。

 

 

 

「日々三食の恩」があったかどうか? 単に「ご飯目当てだろう」と思う方は多いでしょうが、実際、マイケルがこうやって門柱で「番兵」になってくれていた頃は、不治の病の子は仕方がないですが、健康な子たちは皆体調が良好でした。


色々厳しくなって来たのは、むしろマイケルが我が家の「家猫」になって以後のことです。

 

 

 

 

「ただ気に入った場所なだけだろう」と言われればそれまでですが、「ザリザリした石柱の上」がそんなに居心地が良い筈もなく。やはり「律儀に勤めに励んでいる」ような気がしてなりませんでした。

 

 

 

 

2011年11月15日

出逢いから半年が経って寒くなり始めた2011年の11月半ば、工房での夜の作業を終えて出ると、お向かいの軒の上で、ずっと見守ってくれていたのでした。

 

 

 

その小一時間後、

我が家の子たちのご飯をやっていて、ふと窓の下を眺めれば、マイケルはまだ軒の上に居ました。


マイケルの場所からは、「猫が何頭か居る暖かそうな家」が、どのように見え、どのように思っているのか? 切なくなってしまい「明日にでも保護したい」気持ちに駆られました。


そして、今考えても、「単に餌目当ての野良の行動」を遥かに逸脱しているマイケルの姿。やはりこの頃の段階で、十分保護する理由はあったのではないでしょうか?

 

もちろん、「この時保護していれば、寒い冬の苦労や瀕死の怪我から免れたかも知れない」というのは、必ずしも正解ではないでしょう。別な苦労があったかも知れない。

 

しかし、マイケルには分かっていて、必然を感じていた「何か」、もっと大きく深い理由があったかも知れないのです。


実際私も、マイケルが次々に私の思惑を理解してくれたからだけでなく、様々な瞬間によぎる直感も含めて「何かがある」ことだけは、強く感じていました。


ただ、人間社会の常識的観念に於いて、支援者さんやお世話になっている獣医さんたちが納得する正論が無かったが為に、その宿命は現実とはなりませんでした。

 

 

 

2、「野良としての友情」気持ち・想いの通じ方が凄い!

 


そもそもその当時「もうこれ以上は保護は難しい」と考え始めていたこともあって、「成猫の野良に対する敬意」と「どうせ家猫的には慣れないだろう」という思いから、「即保護」には至りませんでした。


「せめて」と、玄関付近に暖を取る「ダンボール」を中にフリースを入れて置いたところ、マイケルはすかさずその意味を理解して、ご愛用してくれました。

 

 

 

冷たい雨が降るようになって来たので、引越し当時に餌付けして、保護し病院で亡くなる直前の二日三日だけ我が家の家猫になった「にゃじら1世」のために作った木製の小さな小屋を掃除し、中に「暖か座布団」を入れれば、また直ぐにご愛用。

 

雨の日は、半身乗り出してご飯を食べ、また小屋に篭る。「巡回」さえなければ、まるで家猫と同じような生活でした。

 

 

2011年12月

石段の脇の陽射しで、必死に暖を取るマイケル。

見かねて、そこにも「日光浴用のダンボール」を。電源が無い場所なので、スチロールを組み込んで。やはり直ぐに「ご愛用」してくれました。

 

 

 

そして、いよいよ冬本番になってきたので、車庫の隅に「暖か座布団入りのスチロール箱」を設置。やはりこれも「直ぐにご愛用」してくれました。

 

写真中央の黒いプラ籠の右の白いスチロールの欠けた部分から「ちょこっと」マイケルの顔が見えます。

 

 

この後、バス通りの向こうの「シマ」から生ゴミ漁りに越境してくるドラ猫が現れました。


マイケル同様の「オレンジタビー」ですが、尻尾が短く、初め「マイケルの妹?」かと思ったので「Michelle」と名づけて玄関先にFoodを置いたところ、マイケルとMichelleは、接近するや「うー!しゃー!」の一触即発。

 

 

しかもMichelleは、寒い夜にも現れては、車庫の寝床を奪わんとしたようで、毎晩夜中にマイケルの「うー!」の声で駆け下り喧嘩を止め、Micheleには玄関先でFoodという日々になりました。

 

ご近所が再び問題視する前にと、仮眠し掛かった時でさえ飛び起きて急行していました。

 

程なく気づけば、どうもふたりとも、その後の顛末を想定していたようで、マイケルは大声で威嚇しつつ「きっとおじちゃんが来てくれる」と考え、Michelleは、「こうすれば玄関でご飯が貰える」と思ったようで、本気で喧嘩したり縄張りを奪う程でもなかったようです。

 

 

 

2012年4月

 

そうやって、どうにか厳しい冬を乗り切り、暖かくなり始めた4月、
お向かいさんが空き地に小さい菜園を作ったのですが、この「ふかふかの土」がマイケルお気に入りのトイレになってしまい、しばらく沈静していた「野良猫対策」の話が浮上してしまいました。


取り急ぎ、写真手前の菜園の上の白いフェンスを提供しましたが、芽が出て伸びて来る頃には邪魔になる。

 

そこで、「流石にこれは通じないだろう」と思いつつ黒いプラ・バットに猫トイレ砂を入れて空き地に置けば。なんとマイケルはこれも早速理解して「ご愛用」してくれました。

 

野良にとっては、「そこらじゅう、自由に全てトイレ」な筈ですから、「人間が野外に置いたトイレで用を足す野良」は、極めて珍しい不思議なショットではないでしょうか?

 

 

かれこれ出逢ってから半年。私が何をしても「マイケルの為」と直ぐに理解してくれる程「気持ちが通じる」仲になったというのに。マイケルは相変わらず、1.5m以内に近寄らせることはありませんでした。
それでも「巡回」の時間以外は、大概我が家の周りの何処かに居て、大概私の動向を伺ったり、のんびり昼寝をしながら見守ってくれていました。

 

 

 

 

「もう殆ど半外飼いの猫のようじゃないか!」と馴れ馴れしく近寄れば、「ささっ」と離れてしまいますし。しばらくそばに居たと思ったら、また「ふらり」と何処かへ「巡回」に出て行ってしまうのでした。

 

マイケルは、野良には珍しく、と言いますか、そもそも猫にいは珍しく「人間の作った道」を良く利用していました。


「やっぱり野良は自由奔放、野に生きる方が良いのだろうなぁ」と、その孤高ながらも頼もしい後姿を眺めながら思ったりしていました。

 

 

 

3、「マイケル大怪我?」思いがけず保護することに。


2011年5月5日

ところが、4月後半、或る日を境にマイケルは忽然と姿を消してしまったのです。「二週間?」否、実際は十日位だったかもい知れませんが、日に十数回毎日その姿を見ていたので、急に居なくなってしまった時間は、とても長く感じました。

 

そして、お隣の佐賀県の小学校での演奏を終えて帰宅した5月5日。久しぶりにマイケルが現れました、

 

ところが
今は崖の石堤から作り変えモダンにすっきりしてしまった東の隣家の、以前の木立の庭の隅で、辛そうに目を閉じ陽だまりで横たわっていました。

 

心配しつつも近づいて移動させてしまうよりは、その場所でじっとさせていようと、何度か通り過ぎた後、「あれっ? 居ない!」と思った途端、隣家の反対側の方で、猫同士の喧嘩の声。


お隣さんのご許可を得て裏庭に行くとマイケルとMichelleが一触即発。
喧嘩を止めましたが、マイケルは動かない。

 

 

Michelleを遠くに追いやると、やっと起き上がって動こうとするのですが、左前足が地に着かず、他の足も、全体も力なく「よろよろ」と。


小路から石堤を何時ものように駆け登って、昼前のお気に入りの陽だまりに行こうとするのですが、石堤を登れずにズリ落ちてしまい、「よろよろ」と我が家の石段の方に来て、一段登ったところで、写真のようにへたり込んでしまいました。

 

その瞬間に、「半年の野良友達」の関係が終わり、「即捕獲保護」を決意したのですが、「こんな状態で餌で釣るトラップが効奏するのだろうか?」と案じました。

 

 

 


ところがマイケルは、「なんとしてもご飯を食べて頑張ろう」と思ったのでしょう。よろよろとトラップに入ってくれたのです。
何日もろくに食べず。じっと何処かに潜んで体を癒していたのでしょう。いよいよどうにもならなくなって、私のところにやって来たのか? 「にゃじら1世」の最後の数日と同じでした。

 

 

 

「家猫」になったマイケル

 

とうとうマイケルは「離れ」でしたが、我が家の屋内に。「この先どうなるのだろう」と恐々としているので、数日顔を合わせても耳が下がったまま。

 

それは、保護後、数時間部屋の中にトラップごと置き、周囲を確認させた後に、トラップからケージに移す時に、かなりの立派な体の渾身の力で逃げ出し、部屋中を逃げ回る「大捕り物の惨事」があったからです。

 

私も逃げ惑うマイケルの意図しない後ろ足の立派な爪で一針縫う怪我をしました。


結局キャリーに逃げ込んだところを、今度は上手くケージに移したのですが、マイケルはこの惨事で、一気に「人間不信」が蘇ってしまい、ほぼ一年「心を許さなく」なってしまったのです。


この後二ヶ月近くは、耳も下がったままでした。

 

 

また、日々「出せ!」の訴え。怪我の方は、左前足にヒビでも入った程度で、「へたり込んだ」のは、何処かに篭っていて空腹・栄養失調だけだったかも知れません。


二ヶ月もすると、大型二段ケージを元気に上り下りしていましたし、食事も良く食べていました。

 

当会では、「成猫の保護」は基本的に「あり得ない」のですが、やむを得ない場合、当の猫と他の猫の為に、ある種過酷な期間を厳重に隔てます。


それは「血液検査が比較的自然に出来るほどまで慣れてくれること」。無理やり病院に連れて行って麻酔で眠らせ検査することはしない。悪性ストレスと麻酔のリスクが極めて危険だから。


「血液検査」の結果が判明しなければ、ケージから出せないし、理想を言えば「部屋も隔離したい」ところ。

 

保護に至る迄の出逢ってからの一年の「野良としての友情」の頃でさえ、どんなに私の意図を直ぐに理解し、信頼してくれているようであっても。マイケルは決して1.5m以内には近づきませんでした。

 

彼の半生に起こった何らかの出来事による、悲しいトラウマでしょう。その心の傷は深く、中々治らなかったのです。

 


マイケルは、10ヶ月経っても尚、ご飯時にケージの扉を開けると、耳を下げて奥に引っ込んでしまっていました。

 

その為、何も出来ず、何も先に進まず一年。ケージの中で暮らすことを余儀なくされたのです。


私は、「保護前のマイケルの特別な様子と、私の直感」が何だったのだろうと悩みました。

 

しかし「怪我で保護」はあり得ること。要は、その後回復した後に再びリリースするか否か。リリースする場合には「血液検査と虚勢手術」をすべきであり、結局は、それを「無理やり」か「比較的自然にか?」という選択肢に戻ってしまう訳です。虚勢手術をすれば、マイケルが「猫エイズなどのキャリアの場合」ノンキャリアの雌に移しませんし、マイケルがノンキャリアの場合、キャリアの雌から受け取ったり、キャリアの雄との喧嘩・噛み傷も受けにくい。

 

最低限、そこ迄しない「保護」は中途半端で残酷である、というのが一般的な保護活動の考え方です。


従って、保護一年近く経った後でもマイケルは、「リリースの為の検査も手術も出来ず」、「リリースせずに家族として暮らす為の検査も手術も出来ず」。共に少なからずの苦悶を味わう日々が続きました。

 

 

4、「僅かな幸せの時期」
ところがその直後、或る日一時間以上、マイケルの傍で休憩し、マイケルの「出せ!」の訴えをずっと聞いて、私も復唱してみたのですが、その日を境に、マイケルは、奥へ逃げることをしなくなり、やがてご飯時におでこを撫でさせてくれるように大変身・大展開を見せてくれたのです。

 

保護して丁度一年が経った頃、「嫌々」ながらもとうとう抱き上げて抱きしめることが出来、ケージ暮らしを終了し、「近々検査と手術」という段階に至ったのです。最早その時期は、私の資金繰りの問題で、リリースの必要性はなくなりましたから、マイケルにとってはケージから出られれば、あとは「野良の雄としての使命や巡回や縄張り争が出来ない」だけとなった訳です。

 

 

保護して一年が経った、2013年の5月23日のマイケル。八畳の部屋のあちこちのマイケルのお気に入りの場所に寝床を作ってやると、相変わらず「直ぐに理解してご愛用」してくれました。

 

検査と手術」という段階に至ったのです。最早その時期は、私の資金繰りの問題で、リリースの必要性はなくなりましたから、マイケルにとってはケージから出られれば、あとは「野良の雄としての使命や巡回や縄張り争が出来ない」だけとなった訳です。

 

 

相変わらず、フェンスを開けて私が中に入ると、部屋の天井付近の棚の上に逃げてしまいますが。今思えば、ほんのひと時、マイケルにとっては、幸せな、伸び伸びとのんびり出来た時間だったかも知れません。

 

それが「久々」だったのか?「生まれて初めて」だったのか? は分かりませんが、寝床を用意すればそこに入り、毛布を敷けばその真ん中に居ました。

 

 

マイケルが居たリビングは、南に面しながらも庭の木立であまり陽が入りませんでした。なので、隣の和室(楽器倉庫になっていて、「きなこ母娘」が暮らした)や、「猫エイズ・猫白血病で最後の一年を過ごした:」くずこ2世」が隔離されていた「風呂場改造病室」同様に、「回廊=小さなSun-Room」を取り付けました。風呂場からは、ぐるりと家を半周の長い「回廊」を作りました。


マイケルの部屋は、天窓から2mほどの長さの陽当りの良い場所で日光浴や昼寝が出来ます。


マイケルは、その突き当たりの少しゆとりのあるスペースで陽を浴びていました。

 

 

5、「厳しく辛い尿路閉塞の頻発」
ところがマイケルは、ほぼ一年のケージ生活から開放され、日光浴や毛布で伸び伸び昼寝したり、部屋中好きなところに行ける生活が始まったと思った矢先。たったの一月の後に、突然の尿路閉塞の危機に見舞われてしまったのです。


今まで、多くの場合「膀胱炎」が「頻尿」によって分かって「尿閉」の手前で処置が出来ていたのですが、マイケルの場合あまりに突然でした。トイレにしゃがみこんで、痛みの奇声を上げた頃には膀胱が鶏卵大になっていて、既に深夜だったので、九州に一件しかない「夜間救急病院」に飛びました。

 

今ではもう、その予算が無いので行けませんが。タクシーで高速を飛ばして20分、緩めの麻酔(鎮静剤)で尿閉を解除しましたが、その際に局所麻酔で虚勢手術と血液検査もして貰いました。

 

勿論総額五万円を超えましたが、三つのことを一度に済ませることで、せめてその後のマイケルのストレスを軽減したかったのです。この時は、バスタオルで捕まえて比較的大騒ぎにならず。もしかしたらマイケルも尿が出ない緊急事態を理解していたのかも知れません。

 

マイケルの尿路疾患を境に3シェルターの全員のトイレが「猫トイレ砂式や砂・スノコ式」が全て「シート式」に替えられ。マイケルは、排尿の度に尿量をチェックすることとなり、部屋のあちこちに粗相すれば分からなくなるのと、「トイレにしゃがむ様子」も分からない、やむなく病院に行かねばならない場合の捕り物も防ぎたく、結局「ケージ暮らし」に逆戻りとなってしまったのです。

 

マイケルは、やむなく療法食(必須ミネラルを減らし、下げすぎることでより危険な結石のリスクがある尿pHコントロールの)えを用いながら生薬・ハーブ・ヴィタミン・アミノ酸で治療しました。が、当時は、まだ未熟で、と言いますか、この時「尿路疾患対策」が一気に向上し、その為に日々猛勉強をしたのでした。

 

しかしマイケルは、その後三ヶ月の間に、四回も尿閉になり、より早めの発見ではありましたが、病院通いとなりました。


そして、血液検査の結果は、「猫エイズ・キャリア」でもありました。

初めの尿閉から四ヵ月後には、猛勉強の成果で、獣医さんの殆どが、今日現在でも尚「そんな話は聞いたことが無い」とおっしゃる全く別系統の「原因」に「全身医療」の観点から辿り着きました。「全身医療」の先輩でさえもまだ気づいていない人が多い最先端の解釈です。しかし、その別種の根本原因を解決した後、マイケルは結局四年、尿路疾患の再発は皆無だったのです。

 


そして、ご飯時の「ご飯!ご飯!」の声は、しばらく前からでしたが、
写真のように嬉しそうに開けられたケージ扉の上端におでこを擦り付けて「変顔」をしてみせるという、不思議な、他の子もしないマイケルならではのサービスもしてくれるようになったのです。

 

今思えば、マイケルがひょうきんな「変顔」をしてくれるようになったのは、二三ヶ月の「尿路疾患」の看病と、その根本原因の治療が終わり、毛艶も、皮膚もかなり健康的になったころからでした。


「調子が良くなった」ことで、私のやらんとしていたことが理解出来たからかも知れませんし、尿路疾患治療の前半、まだ猫トイレ砂だったころは、尿が染み込んだ砂の球を新聞紙の上に並べては尿量と推移をノートに書き込んだり、シートに替えてからも、重さを量って記録したりしている毎日の様子を見て理解してくれたのかも知れません。

 

 

時々ケージから出してブラッシングしたり、抱きしめたりも出来ました。マイケルは、落ち着かなくて、直ぐにケージに戻りたがりましたが、昔のように部屋中を逃げ回るようなことは一切ありませんでした。

 

そもそも保護して一年目の尿路疾患の頃から、頭を抑えての投薬も頑張っていたのです。やはり相当に賢い子であったことは間違いありません。ただ、それと同等程に、哀しい「恐怖のトラウマ」が深く刻まれていたことも事実だったのでしょう。


(つづく)

 

 

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追伸:
「福岡猫の会」の3シェルターの維持と、60頭弱の猫たちのFoodや生薬・サプリなどの費用は、当会の主旨と価値を感じ入って下さった方々の義援に支えられています。


2007年の設立以来、維持費の五割を超えたことはありませんが、
たとえ小額でも、「今日明日のFood代」「今日中に支払わないと電気が止まる」などという時に、何時もどれほど助けられていることでしょうか。


しかし、2011年以降は、「一人増えれば一人減る」時には「一人増えたけれど二人減る」という厳しい状況に置かれています。


「年会費」もしくは、「特定の猫の後援者さま(あしなが募金)」及び「単発緊急義援」をお願い出来れば、誠に幸いです。
現在ホームページがサーバー更新料が捻出できず、止まっていますので、お気軽にメールでお問い合わせ頂けましたら、色々お答え出来ます。よろしくお願い致します。


chametabla@yahoo.co.jp 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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