ぐい呑み考 by 篤丸

茶道の世界では、茶碗が茶会全体を象徴するマイクロコスモスとされます。だとすれば、ぐい呑みはナノコスモス。このような視線に耐える酒器と作家を紹介します。


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 大弓さんのこの御所丸は、そんなチビたち用の湯呑みとして、我が家の食卓で頻繁に活躍している。以前「大弓堅手の現在進行形」で述べたように、この方の堅手系はとくに育つので、この御所丸に限らず、これまで分けて頂いた堅手も、割高台も、すべてヘビーローテーションに入っている。おかげで、以前せっせと励んでいた面倒な作業をしなくとも、チビたちの可愛い姿を眺めながらにして、自然と器も育っていくという申し分ない環境に恵まれることにもなった。こうして写真に撮ると、最初のあの真っ白が想像できないほど、いい具合に育ってくれている。

 ところで、この作、伝世の御所丸とは少し趣が違って、織部風の歪みがない。以前、菊池克さんの御所丸を紹介したときに書いたが、古田織部が韓半島に注文してつくらせたのが御所丸であるとの通説に対して、筆者は、常々、この特異な形式の茶碗は元々半島のオリジナルだったのではないか、と推理している。割高台や呉器と同様に、祭祀用につくられた器が輸入され、茶碗として転用されたのが御所丸の始まりで、このオリジナルの数量が極端に少なかったために、茶人たちがそれと同じ形の茶碗を半島に注文した。その流れで御本の一種とされ、それを運搬する船の名称から、最終的に御所丸と呼ばれるようになった、というのが推理のあらましである。つまり、御所丸には、半島で祭器としてつくられたオリジナルと、日本の茶人がそれを真似て半島に注文したコピーがあった。こうでも考えないと、この茶碗が織部の考案によるとの通説には、すんなりそうですかとしにくい点がいくつもあるのだ。

 そのなかのひとつが御所丸の造形である。少しずつ形式をズラしていくのが織部様式の傾向だとすれば、御所丸にはそれがない。むしろ、伝世品のいずれもが一定の形式を目指して収斂していく、それとは逆の傾向をもっている。この造形傾向の決定的な相違は、織部=御所丸という通説に対して、抗いようのない否を突きつけているようにみえる。実際、この茶碗が茶会記に現れるのは、織部が亡くなって70年以上経ってのこと。そんな視点からすれば、織部所持が伝えられる古田高麗こそ、半島オリジナルの祭器だったとの推理は十分成立する。この茶碗をめがけて御本を注文したからこそ、織部=古田高麗→古田高麗=御所丸→織部=御所丸という三段論法的な歴史が虚構された。そんな考えを抱いている者にとって、大弓さんの、織部風の歪みのないこの御所丸は特殊に写った。歪めて形をズラすというよりも、御所丸の様式を本歌以上につくりあげているその様子をみて、この作家が筆者の推理を共有しているのではないか、と淡い期待さえ抱いたほどだった。

 ところが、現実はそうそう甘くない。大弓さんのこの作品でいちばん風変わりで目を引くのが口縁。御所丸の口縁は玉縁になっているのが通常なのに、この作ではところどころに切れ目が入っていて、しかもたどたどしいつくりになっている。これを作家に確認すると、「御所丸は織部なので、織部茶碗によくみるところどころ切れ目の入っている口縁にしてみました」と、大弓さん。作家は、御所丸が織部由来のものとの前提に立って、作品の口縁を伝世品にはない織部風にすることで、さらに織部的な演出を加えたというわけだ。この方は李朝のやきものの来歴に関して、ひと一倍の関心をお持ちで、その分期待も大きいのだが、こちらの深読みは見事にはずれ、御所丸=織部説の堅牢さを改めて痛感した。そりゃそうだろう。御所丸=祭器説を裏付ける確たる根拠がない以上、これを理解しろというほうが土台無茶な話だ。しかし、御所丸=織部説も、よくよく調べてみると、織部が生きた時代よりもはるか後の時代の文献にそれらしい記述があるにすぎない。御所丸が祭器であるという明白な根拠が示せないように、こちらにも実際には状況証拠しか残されていない。通説もまたけっして盤石ではない。信じる者が多数を占めるからといって、それが必ずしも真であるとは限らない。御所丸を考えるにあたっては、場合によっては造形上の問題を大きく左右するだけに、このことをとくに意識するべきではないか。
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