仔猫がやって来たのは去年。 元は4兄弟だったが2頭には貰い手が見付かり、残った2頭がうちの子になった。 久し振りの仔猫。
名前はルルとロロ。 なんてこったぁ、熊の縫いぐるみじゃんか、猫なのに。 色の濃い方がルル、赤毛の方がロロ。 仔猫と言うには既にデカイのだけれど、今でもカーテンに登っては破いたり、まだまだお子様。 先日もハンド・ソープの詰め替えの袋を噛み千切って、床にぶちまけてくれた。 プラスチックの袋に入った物はおやつエサだと思ったのだろう。
特にロロはここに来た時からボーにベッタリ張り付いて、ボーに与えた年寄りエサを食べてしまうし、寝る時もボーと団子になっていた。 人さまには全くお構いなし。
ところがボーが死んだ時、ボーを埋めるまでに暫く部屋に寝かせていたのに、仔猫達は全くボーに寄り付かなかった。 昨日まで命があったのに、それがなくなってしまったら、あれ程付いて回ったボーではないと気付いていたのだろう。
猫と言うヤツは、母猫から離されたり、兄弟猫が貰われていくのをどう思っているのだろう。 何とも思っていなければ良いのだが。 もしも認識できたらなら辛過ぎるだろう。
ボーがいなくなってから、ロロは急に人にすり寄って来るようになった。 人の目を見るようになったし、床でひっくり返ってみせたり。 ボーが世話をしてくれていたんだね。
ボーが使っていたタオルや敷物をきれいにしたら、ウソのようにケモノ臭がなくなって、快適にはなったけれど、跡形も無く居なくなってしまったようで、淋しいものだ。
ここの子供はどう捉えているのか分からないが、仔猫の体を撫でながら、「ボーちゃんは死んじゃったんだよ」と猫に言い聞かせていたのも切ない。 でも、庭に埋めたチビとオジーの骨がどうなっているのか見たい、なんて恐い事も言う。
正直言って私は特別猫が好きなのではない。 それどころか、自室に猫は入れない、猫にまみれて寝るなんて有り得ないし、触ったら手を洗うのが習慣。
しかし接触の濃度の問題ではないのだ。 命とは己の身体も土に還るまでの儚い夢だから、夢の川を下る船に、たまたま乗り合せただけの猫等も旅の道連れなのだ。
ルルとロロが並みの寿命まで生きれば、ここの子供も成人しているだろう。 ボー達兄弟のところから数えれば随分の年数になる。 1日も欠かさずお世話をするには、時には他人の手を借り、中断がないのだが、人もまた彼らにお世話されているのだ。
動かなくなったボーを、土に還す前に、もうこれっきりだからと、見つめていたら、自然と涙がこぼれた。
ひとつ船に乗っかっている間に、仕事を辞めたし、家を新築し、子供がやって来て、病気でひっくり返ったり・・・色々あった。 ボーとチビとオジーがずっと居たんだなぁって。
ルルとロロもばぁちゃんになるまでお世話させてもらうよ。 その頃にはこっちも爺さんだよ。 がはは。
勝手に業務連絡。
「551」ったら肉まんちゃうの。 それと、あまりヨイショしちゃいけませんよ。
湿っぽい話は一先ず〆て、またチャラいネタでいきまっせ。