BKK 折

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どうにもどんよりした気分のバンコク旅行だった。 帰国二日目にして風邪をひく。 日本は寒すぎるのだ。

 

免許の更新と講習、職場でも販促があったりして・・・、要はぐうたらしてたんだな。

 

久しぶりのネタは笑えるので行こう。

 

バンコクで捨てホテルから本命ホテルに移動した日。 荷物を解いて、買い出しにいざ行かん、という時。 キッチンの椅子を蹴った。 パイプの脚を思い切り。 素足で。

 

麗しくない画像で失礼。

でも、こんな恰好のブログネタを逃す訳にはいかない。 でしょ。

 

経験上、こんなに痛いんだから骨でも折れた、と思っても、大抵はただの打撲だからね。 旅先で病院に行くなんて考えていない。 旅行保険すら掛けたことがない。

 

2日位して、同じ指でまた蹴った。 蹴ったり蹴ったりだ。

 

ちょっとくらい足が痛くても、ホテルで何にもしないなんて在り得ないので、いつも通りてくてく、毎日20kmとか歩いていた。 触ると痛いけれど何とかなる。

 

帰国してから、内科の診察でこの話をしたが、滅多に折れてないって事で終わり。

それでも左の薬指とは明らかに太さが違う、痛みもある。

 

そして今日、内科の採血だけに病院に行ったのだが、10時に行ったので当日の診察の受付に間に合ったので、整形で診てもらった。 6週間も放置した後で。

 

上の画像を見せたところ、先生が、「にっ」と笑って、「これ、折れてるでしょうー」。

X線撮って、両方の指の画像を較べると、骨の形が違う。

 

「折れてますね」。 先生嬉しそう。

 

どうもね、足の中指や薬指はちょっと折れてもあまり劇的な治療はしないそうだ。 歩行にあまり重要じゃない指というのが幸い。

隣の指に固定する程度で、最初に冷やしておけば腫れが少なかっただろうとの事。

 

それならもう治るのもすぐかと思ったら、3ヶ月くらいは腫れと痛みが続くかもしれないようで。

 

「だって折れてるじゃないの」。 そうだった。 骨折全治3ヶ月ってか。 骨折なのに治療もなし。 初めての骨折、アタシもちょっと嬉しい。 写真撮っといて良かった。

 

採血のネタの方が重要なんだけど、美味しいネタを放っておくわけないからね。

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BKK 葬

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昨日はお葬式に行って来た。

 

当日になってネットで調べ事をする段取りの悪さ。

 

黒の襟付きが望ましいっても、間に合わせで服を買いたくないので、黒Tで勘弁して貰おう。

幾らかでも包んで行くのに、白い封筒がない、部屋備え付けの封筒には紫の字でホテル名が書いてある。 レセプションでお葬式の相談をするついでに、白無地の封筒がないんだけど、と言うと、引き出しの中を探してくれて、「これを使ってよ」。 そうだろうと分かっててやる私。

 

お寺の場所は聞いていたけれど、初めて行くエリアで、おまけにBRT(バス専用レーンを走る新交通システム)にも初めて乗る。 (BRTについては後に書くかな)。

 

最寄り駅に着いてぐるっと見回して、大きなお寺があったので、勘で入ってみる。 大きなお寺なので建物が色々あるし、行事もあって、さっぱり判らない。 うろうろしていると不審な外国人オーラでキャッチされて式場に案内された。

 

誰もいないのに不安になったが、友の遺影が掲げてあったの一人座って待った。 (その頃友人たちは弔問客への軽食や手土産を運んでいたようだ)。

 

なんせ知らない所でのお葬式だから、完全に猫になってしまう。 だってタイ語は全く分らない。 タイの弔問客とは話のしようがない。

 

彼の家族を迎えに行くと言うのでバンに乗せてもらった。 こんな時は英語の分かるもん同士だろう。 (前の記事で弟と書いたが、お兄さんの誤り)。

奥さんと息子夫婦4人で前日に着いたばかりだと言う。

 

兄弟瓜二つでびっくり。 フランクが生きているのかと思う程。

 

オーストラリアの国境を持参していて、棺にかける。 タイ式の棺やお花に青い国旗は不自然だったが、そんなことはいいのだ。 コアラのぬいぐるみまで乗せちゃって。

 

弔問客がバラバラと訪れて線香をあげるのが3時間、人が揃ったところでやっとお坊さんが登場。 彼の家族もタイのしきたりは知らないから、お寺の人が身振り手振りでやっと進行する。 4人のお坊さんはひたすらお経をあげて帰って行った。

 

日本のお葬式と比べると、メリハリがなくて、何をどうしたら良いのか、言葉の分らない者には居所のない感じだったが、彼の家族と話せて良かった。 お兄さんもとってもいい人だった。 唯一の弟が先に逝ってそれは辛そうだったが。

 

習慣やお作法を知らなくて戸惑っても、何より最後のお見送りをしたかったから。

BRTのバスで最寄り駅まで、後はとぼとぼ歩いて帰った。 屋台も殆ど店仕舞いした後。

 

ちょうど今そのお寺で荼毘に付されている頃だ。 今日も行くと1日仕事になってしまうので、明日帰国する手前欠席にした。 タイの休暇でお葬式に出ることになるとは。

(チャラいネタはまた後でね)。

 

お兄さん夫婦はもう少し残り、息子さんは仕事があるので、明日の夕方には空港に。

じゃぁ、空港で会えるかも。 だって息子はキュート~、おっと、奥さんがいたわね。

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BKK 雨

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フランクの住んでいた部屋は私の部屋を出て角を覗くと見える位置。

「あそこに居たのになぁ」。

 

翌日は朝から雨。 スコールならやがて止むのに、しとしと降り続いている。 宵越しのカサ?は持ち歩かない人だが、部屋に居ても仕方ない。

 

こんな時は人込みにもまれてこよう。

 

スカイトレインの乗客も少ない。 タイの人は喪中で圧倒的に黒い服なのに、お構いなしの白人が痛い。 腹とか背中とかブラは隠しなさい。

 

何が欲しくてウィークエンド・マーケットに来た訳じゃないが、無計画に物を買う。

 

その後、普段はあまり立ち寄らないスクンビット(都心)へ。 雨が強くなりスカイウォークで雨宿り。 イセタ〇前の通りは7車線ギチギチに渋滞するのに、この空き具合。 観光と経済の鈍化が心配。

 

 

こちらでは試食し倒してお土産のドライ・マンゴーをキロ買いし、チョコレート・ケーキを何個買ってんねん。

 

ダメだ。 翌日はホテルを移動するから、嵩張るものや生ものを買い込んでる場合じゃないのに。 雨が止まないのでとぼとぼ歩いて帰った。 色々と思い出す。 雨と涙が一緒に流れていく。 靴の中まで濡れたところで電車に駆け込んだ。

 

10ℓ大きいスーツケースに買い換えたのに、全然入らない。

 

チェックアウトまでにフランクの彼女の顔を見なくちゃと思ったが、あちこち回る所があるのだろう、ずっと留守だった。 お葬式のお寺の場所をまだ聞いていない。

 

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BKK 喪

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人生は沢山の予期せぬ事が溢れている。

 

ホー・チ・ミンを経由してバンコクに着いた日、夜遅くにホテルに入ってテレビを点けると、国王が亡くなったニュースでいっぱいだった。 長年にわたりお加減が悪かったので遂にと思った。

 

こちらの友人のフランクとは数日前にメッセージをやり取りして、楽しみだねと言っていた。 彼の部屋を訪ねると、パートナー♀が出てきて、大きく息をついて、「フランクが死んじゃったの」。

 

何が何だか理解出来ない。 今週話したのに。 国王の話じゃないの?

 

ウソのような悪い知らせは、大抵ウソじゃないんだよね。

 

国王が亡くなった前の日に、呼吸器不全で、彼女が僅かに部屋を出ていた間に、亡くなっていたそうだ。

 

身よりのない彼女にはフランクだけが後ろ盾だった。 頼れる人がいないので、警察を呼んで検視に回して、オーストラリアのフランクの弟に連絡をして、大使館に行き、火葬や葬式の手配など、気丈にやっているが、ご飯も食べられない様子。

 

フランクとはほんの2年の付き合いだった。 彼のフェイスブックのページにはお悔みのメッセージが次々と書き込まれている。 誰にも優しい人だった。

 

ここの屋上のプールでした話。 「ここから見えるところに、モスリムのモスクと墓地があって、向こうに中華系の墓地、こっちにタイの人の。 多様性を受け入れて仲良くやっていられるのがバンコクだ」。 それは彼の人柄もそうで、何人だからどうのと言うのでなく、コスモポリタンでありたいと思う私の師匠であり同志だった。

 

人が若いかどうかは、肉体や年齢じゃなく、気持ちの問題だ、車椅子になってもオーストラリアに戻って老後を過ごすなんてしない、って言っていたのに。

 

ほんの数日の差で会えないまま逝ってしまったが、今ここに居られて良かった。 でなきゃ何が起きたのかメールでしか分からなかっただろう。 それに彼女には一人でも多くの友人の支えが必要だ。 話を聞いて泣かせてあげるくらいしかできなくても。

 

彼女は自分のビジネスを始めたばかりだったが、理解者であり保護者でもあった彼がいなくなり、不安でいっぱいだと言うが、もっと大きい夢があるとも言うので、きっと生き抜いてくれると思う。

 

フランクの弟はアウトバック(荒野ですね)を車で旅行中で、パスポートも切れていたので、まだこちらに来られないが、私の滞在中にはお葬式ができそうだ。 見送りに行こう。

 

彼の希望で、遺体はこちらで火葬にして、遺灰の一部をタイの海にまくそうだ。 残りは弟がオーストラリアで。

 

フランクは爺さんになっても、世界のどこかで私が遊びに行くのを待っていてくれると思っていた。 62才とは若すぎる。

 

でも、彼が教えてくれたこと、与えてくれたもの、楽しく過ごした時間、感謝している。 出逢えて良かった。

 

最近こんなネタが続くのは申し訳ない。

向こうにちょこっと片足突っ込んだ者としても、命にも時間にも限りがあるということを、心に留めて、大切に生きなければ、と痛感する。

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朝晩はひんやりとして肌寒いほど。

店頭に並んだ栗やさつまいものお菓子を見れば、「秋だなぁ」、と思う。

 

かぼちゃのプリンを食べながら、ふと、思った。

 

「ゆり子さんはどうしているだろう?」。

うちのもそれに応えて、「裏山の栗の林はどうなったかしらねぇ?」。

 

二人とも分かっているんだ、彼女が逝ってから何年も経つのを。 でも現在形で思い浮かべてしまう。

 

とても愛らしい素敵な人だった。 あんな可愛らしいおばぁちゃんになりたいと憧れる人だった。

今でも生きていたら、お茶でもよばれに行ったのに。 おじさんも施設に入ってしまって、家には行かなくなった。

 

梅の季節、栗の季節等々、そりゃぁ手仕事が上手くて、梅干でも栗の渋皮煮でも、やってみてば分かるが、俄かに素人がやるのとは年季が違う。 「何も難しいことはしてないのよ」、と笑った。

 

秋になれば稲刈りの手伝いに行ったり、裏山の栗拾いをさせてくれたり。 言葉通り遠慮なくバケツに何杯も栗を貰って帰った。

うちのは毎年渋皮煮に挑戦しては挫折し、私は大鍋で茹でてから身をすくって冷凍庫で備蓄。

 

それが彼女が入院した秋には、「勝手に栗を持って帰ってね」、となり。

栗とあんこで茶巾にしたり、バターケーキに入れて焼いたり、かぼちゃプリンを作ったりして、病院に持って行った。

 

料理の上手い人だったから、手作りのものを喜んでくれて、でもほんの少ししか食べられなくて、残りは見舞いに来ていた孫娘たちの胃袋に収まるのだった。 それも楽しみであれやこれやと作ったものだ。

 

秋の味覚と彼女と、病院とがひとつの記憶になっている。

 

彼女が白血病になって、高齢だと端から移植をしないと知って、とても動揺した。

ドナー登録をしようと思いつつも放置していた自分が情けない。 彼女に私の骨髄が適合する訳ではないが、移植は確率の問題だから、何処かに私の骨髄が合う患者がいるかもしれないと思うと穏やかではなかった。

 

彼女が亡くなって程なくドナー登録をした。 (その後敢え無く登録を抹消することとなったのは過去ネタで書いた筈)。

 

小学生だった孫娘たちも、もうすぐ大学かと思うと、時の流れの速さに驚く。 それなのに、栗を拾ったことや、茶巾にしてお返しに行ったことなど、昨日のことのようだ。

 

そんなことを思い出す秋の夜長。 男とはかくもおセンチな生き物なのか。

 

今でも彼女は優しい顔で笑っている。 また渋皮煮を食べさせてくれないかな。