米子

テーマ:
なして米子?
えぇ、米子の思い出は無い。

☆組の旧チューリップ社がキャンペーンで5万マイル・プレゼントをやった時に事件は起きた。
チューリップ社運航の全ての国際線でF/Jクラスにフル・フェアで往復すると5万マイルをプレゼント。

自慢じゃないが、ビジネス・クラスはおろかエコノミーでさえ、定価で買ったことは数回しかない。

和系の飛行機もあるのに、米系の会社にマイルを貯める人と言うのは、訳ありなヲタクが多い。

「お得」を比較してリターンが大きいと判断すれば、「修行」は厭わない。
私も現地滞在2時間、入国しないとんぼ返りのヨーロッパを何度やったことか、だってヨーロッパは特に好きじゃないから。 クレイジー?

さて、キャンペーンのビジネス・クラス、手っ取り早い短い路線は、ブエノスアイレスーモンテビデオか成田ーソウルだった。 南米は無理でしょ。

ここで、航空運賃のお勉強。
公示運賃は主に距離を元に設定されている。 成田ーソウルより、福岡ーソウルが安いのは当たり前。 しかし直行便が無い地方空港からは遠回りして成田を経由しても、直線距離なりの公示運賃になる。 それが米子ーソウルだった。 福岡-ソウルには直行便があるので、遠回りは出来ない。

更に、同じ空港間の運賃も、往路の方向で値段が変わる、出発国の経済レベルに因るからだ。 成田ーソウルより、ソウルー成田の方が安い設定。

成田ーソウルのビジネスクラスが約15万円、米子ー東京ーソウルが約7万円。 更にソウル発はその6~7割の値段。

これなら懐に優しくて、1往復する毎に、5万マイル。
「スーパーでどのカードでポイント付けたらお得かを考えるのと同じ」。

まず自前で米子まで行き、そこから東京経由ビジネスでソウルに飛ぶ。 次にソウル発のチケットで日本往復。 金と時間に余裕のある限り毎日東京とんぼ返り。 最初のチケットの復路で米子まで帰ると投了。

ヲタクがお祭騒ぎで米子に大挙して押しかけたのには、チューリップ社も予想していなかったらしい。 いつもなら最後の羽田ー米子を放棄しても、追加運賃を取ることなど稀なのだが、その時だけは、米子まで飛ばないと5万マイルを加算しないと発表した。

航空会社としたら、満額で15万入るところが半分も入らないどころか、米子ー羽田を飛ばした青社と運賃を分け合うのだからたまったもんじゃない。 正規運賃だから空席がある限りは販売しない事も出来ない。 ラウンジも使わせて5万マイルをくれてやる。

ヲタクの言い分は、「マイル乞食」と言われようが、「ルールは破っていない」。 利益が出ないのは会社の責任。

かくいう私もソウルで友人を呼び出して、お茶して、とんぼ返りして、ウハウハでマイルを頂いた口だ。

あんな棚ぼたのキャンペーンは二度と無い。 絶対懲りたと思う。

その後、FFPの環境も変わり、プログラム自体が事業として利益を出さないといけない時代になった、安いチケットでは安いなりのマイルしか獲得出来なくなり、特典チケットに必要なマイルも引き上げられ、結果1マイル当たりの価値は大暴落したのだった。

私も転職したり入院したりして、旅行の環境が変わったので、意地でも☆組のフライトでマイルを貰うのは止めた。

安い会社があれば、マイルが付かなくても構わない。 浮いた金でマイルを買えば良い。 FFP事業としてもマイルを売れば収入になるからマイルを直売りする、米系の潔さ。

虎の子のマイルで年末年始に家族でハワイ旅行なんて絵空事を夢見るおバカじゃないもんで、空いてるところにこっちが合わせるまで。

「スカイ・ペソ」と揶揄される程マイルの価値を下げた空組の三角社と違って、☆組の方は総じて少ないマイルで交換できるし、マイルを減額した路線すらある。 何度も行ってるニュー・ジーランドだが一度もチケットを買って行ったことがない、全てマイルで行った。

さて今月はマイルの購入キャンペーンをやっていて、円高なのもあって、ザクっと購入してしまった。 一部はニュー・ジーランド旅行にキープして、残りでタヒチかニュー・カレドニア辺りはどうかなと思案中。

秋のバンコク旅行と、来年のオーストラリアも買って(自腹でね)、カードの限度額超えた。

湯水のようにマイルを使いまくったのを、もう少しセーブしておけばよかったと悔やむこの頃。
AD

テーマ:
おじさんになると、何でもないことで泣いてしまう。

午後にテレビを海外ニュースにしていると、5時からは海外ドキュメンタリーの時間だ。

ナレーターが渡辺徹というだけで見てしまった。 ナレーターとしてはぴか一、徹マジック。
テーマは世界各地の子供達が、弟や妹がやって来て成長する様だ。 普段なら好んでは見ないテーマだけど。

出産の前は、未知の赤ちゃんに、期待する子供だけじゃなく、戸惑ったり、拒絶したり、反応は様々。 ところが数週間でどの子もお兄ちゃんお姉ちゃんらしくなっていくのは驚きだ。 お兄ちゃんと言っても3才~7才だからまだまだ甘えたい盛りなのに。

その中で、ブータンのお兄ちゃんは、弟がどんなにじゃれても、宿題の邪魔をしても、眼鏡をもぎ取られても、決して怒らず面倒をみるのだ。

それを見て、わぁ~っと涙が溢れてきた。

うちの兄もあぁして、抱っこして、世話をしてくれたのだろうか?
そうじゃない訳がない。

上の子として育つのと、末っ子に生まれるのと、自分で選択出来ない事だが、経験が足らないことで、致命的に欠陥があると思っている。
要領よく立ち回る技や、わがままをわがままと分かってやる小賢しさ、何でも天秤に掛ける潔さは末っ子ならでは。 しかし何より無償の情に欠ける人だと思う。

入院したことで、兄が良くしてくれたことは、有り難いことだが、よく分からないというのが本心だった。 ブログにも時々登場する兄は、スーパー良い人としか言いようがない。

でも、ブータンのお兄ちゃんのように、理由なんかないんだろうな。 50年経っても弟は弟なんだろう。 そういう情は下の子には難しい。

あの日、全てを白状した日。 ある日突然、弟が病院から電話をかけてきて、エイズで入院しているなんて、酷い事をしたね。

いい年になっても至らないことばかりだ。

さて、ドキュメンタリーの時間が終わると、6時からはおじゃる丸だ。
そこはかとなく流れる懐かしさや悲哀にまた泣いてしまう。 子供向けアニメと思ったら大間違い。 (個人的にはおじゃるのキャラはわが身を見ているようで・・・)。
AD

テーマ:
過去のバイト君のネタを本人の許可失くして、ネットで晒し者にするのは如何なものか。

でも、ず~っと喋りたかったんだもん。

お世辞にも出来が良いとは言えないバイトだったが、レジ打ちも下手で、間違えたら必ず電卓で計算し直すよう注意しても、頑として電卓を使いたくないようだった。

「暗算は絶対ダメだ」、と言うと、なんと筆算を始めたのだった。
「暗算も筆算も人力は間違えるから、少額でも電卓だ」。

しぶしぶ電卓を手にした姿を見て驚愕した。

卓上型電卓を両手で持って、両方の親指でキーを操作していたのだ。 ゲーム機のコントローラか携帯でも使うかのように。

おまけに電卓を使っても計算間違えて、客から、「そのお釣り違ってるよ」、と指摘される。
電卓なんて人差し指でゆっくり打てば、3桁の引き算くらいできると思うよねぇ。

その後何気に彼の様子を見ていると、タッチパネルの操作も両手の親指でしているじゃないか。

人差し指を使うのは霊長類の本能だと思っていたし、キーボードの人差し指打ちはバカにされるのだが、「親指かぁ~」。 これって進化しているのか、退化しているのか・・・。

おっさんの「当然」は若いもんには通用しないと思え、ってか。

でもやっぱりアレ変だよねぇ・・・・。

AD

テーマ:

軽~く害のない話。


入院中にお見舞いについて来た子供はヨチヨチ歩きだったけど、早いもんで、この春には小学1年生になった。


初めての夏休み、1年生の通知表と休み中の宿題は、担任から保護者に、面談で直接渡された。 へぇ、そうなんだ、なんだが過保護のような、でも確実な作戦のような。


宿題の定番と言えば、「読書感想文」。 図書館から借りて帰ったのは・・・、「3年生のなぞなぞ集」。


やるじゃんか。 がっかりしたなんて言わないよ。 笑かしてくれるじゃん。


次々に繰り出されるなぞなぞに、久しく使っていなかった、灰色の脳ミソのパーツがパチパチ言う。 子供の頃を思い出した。


けどよ。 図書館、出直しだぁ~。


それとも、なぞなぞ集で感想文書いて出すか? 「スゴイ」って言われるぞ、(過去ネタ参照のこと)。


子供って、玉手箱だ。

別 その後

テーマ:

仔猫がやって来たのは去年。 元は4兄弟だったが2頭には貰い手が見付かり、残った2頭がうちの子になった。 久し振りの仔猫。


名前はルルとロロ。 なんてこったぁ、熊の縫いぐるみじゃんか、猫なのに。 色の濃い方がルル、赤毛の方がロロ。 仔猫と言うには既にデカイのだけれど、今でもカーテンに登っては破いたり、まだまだお子様。 先日もハンド・ソープの詰め替えの袋を噛み千切って、床にぶちまけてくれた。 プラスチックの袋に入った物はおやつエサだと思ったのだろう。


特にロロはここに来た時からボーにベッタリ張り付いて、ボーに与えた年寄りエサを食べてしまうし、寝る時もボーと団子になっていた。 人さまには全くお構いなし。


ところがボーが死んだ時、ボーを埋めるまでに暫く部屋に寝かせていたのに、仔猫達は全くボーに寄り付かなかった。 昨日まで命があったのに、それがなくなってしまったら、あれ程付いて回ったボーではないと気付いていたのだろう。


猫と言うヤツは、母猫から離されたり、兄弟猫が貰われていくのをどう思っているのだろう。 何とも思っていなければ良いのだが。 もしも認識できたらなら辛過ぎるだろう。


ボーがいなくなってから、ロロは急に人にすり寄って来るようになった。 人の目を見るようになったし、床でひっくり返ってみせたり。 ボーが世話をしてくれていたんだね。


ボーが使っていたタオルや敷物をきれいにしたら、ウソのようにケモノ臭がなくなって、快適にはなったけれど、跡形も無く居なくなってしまったようで、淋しいものだ。


ここの子供はどう捉えているのか分からないが、仔猫の体を撫でながら、「ボーちゃんは死んじゃったんだよ」と猫に言い聞かせていたのも切ない。 でも、庭に埋めたチビとオジーの骨がどうなっているのか見たい、なんて恐い事も言う。


正直言って私は特別猫が好きなのではない。 それどころか、自室に猫は入れない、猫にまみれて寝るなんて有り得ないし、触ったら手を洗うのが習慣。


しかし接触の濃度の問題ではないのだ。 命とは己の身体も土に還るまでの儚い夢だから、夢の川を下る船に、たまたま乗り合せただけの猫等も旅の道連れなのだ。


ルルとロロが並みの寿命まで生きれば、ここの子供も成人しているだろう。 ボー達兄弟のところから数えれば随分の年数になる。 1日も欠かさずお世話をするには、時には他人の手を借り、中断がないのだが、人もまた彼らにお世話されているのだ。


動かなくなったボーを、土に還す前に、もうこれっきりだからと、見つめていたら、自然と涙がこぼれた。


ひとつ船に乗っかっている間に、仕事を辞めたし、家を新築し、子供がやって来て、病気でひっくり返ったり・・・色々あった。 ボーとチビとオジーがずっと居たんだなぁって。


ルルとロロもばぁちゃんになるまでお世話させてもらうよ。 その頃にはこっちも爺さんだよ。 がはは。




勝手に業務連絡。

「551」ったら肉まんちゃうの。 それと、あまりヨイショしちゃいけませんよ。


湿っぽい話は一先ず〆て、またチャラいネタでいきまっせ。