ガダルカナル戦書籍一覧


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ガ島第一線要図 クリックすると大きくなります。
ガダルカナル Guadalcanal

作文 従軍慰安婦・慶子
同日の 西山日誌
同日の 若林日誌
同日の 亀岡日誌
前日の アウステン山の記録
三日の 堺台第一拠点の記録


第三八師団歩兵第二二八連隊 稲垣大隊 第六中隊
アウステン山ギフ高地 川井惣一兵長の記録

昭和十八年一月五日 
夜明けから人影が視認出来なくなる日没まで二機編隊の米軍哨戒機が二時間交替で絶えず上空より監視を続るようになった。
我稲垣大隊への糧秣、弾薬の補給遮断が目的で、一人でも発見すると海上より艦砲射撃、陸上からは砲兵陣地より哨戒機の誘導で砲撃が実施され密林内に封じ込められた。

結果、後方との連絡は遮断され身を隠す檳榔樹も少なくなり発見されやすくなった。
大隊の主食の替わりとなる檳榔樹の芽、蟻の巣、木の実、山菜を採るため、米軍の砲撃により手の届かなかった大木が倒れると砲撃中でも喜んで採取に向った。
栄養失調で歩行不能となった兵も砲撃の炸裂音を聞き壕より這い出て食を求めて這い回った。
自分一人今日を生きるのが精一杯で、人助けする余裕などなく、自分の食は自分で求めなければ死を待つこととなる。
中には敵側斜面へ山菜や生姜を探しに出掛け射殺される兵も居た。

この密林には体長五十糎程の大蜥蜴も棲息していた。
大木に登り木から木へ飛び隠れ射殺しなければ捕獲は難しかったが、弾は敵兵以外使用を禁止されており目の前の獲物も口にすることが出来ず残念で、弾丸の補充を祈るしかなかった。


小川陣地を守る長谷川准尉も米軍の砲撃により倒れた椰子の実を拾い食し、久戦末期ともなるとわざと敵に姿を見せ砲撃を誘い椰子の樹を倒させたと語られていました。
木の根、木の皮をかじり食すため、歯と顎の丈夫な者だけが生き残ったとも仰っていました。

アウステン山の稲垣大隊は糧秣交付所から最遠隔地、他の書から読むと稲垣大隊で生き残られた方の証言は後方へ糧秣受領に行っていた方で、自分の知る限りですが、ギフ高地のナマの記録は川井惣一兵長の著書だけです。
あらためて貴重な資料だと実感します。

↓ヒル27が米軍に占拠された丸山草原(南北が逆になっています)
バラナ村がギフ高地、続くシーホースまでの密林一帯が歩124連隊が布陣するアウステン山陣地ガダルカナル Guadalcanal
↑図附近の米軍が撮影した当時の航空写真
ガダルカナル Guadalcanal

バラナ村入り口の米軍慰霊碑
ガダルカナル Guadalcanal

現在もバラナ村に残る遺品
ガダルカナル Guadalcanal

歯ブラシ等の生活用品も見られる
ガダルカナル Guadalcanal

つづく
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



平成24年8月18日(土)より9月1日(土) 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal





○原発関連情報○

独逸天気予報より →  放射能予報

文科省発表 → 全国放射能濃度一覧

武田邦彦教授の → ブログ





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