ガダルカナル戦書籍一覧


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↓ガ島中央戦跡要図

ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal

西山日誌36 より続いております。



第38師団歩兵第228連隊 
第三大隊長 陸軍少佐 西山 遼 氏の日誌


十二月十七日 木 晴   ガ島上陸43日目

昨夜友軍機来れりとか。
今朝も来攻しある模様なり。
逐次我空中勢力強化されつつあり。
最近、敵全般の活動は低調にして其の射撃も常に実施するも猛烈ならず
但しアウステン山方面に対する敵の※○○大となりたるかマ河(マタニカウ河)河谷合流点附近に対する砲撃相当のものあり。

ガダルカナル Guadalcanal

我陣地の直ぐ側面なるため砲撃の炸裂音やかまし。
炊事、水汲等困難を極む。
敵は防御態勢に入りたるためか攻撃の気勢少なし。
歩兵229連隊田中部隊杉浦中尉堺台射撃急襲を命ぜられ連絡に来る。
若林中尉をして協力せしむ。
54期若き中隊長なり。
糧秣補給隊、漸く帰る。
「カミンボ」へ行きしとか往復二十数里に及ぶ、労苦察するに余りあり。
補給隊を出せど出せど中々に帰り来らざりしは此の故か。
駆逐艦により揚陸せらるるも之を我陣地に搬送するに此の労苦と日時を要す。
糧秣を何時の日にか兵に満足に興へ得るか。
   糧秣を運ぶますらおつづら坂
     上がりて息※○ぬまろぶが如し
ガダルカナル Guadalcanal
        上りつる倒るるが如いこひけり



ガ島米軍75mm砲  
ガダルカナル Guadalcanal




同日、海岸線小川陣地を守る歩兵第十六連隊
第三機関銃中隊長亀岡隆夫中尉の日誌 ガ島上陸65日目

十二月十七日 木 晴
朝方比較的平穏なり。
18日の分として一人一個の割に乾パン渡る。
久し振りの乾パンを食し得るかと思えば嬉し。
兵一同の喜びでもあり格別なり。
友軍機、最早来るかと待望すれども、一向に現れず悲観の極みなり。
午前中より、身体の具合悪しと思い居たりたるところ、午後に至り又40℃ばかりの熱に悩まされたり。
其の外中隊異常なし。
寺尾利助分隊長、タクアン漬一本と椰子の實ニケを持ち来て呉れたり。
その気持ち実に嬉し。
敵の歩哨を襲撃し、手榴弾5小銃1背嚢2を取り得る。
涌井、水沢両名の働き大なり。
背嚢には缶詰8煙草4缶(衛生箱二つ)ありたり。
中隊に於いて分配食す。


米軍パトロール出発
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同日、見晴台を守る歩兵第二二八連隊
第十中隊長若林東一中尉の日誌
ガ島上陸43日目

敵のアウステン山に対する関心次第に増大せるを認む。
田中部隊杉浦中尉「月明を利用する堺台急襲射撃」の為、部下半ヶ小隊と共に来隊す。
種々現地につきて教育す。
要するに師団参謀は未だ図上戦術を実施する傾向あり。
敵は終日マタニカウ川河谷に銃砲撃を加う。



十二月十八日ギフ高地稲垣大隊第六中隊川井惣一兵長の記録(稲垣大隊勇戦奮闘決戦編より)
朝、岡命令が下り各中隊連絡下士官は大隊本部に集合命令受領し帰る。
岡連隊経理部にて糧秣を配給するので各中隊直ちに受領せよとの伝達を受けた。
糧秣受領の経験も有り道順も良く知り比較的丈夫な自分に決定し連日の疲労を我慢し天幕一枚を肩に掛け岡連隊本部へと向かう。
岡連隊本部は天然の要害で岸壁に囲まれ檳榔は良く繁り空爆砲撃の死角に陣を構えていた。
経理部係長より各中隊米20kg梅干一樽、鰯の缶詰20個と粉醤油を二袋を受領。
往路のように空身と違い河を越えるにも飛び石の上を渡れず河の中をざぶざふと渡り歩いた。
急斜面を這い潅木の枝を掴み昇り続け六中隊長の基へと運んだ。
直ちに各小隊へ配給せよとの指示で天幕の包みをより粉醤油を二袋出したが伝票と違い現物は一袋半、梅干は樽の底に4~50個、鰯の缶詰20個の内数個穴をあけ中の汁だけ抜き取られていた。
何故此の様な仕打ちを受けたのか、理由は師団長命令に従い我土井部隊(歩228連隊)は第一第三大隊と別れ稲垣第二大隊は岡連隊(歩124連隊)を救援すべく配属され継子扱いを受けていた為であった。
此れが最後の配給となりギフ高地では自分の食糧は自分たちの中隊で受領かるよ外主食の米は届かなかった。



岡連隊が交付した糧秣は輜重第38連隊が運搬した糧秣と推察する。
ここまで各部隊の記録を読み進めると12月中旬糧秣受領地点はコカンボナからタサファロングをさらに後退しエスペランスとなっている。
ギフ高地から見晴台まででも自分の足で最短距離を空身で歩き一日で着くかどうか・・・。
敵、空爆撃を退避しながら直線距離で約50kmの山岳地帯、ジャングル、河川渡河を想像すると消耗した兵の足で何日かかったのだろう。

川井兵長は11月28日ギフ高地発、12月5日コカンボナ糧秣受領と往路に八日、復路十日。
コカンボナまでの糧秣受領で往復十八日を要している。
上記記録は12月16日コカンボナより帰着した翌日の糧秣受領記録である。
川井兵長は当時の稲垣大隊で中で一番の元気者だったことが窺える。
その川井兵長もガ島転進の駆逐艦に乗れなかった。
稲垣大隊こそガ島陸戦に於いて一番低い生存率だと思われる。

この後、稲垣大隊は玉砕するまで二回糧秣受領隊を編成した記録が残るが無事帰着の記録を見つけることが出来ない。
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つづく


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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
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冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



平成24年9月8日 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
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○原発関連情報○

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文科省発表 → 全国放射能濃度一覧

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