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ガ島二日目は戦跡ツアーと移動手段の手配で一日を終え、思い通りに目指す御慰霊行が出来ず、いささか焦っている状況ではあったが、三日目となる今日の午後ミニジープをお借出来ることとなり一安心。
今晩からは宿泊先もキタノメンダナホテルさんから勇川付近のレインツリーB&Bへと変わるので早朝より荷物のパッキング。
日本語を話すフランシス氏とは今日から別行動となり、自分の駆使する「怪しい英語」で勝負することになる。
不安もあるがツアーから離れた開放感のほうが強い。
ミニジープをお借りするまでの時間、かねてからの訪れてみたかった小川の陣地を捜してみる事にする。
小川の陣地とは・・・
歩兵第十六連隊最期の戦友会長・長谷川榮作准尉がガ島戦持久戦の際、布陣した陣地である。
クルツ岬のたもとに第三拠点・堺部隊「16i」と歩兵第十六連隊の守備担当が明記されている。
歩兵第228連隊史より引用、攻勢から持久戦へ移行した昭和17年11月の各部隊の配置を表している。
堺部隊というのは歩兵第十六連隊長、堺吉嗣大佐の名前から来ている。
第二師団の総攻撃頓挫からムカデ高地の突撃地点より丸山道を戻り海岸線に布陣したのだ。
(文字にすると簡単だがムカデ高地からの転進は負傷者を抱え、長谷川さまも言葉を濁す苦難の道であった)
二師団の総攻撃の際、ムカデ高地で先陣を切った歩兵第29連隊(会津若松)と海岸線より陽動作戦を行った歩兵第四連隊(仙台)の損耗は甚大で、戦闘に耐えうる将兵が少なく、日を追うにつれ堺部隊は第二師団の混成部隊と化して行くことになる。
長谷川准尉の所属する、歩兵第十六連隊第一大隊はムカデ高地総攻撃の際、連隊の予備隊であった。
その理由はガ島上陸直後、タサファロング海岸において大隊長・源紫郎少佐が砲撃により戦死された為大隊長不在という状況による。
歩兵第十六連隊第一大隊本部の面々。
長谷川さまホームページより引用
前列中央、源紫郎少佐。
後列左より四人目、長谷川さま。
従って歩16の中でも比較的損耗の少ない部隊であったことから最前線の小川陣地で長期に渡り持久蛸壷戦闘を行うことになったのである。
その小川の陣地を訪れざるして長谷川さまに何と報告できよう。
小川陣地をグーグルアースで調べてみる。
帰国後、長谷川さまをお訪ねして位置の再確認を行ったのでほぼ一致している筈。
今回の御慰霊行前の位置確認はもっと大まかであったのでやみくもに歩き回る結果となったのであるが・・・
下の画像の黄色→は自分の徒歩移動経路。
第三拠点から砲兵台の一部を経由し第一拠点まで、概ね歩き廻ったことになる。
キタノメンダナホテルさんのホニアラ通りを挟んで向かい側の川口支隊御慰霊碑。
以前はムカデ高地にあった筈だが移動され今はこの地にあるようだ。
後日、お線香を焚いて読経し御慰霊させて戴いたがこの時は最敬礼にて失礼する。
小川に沿って道が無かったのでキングソロモンホテルの近くで小川を捜す。
画像のキングソロモンホテルから東へ少し歩くと・・・
小川再発見!!
帰国後、長谷川さまへ報告した際に長谷川さまの蛸壷位置を確認したところこの辺りだと思われるが、その時の自分は把握できておらず素通りしてしまった。
此処を挟んで対峙していたのか・・・
この小さな流れを死守する為に多くの将兵が散華されたかと思うと胸が詰まる。
当然のことであるが長谷川さまが布陣していた当時は道などあろうはずもない。
中央の小川が戦史に登場する小川である。
初めて一人ソロモンピープルの生活の場へ踏み込むので慎重に様子を窺う。
作業服姿の怪しい自分に興味を示すソロモンピープルが近づいてくる度、「自分は此処を歩いて良いか?」と訪ねながら・・・
誰一人「駄目だ」とは言わず「お前はワーカーか?」とか「何処から来た?」など笑顔で聞いてくる。
思いのほかフレンドリーなソロモンピープル達だ。
歩を進めると左右の山が急峻になってくる。
ソロモンピープルの笑顔に安心し家にもカメラを向けてみる。
山肌に張り付くように建つソロモンピープルの家。
平坦地のソロモンピープルの作業場?
上へ視線を向ける
この丘の向うは砲兵台か・・・
小川を渡る橋。
第一自転車を発見。
車はカローラバンのタクシー。
三叉路で小川が枯れてしまったので砲兵台のほうへ右折し登ってみることにした。
右へ折れた途端に道の状態が・・・
左の広場は学校のグランド。
右へと歩を進める。
突き当たりに家がありソロモンピープルの御夫人が家事をしていたのでこれ以上は無理かと思いつつ奥に獣道があるのを見つけ「奥へ行って良いか」と訪ねる。
まだ人にカメラを向けて良いものか躊躇していたのでご婦人の画像が無いのは残念。
さらに奥へ・・・
少し険しくなってきた道をさらに上へ
頂上近くには家や施設が点在し・・・
砲兵台東端より望むクルツ岬。
長谷川さまの小川の陣地を援護する砲兵が布陣した砲兵台の一部。
しかしながら日本軍の砲兵が砲撃すると100倍になって返って来るとの理由で滅多に砲撃することはなかった。
砲兵台の最東端のソロモンピープルハウス。
ソロモンピープルの失業率は高い。
暇そうにしていた青年に煙草を勧めて「この辺りに日本軍のバンカー(塹壕)は無いか?」訪ねてみる。
「こっちにある」との返事。
まだ人にカメラを向けるのに躊躇しているので何とも中途半端な青年の画像。
青年に案内されジャングルの中ヘ
青年の指差す先に・・・
非常に判りづらいが上は岩盤で護られた塹壕・・・ または蛸壷である。
海岸線の反対側でかつ小川の線で対峙している米軍側からも死角。
野戦重砲第二連隊の将兵のものか・・・
小川の近くはソロモンピープルの生活の場として開発されているが、一歩ジャングルに入ると塹壕が残っている。
これがガダルカナルか・・・
塹壕の主が日本へ生還された可能性は低い。
思わず合掌しご冥福をお祈りする。
つづく
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉 長谷川榮作さまのホームページ
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。
新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。
平成23年8月20(土)~9月3日(土) 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ38柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
派遣隊の活動の様子を現役大学生フロッグクレーンさんが綴られております。
第二次派遣隊の募集が開始されました。
○原発関連情報○
独逸天気予報より → 放射能予報
文科省発表 → 全国放射能濃度一覧
武田邦彦教授の → ブログ
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