サンデル教授の白熱授業で出されるような
深い問いの選択を迫られて、思うこと。
 
生きているとあるんだよね。
答えがだせそうにない問いに出会うこと。
 
でも、その時に観えて来るのは
自分の倫理観ではなくて
 
わたしは私の中にある
無数の鎖で繋がっている先祖たちの知恵
これまでの在り方なんだよね。
 
それをじーっと静かに感じる時
なんだか呼吸まで聞こえてくるような。
 
 
自分なりの解釈を腹におろして
これでいいんじゃないかな。
 
だから、すーっと落ち着いていく自分がいる。
 
 
ちょっと情緒的に書いてますが
そんな風に感じてくるんです。
 

 


  
これまで異文化の生活の中で感じたのは
そこに答えを求めると苦しくなるってこと。
 
これまでの自分の価値観で世界を見渡して
不正解の数だけ、生きづらくなるんだよ。
 
 
 
あなたは私の問いであり、私はあなたの問いである。

 


そう、人との出会いは、「問い」なんだよね。
流れるようなコミュニケーションの中で
時に自分の前に置かれた言葉に反応して、ワサワサするけれど
 
 
さて、自分はどう思うかな?って
ただ、問いが生まれるだけでいいんだよね。
 
 
事実は、その答えがなんであれ、相手がそう思った。
そこにそう感じた人がいるってこと。
それは、自分と違うからいいんだよね。
 
 

 
 
あなたは私の問いであり、私はあなたの問いである。
 
 
目の前の人に答えを求め合うのではなくて、問いを求め合えば
世界は、平和になっていくんじゃないかな。
 
今日も静かに問い続けよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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