後藤 仁(GOTO JIN)の絵本便り

後藤仁公式ブログ2~日本画家・絵本画家 後藤仁の絵本原画制作、展覧会便り。1968年生まれ。東京藝術大学日本画専攻卒業、後藤純男に師事。「アジアの美人画」をテーマに日本画を描き近年は絵本制作に力を入れる。日本児童出版美術家連盟、絵本学会、日中文化交流協会会員。

 ★私の作画絵本『犬になった王子 チベットの民話』 (君島久子 文、後藤 仁 絵/岩波書店)が、Internationale Jugendbibliothek München/International Youth Library Munich/ミュンヘン国際児童図書館「The White Ravens 2014/ザ・ホワイト・レイブンス 国際推薦児童図書目録2014」に選定されました。★

●ミュンヘン国際児童図書館 公式ホームページ 「国際推薦児童図書目録2014」 ─ 犬になった王子 チベットの民話
http://www.ijb.de/spezialbibliothek/white-ravens-2014/single/article/japanese-japan-3/163.html


              *          *

後藤 仁 公式ホームページ


「後藤 仁(GOTO JIN)のアトリエ」 べーっだ!


 日本画・絵本作品や金唐革紙作品の貴重な画像や解説が、たくさん掲載してあります。当ブログとともに、お楽しみ下さい。よろしくお願い申し上げます。



後藤仁公式ホームページ「後藤 仁(GOTO JIN)のアトリエ」



テーマ:
 私はあくまでも一絵描きであり、特定の宗教や思想に傾倒している人間ではないのですが、かつて、ゴータマ・ブッダやマハトマ・ガンジー等がとなえた「無所有」という思想にひかれるところがあります。しかし、俗人であり画家でもある私には、その実践は到底不可能です。
 
                     *
 
 私の率直過ぎる言動は、時に他者から大きな誤解を招く場合がありました。先日、大学時代の同級生から久しぶりに電話があったのですが、「仁は昔から権威志向があったから・・・。」という言葉を聞いて、「ああ、他人はそんな風にとらえるのだな・・・。」と思いました。(その電話相手は酒井田柿右衛門の奥さんなので、当人の方がよっぽど ブルジョア・権威者を志向しているじゃないか、と思いましたが・・・。ただ、学生時代の旧友は、歯に衣着せぬ発言で正直に言ってくれるので、その内容に一理ある可能性も考慮して、心に留めておきましょう。)確かに、年配者ほど肩書にこだわるので、本当は自分の価値観ではないのですが、あえて肩書や世間的評価を強調する場面が、近年の私にも度々あります。そうしないと周囲の人々から、特に年配者から低く見られる嫌な経験を何度もしているからなのです。大多数の世人は、純粋にその人の”絵”の実力や努力を見てくれないもので、その人の背景ばかりを見たがるものです。
 
 たまたま私は、中学生・高校生の頃は、学校で1~2位を争う位に足が早かったのですが、高校の体育祭の徒競走で1位を取ったりしているのを見たクラスのある男は、「後藤は戦争があったら、いち早く駆け付けて戦うような性格であろう。」という意見を述べました。それを聞いて、「ああ、世人はそんな風にとらえるのか・・・。」と思いました。曲解もはなはだしいですが、私が大の厭戦家・非暴力主義である事を知らないのでしょうね・・・。大阪市立工芸高校 美術科では、私は美術の実技も学科も体育も全て群を抜いた首席だったので、周囲の妬みも頂点に達していたのでしょう。卒業直前に美術科で作った小冊子があるのですが、クラス40名の中で「最も出世しそうな人ランキング」第1位には、私が選ばれていました。他人は勝手な観測をして、勝手な警戒をするものです。
 東京藝術大学 日本画専攻では、さすがに私より絵の才能のありそうな人がクラスに2~3人はいましたが(手先の器用さでは、多分私に優る人はいなかったでしょう)、誰よりも真面目にコツコツと描き続ける私に出世の脅威を感じた人もいたようで、クラスの中心的な一部の人達から、言葉と態度での攻撃を受けた事も度々あります。多くは嫉妬・恐怖心からの言動なのかも知れませんが、いずれも私の本意を突いておらず、誠に残念な事です。
 私は子供の頃から、”絵”を描く事のみに心底からの幸せを感じて来ました。ただそれだけの価値観です。ある種の異常性なのかも知れませんが、それに関する事以外には何の魅力も感じないのです。社会的な出世欲や金銭欲・物欲は、一般人に比べて極めて低い方だと思います。
 
 大学の時、1年生より2年生が、学部生より大学院生の人達が偉そうにしている日本画界の縦構造を目の当たりにして、大いに疑問を感じました。大した事もせず、ただ、そこにいるだけでも、人は勝手に進級して行きます。それなのに上の学年だという理由のみで、偉そうにできるのだろうか・・・。それが、講師・教授、院展作家ともなれば、雲上人の様相です。大学2年生の頃には疑問は膨らむ一方で、「自分はこんな低い実力のまま安易に出世して、下の者に威張りちらすような人間になってはいけない・・・。」と思い悩むようになりました。大学1~2年時の私への先生や先輩・同輩からの評価は、そのまま行けば後藤は必ず出世して来るだろう、という雰囲気でしたが、私もそんな周囲の視線をひしひしと感じていました。
 当時の私が、夢を抱いて入学した東京藝術大学に幻滅を感じ、2年生の終盤から2年間余りも通学を止めた理由には、切磋琢磨しあえそうな真の絵描き仲間に出会えなかった失望感の他にも、出世を遅らせたいという奇妙な思考もあったのです。大学を2年間も留年する事で、私が落第生の烙印を押されたなら、誰も私が「出世を狙っている、権力を欲する」等という根も葉もない噂を流さぬだろうと・・・。また、そのような重い足かせを自分に着せる事で、私自身が「慢心」から遠ざかり、茨の路を歩めるだろうと。それでこそ、本当の芸術家になれるだろうと・・・・。
 私はやはり、かなりの変わり者なのでしょうが、当時は若気の至りも強く、今以上にバランスの悪い人間だったようです。
 
 実はそのような逆行行動は、高校・予備校・大学と度々取って来ています。美術予備校・立川美術学院 時代にも、あえてふざけたバカ生徒のふりをして授業にほとんど出ないという奇行を取っていました。そんな私の有様を見た予備校の時のほとんどの知人は、未だに私の事をバカな男だと思い込んでいるようですね。彼ら彼女らは、私の人生を通した演技に、まんまとだまされたのです。大学時代の知人にも、「後藤はいい加減な人間だ、何を考えているか分からない・・・」とか、だいたい評判が悪いようです。その反面、中学校・高校時代の先生や後輩の多くは、私の事を「天才」「超人」「宇宙人」等と言って、過大評価してくれていました(同輩からは大抵嫌われますがね)。ここに、私にも理解しがたい不思議な二律背反が起こっています。自分の事は案外よく分からないものですが、実際の私は、その評価のどちらでもなく、ただの「絵を描く事が好きな変わり者」なのではないかと考えています。
 確かに私は人並み外れてバランスの悪い変わり者である事は間違いないでしょう。自意識過剰の部分もあるのでしょう。そこが悟りを開けない一番の要因なのだと理解しています。ただ、懸命に制作に没頭する姿や自信過剰とも取られる言動からなのか、あらぬ疑い・・・「権力を志向している」「自分だけの利得を考えている」だのといった憶測が未だに生きている事に驚くのです。
 そのような憶測の要因があるとすれば、ひたすら自己の制作に打ち込む姿勢が自分本位ととらえられる可能性や、「権力への反抗心」が他人からは「権力への志向」としてとらえられる可能性が考えられます・・・。私は間違った権力者が世間に幅をきかす事に、大きな危惧を抱いています。元来、社会の歪みや矛盾には、かなり敏感な方で、特に弱き者が強き者に抑圧される事象が許せないという根っからの性質があるのです。間違った思想を持った人物が世間から評価され、権限を行使して、弱き者達を駆逐していく構造には許せない憤りを感じます。私は、偏った権威権力を毛嫌いしている人間なのです。それは、美術界もその他の一般社会においても同じです。もし世の中にそのような傾向が強まって来るのなら、私の小さな力ですが出来る範囲で一絵描きとして、作品表現上で抵抗していかなければならないとの信念は持っています。
 
                     *
 
 「茨の路を行く・・・」口で言うのは簡単ですが実践するのは至難の路です。私は日本画界での安直な出世から、あえて遠ざかり、無所属の不安定な路を歩みました。豊かな家柄でもなく地方出身の私が、絵の世界で生きていくのは、至難の業です。
 
 私は高校3年生で初めてアルバイトをしましたが、民芸品店の販売員で時給は確か560円位でした。その後、高校3年の終盤、実家を離れ大阪の鶴橋の ぼろアパートに住み込み、新聞配達とファストフード店員を掛け持ちしながら2か月間ほど高校に通いました。当時の私は親との折り合いも悪くて、早く家を出たかったのです。高校卒業後は上京して、新聞奨学生として新聞配達・集金をしながら1年間、美術予備校に通いました。私の独り立ちは、のっけから波乱含みの船出だったのです・・・。
 
 大学3年生から2005年末までの約12年間、強欲な経営者の元で「金唐革紙(きんからかわし)」という手製壁紙の復元製作を手掛けたりしました。私のFC2ブログの「金唐革紙 製作」にも書いていますが、その金唐革紙製作の重労働と自身の日本画制作を両立させるのは、かなり過酷な路でした。ただその頃は、大学卒業後、金銭的には最も安定していた時期で、その点だけは経営者には感謝の念を忘れてはいません。(とは言っても、金唐革紙の賃金と日本画の収入は、合わせても高校卒の初任給程の微々たるものです。)
 大学卒業後、しばらく金唐革紙の仕事が無かったので、1年余り、取手市にある居酒屋のパントリー(飲み物担当)の仕事もやりました。私は誰よりも早く正確に飲み物を作れると評判になり、「パントリスト」という称号で呼ばれました。あまりうれしくはないですがね・・・。
 金唐革紙 製作研究所の経営者の脱税も発覚し、その独善的な振る舞いにも我慢の限界が来て、2005年末、製作研究所を完全に離れました。しかし、それからがまた大変でした。今の私の日本画作品評価額(号3~4万円)で売り絵だけで食べて行くには、一か月間に、F30号位の中品なら1枚、F6号位の小品なら4~5枚をコンスタントに売っていかないと不可能です。何故なら、日本では画商の権限が強くて、百貨店・デパートで画商を通して絵を販売すると、画料は売値の20%にも満たない場合がほとんどなのです。バブル期以降、若手作家が絵だけで食べて行くのは奇跡に近い事です。
 
 金唐革紙を辞めて1年半位は貯金を取り崩しながら、絵の制作だけに集中して生活していましたが、段々厳しくなって来たので、2007年の7月末、とりあえず日雇い派遣労働(時給は800~1100円位)をするしか方法がなくなりました。すぐにできる美術関係の仕事など無いのです。今は倒産した悪名高い グッドウィルという派遣会社に登録して、ソフトバンク・セブンイレブン等のピッキング(荷物仕分け)、クリーニング会社の作業、アウトレット家具店の清掃・販売、引っ越しの手伝い等、単調で過酷な労働ばかりをやりました。ピッキング作業では単調な荷物仕分けを一日中やらされ、松戸の大型クリーニング会社ではガラの悪い年下の社員に罵倒されながら悪臭のする服を大量に洗い、千葉の有名なアウトレット家具店 メガ・・・何とかでは短気な副店長や社員に怒られまくりながらこき使われ、有名な アート・・・何とかいう引っ越し屋では行った先で初めて制服を着させられ、年下の無愛想な社員に怒鳴り散らされながら、重たい荷物運びを延々とやりました。超有名な ヤマ・・・何とかいうパン屋の松戸工場は、焦げ落とし等の仕事が過酷で、社員がガラが悪い事で派遣仲間では悪名高かったので、私もここだけは行くのを避けました。その他にも数か所の派遣先を体験しましたが、いずれも単調で過酷な作業が続くだけではなく、社員からは「そこの派遣!」と名前さえ呼んでもらえず、こき使われるさまは、まさに新しい形の「奴隷制度」だと感じました。
 まれに個人経営の社長さん等で良い人もいましたがね・・・。今は、多少改正されて日雇い派遣は廃止されたと言いますが、何らかの形でそれらは存続しているのは間違いないでしょう。そしてその頃、一緒に働いていた社会的弱者の人々・・・ほとんどの人は少しおとなしいが真面目ないい人ばかりでした・・・は、今もそのような実りの薄い仕事を続けているのでしょうか。悲しい格差社会の実態を体感しましたが、なかなか普通の絵描きが知りえない、様々な仕事の裏の部分を知れたという意味では、今後の絵本制作等にもプラスになる点があるのではないかと、今ではポジティブにとらえています。
 
 2007年末まで、そんな派遣労働生活をしていたのですが、その終盤の2007年12月から松戸市みのり台の、とある個別指導塾の講師をやり出しました。私も美術大学卒とはいえ小中学生になら多少は学科を教えられます。しかし、今必要とされるのは私の比較的苦手な数学や英語ばかりです。やる気のない生意気な生徒に好きでもない学科を教えるのは、全く性に合っていません。おまけに大学卒業したての20歳代前半の若い塾長まで世間知らずで生意気ときていますので、2009年8月でそこを辞めました。ただ、そこの塾生に、学科は全くできないが結構 絵の上手いオタク系の中学生が一人いて、「個性的な彼らの才能を伸ばせる世の中ならいいのだが、良い指導者に巡り合えず一歩間違えば、悪い方向に進んでしまうだろうな・・・」と心残りもありました。
 2007年10月以降、派遣労働、塾と並行して、カルチャースクール/読売・日本テレビ文化センター柏・金町の「日本画・水彩画・デッサン」絵画講師を始めました。その後、NHK文化センター柏やコープみらいカルチャー春日部と、少しずつ講座数を増やして行き、何とかギリギリ生活できる体制を整えて行きました。今は5つの講座を受け持っています。ただ、カルチャースクールの受講者は3か月単位で増減するので収入も安定しませんし、人数に応じて講師料が定まっているので、よほど大人数の教室でもない限り、収入は微々たるものです。
 
 ついでに今までに経験した、その他の主な仕事を挙げてみましょうか。大学時代には、福岡美術研究所 夏期・冬期講習 講師(数週間)、河合塾美術研究所(東京校)日本画科講師(1年間)、区立児童館 図工教室講師(1年間) 等の美術関係の仕事の他、美術館監視員(1週間)、会場設営・大工(3か月間)、花市場・仕分け(3か月間)、郵便局・仕分け(2週間)、明治神宮の正月のしるこ屋(数日)、百貨店警備員(2か月間)、大学卒業後に NHK大河ドラマ「元禄繚乱」障壁画制作(2か月間)、結婚式ビデオカメラマン(1か月間) 等、今までに30種類位の様々な職種のお仕事を経験しています。これほど多くの職業を体験している人は世の中にほとんどいないと思いますので、この知識を絵本制作等に活かせないかと思案しています。
 こう書いて来ると、常にバイトばかりしていたと誤解されそうですが、実際には、在学中は放課後や春期・夏期・冬期休暇中にバイトを入れ、大学卒業後は週に平均3日間位の仕事を入れ、残りの日や夜間に日本画制作をコツコツとしていたのです。大学卒業後から2008年頃まで、1~2年に一度の「個展」と、一年間に4~5回は「翔の会日本画展」(銀座松坂屋)等のグループ展をコンスタントに開催していたのですから、20歳後半~40歳頃の自分を、よく頑張っていたなと自ら回想する位です。最近はグループ展の回数は減っていますが、絵本出版後に「絵本原画展」を集中して開催しています。
 
 今までに私は、このような厳しい絵描きの茨の路を歩んで来たのです。多分、ほとんどの同世代の絵描きより苦労して来たと言って良いでしょうね。私は自らを低い地位に置く事で、徹底した茨の路を自分の人生に敷いて、「真の芸術家」を目指そうと願ったのです。 
 近年は40歳を越えて、さすがに私も少しは性格が落ち着いて来ました。もう少し自然体で生きて行っても良いのではないかと、最近は思うようにしています。
 
                     *
 
 ここ10年弱は、日本画・絵本の収益と、カルチャースクールの講師料とで何とか食いつないでいますが、まれに大きな展覧会や絵本制作で少しまとまった臨時収入はあるものの、基本的には一般的なサラリーマンの収入の何分の1かのわずかな収入で、何とか生きています。まさに、絵に描いたような貧乏絵描きの生き様です。それは、今ではほとんど聞く事もなくなった美徳の一つである「清貧」と言い換えても良いでしょう。
 清貧生活の中でも、たまに絵本の収益等があると、すぐに日本や世界中の子供達に絵本寄贈をしてしまうので、ますます貧相な生活になるのですが、子供達に笑顔を広めたい性分なので仕方ありません。
 何故、こんなみっともない話をするのかと思われるでしょうが、実体験を赤裸々に示す事によって、私が出世権力志向で動いていない事を証明すると共に、世の人々のお金というものに対する価値観の再検証を試みてみたかったのです。(私は画家なので、「文章」は趣味みたいなものです。故に、原稿料をいただかなくても良いのです。しかし、今後機会があれば、仕事として文章も手掛けてみたいと考えています。)
 
 日本も世界もお金持ちが偉いという考えが一般的ですが、私の理論ではお金持ちは多くの貧乏人からお金をせしめて生きている分、実は多くの貧乏人に感謝せねばならぬ立場にあると考えています。ただ配分バランスが偏っているだけで、億万長者は何も威張れる根拠は持っていないのです。お金持ちの多くはそれを実力・能力と考えがちですが、時の運や強引な性格がもたらした一過性のものであるケースが大部分でしょう。 
 現在も過去も、人間はお金という幻想に執着して来ました。資本主義というシステムはその最たるものですが、ようやく今頃、その限界説がささやかれ始めました。私はお金のみに価値観を求める多くのビジネスマンの拝金主義的嗜好に、前々からあきれています。人は生きていければ良いのです。何が本当の幸せなのかを熟慮し、最も大切なものは何かを知るべきです。それこそ、無知の知です。
 私の極論では、生活に必要な資産以上の収益のある人は最大99%位まで、世界中のより貧しい人々の福祉や子供の教育等に配分していく位の、大胆な国際的大改革があって良いと考えています。何故なら、世の中に100倍、1000倍以上もの格差を生むほど、他者より能力の高い人や努力している人はありえないからです。わずかな能力や努力の差と大部分の運が、現在の異様なまでの格差をもたらしているのです。資本主義の最も間違っている点がそこにあります。動物の場合は、せいぜい多く食べれるか食べれないか、子孫を多く残せるか残せないかの差しか生じません。それが自然の摂理なのです。
 私は資本主義や機械文明・コンピュータ社会を信じてはいません。ただ当然ながら、それに代わる良いシステムを知っている訳ではないのですが、人類がここらで一度立ち止まって、たとえ不便であろうとも、自然と共に生き、完全なリサイクルが行われて来た、少し昔の永久的に継続可能な生き方を見直すべきではないかと考えています。
 
 私はブッダやガンジー等の「無所有」の思想に憧れます。また、「不殺生」「非暴力・不服従」の思想にも大いに共感します。ガンジーが亡くなった時に所有していたのは、着ている服と糸車と一冊の本だけだったという逸話を記憶しています。それでも、世界中の多くの人々はガンジーを侮蔑したりはしないはずです。その思想と行動こそが最も尊くて崇高だからです。
 私のような俗人は聖人のようには到底生きられませんし、絵を描くのには画材や資料が必要となります。しかし、絵描きの必要とする物以外への余計な物欲はなるべく控えねばならないと考えています。私は画材がそろえられ、取材旅行ができればそれでいいのです。しかし、そんな純粋な生き方ができれば、それこそ贅沢というものかも知れません。世界中の平均から比較すると、貧乏絵描きと言えど、日本人はほとんどの人が贅沢過ぎるのですから。(ただ、諸々の生活基本料金が高過ぎて、生きていくのは決して楽と言えないのが日本の実情ですが・・・。)
 
 今回、色々と思うところが多くて、いつもながらまとまらない文章になってしまいましたが、今の率直な気持ちを文章に書き記しておこうと思いました。かなりの長文になりましたが、偏屈な一絵描きの戯言とお聞き流し下さい。
 
  日本画家・絵本画家 後藤 仁
 
 
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 ・・・・スリランカの旅も残り少なくなりましたが、一旦、ポロンナルワの最終日の朝に戻ります。新年そうそう、黒虫の話もどうかと思い今回に回しましたが、ポロンナルワの宿では、その後も連夜、黒虫との格闘が続いていたのです。18日の朝に見た超巨大な黒虫は、その後も朝になる度に現れましたが、毎回取り逃がしていました。「あれはこの宿のボス虫に違いない。」と確信し、最終日までに決着をつけようと決めていました。

 21日、ポロンナルワでの最後の朝、前日の「ペラヘラ祭」の帰りにアイスクリームのような物を踏み付けたと見え、靴の底に甘い香りの物体がこびり付いていました。シャワー室で靴底を洗っていると、その甘い香りに引き付けられたようで、早速、あの巨漢黒虫が出現しました。ずんぐりと立体的で、体長は日本の物より少し長い位ですが、胴回りが4倍位は太いのです。反射的に、洗っていた靴で黒虫をパチンとやりました。直後に、ボスの敵討ちに現れた中型の黒虫も、続けざまにパチンと返り討ちしました。

 この宿は安くてオーナーも良い方でしたが、この虫達の多さだけには閉口しました。しかし日中は、不殺生をとなえたブッダの遺跡を殊勝そうな顔で拝見しながら、都合に応じて殺生を行う私達人間とは、いかに自分勝手で残酷な生き物なのだろうかとつくづく思うのでした。・・・・・

 

 

 「スリランカ写生旅行」18日目、2016年6月23日(木)。アヌラーダプラ遺跡巡りの2日目です。ここでは連夜、猛暑と爆音に悩まされていたのですが、今朝起きると、何故か全く汗をかいていません。スリランカでは毎朝、汗だくになっていたので、逆に不吉なものを感じました。案の定、体はかなりだるくて、完全にお腹をこわしていました。前日の昼食のチキンカレーが悪かったのか、熱中症の症状なのか、理由ははっきりしませんが、かなり酷い体調です。強めの下痢・だるさの他に、軽い頭痛と微熱もあります。それでも葛根湯の錠剤を飲んで、朝食の菓子とバナナを軽く食べて、7:00頃自転車で出発しました。

 まずは遺跡群の南方に向かい、「イスルムニヤ精舎」(入場料・別料金200Rs)を見学します。アヌラーダプラの他の寺院とは雰囲気が異なり、境内中央に涅槃像が安置された本堂があって日本の寺院に近い造りです。本堂裏の巨石に登ると、アヌラーダプラの町が見渡せます。宝物殿には優れた彫像が多数置かれています。美しい寺院なので、どこかスケッチをしたかったのですが、体がだるくて力が出ませんので、この日は写真を撮るだけにしました。スケッチにはかなりの集中力と体力を必要とするのです。

 自転車で北上し、図書館で3550Rsの遺跡入場券を購入し、更に北上し、計4km近く走りました。体調が良くないのでフラフラです。遺跡群の北端、「アバヤギリ大塔」に到着。高さ75mという巨大なダーガバ(仏塔)で、かつてはスリランカの大乗仏教の総本山だったそうです(現在のスリランカには上座部仏教しかありません)。次に「ラトゥナ・プラサーダ」という、スリランカで一番美しいとされるガードストーン(宮殿や寺院の入口左右にある彫像)が残る宮殿跡を見物。次に、スリランカ一美しいというムーンストーン(半円形の石板)が残る「クイーンズ・パビリオン(王妃の建物)」を見物。ムーンストーン全体で宇宙の真理を表しているといい、ゾウ(誕生の象徴)、ウマ(老齢の象徴)、ライオン(病の象徴)、牡牛(死の象徴)が彫られていて、この4種の動物で輪廻を意味するのだそうです。まさに、ブッダのおっしゃられた「四苦」、つまり、「生老病死」の事ですが、・・・このブッダ(仏陀、お釈迦様)の伝記を知りたい方は、私が挿絵を描いた『おしゃかさま物語』 (本間正樹 文、後藤 仁 絵/佼成出版社) 直販のみ: 佼成出版社・佼成ショップ https://www.koseishop.com/product.jsp?id=25208  を読むとよく分かりますよ。(ちなみに、時代が下るポロンナルワのムーンストーンでは、ヒンドゥー教の影響があり、神である牛が死を象徴するのは良くないとの理由で牛が描かれていないそうです。)

 次に「サマーディ仏像」という大きな仏像を拝見し、「クッタム・ポクナ(ツイン・ポンズ)」という僧の沐浴場跡を見物。最後に「アバヤギリ博物館」を急ぎ足で見学したところで11:00頃、体力の限界が来ました。しかし今日で、アヌラーダプラの主要遺跡は全て見終わりました。朝から体調が優れない上に、何時間も動き回ったので、お腹はグルグルいっていますし頭はボーッとしています。何とか4kmの道のりを宿までたどり着き、シャワーを浴びて、昼食はバナナとヨーグルトを軽く食べるだけで済ませました。(行きに約2km、北上に約4km、帰りに約4km、この日だけで合計 約10kmも自転車で走っています。体調が悪いというのに、随分無茶をしています。)

 午後はくたばったように部屋で寝ていたのですが、気分が悪くて全く食欲が出ないので、夕食時には塩分を取るために塩気のあるピーナッツを数粒食べて水を飲むのが精一杯でした。夕方から夜にかけて体調は悪くなる一方です。しかし、こんな時にも旅の経験がものを言います。これ位までなら、よく休憩して塩と水分を取ってさえいれば、自力で回復できるという自信がありました。

 この日は特に早めに夕方8時頃には睡眠に入りましたが、外の音楽はこの夜も容易に寝かしてくれませんでした。

 

 「スリランカ写生旅行」19日目、6月24日(金)。朝6時過ぎに起きると、体調はわずかながら回復して来ていました。食欲は無いのですが、何とか朝食のバナナ、菓子、牛乳を飲み込むと、7:00には自転車で遺跡巡りに出発しました。

 昨日、体調不良で、「イスルムニヤ精舎」(入場料・別料金200Rs)をしっかり見れなかったので、再び精舎を訪れました。最後の力を振り絞って、境内の巨石に彫られたゾウの家族の彫像を、F4号スケッチブックに30分余りかけて写生。宝物殿の「恋人の像 The Lovers」と名の付いた、サーリヤ王子と恋人マーラとされる5世紀に作られた優れた彫像を、F4号に30分余り写生。警備をしていた警察が傍らでその様子を見ていましたが、ポロンナルワ等の他の地域の警察と違って、何故かアヌラーダプラの警察は優しい感じの人が多いのです。ここの方が田舎なので、人の性格ものどかなのかも知れません。最初に「スケッチしていいか」と聞くと、「いいよ」と快い返事を返してくれました。描き終わると、「その絵をもらえないか」と言うので、「現物は無理だが写真を撮るのはいいよ」と答えると、喜んでスマホで撮影していました。

 「イスルムニヤ精舎」の手前に大きな池があり、きれいな蓮の花が咲いています。小鳥もさえずり楽園のようです。この蓮をSM号スケッチブックに20分程スケッチ。その途中、野良犬が私に近寄って来ました。すると、つがいらしき2羽の小鳥が鋭い声で犬に襲いかかります。その鳥は前に、キャンディ近郊のペーラーデニヤ植物園でスケッチした、Red Wattled Lapwing という鳥でした。犬はしばらく粘っていましたが、最後は鳥の剣幕に負けて退散しました。スケッチを終えて、犬がいなくなった後にその付近を見てみると、地面に鳥の巣があり、2cm程のかわいい卵が3個ありました。私が巣に近付いても、鳥は遠巻きに見ているだけで、威嚇はして来ません。巣の周りに丁度良い大きさで木組みがしてあるのですが、これは巣が出来た後に、人が巣を守る為に作ったものに違いありません。鳥は、ここの人間が自分達の卵に危害を加えない事をよく知っているのでしょう。スリランカの人々の優しく思いやりのある心根が伝わりました・・・。

 美しい蓮の花と小鳥達のミニドラマを見て気分良くなった私は、今日はこの一か所だけにして、まだ調子の戻らない体を引きずって12:00頃、宿に戻りました。帰路、露店がたくさん集まった通りに立ち寄って、私が講師を務める絵画教室の受講者の方や、日本児童出版美術家連盟(童美連)の絵描き仲間や、親類・友人・知人にお渡しする土産を探しました。金属製のスリランカの腕輪(ブレスレット)が面白いので、インド等に比べて案外物価は安くはないのですが、96個買い入れました。(前は70個位で足りたのですが、最近お世話になる方が増える一方なので、帰国後手渡しするのですが、96個でも足りない位でした。)後は自分用の安いシャツ(500Rs)を購入。

 昼食は軽く、パン、バナナ、ヨーグルトを食べました。お腹の具合はまだまだ良くないですし、だるさも続いています。

 

 この後、「サルガド・ホテル&ベーカリー」にチップ50Rsを残して、「ホテル・シャリニ」(一泊部屋代3500Rs、朝食500Rs、エアコン・ホットシャワー・トイレ付)に移動しました。「サルガド・ホテル」は便利な立地にあるのですが、メイン通りに面しているので毎晩響き渡る騒音が難点でした。連泊する人には少々、きついかも知れません。「ホテル・シャリニ」の人が言うには、あの謎の騒音はパブの音楽だそうです。今後、スリランカの近代化を進める上では、騒音規制が必要になって来るでしょう。

 さすがに中級ホテル、「ホテル・シャリニ」の部屋はきれいで快適です。シャワーは上からだけではなく、前面からも湯が出て来る高機能型です。普段私は、現代文明・科学万能説に反論を唱えがちですが、今回の旅では改めてエアコンという文明の利器のすごさを実感しました。所詮私も、現代文明・コンピュータ社会に毒された軟弱な都会人でしかないのですね・・・。

 午後は前後を忘れて爆睡し、夕食に軽くバナナ、ヨーグルトを食べると(体調がどんなに悪くても何か食べないと、衰弱・脱水症状を起こして更に病状が悪化します)、エアコンの効いた快適な部屋で夕方6時頃から再び眠り続けました。このホテルはメイン通りから離れているので、騒音もほとんど聞こえず静かな環境です。ここに来て中級ホテルを予約しておいたというのは、まさに私の豊富な旅の”経験”と”勘”が冴えたと言っても過言ではないでしょう。

 次の日はコロンボへの移動日でしたが、完全でないまでも、体調は劇的に回復しました。(元々私は、ほとんど風邪等の病気にかからないので、免疫力はかなり高いようです。そうは言っても、近年50歳に近づき、若き頃には周囲から超人とまでもてはやされた私の体力も、どんどん落ちる傾向にあります。)

 

「イスルムニヤ精舎」 (入場料200Rs) アヌラーダプラは全体的に観光客が少なめでしたが、この日は修学旅行のような学校の団体参拝客でにぎわっていました。

 

「ホテル・シャリニ」 (一泊部屋代3500Rs、朝食500Rs、エアコン・ホットシャワー・トイレ付) 

 

 明日のアヌラーダプラからコロンボへの列車の旅のお話は、また次回にいたしましょう・・・。

 

  日本画家・絵本画家 後藤 仁

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。ブログに記すのに時間がかかっていますが、「スリランカの旅」も残り一週間になりました。

 

 「スリランカ写生旅行」16日目、2016年6月21日(火)。この日はポロンナルワからアヌラーダプラに移動します。ポロンナルワのバスターミナルは町の中心地から離れているので、スリーウィーラー(三輪タクシー/メーターがない場合の値段は交渉制)をつかまえてバスターミナルまで250Rs(スリランカ・ルピー/Rs.1≒0.75円)で向かいます。ポロンナルワ 8:00発のバス(150Rs)でアヌラーダプラに11:30頃到着しました。

 アヌラーダプラの宿は、「サルガド・ホテル&ベーカリー」(一泊1000Rs、ファン・トイレ・ホットシャワー付)に3泊する事に決めて、明日から300Rs(一日)のレンタルサイクル(貸自転車)を3日間分借りました。この宿のオーナーにもスケッチブックをお見せしてお話しましたが、親切そうな方です。

 宿の一階がベーカリーになっていて、パンの他にも本格的な食事もできるので、昼食はそこで、パン、コーラ、ヨーグルト(計435Rs)を食べました。その後、宿の近くの大きなスーパー「Food City」で買い物をしました。アヌラーダプラには蚊がたくさんいるので、蚊取り線香も購入。

 夕食は、同じベーカリーでブリヤーニ(約350Rs)、ジュースを食べて、部屋に戻り、スーパーで買った本格的なカード(水牛ヨーグルト/220Rs)にハニー(トリックル・ヤシ蜜/一瓶 280Rs)をかけていただきました。カードは素焼きの器に入っていて、かなりボリュームがあるので2回に分けて食べました。とても濃厚で美味しいヨーグルトですが、多分、日本ではなかなか手に入らないでしょうから残念です。今まで食べた中では、ネパールのバクタプル名物・ズーズーダウというヨーグルトに次ぐ、至高の美味です。日本で食べるヨーグルトとは比較にならない美味しさです。

 この日も明日のアヌラーダプラ散策に備えて早く寝ようとしましたが、夕方から宿の外で謎の音楽(スリランカの民謡のような)が大音量で鳴り出し、夜遅くまで爆音を響かせていたので、なかなか寝付けませんでした。スリランカの中部地域はコロンボ辺りよりも気温が高めなのですが、ここアヌラーダプラはなおさら暑さが厳しいので、ファンを切ってしまうと(ファンを付けて寝ると風邪をひきます)猛烈な暑さとの闘いになります(夜中でも30度を下回りません)。小さな蚊帳にくるまると、更に蒸し暑く感じます。

 

「サルガド・ホテル&ベーカリー」 ブリヤーニ(約350Rs)、ジュース

 

カード(水牛ヨーグルト/220Rs)にハニー(トリックル・ヤシ蜜/一瓶 280Rs)をたっぷりかけていただくと、超美味なのです。 ( ^^) _U~~ (カードが入っている素焼きの器は、内径が13cm位あるので、蚊取り線香立てに丁度ピッタリでした。) 

 

 「スリランカ写生旅行」17日目、6月22日(水)。朝、目覚めると、首から肩の辺りが汗でびっしょり濡れていました。昨夜の音楽もあり、眠りはかなり浅かった上に、今までの旅の疲れもたまって来ているようで、少しボ~ッとしています。(今思うと、軽い熱中症だったのかも知れません。)それでも、朝食のパンとバナナを食べると、7:00過ぎには自転車でアヌラーダプラの遺跡に向かいました。途中でアヌラーダプラ駅に寄って、25日のコロンボ行きの列車の予約をしました。アヌラーダプラからコロンボまでの「インターシティ・エクスプレス」2等車(450Rs)です。

 まずは「スリー・マハー菩提樹」から見物。この菩提樹は、紀元前3世紀にインドのブッダガヤの菩提樹の分け木を植樹したものと言われており、スリランカ人が最も崇めている菩提樹です。思った程は巨大ではないのですが、早朝から大勢の参拝者に囲まれて、厳かな雰囲気が漂っています。私はかつてインドのブッダガヤで拝見した菩提樹を思い出していました・・・。ここでF4号スケッチブックに1時間余り写生しました。次に、図書館にミニ博物館が併設された施設で、アヌラーダプラ遺跡入場券(一日3550Rs)を購入し、館内を見学。

 アヌラーダプラ遺跡地区は南北5㎞、東西2㎞という広い地域に広がっているので、自転車で移動するにも時々道に迷ったりして大変です。「ジェータワナ・ラーマヤ」というダーガバ(仏塔)を見物。高さ約70mの巨大な仏塔です。次に、アヌラーダプラのシンボル「ルワンウェリ・サーヤ大塔」を拝見。真っ白に塗られた高さ55mの巨大で美しいダーガバです。塔の土台の周囲にはゾウの彫像がずらっと並んでいて、壮観です。この大塔の所で、スリランカ人の親子に話しかけられ、「あなたは先程、スリー・マハー菩提樹を描いていたが、完成したのなら見せてほしい。」と言われて、スケッチブックを見せてあげました。親子はしきりに感心していました。スリランカの人は気さくで良い人が多いです。

 自転車で移動して、「民俗博物館」(別料金300Rs)を見学。小さな博物館ですが、民俗学に関心の高い私には、なかなか興味深い展示内容でした。近くの考古学博物館は休館のようです。ガイドブック「地球の歩き方」では、この博物館内にチケットオフィスがあると書いてあり、先程の図書館(ミニ博物館)は地図にかろうじて「図書館」と記載してあるだけなので、ややこしいです。最初、図書館がこの考古学博物館だと思い込んでいたので、地図の位置感覚が分からずに、余計に道に迷ってしまったようです。次に、「トゥーパーラーマ・ダーガバ」を見ました。高さ19mの白いダーガバです。アヌラーダプラはポロンナルワとは違って、観光客がほとんどいないので、ゆっくり見物できます。

 時刻は2:30頃、そろそろ疲れて来たので今日はここまでにしました。帰りに、「ホテル・シャリニ」という中級ホテルに立ち寄ってアヌラーダプラの最終日の一泊を予約。通常、一地域では一つの宿に滞在を定めて観光するのが最善ですが、アヌラーダプラの最終日だけでも、少しだけ贅沢をしたいと考えました。安いホテルは設備や周辺環境に不備がある場合が多く、一泊1000円以内のゲストハウスに長期宿泊する旅は、後半、かなり疲労困憊になるものです。プチ贅沢といっても、「ホテル・シャリニ」は朝食込みで一泊4000Rs(部屋代3500Rs、朝食500Rs)と安いものですよ。

 遅めの昼食は、宿のベーカリーで、チキンカレー(340Rs)、ジュース2本を食べました。このベーカリーは安くてなかなか美味しいです。

 

「スリー・マハー菩提樹」

 

「ルワンウェリ・サーヤ大塔」

 

 今まで、もっと過酷な旅を幾多と経験して来た私ですが、さすがに年なのか、今回の旅では、終盤、少々バテ気味になって来ました。昨夜の騒音と暑さが追い打ちをかけたのでしょうか・・・。

 夕食は菓子とバナナで軽く済ませて、この日も早めに眠りについたのですが、浅い睡眠の中、夜の7時過ぎから明け方まで音楽の騒音が聞こえていました。更に夜には猛暑が襲って来ますし、蚊取り線香をもくもくとたいていても、明け方には蚊が数匹刺して来ます・・・。

 私の”旅の直感”なのか、アヌラーダプラの最終日に中級ホテルを予約しておいたのは、後ほど功を奏する事になります。

 

 では、アヌラーダプラ遺跡巡り2日目は次回に続きます。

 

  日本画家・絵本画家 後藤 仁

 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 〔近況報告です〕

 2016年11月29日は、日本児童出版美術家連盟(童美連)の、『2016童美連サロン4「今、大活躍の絵本編集者をお招きして!」』 に参加しました。

 チャイルド本社の浅野久美子さん、くもん出版の堤 嘉代さんをお招きしての講演・質疑応答でした。今、最も現場で動いている、お二方のお話は誠に為になるものでした。浅野さんとは、先日の「太田大八さんをしのぶ会」の後のカラオケ会で、黒井 健さんらと共に歌ったばかりです。

 質疑応答は星野イクミさんの司会進行で行われたので、終始、和やかな雰囲気で、わざわざお越しいただいた編集者に結構気を使われた感じでした。ただ、編集者を戸惑わせる位の作家ならではの鋭い質問はなかったので、余程、私も質問したいと思いましたが、ここは今の童美連 事業部 部長・副部長の高木さんご さん、石川日向さんの方向性にお任せしました。

 時に私は、あまりに相手の深層(本心)をつく意見を述べる場合があるので、今までも多くの画商(絵本業界で例えると、出版社編集者と出版社経営者と営業担当者を合わせたような存在)と上手く行かない場面があったのかなと反省しなければいけない部分もありますね・・・。ただ、それ位の意見を述べ合えても続く関係が、本当は最も良い作品が生まれる環境とも言えるのですが・・・、なかなか今の時代では難しそうですね。

 

 12月3日は、午前中のNHK文化センター柏教室「デッサン入門講座」の講師(私が教える日本画・水彩画・デッサンの5つの教室の中では一番人数が多いです)を終えた後、松戸の「松戸神社・神楽殿」が修復され杉戸絵・天井絵が一般公開されているというので見て来ました。明治時代の作品ですが、なかなか良い絵です。

 

 12月8日は、新作絵本制作の打ち合わせに巣鴨まで行って来ました。まずは、巣鴨の「とげぬき地蔵尊・高岩寺」に参って、塩大福を購入。巣鴨の絵本出版社というと、日本の絵本出版社の最大手・福音館書店と思うでしょうが(福音館書店ビルでも、前の絵本制作時に打ち合わせをしましたが)・・・、今回は素通りして、実は老舗児童書出版社の鈴木出版(すずき出版)なのですね。

 打合せ時間の1時間前に着いたので、近くの「六義園」に寄って(最初からその予定だったのですが)、蓬莱島をSM号スケッチブックに20分ばかりスケッチ。その後、鈴木出版で絵本制作の打ち合わせをして帰って来ました。来年9月出版予定の月刊絵本「こどものくに」であるとまで言っておきます。詳しい内容はまだ話せませんが、良い絵本になりそうですので、お楽しみにしていて下さい。

 

鈴木出版(すずき出版)

 

「六義園」 この季節 紅葉がきれいでした~

 

 12月18日東京造形大学「絵本講師」の履歴書(学歴、職歴、著作物・展覧会の経歴 等)は、非常勤講師といえど10枚も書かないといけないので、内容をまとめて書き終えるのに3日もかかって(もちろん他の仕事をしながらですが)、この日、無事送付しました。一応、内定しているとはいえ決定している訳ではないので、後は選考審査を待つのみです。

 週に1回、3時間だけの「絵本講義」ですが、通勤に往復5時間余りかかるので、制作やその他の雑事も加えて、来年はますます大変になりそうです。

 

 12月20日は午前中、鈴木出版(すずき出版)の新作絵本用のパネル製作を途中まで行いました。パネルを画材店で購入すると案外高いので、手間はかかるのですが、ほとんどの場合は自分で木材を買って来て作るのです。

 昼過ぎから日本児童出版美術家連盟(童美連)の著作権部部会で、今後の「著作権勉強会」のあり方について話し合いました。次に、童美連理事会に出席し、その後、伊勢丹新宿店の「宇野亞喜良 展」に立ち寄ってから、童美連忘年会に参加しました。定員の60名で大いに歓談しましたが、毎年開催されて来た居酒屋も今年限りで閉店するとの事で、私はまだ3度目の参加ですが、時代の流れを感じます・・・。

 閉会後、猫のダヤンで有名な池田あきこ さん、絵本作家のひらてるこ さん、東京造形大学の講師でもある小宮山逢邦先生、沢田真理先生らと共にカラオケをしました。池田さんはダヤンのように大騒ぎ~、何て元気な人なんだ。ひら さんの沖縄民謡は超上手でした。私はもっぱら、松山千春やさだまさし、佐野元春 等のニューミュージックという今ではほとんど死語となったジャンルを熱唱します。

 

 12月26日27日は、「第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会」(市川グランドホテル)に参加しました。昨年は仕事の都合がつかずに2日目だけしか出席できなかったので、今年は予定を組み込み全日程参加しました。

 1日目、26日は、絵本作家・イラストレーターの村上康成さんの講演「絵本をめくる、めくるめく時 ~自然の歌をききながら~」を拝聴。釣り好きの村上さんのお話は、とても面白いエピソードばかりで楽しめました。村上さんの絵本作品の、余白を活かしたシンプルなデザイン表現は、実に洗練されています。村上さんのサイン会では、絵本『ピンクとスノーじいさん』(徳間書店)を購入してサインをいただきました。ここでも、サイン会の補佐役をされていたチャイルド本社 編集部の浅野久美子さんにお会いしました。

 夜5時からは「年の暮れ集会 児童文学作家・画家・編集者を囲む交流会」がありました。私は今年も一会員として参加しましたが、日頃から童美連 等でお世話になっている方や、お久しぶりにお会いする方や、初めてご挨拶する方もおられました。会場は、200名弱の作家や編集者や会員で大いに盛り上がりました。

 最近、私は少々疲れ気味でもあり、家まで自転車で30分余りかかるので、二次会には出ずに、この日は一旦帰りました。

 

 2日目、27日は、童心社 編集長の大熊 悟さんの講演会「ずっと子どもと もっと子どもと ─ 児童図書と紙芝居について」を聴きました。絵本や紙芝居に対する真摯なお考えが垣間見えて、大いに共感する部分がありました。

 童心社や福音館書店 等の絵本出版社は、「絵本」に対する制作理念がしっかりしているのが良い所です。それでも、これからの時代は厳しい時代になっていく事でしょう。童心社からは前に私にも絵本制作の打診があり、アトリエで打ち合わせまでしたのですが、なかなか内容がつめられずに延び延びになっています。近年の出版不況で絵本業界も保守的にならざるを得ないのか、バブル期以前に出版実績が豊富にあるベテラン作家の方に依頼が集中し、若手が絵本を出版するのは極めて困難になっています。まれに40代以下の若手作家で売れっ子の人もいますが、その多くは大衆迎合しやすい軽くて通俗的で、崩しマンガ的な(本来のマンガのレベルに到達していない)作風の絵描きばかりです。(私はマンガやアニメの本質的な芸術性を高く評価しており、手塚治虫、水木しげる、萩尾望都、松本零士、矢口高雄、宮崎 駿さん等は大好きなのですが、その流行に乗じた低品質のマンガもどき作品が膨大にあるのを懸念しています。)本当に才能のある新人がどんどん作品を出して行ける世の中でないと、日本画も絵本も・・・文化全体が先細りして行くのは目に見えています。しかし、世界中の現状を考慮すると致し方無い事なのかも知れません・・・・。私などは微力ながら、一芸術家として、ただただ頑張るのみです。

 こうして、この2日間は誠に充実した時間となりました。この集会が今年最後の大イベントで、後は少しずつ鈴木出版の新作絵本制作を進めながら、大掃除をして、年を越すだけです。しかし、本格的な絵本作画は来年からになりそうです。

 

 

「第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会」 絵本作家・イラストレーター 村上康成さんの講演  最後はウクレレ演奏もご披露~

 

「児童文学作家・画家・編集者を囲む交流会」 この本だいすきの会・代表 小松崎進 先生のご挨拶

 

村上康成さんと私

 

児童文学作家 内田麟太郎 先生と私

 

絵本作家 小林 豊さんと私

 

絵本作家 きむらゆういち さんと私

 

絵本作家 長谷川知子さんと私

 

「第35回 この本だいすきの会 年の暮れ集会」 最後の大団円

 

 今年も制作から雑事まで実に忙しい一年になりましたが、東京造形大学の絵本講師や新作絵本制作の本格化 等、来年は今年以上に忙しくなる事は間違いないでしょう。変にマメな私は、空いた時間を見ては、できるだけフェイスブックやブログ等に近況や思った事をまとめてきましたが、来年4月以降は今までほどネットにアップする事も不可能になるでしょうかね・・・。

 今年一年誠に有難うございました。来年が皆様にとって良い年になります事を願って、来年もよろしくお願い申し上げます。

 

  日本画家・絵本画家 後藤 仁

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 私はおよそ20年前の1996年に、東京藝術大学 美術学部絵画科 日本画専攻を卒業したのですが、競争率20倍以上(当時の日本画専攻)の日本屈指の難関大学といえど、所詮は学生・・・卒業してから”絵”を続ける方がはるかに困難な路なのです。とはいえ、ごく最近は東京藝大の優位性・存在価値もほんの少しずつながら低下気味のようですが、今もその重厚な存在感は美術・芸術界で抜きん出た地位を占めています。一つの評価指標でしかありませんが、美術系の文化功労者・文化勲章受章者の大半が東京藝術大学卒業生だそうです。

 しかしながら最近、絵本業界で活動していると、若いイラストレーター・絵本作家になるにつれ東京藝大の”すごみ”を知らないようですね。東京藝術大学の”すごみ”というのは、入学する難しさや描写技術の高さや「肩書」だけなのではなく、そこを出身とする芸術家の歴史的な層の厚さと人脈の強大さなのです。日本画家はいうまでもなく、横山大観、菱田春草から始まり、高山辰雄、東山魁夷、平山郁夫、加山又造、中島千波、千住 博 先生まで著名日本画家のほとんどが東京藝術大学卒業生です。絵本作家では、いわむらかずお さんや西巻茅子さん、最近では酒井駒子さん等が有名です(酒井さんは油画専攻ですが、私とほぼ同期です)。  

 日本美術史をさかのぼると枚挙にいとまがないので、東京藝大の権威や作品レベルもやや落ちつつあると考えられる昨今ですが、私が在籍していた頃だけ、今すぐ思いつく分だけを見てみましょうか・・・。

 

 私が大学時代に最も仲良くしていた日本画専攻の同じクラスの3~4人のメンバーの中に、文部省か文化庁の役人(記憶が少々あいまいですが、その当時には省庁を辞められて大学教授をしていたらしく、平山郁夫 先生とも知り合いだったそうです)の娘さんがおりました。彼女は随分と個性的で面白い人でしたが、その後、有田焼の家元・酒井田柿右衛門の息子さんと結婚しました。そんなご縁で、柿右衛門邸を案内していただいた事もあります。お二人の結婚披露パーティーでは、千代田区の一等地にある彼女のマンションで、お二人らとともに垂れ幕等の制作をしました。酒井田 君が案外不器用だった印象もありますが、威張り気のないとても人のいい方です。その酒井田 浩 君も2年前位に15代 酒井田柿右衛門を襲名して、先日はNHK番組に出演しているのを見ましたが、彼も今では日本伝統工芸界の大物の風情です。

 日本画専攻の私の少し後輩には、千家十職(せんけじっそく/茶道に関わり三千家に出入りする十の職家を表す尊称)の一つで京焼の家元・永樂善五郎のお孫さんもいました。彼とは金唐革紙(きんからかわし/手製高級壁紙)の復元製作で一緒に仕事しましたが、「手が痛い痛いで・・・」と嘆きつつ、一か月程で彼は辞めていきました。彫刻科の後輩には、関西で有名な竹工芸作家家系の田邊竹雲斎の息子さんの田辺小竹 君もいました。彼は私と同じ大阪市立工芸高校 美術科の卒業生でもあります。最近は日本の百貨店や海外でも個展を開催して活躍しています。日本画専攻の少し先輩には、上村松園のひ孫さんもいました。このように東京藝術大学には、著名で歴史的な日本画家や職人家系のご子孫が多く在籍しているのも特徴です。

 

 当時の日本画専攻 博士課程には村上 隆さんが在籍していましたが、私は美術予備校・立川美術学院 日本画科でも彼にデッサン・水彩画(着彩)を学びました。彼は大学卒業後、現代アートの路を歩み、日本を代表する現代アートの奇才になったのはいうまでもありません。私が藝大に入学する少し前には千住 博 先生が在籍していました。先輩に聞くと、医者の息子の千住 先生は、当時スポーツカーで学校に通って来ていたらしく、教授から「苦学生もいるのだから止めてくれないか・・・。」と言われる位の羽振りだったらしいです。

 さらに、日本画専攻の少し先輩にはタミヤ模型の社長の娘さんもいましたし、私と同じクラスには神奈川県で1~2を競う富豪の家柄だとか噂される娘さんもいました。このように学内に、社長・会長や富裕階級のご子息・ご息女が多いのも東京藝術大学の特徴です。

 教授陣も当時は、平山郁夫 学長をはじめ、名誉教授に高山辰雄 先生、教授に加山又造、後藤純男、田淵俊夫、福井爽人 先生 等、当代の超一流日本画家が教えていました。現在の東京藝大 日本画専攻の教授陣は、当時と比べると見劣りする感は否めません。

 

 その他にも、美術大学で講師をしたリ各分野で大活躍する美術家・日本画家等が、先生・先輩・同輩・後輩に数えきれないほどいるというのが東京藝術大学の本当の恐ろしい所であり、”すごみ”なのです。東京藝術大学 日本画専攻のクラスの半分位は、著名な作家の家柄や裕福な家系の人々で、残りの半分が私のような中流階級から少し貧しい家庭の子供なのです。また、3分の2以上は首都圏出身者で、地方出身者は極めて少ないです。当然ながら前者の方が将来出世する可能性はぐんと増しますので、私のような地方出身の一般人は相当苦労する事になるのですが・・・。

 しかし、それらの全ての方々と今も交流が続いているという訳ではありませんが、若い頃から、いわゆる一流作家の人脈の中で勉学できた事は、今になって考えるととても良い環境であったかと思っております。学生時代には権威・権力に対する矛盾・反発を感じた事も度々ありましたが、年を経て今振り返ると、良い面悪い面があるにせよ、実に素晴らしい経験だったと思うのです。

 

  日本画家・絵本画家 後藤 仁

 

「美術予備校・立川美術学院 体育祭」(1989年10月) 村上 隆さん、中村寿生 君と私。現在は現代アートの第一人者として知られている村上 隆さんですが、当時は東京藝術大学 日本画専攻の博士課程に在籍し、立川美術学院 日本画科で講師をしていました。左は美術学院の同級生の中村寿生 君(現在、文星芸術大学 日本画専攻 准教授・講師)。

 

「酒井田柿右衛門 邸 ─ 柿右衛門の名の由来になったという柿の木の前にて」(1999年8月) 酒井田 浩 君(14代柿右衛門 長男。現在、15代柿右衛門)と私。

 

佐賀新聞 (2014年3月29日): 十五代柿右衛門さん襲名 450人が祝福

 http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/57310

 

 お偉くなったからか、近年さっぱり連絡をくれなくなったが、私の同級生だった酒井田晶子さんもお元気そうですな。あれ、お子さんもいるのね~    

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 

ながいかみのむすめチャンファメイ 表紙・表

絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店こどものとも) 表紙

 

『最近、「絵本」を語る日本画家に思う事』  

 

 それにしても、ここ2~3年、やけに日本画家「絵本」を描いたり、「絵本原画展」を開く機会が多くなりましたね。それ以前はインターネットをほとんど見ていなかったので気が付かなかっただけかも知れませんが・・・。かく言う私も、2004年と2007年に開催した私の日本画個展に、福音館書店の編集者が来られてから、子供の頃(幼児期~中学校の頃)に憧れた「絵本」の魅力を思い出したわけですが・・・。

 ただ、それまでにも、卓上芸術である「物語絵」「絵巻物」を描きたいという強い思いがありましたので、それが「絵本」の世界観と自然に通じたわけです。現代の日本画は、写実的な風景画や写真的な現代女性の人物画が全盛で、会場芸術の大作主義が主流ですが、私の求める世界とは少し異なるのです。私は元々、物語性のある人物画(美人画)が得意なので、人物を描くケースが多い「絵本画」に合っていたという事実もあります。

 今の時代、「日本画」の売り絵だけで食べて行くのは至難の業です。日本画の世界はプロとセミプロ・アマチュアの区別がはっきりしていないですが、本格的に制作をしているプロの日本画家と言える人は500人足らずだと思います。その内、それなりに世間で名の知られた日本画家は100~150人位で、私もその一人に入るでしょう。更にその中で、一生を絵だけで食べて行ける日本画家は、多分、25~30人位しかいないと思います。それらのほとんどは団体展で高価値を付与されているか、商売の上手い人です。ただし、最上位の10数人は富豪と言われる豪奢な生活をしています。絵だけで食べて行けない、その他の95%位の日本画家は、絵画講師等の何らかの副業をしながら絵を描くか、裕福な家系のご子息・ご息女かです。日本画をプロとして10年以上継続できている人は東京藝術大学の日本画専攻卒業生(毎年26名)でも3分の1位の人(8~10名)だけで、美術大学卒業後5年以内に、絵の路を断念して絵筆を折る作家が大半です。

 当然、そんな苦しい環境下で、皆さん色々試行錯誤する事になります。その悪い方向性として、現代の日本画家はすぐに他人のマネ(模倣)をしたがる嫌いがあります。ある作風・やり方(展開方法)が売れると(評価されると)、同輩・後輩がすぐにそのマネをします。例えば、東京藝術大学の日本画専攻では、私の在学していた頃に流行していた作風(田淵俊夫先生や福井爽人先生辺りの作品を模倣)が、20年後の今でも描かれています。この悪癖が今の日本画界のマンネリ化・類型化と衰退の加速化を助長しているとも言えるのですが・・・。思い過ごしかも知れませんが、私が「絵本」の世界に本格的に歩み出した頃から、私の周囲の日本画家が、今まで興味がないように見えた人までも、突然「絵本」「挿絵」等と叫び出した気がします。

 ただ、「日本画」の世界と同様、絵本・挿絵といった「出版美術」の世界も、長引く出版不況やデジタル化の波もあって、相当厳しい世界である事には変わりありません。中途半端に活動するのなら、何をやっても同じ事でしょう。もし、日本画家で「絵本」を目指される方がいるなら、本気で本腰を入れて事に当たらないと、絵本作家やイラストレーターの方にとても失礼な事になるでしょうね・・・。

 

 「絵本」の歴史を振り返ると、昔(明治の頃)は絵本作家・絵本画家や挿絵画家という職業意識はなく、日本画家(浮世絵師を含む)や洋画家が依頼されて絵本や挿絵を描いていました。大正・昭和時代以降、印刷美術・出版美術を活動主体とするデザイナー・イラストレーターが登場し、戦後、絵本の隆盛につれ絵本作家・絵本画家という職業が確立されて行きました。近年では、日本画家の秋野不矩先生や堀 文子先生等が絵本の世界でもご活躍し、かつては東山魁夷先生や稗田一穂先生等も絵本を描いていました。ただ、それらの作家は日本画家として確立された先生方なので、絵本は片手間の感をぬぐえません。日本画を用いた絵本作家では、赤羽末吉さんが有名ですが、赤羽さんの場合は逆に日本画はほぼ独学に近いので、さほど本格的な日本画家とは言えません。

 かつてはこの様に、日本画家等の純粋美術作家が「絵本」の作画を依頼されるケースが多かったのですが、現代では「絵本作家・絵本画家」という職業意識も確立していますので、やはり、日本画家があまり安易な見識で「絵本」を描くのは、それを活動主体とする絵本作家・絵本画家・イラストレーターの方々に失礼というものでしょう。

 そんな理由もあって私は、初絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店こどものとも)を出版した3年前位に日本児童出版美術家連盟(童美連)に所属し、日本画界での約33年(プロとして約20年)という長い経歴と自負を抑えて、絵本作家・イラストレーターの皆様に首を垂れ、絵本とその業界を基礎から学びたいと考えたのです。

 

 現在私は、日本画のオリジナル作品を描きながら、絵本の制作を並行しています。今、福音館書店「こどものとも」の新作絵本の制作が既に3年余り進んでいて、完成までには更に数年かかりそうです。また、来年出版予定の鈴木出版(すずき出版)「こどものくに」の新作絵本制作も進行中です。福音館書店「こどものとも」は1956年(昭和31年)創刊で、創刊号の絵は堀 文子先生によるものです。鈴木出版「こどものくに」は1967年(昭和42年)創刊なのでほぼ私と同じ年です。いずれも日本の月刊絵本を牽引してきた歴史ある有名な絵本シリーズです。

 私は、幼少期にはオリジナル漫画・紙芝居やイラストを描き、中学生の頃はアクリル空想画を描き、高校では大阪市立工芸高校美術科で本格的に日本画・油絵・彫刻・デザイン・製図・版画等を学びました。東京藝術大学日本画専攻で更に日本画を追求し、その頃から約12年間、金唐革紙(きんからかわし/金唐紙 きんからかみ、とも言う)という手製高級壁紙の復元製作を手掛けた経験もあります。私の伯父でもある、からくり人形師の後藤大秀さんの、からくり人形・能面制作から大きな影響も受けています。

 このように様々なジャンルが垣根を超えて交流し、折衷されては、また独立し、切磋琢磨していくのが本来の”ものづくり”の原点なのかも知れません。私も、もちろん路半ば、まだまだ修行の途上でしかありません。

 

 日本画家・絵本画家 後藤 仁

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

『大垣祭り』 ユネスコ無形文化遺産に登録決定!! 

 

 私の伯父で、からくり人形師の後藤大秀が制作した「からくり人形」が乗せられて披露される、岐阜県大垣市の『大垣祭り』〔大垣祭の軕(ヤマ)行事〕が、昨年、「国重要無形民俗文化財」に指定され、12月1日、「ユネスコ無形文化遺産」に登録決定いたしました。その他にも、伯父は、愛知県半田市の「亀崎潮干祭の山車行事」のからくり人形修復等も手掛けています。  

 2009年には、後藤大秀が「全国山・鉾・屋台保存連合会 人形関係修理技術者」に認定され(全国で3名のからくり人形師のみ認定)、その技術の確かさが公の機関によって保証されました。

 伯父の「からくり人形」が活躍する『大垣祭り』 『亀崎潮干祭』の魅力が、日本中・世界中に広がっていくのはうれしい限りです。毎年5月に岐阜県大垣市で『大垣祭り』が開催されますので、ぜひ見に行って下さい。

 

 日本画家・絵本画家 後藤 仁

 

 

からくり人形・能面展

名古屋市博物館「後藤大秀 からくり人形・能面展」にて 後藤大秀と後藤 仁(2007年8月撮影)

 

大垣祭り 相生山「神主友成」

大垣祭り 相生山「神主友成」(後藤大秀 作/1995年撮影)

 

 

【今回、ユネスコ無形文化遺産に登録された中で、後藤大秀が復元制作・修復を手掛けた山車】

 

●からくり人形 復元制作

 大垣祭の相生山 「神主友成」「住吉明神」「尉」「姥」

 大垣祭の愛宕山 「武内宿禰」「神官人形(狂言師人形)」

 大垣祭の浦嶋山・布袋山 「采振り童子」

 大垣祭の布袋山 「倒立唐子人形」

●からくり人形 修復

 大垣祭の菅原山、榊山、愛宕山、神楽山(三輌山)

 半田市 亀崎潮干祭の東組宮本車

 

 なかでも、大垣祭の相生山「神主友成」復元制作では、昔の人形は過去に紛失していた為、古い写真一枚と古老の証言のみを基に全てを一から制作したので、この場合はほぼ完全創作と言えます。

 

 

大垣市 公式ホームページ : ユネスコ無形文化遺産「大垣祭の軕行事」紹介動画を公開中!

ユネスコ無形文化遺産 山・鉾・屋台行事「大垣祭の軕(やま)行事」

http://www.city.ogaki.lg.jp/0000002628.html

 

大垣観光協会 公式ホームページ : 大垣・西美濃観光ポータル水都旅

大垣まつり

http://www.ogakikanko.jp/event/ogakimaturi/

 

大垣地域ポータルサイト西美濃

大垣まつり特集2016

http://www.nisimino.com/nisimino/tokusyu/ogakimaturi/#&slider1=12

 

 

【ニュース報道】

 

首相官邸:「山・鉾・屋台行事」ユネスコ無形文化遺産登録に当たっての総理メッセージ

http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20161201message.html

 

外務省:「山・鉾・屋台行事」のユネスコ無形文化遺産代表一覧表への記載決定(外務大臣談話)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/page4_002549.html

 

外務省:「山・鉾・屋台行事」のユネスコ無形文化遺産保護条約「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」への記載についての審議結果

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_003981.html

 

NHKニュース:山車が登場する33の祭り ユネスコ無形文化遺産に登録決定

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161201/k10010790831000.html

 

FNNニュース:「山・鉾・屋台行事」33件の無形文化遺産登録を決定 ユネスコ

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00343282.html

 

朝日新聞ニュース:山・鉾・屋台行事、無形文化遺産に登録決定 ユネスコ

http://www.asahi.com/articles/ASJD10P5GJCZUCLV01B.html

 

毎日新聞ニュース:無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」登録を決定 ユネスコ

http://mainichi.jp/articles/20161201/k00/00m/040/114000c

 

産経ニュース:「山・鉾・屋台行事」登録を正式決定 和食、和紙などに続き国内21件に

http://www.sankei.com/life/news/161201/lif1612010007-n1.html

 

時事ドットコムニュース:無形文化遺産に「山・鉾・屋台」決定=18府県33件の祭り-ユネスコ

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016120100044&g=soc  

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

♡スリランカの子供達に「絵本」を贈ろうプロジェクト♡  

 

 船旅なのでかなり時間がかかったようですが、ようやく「絵本」がスリランカに届きました!!!無事に届いてひとまずホッとしました。

 後は、スリランカの子供達に有効に活用していただける事を願っています。

 

 日本画家・絵本画家 後藤 仁

 

スリランカのスランガニ基金(代表:馬場繫子さん)に届いた「絵本」とスタッフの皆様

 

スリランカ寄贈絵本

私の作画絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店こどものとも)、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)、挿絵本『おしゃかさま物語』(佼成出版社)  

 

【今までの経緯】

 私は、2016年6月に3週間かけて「スリランカ写生旅行」に訪れました。その際に、日本でもよく知られたスリランカを代表する絵本作家のシビル・ウェッタシンハさんにお会いしました。(その時の模様は、このブログにも書いています。)

 シビル・ウェッタシンハさんが顧問を務めるボランティア団体・スランガニ基金が、スリランカの子供達に「絵本」を寄贈するご活動を長年されている事に共感しました。私もかねてより「絵本寄贈プロジェクト」を進めており、作画絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)を、東北の被災地をはじめとする日本中の学校・図書館・児童施設等に、今までで1000冊以上寄贈して来ました。その他、海外では、中華人民共和国やブータン王室 等にも絵本寄贈をして来ました。また今後、ネパールの被災地や熊本地震の被災地(私の親戚も地震に遭いました)等への絵本寄贈も考察しています。

 今回は、『スリランカの子供達に「絵本」を贈ろうプロジェクト』を計画しました。私が「絵本」をスリランカに送り、スランガニ基金のご協力でスリランカの子供達の手に届く予定です。日本児童出版美術家連盟(童美連)の絵本作家にも声をかけて、多くの作家の直筆サイン・メッセージ入りの「絵本」をスリランカの子供達に贈るという内容で、私は作画絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)26冊、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)1冊、『おしゃかさま物語』(佼成出版社)3冊、を寄贈しました。

 寄贈絵本をまとめて、8月8日にスリランカへ送付しましたが、この後も各地への「絵本寄贈プロジェクト」は継続して行きたいと考えています。

(ご注意:スランガニ基金では一般の方からの絵本寄贈を受け付けていません。ご支援をお考えの方は、基金の公式ホームページからアクセスして、寄付金という形でお願い申し上げます。)

 

【寄贈絵本目録】

私の作画絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店)26冊、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)1冊、『おしゃかさま物語』(佼成出版社)3冊、計30冊。藤本四郎さん『ねずみのえんそく もぐらのえんそく』(ひさかたチャイルド)。浜田桂子さん『あやちゃんのうまれたひ』(福音館書店)、『おとをつくろう』(中西智子 監修/福音館書店)、『月刊かがくのとも わらう』(福音館書店かがくのとも)、計3冊。黒川みつひろ さん『絵巻えほん 恐竜たち』(こぐま社)、恐竜絵本シリーズ(小峰書店)、計10冊。高木さんご さん『せんたく ねこさん』(ひさかたチャイルド)、3冊。中嶋香織さん『おつきさま なにみてる』『おひさまさんさん おはようさん』(岩崎書店)、計2冊。嘉村靖子さん『おばけのだっこ』(タリーズコーヒージャパン)、『へんしん まるちゃん』『おでかけ まるちゃん』(ユニバーサルデザイン絵本センター)、計3冊。   総計52冊。

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 最近、妙に絵本関係の行事が重なり、私のアトリエの訪問客も多くて忙しいですね。最近の主な出来事を、この機会にまとめてみましょうか。

 

 2016年9月19日は「長野ヒデ子絵本原画展」(児童書店ハックルベリーブックス、柏市)があり絵本作家・長野ヒデ子さんのトーク・サイン会に客として参加。長野さんの講演風景をSM号スケッチブックに軽くスケッチしてみました。長野さんには、私が初絵本を出版した後の3年前位から、黒井 健さん、浜田桂子さん、小泉るみ子さんらと共にとてもお世話になっております。その前は長く日本画家・純粋美術作家、美術誌・画廊・百貨店関係者等との交流が主体で、絵本作家・児童書出版社との接点はほとんどありませんでした。ちなみに私の日本児童出版美術家連盟(童美連)の入会ご推薦者は、黒井 健さんと浜田桂子さんです。

 25日には、同書店で長野ヒデ子さんとNHKディレクターの岩田真治さんのギャラリートークがありました。岩田真治さんは、とても優れたヒューマンストーリー番組を手掛けられている方です。長野ヒデ子さんの絵本『ひらがなにっき』(解放出版社)と、NHK「ETV特集」の制作エピソードのお話でしたが、日本にも根強く残る差別・偏見についての深い内容に、多くを考えさせられるものでした。長野さん方の世代の絵本には、このような深い人間洞察に基づいた作品が多いのが良い所です。その後、皆さんでお食事をして、夜には映画「ある精肉店のはなし」(纐纈あや 監督、やしほ映画社・ポレポレタイムス社)を鑑賞しました。この映画は差別と食を主なテーマにしたもので、屠畜の衝撃的なシーンから始まる、人間の食意識を考えさせられる深い話でした。私はネパールでいけにえにされて首を切られた水牛と羊を見た事がありますが、人間はこうして他者の命をいただいて生きているという事実を、改めて考える機会になりました。日本画の「膠」も牛の軟骨等から作ります。そう考えると、あらゆる場所で他者の恩恵の元に人は生きているのだという事実を知らされるのです。そしてその大切な仕事を担っている方々への、差別や偏見の愚かさを知る事となるのです。

 今年は、映画「ラサへの歩き方」というフィクションとドキュメンタリーの間の佳作と、「ある精肉店のはなし」というドキュメンタリー映画の秀作を見る事ができて良かったです。

 

 9月30日、読売・日本テレビ文化センター金町「水彩画教室」講師の仕事を終え(気が付けば、柏の「日本画・美人画教室」と共にすでに10年間も教えています)、銀座の画廊・創英ギャラリー「7ベクトルの起点として」を拝見。美術予備校(立川美術学院)・東京藝術大学時代からの古い悪友の中村寿生と、文星芸術大学の教授・准教授たちのグループ展です。寿生(としお/あだ名のようにそう呼んでいます)は現代美術の村上 隆さんの後継者として、今頃世界を股にかけて大活躍しているかと思いきや、案外こじんまりと地方私立美大准教授・講師などに納まって、取手市で田んぼを作ったりしながら田舎暮らし風を謳歌しているが、まだまだこれからやってくれる器の人間であると期待しています。

 

 10月2日は「松戸まつり」を少し見て、松戸文化ホールのブラジル人作家のラウラ・カルバーリョさんの「ギャラリートーク・ワークショップ」に参加。たまたま前日、文化ホールの「松戸市小中学生観光絵画展」を見た後に、イベント準備中のラウラ・カルバーリョさんに出会い、これもご縁と出向いたのです。ブラジルの色と日本の松戸の色との違いについてのトークは、外国の方ならではの視点が垣間見えて、面白かったです。

 

 10月14日は、再び「長野ヒデ子個展」(Pinpoint Gallery、南青山)におじゃまし、長野ヒデ子さんとスリランカ旅行のお話等をしました。長野さんが中国の方にもらったという「冬虫夏草」を2匹いただいたので、家でスケッチした後、薬膳スープにして食べました。モンゴルの超堅いチーズもいただきましたが、生では堅すぎてなかなか食べれないので、焦げるほど焼いてから少しずつ食べました。

 

 10月31日には、日本著作者団体協議会(著団協)の研究会に参加しました。「著団協」というのは絵画・絵本・デザイン・文学・作詩・映画・演劇・写真・マンガ等の日本を代表する著作者団体21団体が共同開催する集会で、各団体の理事や部長クラスの方々が参加します。日本児童出版美術家連盟(童美連)からは、きたやまようこ さんが今まで務めて来られた役割を、力不足なのですが私が引き継いでほしいという事で、1年間、きたやま さんに付いて行って学びます。今日は、きたやま さんの都合が合わずに、しばはら・ち さんと一緒に参加しました。AI(人工知能)による文学作品制作の問題について、「日経 星新一賞」の選考委員もされたという日本児童文学者協会の東野 司さんが講義されましたが、とても面白い内容で、今後も創作者が注視していかなければいけない議題でした。

 

 11月1日、再び絵本作家・長野ヒデ子さんの講演会「かぞくと楽しむ絵本と紙芝居」が、松戸市民劇場ホールで開催されたので聴きに行きました。「子供の目線になるとは、人と人として子供に対等に向き合う事だ・・・」とおっしゃられた長野さんのお言葉が心に響きました。面白い中に深みのある軽妙な語り口は、私も学ぶ点が多々あります。

 

 11月8日は、日本児童出版美術家連盟(童美連)の会報誌「dobiren」No,45・2017年号の「も~っとあやしいアトリエ探検隊」の取材で、童美連会報部のタカタ カヲリ さんと福田紀子さんとすみもと ななみ さんが私のアトリエに来られて、日本画・絵本原画や多くの画材・資料を見ていただきました。掲載されるアトリエの見取り図は私が描きましたが、はたして良い記事になるでしょうか。「dobiren」は年に一冊の発行で、貴重な絵本作家の情報が満載された面白い冊子ですが、童美連会員しか見れないのは残念です・・・、つまり、童美連に入会すると見れるという事ですね。来たれ絵本作家、来たれ児童書イラストレーター!!

 

日本児童出版美術家連盟(童美連)会報部・アトリエ探検隊のタカタ カヲリ さんと福田紀子さんとすみもと ななみ さん。後ろは私の日本画作品。

 

 11月10日には、「新作絵本」の打合せで某老舗児童書出版社の編集者2名がアトリエに見えられました。出版社からの発表があるまで詳しくは言えないのですが、長い伝統がある絵本シリーズの来年度版の原画制作です。これから半年は制作が忙しくなりそうですが、おいおい経過をお知らせいたします。

 

 11月15日は午前中、デンマークのコペンハーゲンから来日された、IT University of Copenhagen 准教授の安岡美佳先生と、コペンハーゲン市の絵画・インテリア修復師のアナ・シモンセンさんが、私のアトリエに見えられました。今回の来日目的はデンマークの建築物から「金唐革紙 きんからかわし/手製高級壁紙」らしきものが発見され、その由来を調べられているそうです。金唐革紙製作の第一人者としても知られている私に、手掛かりを聴きたいという事で、3時間近く金唐革紙の資料解説をしました。

 その後、都心に出て、日本児童出版美術家連盟(童美連)の理事会に出席し、先日の日本著作者団体協議会(著団協)研究会の内容説明をしました。

 その後、童美連の創設者であり日本の絵本・児童書界に多大な功績を残され、先日、亡くなられた、太田大八さんを追悼する「太田大八さんをしのぶ会」が太田さん行きつけの蕎麦屋で開催され、童美連のベテランの方々30名位と出版社の方も何名か見えられました。出席者の中では私が一番若い方です。席の右には小泉るみ子さん、左に黒川みつひろ さん、正面に黒井 健さんという、すごい並びでしたが和気あいあいと話がはずみました。先日このブログにも書いた、黒井さんの絵本作品と私の絵本作品『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)「ザ・ホワイト・レイブンス 国際推薦児童図書目録2014」に選定されていたという逸話もこの時に話しました。童美連、現理事長の藤本四郎さんからは、「次の理事長は誰々(詳しくは言えませんが)にお願いし、次は誰々がいて、さらにその先には誰々と後藤さんがいるから心配しなくてもいい・・・。」などという酒の席とは言えご冗談が過ぎるお話も飛び出しましたが、童美連での役割も重くなる中、絵本業界の更なる発展の為にもますます責任感を持って行動しなければならないと思うようになって来ました。ただ、自分の制作と、来年からの東京造形大学絵本講師と、童美連の役目等とのバランスを取っていくのが、なおさら大変になって来そうですね・・・。

 その後、黒井 健さん、矢玉四郎さん他、ベテランの方数名に混ざって久しぶりのカラオケをしました。太田大八さんをしのびながらも、しんみりする事なく、お酒と若い作家との交流が好きだったという太田さんをしのぶ会にふさわしく、矢玉さんの尺八演奏等も飛び出しながら、面白い先輩方のお話と歌声に笑いが絶えない集まりとなりました。お別れに黒井さんと固い握手をかわし、家に着いた時は夜の12時をまわり、一日中、まるで政府要人のような過密スケジュールでした・・・。

 

IT University of Copenhagen 准教授の安岡美佳先生と、コペンハーゲン市の絵画・インテリア修復師のアナ・シモンセンさん。ご両人の手に持たれているのが、私が中心となり復元製作した「金唐革紙」の断片。私は作画絵本『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)を持っています。

 

 11月25日は朝から、ちひろ美術館・東京の「赤羽末吉 中国とモンゴルの大地」展を見に行きました。ちひろ美術館の常任顧問で絵本学会会長でもあり、いわさきちひろ さんのご子息の松本 猛さんには、私も所属する「絵本学会」の集会で何度かご挨拶した事があります。赤羽末吉さんは いわさきちひろ さんと並んで、私が最も尊敬する日本の絵本作家です。『スーホの白い馬』『あかりの花』(福音館書店)『王さまと九人のきょうだい』(岩波書店)等の名作絵本の原画もあって感動。私の作画絵本『犬になった王子 チベットの民話』(君島久子 文、後藤 仁 絵/岩波書店)の原話が載っている民話集『白いりゅう黒いりゅう』(君島久子 訳、赤羽末吉 挿絵/岩波書店)の原画もありました。この「犬になった王子」は、宮崎 駿さんの絵物語「シュナの旅」の原話になった事でも有名で、「シュナの旅」は後にスタジオジブリのアニメ映画「ゲド戦記」の原案にもなりました。君島久子先生からは「シュナの旅」の制作時に宮崎 駿さんから直接ご連絡があった逸話や、往年の赤羽末吉さんや太田大八さんのお話を度々伺っており、お三方とのご縁を感じずにはいられません。赤羽さんの中国でのスケッチや写真も展示されており、この展覧会は必見です。

〔補足説明:中国民話研究の第一人者の君島久子先生は、赤羽末吉さんと『王さまと九人のきょうだい』(岩波書店)『あかりの花』(福音館書店)等、太田大八さんと『チベットのものいう鳥』『月からきたトウヤーヤ』(岩波書店)等、村山知義さんと『しんせつなともだち』(福音館書店)、初山 滋さんと『たなばた』(福音館書店)、丸木 俊さんと『ふえをふく岩』(ポプラ社)等、小野かおるさんと『天女の里がえり』(岩波書店)等々・・・、日本絵本史を彩る絵本画家との名コンビにて多くの名作絵本・挿絵本を書かれて来られた絵本界のレジェンドです。そして君島久子先生との最新のコンビが私、後藤 仁という事になるのです。〕

 その後、根津美術館の「円山応挙」展を拝見。円山応挙は伊藤若冲、長谷川等伯と並んで、私が高校生の頃から最も尊崇する桃山時代~江戸時代の絵師です。近年は三者の人気が沸騰し、かつてはゆっくり鑑賞できた根津美術館でも今は人だかりでした。しかし、やはり応挙の筆使いは神妙で、国宝「雪松図屏風」重要文化財「藤花図屏風」「牡丹孔雀図」等の花鳥画の他、「西施浣紗図」「西王母龍虎図」等の美人画も絶品です。今ちょうど根津美術館の庭園は、秋の紅葉に彩られていました。

 その後、日本児童出版美術家連盟(童美連)の「第7回 著作権勉強会2016 ─ デジタル絵本での契約書体験談」を恐竜絵本作家・黒川みつひろ さんの講義で開催しました。絵本界の最先端の状況を詳しく知る事ができて良かったです。後はいつもの店で一杯・・・。お別れに黒川さんと固い握手をかわし、久しぶりの美術館鑑賞もできて充実した一日でした。

 

ちひろ美術館・東京

 

根津美術館 庭園

 

 

 その他にも、NHK文化センター(NHKカルチャー)、読売・日本テレビ文化センター(よみうりカルチャー)、コープみらいカルチャーの日本画・絵画講師や、日本児童出版美術家連盟(童美連)の理事会、著作権勉強会(月1回)、著作権部・事業部部会への参加等があり、その合間をぬって自己の作品制作を行っていくというのですから、今でも十分大変なのです。

 来年は更に、八王子の東京造形大学まで毎週1回、往復5時間余りの通勤時間をかけて絵本講義(講義時間は約3時間)に行かなければならない予定で、童美連の理事へのご推薦などという噂も流れており、某児童書出版社の新作絵本の本画制作、福音館書店「こどものとも」新作絵本制作の進展等も重なって多忙を極める事でしょう。日本画オリジナル作品の制作も大切です。しかし、他者に必要とされているという事実は誠に幸せな事でもあり、気合も入るというものです。一層気持ちを引き締めながらも、ただ一つ一つを丹念に粛々とこなしていくだけです。

 

 日本画家・絵本画家 後藤 仁 

 

          

犬になった王子――チベットの民話      

犬になった王子――チベットの民話 (2013/11/16)             

君島久子、後藤 仁              

商品詳細を見る        

     
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

 「スリランカ写生旅行」15日目、2016年6月20日(月)。朝食は昨日の残りのドドル(スリランカ版ういろう)を食べて、7時頃に宿を出発。「ポロンナルワ博物館」でチケット(遺跡入場券 3550Rs)を買います。毎日来ているので、開館時間の7時30分の15分前位には入れてもらえるようになりました。昨日と同じ受付スタッフでしたが、昨日、私がおつりの過払い分を正直に返した事がうれしかったのか、「今日の夜8時から、ポロンナルワでペラヘラ祭がある・・・。」と熱心に説明してくれます。そう言えば、昨日の夜も宿の外が夜遅くまでうるさかったのですが、その前夜祭のような事をしていたのかも知れません。

 「ペラヘラ祭」はキャンディでエサラ月(7~8月)に開催されるものが世界的に有名で、仏歯入りの舎利容器を乗せたゾウと多くのダンサー・音楽隊が町を練り歩くという大規模な祭りです。今回のスリランカ訪問でもペラヘラ祭をぜひとも見たかったのですが、この期間は世界中から観光客が押し寄せて、キャンディの宿代も高くなり予約するのが大変だと言うので、今回は残念ながらあえて静かに取材できそうな観光シーズンぎりぎりの季節(コロンボの雨季の終盤)を選んだのです。キャンディ以外でも主要都市でペラヘラ祭があるとはガイドブック(地球の歩き方)に書いてありましたが、キャンディ以外は詳しく記載されておらず、ポロンナルワのペラヘラ祭は全く未チェックでした。「情けは人の為ならず」とも言いますが、正直な心がこのような、ペラヘラ祭との遭遇という奇跡をもたらしてくれたのです。当初、この日も早めに眠りにつく予定でしたから・・・。また、ダンブッラからアヌラーダプラに行かずに、ポロンナルワに行き先を変更したのも実にラッキーでした。やはり私は、旅先での直感力と強運を持っているのでしょうね。

 夜のペラヘラ祭を楽しみに、今日もポロンナルワの遺跡巡り(3日目)です。まずは、「ガル・ヴィハーラ」に行き巨大な座仏像(高さ4.6m)を1時間30分ばかりF4号スケッチブックに写生します。描いていると今日も周囲に人だかりができました。座仏像を描き終えると、一人のスリランカの女の子がきれいな蓮の献花を持っているので、10分位かけてSM号に描かせてもらいました。

 次に「ランカティラカ」という巨大仏像が残る遺跡周辺を散策し、「ランコトゥ・ヴィハーラ」の高さ55m・直径55mというポロンナルワ最大のダーガバ(仏塔)を拝見しました。この12世紀に建てられたという巨大なダーガバを、F4号に1時間30分程描いていると、ここでも時々人が見に来ます。描き終えて、先程から熱心に見ていた親子にスケッチブックを見せてやりますと、「うちの子も描いてくれ」と言うので、ポップな洋服の女の子をSM号に10分程描きました。Danuji という名の7歳の女の子だそうです。スリランカの田舎地方の一般庶民の方々は、お隣の国インド人とだいたい性格が似ていて、人懐っこくて、おおらかな性格の方が大部分です。ただインド人より幾分シャイな人が多いようです。

 その後、町の反対側(南)の地域にレンタル自転車で移動し、「石立像」 「ポトグル・ヴィハーラ」を見物して遺跡巡りを終えました。これでポロンナルワの主要遺跡は全て拝見した事になります。大回りして広大な田んぼを見ながら宿に戻る途中、用水路で泳ぎながら水浴びしている多くの男女が手を振ってくれました。美しくおおらかな南国の情景です。

 2時頃に遅めの昼食で、「Dineth レストラン」のカレー、ジュース、ヨーグルト(計330Rs)をいただきました。

 

 一旦宿に帰り、シャワーを浴びて、夜のペラヘラ祭に備えてしばしお休みです。夕食は6時頃に軽くパンとバナナを食べました。

 

ポロンナルワ 「ランコトゥ・ヴィハーラ」の巨大ダーガバ(仏塔) 

 

 夜8時前、いよいよポロンナルワの「ペラヘラ祭」見物に出かけます。行列は「クワドラングル」から始まって、町の中心部を練り歩くと言いますので、まずは「クワドラングル」に向かいます。道の両サイドはスリランカ人で一杯です。外国の観光客は欧米人が数人いる位で日本人・東アジア人等は全くいません。

 「クワドラングル」に到着。「ワタダーゲ」の中で何かやっているので、階段を上がろうとすると、白い服を着た催事関係者らしき人に呼び止められました。カメラがどうのこうのと言っているので、「カメラを預けろ」と言っているのかと思って渡そうとすると、違うようだ。どうやら「カメラが本物かどうか確かめるために自分を撮影してみろ・・・」と言っているらしい。カメラに爆弾でも仕込む輩がいるようなそぶりである。その男を撮影して液晶画面を見せてやると納得したようで、カメラに「Security check」と書いたシールを貼られました。中での写真撮影は問題無いと言っているようです。「何て警戒だ・・・」と思いながら「ワタダーゲ」に登ると、電飾を付けられたゾウがいて、古代王族衣装を着た男性と僧侶達が儀式らしきものを行っていました。厳かな雰囲気の儀式を大勢の人々が見守っています。今夜はポーヤ・デー(満月の祝日)の翌日、月が誠に美しいので、遺跡と儀式越しの月を撮影したら素敵だろうと思って、少し人混みから離れて静かに2~3枚撮影(フラッシュ無し)していました。すると、一人の白い服を着た係の男がスーッと寄って来て、トランシーバーで話しています。「やばいな・・・」と思った時には遅かったのです。別の上役らしき白服の男が現れ、「Get out. (出て行け)」と言われました。スリランカで2度目の「Get out」です。私はただ静かに写真を撮っていただけなのに何て殺生なのだろうと思いましたが、仕方ありません。この儀式はスリランカ人にとって、極めて重要な祭祀なのでしょうから・・・。上がって来た階段とは逆の暗闇の方向を指差され「あっちから失せろ」と言います。「そっちの階段から・・・」と言おうとすると、「あっちから行け」と打ち消されました。白服は目も合わせず完全に私を不審者扱いです。

 2004年の「インド旅行」の際は、私の個展に来ていただいた駐日インド大使から、『後藤 仁さんはインドをテーマに多くの作品を描いている日本画家です。友人である彼に、旅の途中で何かあった時には良くしてやって欲しい・・・。』と英文で書かれた大使公印入りの文章をいただいていたので、何かのトラブルの時に見せたら効果的だったのですが、今回はそのような滞在国の権威者の証明書もありません。「この暗闇はどこに続くんや・・・」と思いながら、仕方なしに数10m先の暗い林に向かって歩いて行きました。意外にも林の中では2~3頭のゾウに電飾衣装を着せている最中で、人もチラホラおりました。人の流れをたどって行くと、フェンスの切れ間から外に出れる場所がありましたので、そこから公園の外に出ると、また外周を回って「ワタダーゲ」に向かいました。ただし、さすがに私と言えど2度目は「ワタダーゲ」の中には入らずに、その手前で行進が始まるのを待ちました。

 

 1時間程待っているとようやく行進が始まりました。露払いのムチの鋭い音がピシーピシーと鳴らされ、古代衣装を着たダンサーや音楽隊や旗・灯明を持った幾多の人々が行進します。ダンス(伝統舞踊)には様々な種類があり見飽きません。私は無数の見物客の最前線でひたすら撮影していました。本当なら目に焼き付けてスケッチをしたい所ですが、行進はどんどん進むので、そのようなゆとりもありません。カメラ撮影が精一杯です。鳴らされる伝統楽器の音と、踊り手の熱気と、灯明の炎のゆらめきが幻想的で、古代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。人々の行進に混ざってゾウも時々行進して来るのですが、2時間近くたった頃、メインのゾウ3頭が横に並んで歩いて来ました。中央のゾウの背中には舎利容器が乗せられていて、ここポロンナルワでは確か仏歯ならぬ仏髪が納められていると言います。敬虔なスリランカの老若男女が手を合わせます。私も合掌します。

 長大な行進に酔いしれている内に時間がどんどん過ぎて行き、気が付くとすでに夜中の12時近くです。ようやくペラヘラ祭の行進も終わりのようです。行列の最後尾辺りに付いて行くと宿の方向に向かいます。町の中まで道の両側は見物客で一杯です。しかし、私がいた公園内が一番明るくて撮影にも最適でした。人をかき分けて前に進もうとするのですが、警察が移動を阻止していてなかなか進めません。人が一時期に移動する危険を防いでいるようなのですが、スリランカの一般人の胸を思い切り突き返し怒号を発する様子を見ると、「日本ではありえないな~」と思いました。ここスリランカでは日本以上に、警察権力が絶大のようです。

 人混みの中、時間をかけてようやく宿にたどり着くとちょうど夜中の12時でしたが、宿のオーナーは入口を開けて待っていてくれました。いいオーナーです。

 

ポロンナルワ 「ペラヘラ祭」 美しく情熱的なダンサー達

 

ポロンナルワ 「ペラヘラ祭」 仏髪を入れた舎利容器を乗せたゾウ

 

 今日は些少のトラブルもありましたが、それをはるかに上回る素晴らし過ぎる、夢の古代王朝絵巻を拝見できて誠に幸せでした。このような偉大な伝統文化と信仰が現代に生きているスリランカに、尊崇の念を抱かずにはおられません。そして、このペラヘラ祭を日本画で「絵巻物」か「絵本」に仕立てると、さぞ良い作品になるだろうと思いました。

 頭の中で古代音楽と舞踊が交錯し、興奮冷めやらぬ中、少しずつ良い眠りに落ちて行きました・・・・。  

 

 明日は、ポロンナルワ、シーギリヤと並んで有名なスリランカの世界遺産・アヌラーダプラに移動します。その様子はまた次回といたしましょう。

 

 日本画家・絵本画家 後藤 仁  

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。