後藤 仁(GOTO JIN)の絵本便り

後藤仁公式ブログ2~日本画家・絵本画家 後藤仁の絵本原画制作、展覧会便り。1968年生まれ。東京藝術大学日本画専攻卒業、後藤純男に師事。「アジアの美人画」をテーマに日本画を描き近年は絵本制作に力を入れる。日本児童出版美術家連盟、絵本学会、日中文化交流協会会員。


後藤 仁 公式ホームページ

「後藤 仁(GOTO JIN)のアトリエ」 べーっだ!
 

 日本画・絵本作品や金唐革紙作品の貴重な画像や解説が、たくさん掲載してあります。当ブログとともに、お楽しみ下さい。よろしくお願い申し上げます。   

       日本画家・絵本画家  後藤  仁 

後藤仁公式ホームページ「後藤 仁(GOTO JIN)のアトリエ」



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☆私の「絵本」をご紹介していただく皆様へ☆

  「絵本」を、機関誌・情報誌・ホームページ・ブログ・フェイスブック・ ツイッター・YouTube等でご紹介していただけるのは、作家として誠に有難いのですが、「絵本」の中身の公開は、著作権で国際的に制限されています。場合によっては、法的措置の可能性もあります。(表紙のみのご掲載は問題ありませんが、その場合でも、作品名・作者名・出版社名の表示をして下さい。)
 拙作絵本の中身のご掲載をご希望の方は、私へ一言ご相談下さい。私達作家は多くの経費・労力を払って「絵本」等の作品を制作して、それで食べていますので、ご理解の程よろしくお願い申し上げます。  

  日本画家・絵本画家、日本児童出版美術家連盟会員  後藤 仁



●著作権について詳しく知りたい方は以下の、一般社団法人 日本書籍出版協会 公式ホームページ「お話会・読み聞かせ団体等による著作物の利用について」、 福音館書店 公式ホームページ「著作物の二次的使用について」、 公益社団法人 著作権情報センター 公式ホームページをご覧下さい。


一般社団法人 日本書籍出版協会 公式ホームページ 「お話会・読み聞かせ団体等による著作物の利用について」  
  
http://www.jbpa.or.jp/guideline/readto.html
  
http://www.jbpa.or.jp/pdf/guideline/all.pdf  (PDFデータ)

福音館書店 公式ホームページ 「著作物の二次的使用について」
  http://www.fukuinkan.co.jp/help/info_3.html

公益社団法人 著作権情報センター 公式ホームページ
  http://www.cric.or.jp/index.html


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  「スリランカ写生旅行」の10日目、2016年6月15日(水)。朝起きて朝食のパンを軽く食べると、少々のチップを置いて、宿を出ました。この小さなホテル「フラワー・イン」のおかみさんは親切で、部屋も素敵で、良い宿でした。
 遠くに見える朝焼けのシーギリヤ・ロックに別れを告げていると、野犬が足にからみついて来ます。シーギリヤ村へ向かう途中でバスがやって来ました。7時20分頃乗り込み、8時10分頃、ダンブッラに到着しました(バス代 40Rs)。
 ダンブッラのバスターミナルから歩いて行くと、巨大な野菜マーケットがあります。朝の市場は活気付いています。なじみの野菜や珍しい南国の果物等がトラックに積まれて行きます。更に500m程進むと、今日の宿「ヒーリー・ツーリスト・イン」に着きました。1泊2000Rsでしたが、2泊すると3600Rsにまけてくれました。部屋はホットシャワー・トイレ・ファン付で申し分ないです。
 宿で一息つくと、歩いて800m程の所にあるダンブッラ石窟寺院に向かいます。日本ではまだほとんど知られていませんが、ここには素晴らしい壁画があるというので、楽しみにしていました。寺院の入口に超巨大な金色の大仏(ゴールデン・ブッダ)が鎮座しています。最新のガイドブック「地球の歩き方」では遺跡入場料1500Rsと書いてありましたが、現在は無料になっていましたので、そのまま石窟寺院まで階段を登ります。階段の途中に、たくさんのトクモンキー(頭がカッパのようなサル)の親子が群れていました。
 ユネスコの世界文化遺産にも登録されている石窟寺院は、私の想像以上に大規模で素晴らしい壁画群に覆われていました。第1窟から第5窟まであり、時代と規模がそれぞれ異なっているので、窟ごとに少しずつ違った雰囲気を味わえます。内部には多数の仏像が安置され、壁面にはびっしりと仏画が描かれています。ジャータカ物語(釈迦前世譚)やスリランカの歴史譚が主なテーマのようです。私が今まで見たアジアの壁画の中では、2004年のインド取材旅行でアジャンター石窟寺院に訪れましたが、その完璧なる美の極致「蓮華手菩薩像」等の崇高な壁画群に次ぐ規模と品質です。(私は残念ながら、いまだに中国の敦煌莫高窟を見れていません。近い将来必ず訪れようと考えています。)インドの壁画の影響を濃厚に受けているようで、かなりの類似点が認められますが、スリランカの仏像表現はずっと素朴で柔和な表情をしています。
 あまりに素晴らしい壁画群に目を奪われて、息も継がずに何時間も見とれていました。この日はとりあえず、目でよく観察して写真だけ撮って、明日本格的にスケッチする事にしました。
 
 遅めの昼食は、「SUNRAY INN RESTAURANT」のカレービュッフェ(600Rs)とトニックジュース(100Rs)を取りました。スリランカカレーはとても美味しいので、何度もおかわりしました。
 シャワーを浴びて、夕食は軽く、野菜マーケットの近くの出店で買ったグァバとパンをいただきました。食べる前に、グァバとマンゴーをSM号スケッチブックに軽くスケッチ。宿の廊下が賑やかなので部屋を出てみると、宿の子供が親と遊んでいました。シビル・ウェッタシンハさんの絵本を何冊か見せてやると喜んでいます。そこで、その5歳位の男の子、ONEL君をモデルにSM号に一枚描きました。
 夜、腕を見ると両ひじの内側10㎝四方 位に、気持ち悪い発疹ができていました。多分、石窟寺院内のコウモリの糞尿か何かのウイルス辺りが原因ではないかと思うのですが、ごく小さい多数のブツブツができて、そのブツブツのてっぺんが全て黒色になっています。日本でこんな発疹が出た事は一度もないのです。海外旅行では謎の病変が出る事がしばしばあるのですが、この症状は初めてです。多少痛かゆいのですが、それ以外は何ともないので、オロナイン軟膏を付けて様子を見ました。その後もなかなか治らず、日本に帰ってからもしばらく跡が残っていました(全治、約3週間)。

スリランカ旅行ダンブッラ石窟寺院 第2窟「マハー・ラージャ・ヴィハーラ」


スリランカ旅行「SUNRAY INN RESTAURANT」 カレービュッフェ(600Rs)、トニックジュース(100Rs)。 ビュッフェスタイルなのでカレーのおかわり自由です。美味しいので、何度もおかわりしました。

 旅行11日目、2016年6月16日(木)。早朝、パンとマンゴーを食べると、6時前にダンブッラ石窟寺院に向かいました。6時には寺院は開いていました。早朝は観光客もいませんので、壁画を改めて丹念に観察します。まずは、ダンブッラ石窟寺院 第3窟「マハー・アルト・ヴィハーラ」の9mの寝仏を、F4号に1時間30分余り写生しました。次に、第2窟「マハー・ラージャ・ヴィハーラ」で、仏塔・仏像・壁画群をF4号に2時間程描きました。最後に、第1窟「デーワ・ラージャ・ヴィハーラ」で14mの巨大寝仏を、SM号に1時間程描きました。スリランカのブッダの足の裏は真っ赤に塗られていて独特です。
 石窟寺院を出ると、入口のゴールデン・ブッダ(黄金大仏)に併設された大仏博物館(200Rs)を見学。結構な疲労を感じて、午後1時頃には宿に戻り、宿の近くの「SUNRAY HOTEL&EXECUTIVES PUB」で昼食を取りました。チキンフライライス(400Rs)、カード(水牛ヨーグルト)(200Rs)、クリームソーダ(100Rs)にサービス料を足して計770Rsです。カードとハニー(Treacle トリックルというヤシ蜜)がなかったようで、わざわざ外まで調達に行ってくれたようです。この辺り、スリランカ人は商売熱心でもあり、親切でもあります。
 素晴らしい壁画を拝見しスケッチでき大満足の私は、夕食のパンを頬張ると、明日の移動に備えて早めに眠りにつきました。

スリランカ旅行ダンブッラ石窟寺院 第1窟「デーワ・ラージャ・ヴィハーラ」 14mの巨大寝仏

 明日は、ポロンナルワに移動します。当初はダンブッラからアヌラーダプラに向かい、その後、ポロンナルワに行く計画を立てていました。しかし、ダンブッラでガイドブックを丁寧に見直していると、最初にポロンナルワを回ってからアヌラーダプラに行った方が、ポロンナルワでの駅までの遠さやコロンボまでの電車本数・移動時間を考えると断然便利な事が判明したのです。この突然の計画変更は、後日、ポロンナルワでの「ペラヘラ祭」との遭遇という奇跡を演出する事となり、私の旅先での強運を示す事になりました。一人での自由旅行には、このように自由にルート・日程変更ができるという利点もあります。
 この続きはまた次回といたしましょう・・・。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁


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 今年、私の師である後藤純男先生が、「第72回 日本芸術院賞・恩賜賞」をご受賞され、授賞式は天皇・皇后の行幸啓を仰ぎ、2016年6月に挙行されました。
 また、2016年の4月からは東京藝術大学名誉教授にご就任され、9月には流山市名誉市民の第一号に選ばれたという事です。誠におめでとうございます。心より御礼申し上げます。

 後藤純男先生は、日本画団体・日本美術院(院展)の同人理事であり、東京藝術大学(日本画専攻)教授と中国の西安美術学院(大学)名誉教授を歴任され、2006年には日本国勲章「旭日小綬章」をご受章された、日本画界の重鎮です。一般の方には、ネスカフェゴールドブレンド「違いが分かる男」のコマーシャルに出演された事でも知られています。

・・・・私は、1990年の東京藝術大学 受験面接で、平山郁夫先生、加山又造先生、福井爽人先生らとともに後藤純男先生に初めてお目にかかり、1994年、東京藝術大学3年生の時に、後藤純男先生のご担当で日本画を教わったのが、先生との最初の出会いです。
 ここからしばらく、私の絵画勉強期間を振り返ります。私は大阪市立工芸高等学校 美術科日本画を始めましたが、周りの意識・技量は決して高いとは言えず、もっとハイレベルで創作に良い環境を求めていました。・・・高校1年生の時は、美術の実技はクラス中で群を抜いた高評価だったのですが、数学・英語を絵に必要ないと考えて全くやらなかったので、留年させられてしまいました。その後3年間は、一念発起して学業にも力を入れ、学科も平均点95点位となり傑出して一番を維持し、実技(日本画・油絵・彫塑・素描・製図等)も全教科一番、おまけに体育も一番でした。当時、私は工芸高校始まって以来の天才とか、宇宙人とか、変人とか、陰で言われていました。私は、ほどほどという事を知らない人間なので、これでは周囲に嫉妬されるのも当然ですね・・・。
 高校卒業後、単身上京し、新聞配達の奨学生をしながら美術予備校・立川美術学院 日本画科で学びました。そこで当時講師をしていたのが、今は現代アートの第一人者となった村上 隆さん(東京藝術大学 博士後期課程満期退学)と、日本画家の菅原健彦さん(多摩美術大学 卒業。現在、京都造形芸術大学 教授)達でした。日本画に対する考え方はこのご両人と私は大きく異なりましたが(お二人は前衛的・現代美術的な考えで、私は伝統・描写力・情感を重んじる考え)、お二人の”絵”に対する情熱やパワーは相当高いものがあり、私は今でも大きな影響を受けています。こんな人達がゴロゴロいる美術大学の最高学府・東京藝術大学とはいかなる所なのか・・・と期待は高まりました。ただ、予備校の1浪時は新聞配達・集金をしながらの予備校通いで時間がうまく調整できず、2浪時も試験に受かる事だけを考えた予備校教育に当時は反感を覚え、実質、授業の半分位しか行っていなかったと思います。それでも、最初こそ関西風の描き方を東京風の描法に変革するのに手間取りましたが、2浪の後半はグイグイと実力が伸びて、特に石膏デッサンでは私の右に出る者はいなくなっていました。
 しかし、せっかく2浪して20倍以上の狭き門を突破して入学した、東京藝術大学 日本画専攻は、私が想像していた所とは少し違っていました。私の空想では、26名全員が朝から晩まで絵に向かい、良きライバルとして切磋琢磨している姿でした。だが実際は、私以外のほとんどの人は欠席するは・遅刻するは・早退するは、部屋のあちこちで無駄なおしゃべりをしているは、絵について熱く語り描く風潮は微塵もありませんでした。常日頃、「どの先生に付いたら出世できるだろうか、誰の絵に似せて描いたら先生に評価されるだろうか・・・」といった話題ばかりが目立ちました。大学2年生になり、このような雰囲気に辟易としていた頃、「後藤はこのまま行けば出世しそうだ・・・」という噂が流れ始めました。こうなると案の定、日本画名物・足の引っ張り合いが私に集中しました。高校の時にも、あまりに成績が良過ぎた私を妬んだクラスメイトほぼ全員から、2年間近く完全無視されるという苦痛を経験している私は、今回は東京藝術大学 日本画専攻の雰囲気に完全に幻滅し、大学を離れようと決心しました。その後2年間余り、自主研究として、時々は日本画・水彩画・アクリル画を描いてみたり、詩を書いてみたり、カメラにこってみたり、旅をしたりしていました。この2年間余りが、現在までで私が最も日本画(絵)を描いていなかった期間です。この時は、日本画界が心底、嫌になっていたのです。
 ところがカッコいい事を言ってみても、所詮は親の仕送りで生活している青二才です(アルバイトは常々していましたが)。親からの心配・非難の声も大きくなり仕送りを止めるとも言われて、それ以上に親不孝な自分を恥じて、ようやく渋々大学に戻る決意を固めました。2年余りぶりに大学に戻る日、受験発表の日と並んで、いやそれ以上に今までで最も緊張した日かも知れません。私は2学年留年させられており(留年は2年間まで可能)、既に3年生の一学期に入っていたので本当なら退学処分のはずでした。
 教授室に呼ばれ、3年生の担当の後藤純男先生と手塚雄二先生が並んで座っておられました。後藤純男先生は名字が同じという事もあり、寺院を描かれるという事もあって、中学・高校時代から存じており、好きな現代日本画家のお一人だったのです。手塚先生が睥睨した目つきで、「本当ならもう退学の時期だが、何をしていたのかね・・・。日本画を続けたいかね。」とご質問されました。私は「絵を描くのは子供の頃から好きだったので、続けたいのです。」と言うと、「絵とは、日本画の事かね。」とおっしゃるので、「高校の時から日本画を描いているので、日本画を続けたいです。」と答えました。手塚先生は渋い顔をして、「最後は後藤純男先生のご判断次第だよ・・・。」と後藤純男先生にお答えを求めました。後藤先生は「そりゃあ、続けた方が良い!」と一言笑顔でお答えになられました。「後藤さん、あなたのお生まれはどこですか。」と後藤先生が質問され、私は「赤穂です。」と言うと、「ああ、四十七士の。いい所ですね~。」と笑顔でおっしゃられました。こうして私は、東京藝術大学始まって以来の問題児として藝大に戻る事になりました。その後は、2年生で取るべき実技単位を3年生で取って、元々の後輩に囲まれながらしっかりと勉学に励みました。私は1~2年生の間に、学科の卒業単位を全て秀と優で取っていたので、後は実技単位のみの取得なので楽でした。ただ、2年留年した人間は、どんなに良い絵を描いたとしても、当然ながら、大学院には進めませんね。
 今考えると、「たかが大学。世の中そんなものだ・・・。」と受け流すくらいの度量があったら良かったのにと思います。つまりは、若気の至り、堅真面目過ぎたのです。しかし、私はそんな不器用な人間なのです。いまだに、その性格の本質は変わらないので、世渡りは下手で失敗ばかりしています。ただ、この高校・大学での体験は、今大きな社会問題にもなっている、いじめ・差別・偏見を受ける側や引きこもりになる等の社会的弱者の気持ちを理解する心にもなっており、私の人間的な幅を広げる一因につながっているのではないかと良いように解釈しています。

 この時のご恩もあり、「武士は二君にまみえず」という故郷の志士・赤穂浪士の教えを守って、日本画の師と言える方は後藤純男先生ただお一人だと考えています。(絵本界には今の所、師と言える人はいません。良き先輩方はおります。)多くの日本画家は師が力を失ったり亡くなられると別の師に付いたり、師以外の人のご機嫌を伺って団体展に入選したリしていますが、私はそんな薄情なまねはしません。義理と人情に篤い、バカ正直な男なのです。(後藤純男先生は一匹狼の性格で派閥を作りたがらないお人です。そこで院展内でも力がある割には弟子が極めて少ないのです。藝大大学院の後藤純男教室出身者で院展に受かっているのは、ほぼ平山郁夫先生派閥に組み込まれた人のみです。)
 大学卒業の前後には後藤純男先生に同行し、沖縄本島、北海道、東北等に数日がかりの取材旅行に出かけました。先生のスケッチする姿から多くの事を学びました。卒業後1996年からは、後藤純男先生門下による「翔の会日本画展」が「オンワードギャラリー日本橋」で開催され、その後、場所を「銀座松坂屋」に移して15年間開催されました。毎回欠かさず出品したのは15~20数名中、私を含む10名位だけです。先生の飲み会・パーティーにもできる限り出席し、時には先生のご自宅・アトリエに泊まったり、そのまま夜を明かしたりしました。この頃、東京藝術大学出身の人の中で、多分、私が最も多く先生とお会いしていたと思います。先生のお話・行動の一挙手一投足からは、”絵”に対する真摯なお考えや人生観の多くを教わりました。

 しかし、いつまでも良い時期は続かないものです。10年程前、いつものように先生にお電話をおかけすると(この頃、私から先生にご用のお電話をしたり、先生から直接お誘いのお電話がかかって来たりしていました)、「後藤さん、今日の飲み会は中止です。今から眼底出血の手術をしなければいけなくなりました。また今度にしましょう~。」というお返事でした。先生は笑いながら淡々とお話しされたのですが、私は前々から、先生には糖尿の気があり医者から酒を止められていた事を知っていましたので、とても嫌な予感がし背筋に冷たいものが走りました。
 私の予感は的中しました。それ以降、先生は体調を崩されたようで、私達元学生はもとより、ほとんどの公の場所に顔を出されなくなりました。あの時のお電話が、先生とお話しした最後になってしまったのです・・・。現在では、車椅子でのお写真を美術誌等でまれに拝見するだけで、ほとんど北海道のアトリエに親族だけに囲まれて、引きこもられてしまいました。今回の「恩賜賞」の授賞式でさえ、奥様と娘さんのみが出席されていましたから・・・。誠に残念な事ですが、人は年齢には勝てませんので仕方がない事です。私はお元気な頃の先生のお言葉を胸に抱いて、今後も制作に励みたいと思っています。そして、私は27歳の時に父の事故死を経験した事もあり、人の”ご縁”とは誠に尊く大切にしないといけないものであると感じています。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁
 


後藤純男先生と私「後藤純男先生 退官記念展」(1996年10月7日、東京藝術大学資料館) 後藤純男先生と私

後藤純男先生と私「後藤純男 画伯を囲む会」(2004年1月4日、野田 東武ホテル) 後藤純男先生、井崎義治 流山市長と私。他にも、野田市長や関宿町長等も来られていました。

東北写生旅行 後藤純男先生「東北(田沢湖・角館)写生旅行」(1996年11月20日) 駒ヶ岳 後藤純男先生スケッチ中。先生は視点が変わるからと言う理由で、常に立ってスケッチをされます。先生の絵に対する真面目さは恐るべきものがあります。




【後藤純男先生 ご略歴】

1930年 千葉県東葛飾郡関宿町(現・野田市)に生まれる。
1946年 粕壁中学校 卒業。日本画家・山本丘人に師事。
1949年 日本画家・田中青坪に師事。
1974年 日本美術院 同人に推挙。
1976年 再興第61回 日本美術院展覧会で文部大臣賞を受賞。
1981年 ネスカフェ・ゴールドブレンド「違いがわかる男」のコマーシャルに出演。
1982年 中国の西安美術学院(大学)名誉教授に就任。
1986年 再興第71回 日本美術院展覧会で内閣総理大臣賞を受賞。
1987年 北海道空知郡上富良野町にアトリエを構える。
1988年 東京藝術大学 美術学部絵画科日本画専攻 教授に就任。教授時代の門弟には、日本画家の後藤 仁がいる。
1995年 パリ・三越エトワールにて「後藤純男展」を開催。
1997年 東京藝術大学 教授を退官。北海道空知郡上富良野町に後藤純男美術館を開館。
1999年 千葉県銚子市に後藤純男美術館を開館(2004年1月30日閉館)。
2002年 埼玉県北葛飾郡松伏町 名誉町民となる。
2006年 旭日小綬章を受章。
2016年 日本芸術院賞・恩賜賞を受賞。東京藝術大学 名誉教授に就任。流山市 名誉市民となる。



後藤純男美術館 公式ホームページ

http://www.gotosumiomuseum.com/info_pdf/geijyutuin.pdf (PDFデータ)

http://www.gotosumiomuseum.com/


〈北海道新聞 記事〉

画家・後藤純男さん、北海道・上富良野町に作品寄贈の意向 総額20億円規模か
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/dohoku/1-0247503.html

日本画の後藤純男さんに日本芸術院賞 坂東玉三郎さんら9人
http://dd.hokkaido-np.co.jp/entertainment/culture/culture/1-0249861.html


〈朝日新聞デジタル 記事〉

日本芸術院賞に坂東玉三郎さん・辻原登さんら9氏
http://www.asahi.com/articles/ASJ3K4T4ZJ3KUCVL014.html


〈流山市 公式ホームページ〉

第1号 流山市名誉市民を決定
http://www.city.nagareyama.chiba.jp/10838/10841/031587.html

〈東京新聞 記事〉

流山在住の画家・後藤さん 初の名誉市民 来年1月に作品展開催
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201609/CK2016090702000182.html


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 私は15歳の時に大阪市立工芸高校 美術科で本格的に日本画を始め、東京藝術大学 日本画専攻を卒業した1996年から、プロの日本画家としておよそ20年間活動して来ました。勉強期間を入れると約33年の日本画歴です。師は、後藤純男 先生〔東京藝術大学名誉教授、日本芸術院賞・恩賜賞受賞者〕。
 絵本の世界では、2007年の個展に福音館書店編集者が来られて絵本制作のご依頼を受けた事がきっかけで、2013年2月に初絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店こどものとも)、11月に絵本『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)を出版しました。制作期間を入れると10年弱の絵本歴になります。

ながいかみのむすめチャンファメイ 表紙・表絵本『ながいかみのむすめ チャンファメイ』(福音館書店こどものとも)

絵本『犬になった王子(チベットの民話)』表紙絵本『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)


 前々から感じていた事でもあり、近年また痛感するようになった事ですが、日本における創作者・絵描きの地位のいかに低い事か、欧米や東洋各国に比較しても、文化に対する国や団体・個人レベルでの意識の薄さを嘆かわしく思います。
 ただ、日本画・洋画・彫刻・書道等は伝統的に社会的地位が高い傾向があり、特に美術団体のトップクラスの方々の社会的・経済的優位性は極めて高いものがあります。逆に、その地位・権威だけに頼ってしまう懸念さえあるのが現状です。一つの目安として挙げると、文化勲章受章者・文化功労者の大半が日本画・洋画の先生方で占められています。
 しかし、その他の美術ジャンルの社会的地位はまだまだ低過ぎる傾向が顕著です。2010年に水木しげるさんがマンガ家初、2012年に安野光雅さんが絵本作家初、宮崎 駿さんがアニメーション作家初の文化功労者になっただけです。
 日本を代表する絵本作家のお一人で東京藝術大学の先輩でもある、いわむらかずお さんが2014年にフランス芸術文化勲章シュヴァリエ章をご受章された時に、日本での報道の少なさに日本児童出版美術家連盟(童美連)監事の浜田桂子さんも疑問を呈しておられました。その童美連を創設された太田大八さんは先日、お亡くなりになられましたが、先生の多大なご功績を考えると文化功労者位になっていないとおかしいのではないかと感じます。日本を代表する絵本画家のお一人の黒井 健さんがおっしゃるには、太田大八さんは絵本作家の社会的地位の向上を常に模索されていたと言います。
 ほんの一部の「絵本読み聞かせ・朗読家・評論家」なのでしょうが(これは日本画においては「画商・絵画評論家」等に当たります)、自分達が絵本作家を宣伝してやって育ててやっていると言ったかのような錯覚をお持ちの方がおります。確かに「絵本読み聞かせ・朗読家」は作家にとっても有難い存在ですし、大切なご活動だと理解しています。ただその作家と朗読家の関係は常に対等な互恵関係であり、お互いを尊重せねばなりません。ただ、作品を最初に生み出すのは作家であり、それを後から活用するのが朗読家であるという順序や本質を忘れないでほしいと思います。

 私の伯父・後藤大秀「からくり人形師」ですが、現在、公に認められた「からくり人形師」は日本に3名しかいないと言います。伯父の手腕は私が見ても驚くほど高レベルで、創作出来る人が限られたとても重要な仕事ですが、その業界規模は小さいものなのです。伯父は1998年に大垣市の教育功労賞表彰を受け、ようやく現在、県の表彰が検討されている段階だと言います。からくり人形師が人間国宝(重要無形文化財保持者)や文化功労者等の国単位で認定される事はなかなか難しい話です。
 私は大学3年生から2006年ごろまでの約12年間、日本画の仕事のかたわらに「金唐革紙(きんからかわし)」という手作りの高級壁紙の復元製作を手掛けていました(旧岩崎邸、孫文記念館、入船山記念館 等の復元事業に参加)。日本画だけで食べて行くのは大多数の若手作家にとって、今の時代では至難の業なので、講師等の何らかの副業をしなければ生きて行けないのです。最初に金唐革紙製作所の出資・経営者がいたのですが、その人は外回りだけして滅多に製作をしないので、私達、美大出身者3~6名がほとんどの実質的な仕事をしていました。その中でも私は歴も長く、製作数もずば抜けて多かったので、常に中心的な役割を担って来ました。現在、復元された金唐革紙には、ほぼ私の手が入っており、実質的な第一人者と言えます。それにもかかわらず、世間的にはその経営者が全ての復元をしたように喧伝されており、現在、80歳位のその人だけが「国選定保存技術保持者」に認定され、旭日双光章なる国の勲章までもらっています。つまり本質的には、私が「保存技術保持者・旭日双光章」をいただいてもおかしくないという事になります。
 このように業界団体の社会的強弱や、メディア等での取り上げ頻度が、国や世間の評価にも如実に反映されているのです。


 私は日本画の世界で長年活動して来ましたが、そこではあまりに高過ぎる権威が近年になるほどマイナス効果を出している事に気が付きました。権威に頼るあまりに、さほど絵の良くもない人が人脈だけで出世していくさまを幾多見て来ました。その弊害によって現代日本画のレベルは落ちる方向にあり、愛好者・コレクターの高年齢化に伴って一般大衆からの人気は低迷の一途をたどっています。ただし私は、日本画の画材の持つ面白さや、古代(日本画という名のできる前)からの日本絵画の深い歴史に大いに憧れを持っており、未来への可能性を疑っていません。しかし、今のような日本画三大派閥(院展、日展、創画展)のみが優位性を保つような閉鎖的な風潮が続くと、かならず近い将来(15~30年後位)立ち行かなくなるでしょう。今、日本画界も大きな変革期・転換期を迎えているのです。作家が権威を欲した時から、実質的な制作力は落ちて行く・・・とも言いますので、名と実のバランスは難しいところですが、そうであってもあまりに不公平が多いのが今の世の中です。
 欧米や一部の東洋圏では「絵描き・画家」を社会が認め、ある程度の優遇措置もあり、重要で尊敬に値すべき存在として位置づけされています。私は何も、絵描きが いばりたい と言っている訳ではなく、今の絵描き仲間の現状を見る限り、一部の特別な売れっ子以外は、一般サラリーマンよりはるかに少ない収入に甘んじて、「仕事が無い、仕事が無い」を口癖のように発しているこの状態は、決して日本経済にとっても良い事ではないと思っているのです。仕事の出来る、腕の良い作家は、たくさん世の中に埋もれています。それを社会がもっと活用しない手はないのです。

 最近、国も「ものづくり日本」を掲げています。全ての物事は創作者から発せられ、それを一般の消費者・愛好者・活用者が用いて行くのです。最初の文化創作者が軽んじられるようでは、日本の文化は発展・成熟しませんし、将来、衰微していくものと考えられます。また、マンガ・アニメ・ゲームは現在最高潮に活気を呈していますが、そのようなサブカルチャー(現在では、メインカルチャーと言ってもいいほどですが)だけではなく、伝統的な絵画・芸術を含めて総合的に日本文化が向上し、一般に認識されるのが理想なのです。
 日本は(世界的にも同様の傾向でしょうが)創作者・作家・職人よりも、それを発注した資産家・経営者・団体等の中間卸的存在を重要視する傾向が強いのです。最初の創作者が・・・特に多くの若い作家が仕事だけで食べて行けない現状では、決して良い文化は華開かないでしょうし、そのような状態が続くと、ひいては日本経済全体の活力低下にもつながって行くと考えています。日本の国も公共団体も民間団体・企業も一般大衆も、もっと絵描き・創作者の重要性を知って下さい。それが一絵描きの率直なお願いです。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁

 

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 「スリランカ写生旅行」の9日目、2016年6月14日(火)。今日はいよいよ憧れのシーギリヤ・ロックに登ります。朝6時前に起きて朝食のパンとバナナを食べると、シーギリヤ・ロックに向かいます。まだ開園までに時間があるので、SM号のスケッチブックに横方向からの東雲(しののめ)のシーギリヤ・ロックを15分ほどかけて描きました。遺跡入場券は30米ドルか4260Rs(レートによって変動します)です。手元に50ドル札しかないのでそれで支払うと2800Rsのおつりが返って来ました。

 遺跡は7時に開きますが、私は今日一番乗りです。広大な敷地を進むと、正面に巨大なシーギリヤ・ロックが迫って来ました。近くで見るとなおさら、その大きさに圧倒されます。周辺の小さな石窟寺院跡も拝見。ここにも壁画が少し残っています。
 ロックの階段を登ります。まず最初に「シーギリヤ・レディ(美女のフレスコ画)」がお出迎えです。鉄のらせん階段を上がると、狭い横穴空間が現われ、18人の美女達が描かれています。5世紀の作品だそうですが、色は実に鮮やかです。まだ他の人が登って来ないので、じっくりと拝見しました。花や供物をささげて、上半身裸で豊満な乳房をあらわにし、装飾品を身に付け、たおやかな流し目で見つめるレディ達は、誠に魅惑的です。やはり実物は、写真・映像等で見て来たものとは比べものになりません。現在は写真撮影不可という事なので、監視員のあんちゃんにスケッチはいいかと尋ねると「よい」と言います。混んでいたら許可されなかったでしょうし、監視員によっても判断は異なりそうで、今回はラッキーでした。花をつまんだ横向きのレディをSM号に20分位かけて模写しました。
 そのうちに観光客がぞろぞろと登って来ました。スリランカ人・欧米人と中国人・韓国人と日本人の団体客が多いようです。これまで日本人にほとんど会う事のなかったスリランカでしたが、有名な観光地になると突然どこからか押し寄せて来ます。「絵を描いてるし~」という女性の声が聞こえました。汚い身なりで描いている怪しげな男が、まさか日本の画家だとは思わないでしょうね・・・。
 描き終えると次の「ミラー・ウオール(鏡の回廊)」に進みます。壁がツルツルで光が反射します。その先が「ライオンの入口(ライオン・テラス)」です。現在は巨大ライオンの足だけが残っています。ここから急な鉄階段を登ると、王宮跡がある頂上です。頂上では風が吹き抜け、木陰は実に心地良いです。
 頂上から山々を見渡す光景を、F4号のスケッチブックに1時間30分位かけて写生しました。素晴らしい眺めです。大昔、父を殺した狂気の王カーシャパは、ここから何を考えて同じ光景を眺めたのでしょうか・・・、今は異国の観光客を迎え入れ、ただ風がサラサラと吹き抜けるだけです・・・・。
 「ライオン・テラス」に降りると、そこでF4号に1時間30分位スケッチしました。修学旅行中らしきスリランカの中高生がたくさんいました。絵を描く外国人が珍しいと見えて、私の周囲を取り囲んでワイワイ言っています。元気で好奇心旺盛な子供達は良いものですね。

 ロックを降りると、その周囲のいくつかのミニ遺跡をほぼ全て鑑賞しました。シーギリヤ・ロック正面からの良い場所を決めると、F4号のスケッチブックに1時間30分余りかけて描きました。今日は特に気合が入っています。しかし、日差しが熱いです。コロンボやキャンディ辺りと違って、この文化三角地帯と呼ばれる中部地域は今の時期、雨も全く降らずに気温も相当高いのです。多分、日中は35度を軽く超えているでしょう。描いている位置は直射日光を浴びているので、かなり過酷な写生環境ですが、このような酷暑の中や逆に雪の降る酷寒の中、大雨の降る中等、悪条件下でスケッチする事はひんぱんにある事です。絵描きも体力勝負ですし、決して楽な世界ではないのですね。
 描き終えてペットボトルの水を飲むと熱湯のように熱くなっていてびっくりしました。・・・ところが次の日、多分この煮えたぎった水が原因で軽い水あたりの症状が現れました。ペットボトルに直接、口を付けて飲んだ後、暑い日差しの中に長時間放置したのでばい菌が増殖したのでしょう。この後は口を離して飲むようにしました。・・・

 さすがに疲労感を覚えてフラフラになりながら、シーギリヤ・ロックを後にしました。午後3時頃、遅めの昼食を「CHOOTI レストラン」という小さな食堂で取り(チキンカレー300Rs、マンゴージュース200Rs)、カード(水牛のヨーグルト)は置いていないと言うので、昨日の「WIJESIRI ファミリーレストラン」で再びカードをたのみました。カードは実に美味しい。この店は雰囲気が良いので、小さな男の子をSM号に軽くスケッチさせてもらい、お礼にチップを少々渡しました。

スリランカ旅行シーギリヤ・ロック 「ミラー・ウオール(鏡の回廊)」

スリランカ旅行シーギリヤ・ロック 頂上にて

スリランカ旅行シーギリヤ・ロック 頂上にて。 風が心地良いね~。

スリランカ旅行シーギリヤ・ロック 「ライオンの入口(ライオン・テラス)」

スリランカ旅行シーギリヤ・ロックにて。 ここからスケッチしましたが、激烈に熱いよ~。


 今日はよくスケッチができて充実した一日でした。念願のシーギリヤ・ロックにも登れて最高です。夕食は軽くクラッカーで済ませて、明日のダンブッラへの移動に備えて早めに休みました。とても暑い夜でしたが、この宿「フラワー・イン」は静かなのでよく眠れます。
 明日から2日間、ダンブッラ石窟寺院の素晴らしい壁画を鑑賞します。私が今まで見た壁画の中でも、インドのアジャンター壁画に次ぐ、大規模で上質な壁画でした。この模様は、また次回にしたいと思います・・・。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁


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2016年8月20日 公益財団法人 仙台観光国際協会 主催
「外国絵本のおはなし会」が開催されました。

 私の作画絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(君島久子 再話、後藤 仁 画、福音館書店こどものとも)を大型スクリーンに映して、日本語と中国語で読み聞かせを行ったという事で、当日は65名の子供達・大人達がご来場されたそうです。誠に有難うございました。
 仙台観光国際協会からは事前に、「著作権使用許諾申請」が福音館書店を通して申請され、「絵」の著作権者の私が許諾をしていました。お手数でも、このようにきちんと所定の届け出をしていただけましたら法的問題もないですし、作家本人もうれしい場合がほとんどだと思います。よほど著作権侵害が認められる場合以外は使用不可にはならないでしょう。ただ、有料開催の場合は、所定の使用料(微々たるものです)をいただく場合もあります。会場での画像を福音館書店を通して送っていただきましたので、ご掲載いたします。

 絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店こどものとも)は雑誌の在庫期間の3年が過ぎ、今は中古品でしか手に入りません。丹誠を込めた本格的な日本画による作画と簡潔で深みのある文章による、近年まれに見る質の高い絵本という評判をいただき、そのハードカバー化(書籍化)を望む声が私にも多数寄せられています。書籍化の判断は福音館書店編集部にゆだねられますが、私も『ながいかみのむすめチャンファメイ』が書籍化され、子供達・大人達に長く読み継がれる事を願っております。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁


絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』 読み聞かせ

絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』 読み聞かせ

絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』 読み聞かせ



公益財団法人 仙台観光国際協会 主催 「外国絵本のおはなし会」
日時:8月20日(土)午後1時~4時 【終了】
場所:仙台・地下鉄東西線「国際センター駅」2階 青葉の風テラス (仙台市青葉区青葉山2-1外)


福音館書店 公式ホームページ ─ 絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』ページ
http://www.fukuinkan.co.jp/magadetails.php?goods_id=22975

仙台観光国際協会 公式ブログ
http://int.sentia-sendai.jp/blog/j/j-627/
http://int.sentia-sendai.jp/blog/j/j-704/

仙台観光国際協会 公式ホームページ
http://www.sentia-sendai.jp/

国際センター駅市民交流施設「青葉の風テラス」 公式ブログ 
http://ameblo.jp/kokusai-sta/entry-12179839623.html

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 2016年8月23日は、日本児童出版美術家連盟(童美連)著作権部の有志による「暑気払い会」が、「ルルとララ」「なんでも魔女商会」シリーズ(岩崎書店)で有名な絵本作家、あんびるやすこ さんのスーパー近未来型邸宅で開催されました。当日の参加者は、あんびるやすこ さん、しばはら・ち さん、ひらてるこ さん、手塚けんじ さん、つしまひろし さん、小堀文彦さん、すみもとななみ さん、と私です。

 お食事の前にアトリエを拝見。意外とこじんまりとした部屋ですが、画材等が機能的に収納された使いやすそうなアトリエです。絵本作家としての仕事なら、これ位の広さの方が集中力が増しそうです。
 絵描きの中には他人にアトリエを見せたがらない人も多いので、作家のアトリエを拝見できるのはとても勉強になります。ちなみに、私のおんぼろアトリエは8畳程の広さで、台所部分の床を使えば10畳程が使用できます。時にはこのアトリエで、NHK等のテレビ局や新聞社や美術誌の取材・撮影をお受けしたリ、福音館書店や岩波書店等の編集者が訪れたりします。学生時代は絵描き仲間と一緒に、お好み焼き大会を開いたりしましたが、近年では日本画家同士で集まる機会も減りました。

 ・・・・今までで印象に残っている作家のアトリエと言えば、やはり師である後藤純男先生の画室です。私の知る限りでも先生は当時、千葉県の自宅以外に、埼玉県と栃木県那須と北海道と奈良県と沖縄にアトリエ付き別荘を持っており、私はその内、奈良県のアトリエ以外は全て訪れています。埼玉県のメインアトリエには度々訪問し、自宅に泊まらせていただいた事もあります。中でも北海道上富良野のアトリエは大規模で、現在は1階が「後藤純男美術館」になっており、2階が120畳もある巨大アトリエです。先生は団らん室には頻繁にお客を招くのですが、画室には鍵がかかっておりなかなか他人を入れたがりません。北海道の先生のお宅には2度訪問していますが、1999年の「北海道・東北写生旅行」の際に立ち寄ったら、たまたま先生がおられて、中国(中華人民共和国)の西安美術学院(大学)の教授一行が来ていました。そこで、先生が教授陣をアトリエにご案内した時に、運良く私も画室内へ入れました。中には横10m以上・縦2m程の富士山と桜の絵が2枚、描きかけで置いてあり、棚には日本画の岩絵の具ビンが画材店より多い位(数百本)に並べてありました。紫檀の柱が数本使用された120畳の豪奢なアトリエに驚嘆したものです。その時には、金箔の扱い方を実践して見せていただきました。この体験は誠に貴重な出来事です。
 絵本作家では、いわむらかずお さんの「いわむらかずお絵本の丘美術館」(栃木県那須)にあるアトリエを訪問できたのは良かったです。広さは20畳程で制作机が3台程あり、本等の資料が山と置いてありました。緑に囲まれて窓から外光がさす心地良さそうなアトリエです。・・・・・

後藤純男常設展示館「北海道・東北写生旅行にて」(1999年4月) この時はまだ「後藤純男常設展示館」でした。現在は拡張して「後藤純男美術館」になっています。

後藤純男美術館 公式ホームページ  http://www.gotosumiomuseum.com/

浜田桂子・いわむらかずお絵本原画展「童美連企画 浜田桂子・いわむらかずお絵本原画展ツアーにて」(2015年7月) いわむらかずお さんのアトリエ。

いわむらかずお絵本の丘美術館 公式ホームページ  http://ehonnooka.com/?page_id=9


 「暑気払い会」では、素晴らしく美味しい、あんびるさんの手料理の数々が出され、舌鼓を打ちました。最後には豪勢な「鯛の塩釜焼き」が登場し、みなさんの歓声があがりました。
 童美連の著作権部に入ると、こんな素敵なイベントにも参加できますよ~、という事なのですね。来たれ童美連、来たれ著作権部・・事業部もネ!! ( ^^) _旦~~

  日本画家・絵本画家 後藤 仁

著作権部 暑気払い会「著作権部 暑気払い会」 あんびるやすこ さんのアトリエ

著作権部 暑気払い会「著作権部 暑気払い会」 乾杯!!
著作権部 暑気払い会「著作権部 暑気払い会」 乾杯!!
著作権部 暑気払い会「著作権部 暑気払い会」 私も乾杯!!

著作権部 暑気払い会「著作権部 暑気払い会」 あんびる さんのお手製、鯛の塩釜焼き

著作権部 暑気払い会「著作権部 暑気払い会」 鯛の塩釜焼き 完成! 良く出来てる~

著作権部 暑気払い会「著作権部 暑気払い会」 鯛の塩釜焼きを割るよ~!!!

著作権部 暑気払い会あんびる さん家の巨大ネコ。カワゥイィ~

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 2016年9月8日(木)千葉テレビ放送(チバテレ) 「NEWS チバ 930」 (午後9時30分より、千葉県全域と東京都・神奈川県・埼玉県・茨城県の一部で放送)にて、『後藤 仁 スリランカ絵本寄贈プロジェクト』の模様を取材・撮影して放映いたします。
 〔放送日は8日(木)で決定しましたが、突発的な事件等により変更・延期の可能性がありますので、放送日直前に再度ご確認下さい。〕

 私の作画絵本『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店こどものとも)、挿絵本『おしゃかさま物語』(佼成出版社)の他、日本児童出版美術家連盟(童美連)のご賛同者の「直筆サイン・メッセージ入り絵本」を合わせて、計52冊をスリランカの子供達へ贈りました。
 その他、アトリエでの日本画制作風景等も放映予定です。ぜひ、ご覧下さい。 

 私は今までにも、作家としての私を主体とした撮影の場合や、一助手として名前も出ない場合もありましたが、20回あまりテレビに出演しています。NHK(日本放送協会)、テレビ東京、千葉テレビ、ケーブルテレビ(JCNテレビ、J:COMテレビ等)が多く、テレビ朝日等にも少し登場しています。
 かつて、NHK 「日曜美術館(遣唐使・美の遺産)」(2010年5月2日放送)の取材を受けた際、5時間位かけて中国の壁画の復元模写の実演をしたのですが、上層部のご判断で撮影部分がカットされ、「取材協力」という名目で私の名前のみがテロップに流れました。私の取材・撮影分が多少、番組制作の内容構成に役立っていたようには感じましたが、少々、残念な経験でした・・・。
 NHK BSハイビジョン・BS2・総合 「にっぽん心の仏像」(司会:谷村新司、出演:松坂慶子、千住 博、緒川たまき 他/2007年8月13日放送)では、私のアトリエでしっかりと取材・撮影して放送していただきましたね。


  日本画家・絵本画家 後藤 仁


スリランカ寄贈絵本絵本『ながいかみのむすめチャンファメイ』(福音館書店こどものとも)、『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店)、挿絵本『おしゃかさま物語』(佼成出版社)

スリランカ寄贈絵本絵本『犬になった王子 チベットの民話』(岩波書店) 直筆サイン・メッセージ



千葉テレビ(チバテレ)公式ホームページ
http://www.chiba-tv.com/

千葉テレビ(チバテレ)公式ホームページ ─ NEWSチバ930  
http://www.chiba-tv.com/program/detail/1049 


 また、日本児童出版美術家連盟(童美連)公式ホームページ 「童美連トピックス ─ 風のたより」 と、美術年鑑社「新美術新聞」(9月1日号)でも、『スリランカ絵本寄贈プロジェクト』の記事をご掲載いただきましたので、合わせてご覧下さい。

日本児童出版美術家連盟(童美連)公式ホームページ 「童美連トピックス ─ 風のたより」
http://d-kouhou1.dobiren2.main.jp/?eid=194 

美術年鑑社「新美術新聞」 公式ホームページ
http://www.art-annual.jp/news-paper/


 新美術新聞美術年鑑社「新美術新聞」(2016年9月1日号)

             * 



 日本児童出版美術家連盟(童美連)の創設にもご尽力され、日本絵本界の発展に多大なるご貢献をされた、「だいちゃんとうみ」(福音館書店)、「チベットのものいう鳥」「月からきたトウヤーヤ」(君島久子 訳/岩波書店)等の絵本・挿絵本作品で知られる、太田大八先生が、先日、永眠されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 日本画の世界でも、東京藝術大学で直接お世話になった平山郁夫先生、加山又造先生や、日展の東山魁夷先生、高山辰雄先生が亡くなり、最近では日本美術院理事長の松尾敏男先生がご逝去されるなど、往年の大御所の方々が次々と世を去られています。今年、日本芸術院賞・恩賜賞を受賞された私の師である後藤純男先生も、ご高齢で北海道のアトリエから出て来られなくなりました。
 2010年の「平山郁夫先生お別れの会」(ザ・プリンスパークタワー東京)に私も参列しましたが、約2000~3000人もの関係者が居並ぶ様子は、日本画全盛時代の後期を支えた先生方の偉大さを感じました。
 『犬になった王子 チベットの民話』で文を書いていただいた君島久子先生や童美連の先輩方からも、太田先生との逸話を聞いて来ましたが、日本画の諸先生方や太田大八先生のご意志を私達若い絵描きが継承し、次の世代へ伝えていかなければならないという思いをなおさら強くしました。

 
共同通信「太田大八さんが死去」 
http://this.kiji.is/135251938906603526



犬になった王子―チベットの民話/君島久子 文、後藤 仁 絵/岩波書店

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『大垣祭り』 ユネスコ無形文化遺産に登録の見込み!! 

 私の伯父で、からくり人形師の後藤大秀が制作した「からくり人形」が乗せられて披露される『大垣祭り』が、昨年、「国重要無形民俗文化財」に指定され、今年2016年末には「ユネスコ無形文化遺産」に登録される見込みです。
 2009年には、後藤大秀が「全国山・鉾・屋台保存連合会 人形関係修理技術者」に認定され(全国で3名のからくり人形師のみ認定)、その技術の確かさが公の機関によって保証されました。
 伯父の「からくり人形」が活躍する『大垣祭り』の魅力が、世界に広がっていくのはうれしい限りです。毎年5月に岐阜県大垣市で『大垣祭り』が開催されますので、ぜひ見に行って下さい。
  日本画家・絵本画家 後藤 仁


大垣市 公式ホームページ : 大垣祭り
http://www.city.ogaki.lg.jp/0000001311.html

大垣観光協会 公式ホームページ : 大垣祭り
http://www.ogakikanko.jp/event/ogakimaturi/

「山・鉾・屋台行事」の ユネスコ無形文化遺産登録(代表一覧表記載)に向けた 再提案について - 文化庁 公式ホームページより (PDFデータ)
http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/2015021701.pdf

全国山・鉾・屋台保存連合会 - 文化庁 公式ホームページより (PDFデータ)
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/supporter/pdf/katsudo_minzoku_05_ver3.pdf


からくり人形・能面展「後藤大秀 からくり人形・能面展」(2007年8月 名古屋市博物館) 後藤大秀、後藤 仁

大垣祭り 相生山「神主友成」大垣祭り 相生山「神主友成」(後藤大秀・制作)

               *

 前に、このブログでも伯父、後藤大秀を紹介しましたが、日本機械学会会員で大垣祭り・からくり人形研究家の早川晃示さんに送っていただいた資料等を元に、新しく書き直した内容を以下に掲載いたします。

【私の伯父、からくり人形師 後藤大秀  http://ameblo.jp/gotojinjapan/entry-12050667111.html 】



後藤 大秀(ごとう  だいしゅう、1929年~  、本名は後藤 秀美 )は、名古屋を中心に活躍する著名な「からくり人形師」であり、後藤 仁の伯父(父の兄)でもある。


〔概要〕
 現在、日本で本格的な「からくり人形師」として活動しているのは数名しかおらず、後藤大秀は日本を代表するからくり人形師の一人である。 全国的にも有名な大垣祭、大津祭といった祭りの、「山車からくり(だしからくり)」の完全復元や修復を多く手がける。(この場合の復元とは、昔の人形を基に全く同じ姿形の人形を新しく制作する事。修復とは、昔の人形の破損した箇所だけを作り直す事。)
 なかでも、大垣祭の相生山「神主友成」復元制作では、昔の人形は過去に紛失していた為、古い写真一枚と古老の証言のみを基に制作をしたので、この場合はほぼ完全創作と言える。

 「からくり人形」は頭・首・手・足・胴・胴串等から出来ており、頭・首・手・足には木曽檜、胴には桜、軸は樫、ピンは竹、滑車類はツゲといった木材を、バネには鯨のヒゲを使用する。昔と変わらぬ道具や材料を使用して、人形一体を制作するのに一年はかかる。
 後藤大秀の作品は、「能面打ち」修行でつちかった髪や目の繊細な線描きと、深い色合いの彩色や、「宮大工」時代につちかった高度な木工技術による、複雑なからくり仕掛けが特長である。

〔略歴〕
• 1929年 愛知県一宮市に生まれる。〔本名、秀美(ひでみ)。父は指物大工である。甥は日本画家の後藤 仁。〕その後、岐阜県大垣市に移る。
• 1948年 工匠の小寺浅之助に堂宮建築(宮大工)を学び、のち数寄屋建築(茶室)を手がける。
• 1950年 大垣祭の大黒山(三輌山)「保管箱(厨子)」制作。
• 1980年 能面打ち師の東 安春に師事し、能面打ち修行をする。
• 1984年より、「からくり人形」復元制作を始める。名古屋市 戸田まつりの四之割「宙吊り小唐子」「肩車大唐子」「采振り童子(ざいふりどうじ/采振り人形)」復元制作。
• 1988年 「大垣市市展賞」受賞。
• 1991年より、名古屋市筒井町 天王祭の神皇車(じんこうしゃ)「神功皇后(じんぐうこうごう)」「武内宿禰(たけのうちのすくね)」「面かぶり巫女」「采振り童子」復元制作。
• 1992年 大垣市東地区センター能面の会 講師。
• 1994年より、大垣祭の相生山「神主友成」「住吉明神」「尉」「姥」復元制作。
• 1994年 豊田佐吉記念「トヨタ産業技術記念館」(名古屋市)に唐子人形を制作納入。
• 1996年 大垣祭の相生山「神主友成」「住吉明神」完成。
• 1998年 「大垣市教育功労賞」受賞。
• 1999年 大垣祭の相生山「尉」「姥」完成。
• 1999年 大垣祭の愛宕山「武内宿禰」「神官人形(狂言師人形)」復元制作。
• 1999年 大垣市美術家協会 理事。「第14回国民文化祭」(岐阜県高山市)で、からくり人形の制作実演。
• 2000年 大垣市市展 審査員。
• 2001年 大津祭の龍門滝山「鯉」復元制作。
• 2001年 大垣祭の浦嶋山・布袋山「采振り童子」復元制作。
• 2003年より、名古屋市 広井神明社祭の二福神車(にふくじんしゃ)「恵比寿人形」「大黒人形」「采振り童子」復元制作。
• 2005年 岐阜県神戸町町展 審査員。
• 2007年 「大垣祭り出軕運営委員会 功労賞」受賞。「後藤大秀 からくり人形・能面展」(名古屋市博物館)開催。
• 2009年 大垣祭の布袋山「倒立唐子人形」復元制作。
• 2009年 「全国山・鉾・屋台保存連合会 人形関係修理技術者」認定(全国で3名のからくり人形師のみ認定)。
• 2014年 常滑市大野橋詰町 尾張大野祭の紅葉車(こうようしゃ)「逆立ち唐子」「采振り童子」復元制作。
• 2015年 大垣祭が「国重要無形民俗文化財」指定
• 2016年 大垣祭が「ユネスコ無形文化遺産」登録の見込み。

〔その他〕
• 後藤大秀が修復した「からくり人形」が使用されている山車。
 大垣祭の菅原山、榊山、愛宕山、神楽山(三輌山)
 大津祭の郭巨山
 名古屋市 戸田まつりの一之割、三之割、五之割
 羽島市 竹鼻まつりの福江町・上町の山車
 大垣市 綾野祭の猩々山
 半田市 亀崎潮干祭の東組宮本車
 津島市 津島秋祭の麩屋町車、池町車    等
• 「名古屋まつり」には、筒井町 天王祭の神皇車と広井神明社祭の二福神車が登場する。
• 後藤大秀の「からくり人形作品」は、名古屋市博物館、神皇車保存会、トヨタ産業技術記念館(名古屋市)等に収蔵されている。

〔参考文献〕
• 千田靖子「図説からくり人形の世界」2005年11月1日 法政大学出版局
• 早川晃示「第八章 大垣祭のからくり人形機構(大垣祭総合調査報告書より)」2014年3月 大垣市教育委員会
• 「第14回国民文化祭・ぎふ99 からくり文化フェスティバル─からくり今むかし─」1999年10月 第14回国民文化祭岐阜県実行委員会
• 「月刊西美濃わが街」1985年10月1日号 p.6(後藤秀美特集) 月刊西美濃わが街社
• 「月刊西美濃わが街」1986年3月1日号 p.56-59(後藤秀美特集) 月刊西美濃わが街社  
• 「岐阜新聞」1996年8月23日朝刊(美濃・飛騨のワザ人たち、後藤大秀特集)
• 特別展「からくり─見る・作る・遊ぶ─」図録 2007年7月28日 名古屋市博物館
• 「後藤大秀能面展(名古屋市博物館)」パンフレット 2007年8月 後藤大秀後援会  他



「大垣まつり 掛芸披露の様子」 大垣地域ポータルサイト西美濃


「国の重要無形民俗文化財に指定!大垣まつり2015(大垣ケーブルテレビ制作)」 大垣ケーブルテレビ公式チャンネル





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 「スリランカ写生旅行」の7日目、2016年6月12日(日)。旅もようやく1週間目です。わずかな旅の疲れはあるものの、段々体も土地に慣れて調子が出て来ました。
 今日の朝食もパンで済ませて、朝7時前にはバスでペーラーデニヤ植物園に向かいました。キャンディの市内バスターミナルからバスで20分位で着きます。この植物園はアジアでも屈指の規模を誇る植物園という事で期待が高まります。

 開園時間の7時30分の前に着いたので、入口付近の店でパンとジュースを買い込み、少し待ってから入園しました。入園料1500Rsです。(スリランカには「外国人価格」という制度があり、スリランカ人はずっと安い場合が多いです。)
 この園はすごいとは聞いていましたが、予想を超える素晴らしさです。まさにここは楽園でした。ヤシのコレクションや竹のコレクションなどを見て、池を巡り、大ジャワ・ビンローの広場へ出ました。前にあった超巨大なジャワ・ビンローの木は倒れてしまい、今は少し小ぶりな2代目が佇立しています・・・、と言ってもかなり巨大です。園の奥に進み、大王ヤシの並木を通ります。頭上を、大きなインドオオコウモリが無数に飛び交っており、いやが上にテンションが上がります。園の最深部には吊り橋もあります。
 心地良い林の中で一息ついて、入口で買っておいたパンとジュースをいただきました。園内のあちこちで、シマリス(インドでもよく見た種類です。私の挿絵本『おしゃかさま物語』〈佼成出版社〉の中にも描いています。)や、カッパのような頭のトクモンキーというサルに出会えます。花園の片隅で、日本にいない珍しい鳥を見付けたので近づいてみると、全く逃げません。よく見ると卵を抱いています。そこで、SM号のスケッチブックに一枚描きました。Red Wattled Lapwingという鳥だそうで、目の周囲のオレンジ色が特徴的です。

 フラワー・ガーデンや温室を見て、昼12時を過ぎてお腹もすいたので、園内の「ロイヤル・ガーデン・カフェテリア」で昼食です。少し高そうですが、気分が良いので奮発します。チキンカレー(725Rs)、ライムソーダ(260Rs)、サービス料を入れて計1083Rs(日本円では800円位)です。通常、公園内の食堂は今一つの場合が多いのですが、ここの食事はとても豪勢で美味しかったです。
 昼前に目星を付けておいた面白い巨木を、F4号に1時間30分ばかりかけて描きます。Java Fig Treeといい、周囲の木の枝と枝がつながり、異様な景観です。その隣に佇む苔むした巨木といい、まるでジブリアニメの「もののけ姫」に出て来そうな雰囲気です。
豆知識:8月5日に日本テレビ・金曜ロードSHOWで再放送された、スタジオジブリのアニメ映画「もののけ姫」にも影響を与えていると言われている宮崎 駿さんの絵物語「シュナの旅」(徳間書店)は、ジブリアニメ「ゲド戦記」(宮崎吾朗監督)の原案になった事でも有名です。その「シュナの旅」の原話が、チベット民話「犬になった王子」です。更にその「犬になった王子」を絵本化したのが、絵本『犬になった王子 チベットの民話』(君島久子 文、後藤 仁 絵/岩波書店)なのです。〕
 スケッチをしていると、グラサンをかけたスリランカのチャラい若者が寄って来て、スマホで自撮りツーショットを撮らしてくれと言います。何に使うのやら・・・、まあ、悪意のない陽気な若者でしょう。

 午後2時30分頃、7時間ばかり植物園を堪能して、キャンディの町へ帰りました。今日はキャンディ芸術協会(カルチュラル・ホール)のキャンディアン・ダンスを鑑賞しようかと考えながら、宿でシャワーを浴びて休憩していますと、外が何やら騒がしくなって来ました。窓外を見ると、ゾウの行進が見えました。「何だこのイベントは・・・」と、カメラだけを持って急いで外に飛び出しました。
 まだ行進は続いていました。丁度、仏歯寺の境内に入って行くところです。ペラヘラ祭のミニ版のような感じで、定期的に開催している行事なのでしょう。3頭のゾウと多数の男性ダンサー・楽隊が踊りながら、町を練り歩いて行くのです。行列に付いて行きながら、写真をバシバシ撮りました。この時期にペラヘラ祭が(かなり小規模ですが)見れるとは思っていなかったのでラッキーです。行列は、仏歯寺からまた外に出て、クイーンズ・ホテル前を通って、キャンディ湖畔の辺りで雨が強く降って来て解散になりました。
 今日はこれで満足したので、キャンディアン・ダンスを見ずに、夕食のパンを軽く食べて、明日のシーギリヤ移動に備える事にしました。シーギリヤ・ロックは、10数年前にテレビや写真集で美女のフレスコ画を拝見して以来、訪れてみたいと願って来た場所で、今回の旅の目玉です。

スリランカ旅行「ロイヤル・ガーデン・カフェテリア」 チキンカレー(725Rs)、ライムソーダ(260Rs)

スリランカ旅行「ペーラーデニヤ植物園」 Java Fig Tree、まさに「もののけ姫」の世界!

 旅行8日目、2016年6月13日(月)。キャンディのメインバスターミナルから朝7時30分発、シーギリヤ行きのバス(120Rs)に乗り込みます。11時頃、シーギリヤに到着。まずは宿を探します。シーギリヤ・ロック近くの「フラワー・イン」というゲストハウスに2泊する事にしました。部屋を見せてもらうと、とても立派なので、一泊1200Rsという値段が信じられず、思わず「1200Rsルーム?」と聞き返したほどです。部屋にはホットシャワーとトイレが付いていて、部屋の入口は心地良い内庭に面していて、そこのイスとテーブルで休憩もできます。宿のおかみさんも良い人です。

 今日はシーギリヤ・ロックの周囲を回ってみます。周囲の堀の畔では、スリランカ・ハイイロオナガザルやサイチョウやウシに出会えました。カワセミの一種の青い鳥が堀を飛び交います。ここは動物の楽園です。
 通常、観光客が立ち寄らない堀の奥に進むと、スリーウィーラー(3輪タクシー)のあんちゃんの休憩所があり、堀を発掘している箇所もありました。シーギリヤ・ロックを遠巻きに一周しようかと考えていたのですが、森が段々深くなり危険そうなので、引き返しました。良いアングルでシーギリヤ・ロックの頂上が見える場所があったので、そこから1時間30分くらいかけてF4号にスケッチしました。この角度からシーギリヤ・ロックを眺めた観光客はほとんどいないと思います。先程のスリーウィーラーや発掘現場の人が6~7人集まって来て、絵を見せてくれと言います。今までのスケッチを見せて説明してあげると、しきりに感心しています。「絵」は言葉の違いを超えて万国共通の言語になります。一気に地元の人と心が近くなり、一般観光客とは異なる対応をしてくれる場合もあるのです。こんな交流がまた旅の醍醐味でもあります。
 遅めの昼食は、「WIJESIRI FAMILY RESTAURANT」のチキンカレー(450Rs)、マンゴージュース(200Rs)、Curd(200Rs)を取りました。Curd(カード)というのは水牛のヨーグルトで、キトゥル・パニというヤシの花蜜をかけて食べるのですが、これが濃厚で実に美味しいのです。前にネパールの旅でバクタプルの名物、ズーズー・ダウという絶品濃厚ヨーグルトを食べた事があるのですが、それに次ぐ美味しさのヨーグルトでした。ああ、またズーズー・ダウが食べたい・・・、バクタプルも大地震の被害は相当大きかったようで心配なのですが・・・・。

スリランカ旅行ゲストハウス「フラワー・イン」の部屋(大きなベッドが2つありますが、シングルルームの設定です。たいてい蚊帳が付属しています。) シングルルーム(ホットシャワー・トイレ付、エアコンなし・ファン付) 一泊室料 1200Rs

スリランカ旅行「WIJESIRI FAMILY RESTAURANT」 チキンカレー(450Rs)、マンゴージュース(200Rs)

 宿のトイレの水の出が悪いので、トイレのタンクの中を見てみると、小さなカエルが2匹住み着いていました。夜になると部屋のあちこちにもカエルが出て来ました。カエル嫌いの方には迷惑な事でしょうが、両生類も爬虫類も昆虫も平気な私は、こんな可愛い出会いも楽しみました。夕食はクラッカーとバナナで軽く済まして、本を読みながら眠りにつきました。

 明日はいよいよシーギリヤ・ロックを探訪します。この模様はまた次回といたしましょう。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁


犬になった王子――チベットの民話/岩波書店

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テーマ:
♡スリランカの子供達に「絵本」を贈ろうプロジェクト♡ 
いよいよ、50冊の寄贈絵本を乗せて船出しました~。

 寄贈絵本をまとめて、8月8日にスリランカへ送付しました。船便にて1~2か月をかけてスリランカに着いた後、スリランカのボランティア団体・スランガニ基金のご協力でスリランカの子供達の手に届く予定です。無事にスリランカへ到着する事を願っております。
(ご注意:スランガニ基金では一般の方からの絵本寄贈を受け付けていません。ご支援をお考えの方は、基金の公式ホームページからアクセスして、寄付金という形でお願い申し上げます。)

 今回、日本児童出版美術家連盟(童美連)の絵本作家にも声をかけて、ご協賛下さった方から、直筆サイン・メッセージ入りの「絵本」をいただきました。心より御礼申し上げます。

 この後も、熊本やネパールをはじめ、世界・日本各地への「絵本寄贈プロジェクト」は継続して行きたいと考えています。
 なお、今回の「スリランカ絵本寄贈プロジェクト」の模様は、千葉テレビ(チバテレ)にて取材していただきテレビ放映される予定です。放送日など詳しくは追ってお知らせいたします。

 千葉テレビ(チバテレ)公式ホームページ  http://www.chiba-tv.com/


 スリランカは長い内戦で国内経済は疲弊し、今ようやく経済発展をとげている途上ですが、出版事情は決して良いとは言えず、特に地方では子供達が良質な本を読む機会は少ないのが現状です。日本から贈った上質な「絵本」を読んで育った子供達が、豊かな心を育み、未来の明るく平和なスリランカ、そして世界を築いて行ってくれる事を願っております。また、これらの活動が、両国の更なる平和友好に貢献する事を期待しております。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁 


スリランカ寄贈絵本絵本『ながいかみのむすめ チャンファメイ』(君島久子 再話、後藤 仁 画/福音館書店こどものとも)、絵本『犬になった王子 チベットの民話』(君島久子 文、後藤 仁 絵/岩波書店)、挿絵本(読み物)『おしゃかさま物語』(本間正樹 文、後藤 仁 絵/佼成出版社)



  【寄贈絵本目録】 

絵本『ながいかみのむすめ チャンファメイ』(君島久子 再話、後藤 仁 画/福音館書店こどものとも)26冊(うち1冊は寄贈済み)
絵本『犬になった王子 チベットの民話』(君島久子 文、後藤 仁 絵/岩波書店)1冊
挿絵本(読み物)『おしゃかさま物語』(本間正樹 文、後藤 仁 絵/佼成出版社)3冊(うち1冊は寄贈済み)、計30冊

絵本『ねずみのえんそく もぐらのえんそく』(藤本四郎 作・絵/ひさかたチャイルド)

絵本『あやちゃんのうまれたひ』(浜田桂子 作・絵/福音館書店)
絵本『おとをつくろう』(浜田桂子 作・絵、中西智子 監修/福音館書店)
絵本『わらう』(浜田桂子 作・絵/福音館書店かがくのとも)、計3冊

絵本『絵巻えほん 恐竜たち』(黒川みつひろ 作・絵、小畠郁生 協力/こぐま社)
恐竜絵本シリーズ(黒川みつひろ 作・絵/小峰書店)9冊、計10冊

絵本『せんたく ねこさん』(高木さんご 作・絵/ひさかたチャイルド)3冊

絵本『おつきさま なにみてる』 『おひさまさんさん おはようさん』(中嶋香織 作・絵/岩崎書店)、計2冊

絵本『おばけのだっこ』(嘉村靖子 作・絵/タリーズコーヒージャパン)
点字絵本『へんしん まるちゃん』 『おでかけ まるちゃん』(嘉村靖子 作・絵/ユニバーサルデザイン絵本センター)、計3冊 

  総計 52冊



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