生きるとか 死ぬとか


ゴリ(小西貴士) の 森のようちえん日記



年長さんと 雪舞う 森へ ―



牡鹿の死に 出会いました



子どもたちに とってみれば


日々を楽しむ という物差しとは


また異なる 物差しで測るような 時間です



このあたりの 鹿の王様ではなかろうか というような


立派な 牡鹿でした



子どもたちと 話しました



ひょっとすると 足を骨折したのかもしれない


ひょっとすると お腹に病気を抱えていたのかもしれない



子どもたちと 話しました



この牡鹿が死んで ひと晩目


だれも やって来ませんでした



ふた晩目


キツネのお母さんが これを見つけました



キツネのお母さんは


牡鹿のお腹のいちばん柔らかいお肉を いただきました


そうして 春には 元気な赤ちゃんを 産みました



小鳥のお母さんは


牡鹿の柔らかな毛を ひとつかみ いただきました


そうして 巣の底に敷きつめて そこに卵を産みました


 

また 子どもたちと こんな 話もしました



蹄に残った このたくさんの傷は


あのお山に登ったときの 傷でしょうし


渓谷を何度も歩いたときの 傷でしょう



生きるとか


死ぬとかの感覚が


子どもたちの中を


その子 ひとりひとりに合わせて 巡ったことでしょう



生きるとか


死ぬとかについて


決めなければならないことは 何もありません



ただ ぼくは 想っています


こうして 深夜になっても 想っています



こんなふうに 出会ってゆこうね









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