ごんざの「学校」 | ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

ゴンザのことば 江戸時代の少年がつくったロシア語・日本語辞書をよむ

1728年、船が難破して半年後にカムチャツカに漂着した11歳の少年ゴンザは、ペテルブルグで21歳でしぬ前に露日辞書をつくりました。それを20世紀に発見した日本の言語学者が、訳注をつけて日本で出版した不思議な辞書の、ひとつずつの項目をよんだ感想をブログにしました。

「ロシア語」(ラテン文字転写)「村山七郎訳」『ごんざ訳』

「училище」(uchilishche) 「学校」  『ししゃ』
「школа」(shkola)      「学校」  『ししゃ』
                      村山七郎注 ししゃ(師舎?)

 「училище」(uchilishche)はスラブ語の「учи–」(uchi-)(おしえる)が起源のことばで、「школа」(shkola)はドイツ語からの外来語だということはわかるけど、18世紀のロシア帝国で、どうちがっていたのかはわからない。
 ロシア語の辞書をひくと、どちらも「学校」とかいてあるけれど、国民がみんなかようところではなかっただろう。軍隊の学校とか、修道院とか、役人の養成所とか、音楽学校とか。

 一方、当時の薩摩には郷中(ごじゅう)という教育制度があって、子どもと若者は「舎」というところで勉強していたらしい。子どもから若者まで4段階にわかれていたそうだから、ごんざの訳語の『ししゃ』というのは、たぶん「四舎」だろう。
 ごんざは「молодецъ」(molodets')(若者)の訳語に『にせ』(二才)(青二才の「にさい」だ)とかいているが、この「二才」は上から2番目のグループだそうだ。

 では、ごんざは日本を出発した時11歳だったから、どのグループにいたのか、というと、これはさむらいの子どもだけの制度だから、船のりの子のごんざはそこで勉強したわけではない。そういう制度の名前をしっていただけだ。

 だれでもみんな一緒に勉強できる公教育というすばらしい制度ができるのは、明治になってからなのだ。