1982年に起きた「フォークランド紛争」は、20世紀世界史の大きなターニングポイントに数えてもいいのではなかろうか。
 
 
サッチャー首相は、いまでこそ有能な政治家の名声を轟かせていますが、就任当時ははなはだ不人気でした。
 
彼女の政治思想は、新自由主義。
 
「市場に政治は介入しないべきだ」というネオリベ路線です。
 
日本の小泉政権を例にして出すと分かりやすいかな。
 
新自由主義は乱暴に言えば「いらない産業は税金で援助すべきではない(淘汰されるべきだ)」という路線なので、どうしても最初の段階では失業者の続出を避けられません。
 
大抵の場合、この最初の段階で国民の大多数は我慢できなくなります。
 
小泉首相の言った「痛みに耐えて」なんて、そう容易くなんてできないんです。
 
ゆえに、サッチャー首相の失脚はいつ起きてもおかしくなかったのですが、「あること」が起きたために、その政治生命は延命されました。
 
これこそが、ワタクシが「世界史のターニングポイント」に数えた「フォークランド紛争」でした。
 
 
「フォークランド紛争」の、もう一方の当事者はアルゼンチン。
 
20年間も独裁政権を続けてきたファン・ペロン大統領が亡くなると(1974年)、クーデターが勃発して軍事政権が誕生します。
 
でも、この軍事政権がロクなもんじゃなかった(やっぱり ^^;)
 
政権樹立直後から旧大統領派を弾圧。3万人もの大粛清を行って「汚い戦争」と国内外で大ブーイングを浴びました。
 
それだけでなく、ペロン・ファミリーのダメ政治でボロボロだったアルゼンチンの経済を、政争に明け暮れる軍事政権が立て直せるはずもなく、さらに悪化の一途。
 
国民の不満は、最高潮に達します。
 
 
溜まりに溜まった国民の不満を抜く、一番手っ取り早い解決法。
 
それは「国内の不満を他国に転嫁する」。これです。
 
軍事政権は、150年もイギリスが実効支配してきたフォークランド諸島の領有権問題を吊るし上げて、国民を煽ります。
 
「諸君、あれはフォークランド諸島か?違う!アルビナス諸島である!イギリスではなく、アルゼンチンのものなのだ!!」
 
この煽動が、見事に的中。
爆発寸前だった国民の目を他国に向けることに、見事に成功します。
 
・・・・が、この劇薬が思惑以上に効きすぎて、「アルビナス諸島奪還運動」が暴走開始。
 
「アルビナス諸島を奪い返せ!」
「軍事政権はイギリスに宣戦布告せよ!」
「軍事政権が弱腰外交を続けるなら、俺たちが義勇兵を募って奪い返してやる!」
 
国民世論は、もう誰にも止められない・・・・。
 
1982年4月2日。
アルゼンチン軍はフォークランド諸島を、わずか1日で占領。

アルゼンチン軍事政権は、やりたくもないイギリスとの戦争を、やらざるを得なくなってしまったのでした。
 
 
これに対するイギリスの・・・・いや。サッチャー首相の反応は、毅然としたものでした。
 
「大英帝国の旗の下、祖国に救援を求める国民が一人でもいる限り、我が国政府は見捨てることは絶対にない」
 
戦争反対を訴える閣僚に「この内閣には、男は私一人しかいないのですか!」と言い放って説き伏せ(って言っていいの?^^;)、4月5日には機動部隊を派遣という果断な反応を見せます。
 
大西洋の小島をめぐる戦いは2ヶ月に及び、6月14日にアルゼンチン政府を軍門に下して、見事にイギリスは勝利を掴んで見せたのでした。
 
 
こうして見ると、フォークランド紛争はアルゼンチンのポンコツ軍事政権の都合だけで起きた戦争であることが分かります。
 
しかし、その軍事政権がやろうとして失敗してしまった「国内の不満を他国に転嫁する」という、「溜まりに溜まった国民の不満を抜く、一番手っ取り早い解決法」が、サッチャーの元に図らずも与えられる形になりました。
 
この勝利によってサッチャー政権は奇跡的に延命され、彼女の「痛みを伴うネオリベ政策」は、高い支持率の元に行うことができました。
 
当時「世界一の社会民主主義国家」イギリスは、サッチャーの大鉈のもとに無駄を削られ、資本主義国家・イギリスとして生まれ変わります。
 
イギリスが作った資本主義の経済力は、世界を席巻し、やがてソ連崩壊につながっていきます。
「共産主義に未来はない」ことが示されたのです。
 
ロシアが生まれ、東ヨーロッパが解放され、中国が資本主義に舵を切り、20世紀は資本主義の勝利に終わりました。
 
資本主義の成功はサッチャーの成功であり、サッチャーの最初の勝利が「フォークランド紛争」だったのです。
 
 
もしサッチャーが早くに失脚していても、遅かれ早かれ結局は共産主義は滅びて資本主義が勝っていたでしょう。
 
ネオリベは冷徹で過酷な政策だけれど、「人間の気味」さえも否定してしまう共産主義の地獄に比べたら、何百倍も「マシ」だからです。
 
ただ、サッチャーのおかげで、その勝利は加速的に早まりました。
 
サッチャーの幸運は、世界の幸運であったと言っても過言ではないと、ワタクシは思います。
 
 
また、アルゼンチンの敗北後、世界中で「軍事政権」の存在が、加速的に減少して行ったことも興味深いです。

アルゼンチン軍事政権の敗北の影響なのか?
ワタクシにはよく分かりませんが、影響は大きかったんじゃないかと思っています。
 
南米やアジアで、軍の政治介入がなくなった国々は、徐々に経済が発展していくようになりました。
軍部が政治介入をやめなかったミャンマーや北朝鮮が経済発展できず、置いてけぼりをくらって取り残されていくのとは対照的。
 
日本が敗戦後、軍隊が解体された途端に高度経済成長を成功させたのと、同じようなことが起きていたのだと思います。
 
 
この世の地獄・共産主義を葬り去る資本主義を誕生させ、経済発展の邪魔・軍部政治介入を取り去った。
 
このターニングポイントが「フォークランド紛争」であり、それを実現させたのがサッチャー元首相。
 
そのサッチャー女史が、亡くなられたそうです。
 

「鉄の女」サッチャー元英首相死去、民営化などで国内外に影響
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTJE93700D20130408


「20世紀」を先導した“鉄の女”サッチャー元首相の訃報に、心からお悔やみ申し上げます。
 
 
サッチャーは功罪ともに大きな人。
 
「負の面」も多くあります。
 
ですが、今日は死者に礼節を・・・・ということで。
 
 
 
余談。
 
サッチャー女史は、政治家になる前は「アイスクリームに空気を混ぜる」研究をしておりました。
 
「鉄の女」の意外な過去でした(笑)