昭和二年生まれのひとりごと 第167回 生活環境と世相
テーマ:想い出日記【第167回】
「生活環境と世相」
【生活環境と世相】
学校生活は結構楽しかったですが、世の中は騒がしくなってきました。この頃の物価はどうであったか、少し調べて見ました。
「豚肉・中上・100匁・55銭」「牛乳・1合・7銭7厘」「バター・半ポンド・1円8銭」「清酒2級・1升・1円90銭」「化粧石鹸・1個・9銭」「洋傘・男子用・綿無地・2円20銭」「タクシー料金・東京上野から銀座・30銭」「市内電車・7銭」「乗合自動車・5銭」「うどん・そばカケ・1杯・8銭」「うどん・そば種物・12銭」「大福・1個・1銭5厘」「今川焼き・1個・1銭5厘」「並せんべい・1枚・1銭~2銭」
紙巻きたばこ類。
「敷島・18銭」「朝日・15銭」「カメリヤ・10銭」「不二・25銭」「國華・30銭」「やよい・18銭」「スター・15銭」「オリエント・30銭」「ほまれ・7銭」「ゴールデンバット・7銭」「胡蝶・6銭」「アルマ・40銭」「エアーシップ・12銭」「みのり・15銭」
以下は刻み煙草で5匁単位。
「福寿草・25銭」「白梅・18銭」「さつき・12銭」「あやめ・10銭」「はぎ・7銭」「なでしこ・5銭」
実際煙草の種類がこんなにあるとは知りませんでした。父が吸っていた煙草は、「朝日」で、此の煙草は吸い口が付いていました。後はキセルを使って刻み煙草でした。キセルは毎日コヨリを作って掃除していましたよ。月に一回くらいは笛を鳴らしながら流してくる「ラオ屋」と言う、キセルの手入れ屋に頼むようでしたね。
当時は尺貫法の時代ですから、1匁=3.75gですから、5匁=18.75gだし、100匁=375g です。
その他、夜になると「支那そば屋」がチャルメラを吹きながら流して来たようですが、待っていたように群がつて食べているのは住み込みの小僧さんが多かったですね。子供達は躾が厳しかったから、それはしません。らーめんとは云いません。支那そばです。1杯10銭ぐらいだったでしょう。
子供達の世界でも、此の昭和13年までが平和だったと思いますよ。次第に戦時色が強まって来たし、物価も統制を受けるようになり、又物資も不足するようになって来ましたから、子供にも当然影響が出て来ます。
第一若い女性の、パーマネントを掛けて、ワンピースを着た姿を見れたのはこの年が最後でした。
私の遊び友達の中に二三人の「悪ガキ」がいました。毎日遊んでいた仲間で、相撲でも水泳でも何時も一緒でした。でも学校はそれぞれ違います。「悪ガキ」と言っても別に悪いことをするわけではなく、いたずらが過ぎるかな・・と云う程度です。
其の友達と云うのは「大月」と「中村」と云う同じ年の仲間でしたが、こんなこともありました。3人で夏休みに豊島園のプールに泳ぎに行ったときです。裸になってプールに走って出て行ったのですが、突然プール脇に倒れるように寝ころんだのです。此のプールは50mプールで、周りには観覧席のように階段で高くなっています。
当時は戦時中ですから、若い女性のスカートをはいた姿は普段見られなくなっていました。ところが其の階段に若い女性が座っていたんです。連れの「悪ガキ」は其の下に寝ころんで、其の女性のスカートの中を覗き込んでいたんです。「此のバカ野郎・何してるんだ」と怒鳴ると「へへへ・絶景、絶景」だって
云ってへらへら笑いながら立ち上がったのです。11歳くらいのガキがこんな事をするんですね。




