『誰が国賊か―今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一&渡部昇一 文春文庫
- 谷沢 永一, 渡部 昇一
- 誰が国賊か―今、「エリートの罪」を裁くとき
自分の利益の為に行動している似非右翼ではなくて、
本物の愛国者の谷沢永一&渡部昇一は素晴しい!
国を損う者、国賊を実名を挙げて批判しておられます。
日本の歴史において最悪の国賊は、
大蔵省銀行局長土田正顕だと指摘しておられます。
土田の発した通達によってバブルが弾けて、
660兆円が消えたのであります。
愛国者にとって個人の富より国家全体の富の方が優先される。
泥棒は富を個人から個人に移動させるだけで、
盗んだ金の価値は消えない。
経済消費として使用されるのなら、
汗水垂らして稼いだ金も、
盗んだ金も、
国家経済にとっては同じことである。
外国企業から何億円もの賄賂を貰った田中角栄は犯罪者であるが、
外国の金を日本に移した点では、国家にとっては英雄である。
官僚エリートは自分の権力を確かめたいので、
とんでもない損失を国家に与えても平気である。
国家を動かしているという自惚れがあるから、
自分のミスをミスとも思わない。
ほとんどの政治家は官僚の原稿を読むだけ。
財界も役所の規制で縛ることが出来る。
マスゴミは取材拒否をちらつかせれば、なんとでもなる。
悪徳政治家や悪徳企業はマスゴミにも叩かれるが、
官僚が叩かれることが少なかったのは、
マスゴミにまともな記者がいなくなり、
出世欲に塗れた新聞社や出版社の単なる社員だからという分析は納得した。
日本の官僚は優秀だという伝説があったが、
それはマスゴミが官僚の悪を告発してこなかったからだと、
谷沢永一&渡部昇一は主張しておられます。
他に批判されているのは、
大蔵省理財局国庫課長榊原英資、
厚生省薬務局長松下廉蔵など。
個人攻撃はいけないという説があるが、
官僚として権力を持つ者は、
実名を出して叩かないと、
その官庁の不正の体質が直らないと
谷沢永一&渡部昇一は説きます。
国家国民を損ねることをすれば、
エリートでも叩かれるという風潮を作るべきである。
職名だけで叩いても、反省して辞任しましたと言い、
その国賊は、別の官庁へ栄転する可能性があるのです。
ある程度年ならもちろん天下りして逃げる。
追及するには個人名は必須である。
谷沢永一&渡部昇一コンビは、
実名で批判していたら、
東大法学部出身の官僚エリートに「告訴するぞ」
と脅されたこともあるそうだが、
本物の愛国者であるなら、
天が守ってくれるので心配するなw
で、国賊を輩出する東大法学部を両氏は唾棄しておられますww
学校廃止論も飛び出します。
文部省の利権の為に学校があるので、
学校を廃止するべきだという説も共感した。
民営の塾を教育機関として認可し、
教育を受けたい子供のいる家庭に直接学資を配給する制度を提唱しておられます。
実は現状の塾もすぐ、義務教育としての小学校、中学校として認可することは可能なのである。
法律的には可能なのだが、
認可しても文部省の役人に利益が出ないので認可されないのである。
エリートの役人は、
国民と国家は自分たちの利益の為に存在していると思っていて、
エリート同士の仲間意識は強いので、
エリートの罪を暴くのは苦労する。
内部告発を求めても虚しい。
役人に不正役人をチクレと要求しても、
チクって仲間外れにされると自分も美味しい汁を吸えなくなるので、
役所内部からの告発はほぼ不可能。
だが、谷沢永一は妙手を発見した。
正面から取材しても相手にされないが、
往復葉書で問い合わせると、
意外に返事が役所からも来るそうである。
返信切手を同封しても駄目。
仕事せずに楽して金を儲けたいという奴が役人になるのだから、
長文の答えは引き出せない。
住所を書く手間さえお役人はいやがるのである。
ほんの一言を書いて切って投函するだけの往復葉書だと
意外と返事が来るという情報は有益だね。
政・財・官・マスゴミと日本の四大権力の不正を、
愛国者として暴き続ける谷沢永一&渡部昇一は素晴しい。
ちなみに二人が友人になったのも、
谷沢永一からの往復葉書がキッカケだそうですw
50過ぎまで古本屋に借金があった谷沢永一は本の虫。
渡部昇一の本が面白いと思って、
往復葉書で全著作名を問い合わせたのが二人の出会いだそうですww
ネット無き時代の古き良きエピソードでんな。
二人は右翼なので、競争、戦争を肯定している点のみは私は共感出来ないが、
好きな左翼系知識人林達夫との共通点を発見出来たのは収穫。
それはアマチュアリズムの有効性である。
偏差値の高いエリートが国賊になる時代。
プロとしての能力は無い筈のアマチュアの方が、
有用な場合も有り得る。
アマチュアは利権団体と無縁でいられるという強みもある。
プロとしての利権団体に所属せずに、
日本と日本国民の為に私も活動したいと思います。
もちろん、日本よりは世界の為に生きたいですがね。