雪が降る中、松江市の美保関にある美保神社の摂社である地主社にお参りしました。ここにはミホススミという聞き慣れない女神がひっそりとお祀りされています。私のとても大好きな場所です。

 
 

美保神社は現在ではミホツヒメ(美保津姫命)とコトシロヌシ(事代主命)の二柱の神を主祭神としてお祀りしていますが、実はもともとはこの美保神社の主祭神は【ミホススミ(御穂須須美命)】という姫神でした。

 

出雲には「国引き神話」と言うのがあります。昔々、神話の時代に神様が出雲の国土を広げようとして、他所の国の余った土地を引っ張って来て出来たのが島根半島です。

 

そしてこの美保関は、『出雲国風土記』によれば「越(こし)の国の都都の三碕」から余った部分を引っ張って来たとあり、そしてこの引っ張って来た土地に「ミホススミ」という姫神を祀ったから「美保」と言うのだとあります。

 

この「越国の都都の三碕」とは現在の、石川県の能登半島の先端にある「珠洲(すず)市」あたりのことだそうです。現在でも石川県珠洲市に「三崎町」という地名があります。

 

「ミホススミ」という姫神の名前も「「珠洲(すず)」という地名と関係がありそうです。

 

この「ミホススミ」という姫神は出雲のオオクニヌシ(大国主命)と越の国のヌナカワヒメ(沼河比売命)との間に出来た娘神です。そして諏訪の地に退いたタケミナカタ(建御名方神)の妹神に当たります。

 

1,300年前の「風土記」の書かれた時代には、ミホススミは美保神社の主祭神として祀られていましたが、いつの頃にかミホススミの代わりに、名前の似ているミホツヒメ(美保津姫命)とすり替わりました。

 

神様界でもミホツヒメは超メジャーな存在で、それに引き換えミホススミはほとんど知名度がありませんので、知らないうちに「美保の姫」と言えば「ミホツヒメ」となったのだと思います。

 

ちなみにこの「美保津姫・・ミホツヒメ」の「ツ」は古語で「~の」の「の」という意味ですので、「ミホツヒメ」とはまさに「美保の姫」という意味になりますから、このような混同が生じたのも無理もないのかもしれません。

 

でもここにトリックがあります。 今、美保神社では主祭神を「美保津姫命」と表記していますが、実は『古事記』にはミホツヒメの名前は見られず、『日本書紀』には「三穂津姫命」と記しています。

 

ですから美保神社では本来「三穂津姫」と書かれていた名前を、神社の名前に合わせて「美保津姫」としているのです。

 

そしてさらにはコトシロヌシまでも、「出雲の国譲り」の時に美保関で釣りをしていたという『古事記』の話が有名なので祭神に加えられ、現在のような形になっています。

 

現在の美保神社の本殿を裏側から見ると二つの社が並んであり、いかにもミホツヒメとコトシロヌシが「夫婦神」のような形で祀られていますが、ミホツヒメとコトシロヌシは義理の母子という関係ですので、これは極めて不自然です。

 

美保神社の本来の祭神はミホススミのみです。

 

また美保神社の祭神がミホツヒメではなくミホススミである一つの証拠に、美保神社の二つに分かれている本殿の内部中央に「大后社」という末社があります。ようするに主祭神の母神をお祀りしています。

 

そしてそこにはカムヤタテヒメ(神屋楯比売命)とヌナカワヒメ(沼河比売命)の二柱が祀られています。

 

カムヤタテヒメ(神屋楯比売命)はコトシロヌシの母神であり、これは納得できますが、しかしもう一方のヌナカワヒメ(沼河比売命)はミホススミの母神です。

 

ミホツヒメはカミムスビ(神産巣日命)の娘で母神の名前はわかりませんが、母神がヌナカワヒメであるはずがありません。

 

ですから、この大后社のヌナカワヒメの存在は、主祭神をミホツヒメとしながらも、本当は「ミホススミ」であることを暗に語っています。

 

これこそが「隠された暗号」「秘密のコード」です。

 

現在、ミホススミは美保神社から出て、海岸沿いを約500メートル行ったところにある「地主社」にひっそりと祀られています。

 

実はこの美保関どころか出雲国内においては、この「ミホススミ」を祀っている神社はこの「地主社」だけです。

 

そして日本全国を見ましてもミホススミを祀っている神社は、この美保関の「地主社」の他には、全国に一ヶ所しかありません。

 

それは何とミホススミの故郷ともいうべき越の国・・・

石川県は能登半島の珠洲(すず)市にある「須須神社」です。

まさにここ一ヶ所だけです。

 

ミホススミの母神ヌナカワヒメは糸魚川の「翡翠の女神」です。出雲のオオクニヌシは越国まで妻問いに行きますが、ヌナカワヒメ自身が出雲にやって来たという話は神話には出てきません。

 

出雲国内でヌナカワヒメを祀っている神社は美保神社の「大后社」以外には全くありません。

 

しかし、神話の時代から出雲と越の関係は深く、盛んに交流があったのは間違いありませんので、『出雲国風土記』の伝承からすると、ヌナカワヒメは娘のミホススミを連れて出雲の美保関までやって来たのかもしれません。

 

そして母のヌナカワヒメは越に帰り、娘のミホススミはそのまま美保関に留まったのかもしれません。

 

美保関にある案内板を読みますと、ミホススミが祀られている「地主社」は、縄文時代からの祭祀の場で、環状列石(ストーンサークル)の上に立っていて、この美保関では一番古い社であり、地域の鎮守様であると書いてあります。

 

私は当初、ミホススミは美保神社の本殿から追い出され、神社の境内ではなく、神社から少し離れたこの場所に祀られたのかなと思っていましたが、どうやらそうではないのかもしれません。

 

この地主社は縄文時代から祭祀の場所。 そして社の下の土の中にはストーンサークル(環状列石)があります。

 

確かにこの場所はとても強い「原初のエネルギー」を感じます。恐らくはこの場所が美保神社の「元宮」ではないのかと私は考えています。

 

私はこの地主社の前に立ち、雪の中でミホススミのエネルギーを全身に受けます。

 

そして私はミホススミの魂を祝福し祝い挙げます。

 

父神オオクニヌシ 母神ヌナカワヒメ

 

いやさか・イヤサカ・弥栄!!

 

忘れ去られた姫神ミホススミ・・・今、喜びに満ち溢れています。

 

 

 

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地主社 Map https://goo.gl/maps/vN8V834G3vN2

 

 

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月6日。今日は今年初めての甲子(きのえね)の日です。

 

「干支~えと」は十干と十二支の組み合わせで成り立っていますが、十干の第一番目は甲(きのえ)で、十二支の第一番目は子(ね)です。その「甲~きのえ)と「子~ね」の組み合わせが60日に一度、巡って来ます。

 

甲と子は共に干支の第一番目にあることから「始まりのエネルギー」に満ち溢れています。今日は今年初めての甲子ですからそのエネルギーは強烈です。イメージすると具現化するのが早いです。

 

甲は「木」の運気をつかさどり、子は「水」の運気をつかさどりますから、この二つはとても相性が良いです。

 

また甲子の日は「大黒天」の縁日とされ、この日に大黒天を拝むとたくさんの福徳があると言います。

 

私は毎日、大黒天の密教修法を行っていますが、特に今日は子の刻に合わせ午前0時から修法をしました。新しい始まりのエネルギーがどんどん流れ入って来ます。 私は豊かさに満ち溢れ、とても美しく素晴らしい世界を創造します。

 

世界は豊かで美しい。

 
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出雲市斐川町にある狼神社を訪ねました。 現在では狼神社と八幡宮とが合祀されており「八幡宮狼神社」と呼ばれています。

 
 

この神社のある場所は昔は「狼ヶ森」と呼ばれており、かつてはたくさんの狼が生息していたと言います。

 

狼は森に棲む神聖な生き物です。神社拝殿に掲げられている扁額には「大神神社」とあり、神格化された「狼~おおかみ」が「大神~おおかみ」として祀られています。

 
 

ただ神社として成り立たせるために、一応は主祭神に「山幸彦命~やまさちひこ」を当てていますが、実際にはまさに狼のスピリットを祀る神社です。

 

私は狼神社で狼の遠吠えをし、かつてこの地に生息していた狼のスピリットを呼び起こします。そして境内でその狼たちと共に踊ります。

 

Dances with Wolves  ダンス・ウィズ・ウルブズ

 

私の中で狼たちが目を覚まします。

 

 

 

 
 

 

 

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狼神社  Map  https://goo.gl/maps/CeuqZGZ1Pnp

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出雲大社では大国主命(オオクニヌシ)を主祭神としてお祀りしていますが、大国主命はその名の通り古代出雲国の建国の神です。

 

そして出雲ではこの大国主命のことを親しみを込めて「ダイコクさん」と呼んでいます。

 

「ダイコクさん」とは「大国」が「だいこく」とも読めることから、仏教の「大黒天」と習合したことによります。

 

出雲大社の中にある彰古館には収集された沢山のダイコク様(大国主~大黒天)の尊像が展示されています。

 

このダイコク様は烏帽子を被り大きな袋を根中に背負って、右手には「打ち出の小槌」を持つというのが一般的なスタイルで、七福神の中の大黒様もほとんどこの姿で表されています。しかしこれは仏教の大黒天と神道の大国主命が融合して出来上がった姿だと言えます。

 

仏教の大黒天はインドにルーツがありますが、本来は「マハーカーラ」と呼ばれる凶暴な忿怒神です。マハーは「大」でカーラが「黒」という意味ですので、つまり「大いなる暗黒の神」と言うのが大黒天の名前の意味です。

 

本来のマハーカーラ・大黒天のスタイルを見てみましょう。

 

先ずはその体は青黒色で三つの顏があり、そして各々の顔には三眼があります。腕は六本あり、その内の二本の腕は刀を持ち、別の右の手には人間を髪を取って吊し上げ、左の手には同じように羊を角を取って吊し上げています。更に別の左右の手には血のにじんでいる象の生皮を持って背中に覆っています。そして毒蛇を髑髏に通して首飾りとし、また毒蛇を腕に巻いて身を飾っています。

 

 

さらに大黒天のマンダラでは、大黒天の八方を八鬼母神が取り囲んでいます。その鬼母神は髑髏を杯として生血を飲む姿や戦闘に用いる武器を持っている姿などで表されています。

 

これが本来の「大黒天~マハーカーラ」であり、またマハーカーラの世界観なのです。

 

私は毎夜、真言密教の秘法であるこの「マハーカーラ・大黒天神法」の修法をしています。

 

「マハーカーラ・大黒天」は暗黒の世界の支配者ですので「冥府の神」でもあります。そしてまた出雲の大国主こそ、まさに「冥界の神」なのです。この部分でも二者の性格は一致しています。

 

出雲の大国主命は今では「縁結びの神」として人気が高いですが、本来は出雲が国譲りをした後には「祟り神」として朝廷より最も恐れられた神ですので、本来のマハーカーラの本質とやはり似ているのだと思います。

 

強烈な「暴悪神」であり、強烈な「祟り神」であるからこそ、幸せや福徳をもたらす「福の神」や「縁結びの神」になれるのでしょう。

 

いや人々に幸せをもたらす神は、人々に災いをもたらすことも出来る神でなければならないと思います。

 

人々に幸せを運ぶ出雲のダイコク様・・大国主命は最強最高の「祟り神」です。私は出雲の地で今夜も大黒天神法の修法をします。

 
マハーカーラ・大黒天神
 
ダイコクさま
 
 
 

 

島根県の奥出雲町にある「仰支斯里神社」を訪ねました。

 

奥出雲町には素戔嗚尊と八岐大蛇の伝説が数多くあります。

 

この仰支斯里神社は素戔嗚尊(スサノオ)を主祭神としてお祀りしています。「仰支斯里」と書いて「カミキリ」と読みます。普通には読めません。

 

素戔嗚尊が高天原から出雲の地に降りて来た時に髪を切ったという伝説があるので「カミキリ神社」だと言います。

 

なぜ「仰支斯里」と書いて「カミキリ」と読むのかと言えばこれは謎ですが、ここの神社の宮司さんの推測では、先ずは「髪きり」の「髪」の字を分解して「髟友」と書き、さらに「きり」を仮名文字で「期里」と書いていたものが、書き写していく段階で崩し字で書いていたので、「髟友期里」を「仰支斯里」と誤って写したのではないかと言います。

 

「髪きり」

「髟友期里」

「仰支斯里」

 

名前を表す漢字はとても不思議ですが、スサノオのエネルギーを感じる素敵な神社です。

 

でももしかするとただの誤写ではなく、その「仰支斯里」という文字には何か特別のスサノオの「言霊~ことたま」が隠されているのかもしれません。漢字には不思議な力が宿ります。

 

私は自由に空想を膨らませます。

 
 
 
 

 

 

仰支斯里神社 Map https://goo.gl/maps/jgUL1WXy4xA2

今日は今年初めての月満つる日。満月の日です。

 

今日は松江市宍道町にある「丹部神社」を訪ねました。

この神社は主祭神に

 

月夜見命(つきよみ みこと)

 

をお祀りしています。まさに「月の神」です。

 

この丹部神社には本殿がありません。神社の鳥居をくぐりますと正面に大きな木が見えます。

 

本殿を設けずに、直接この木を「御神体」としてお祀りしています。月神の魂が宿る木です。

 

出雲ではもともと石(磐座~イワクラ)や樹木を御神体を拝む信仰が強くありますので、こういった古神道的なアニミズムの要素の強い神社は出雲の一つの特徴かもしれません。

 

いわゆる「御神木」と呼ばれる大きな樹木は「カミ」が大地に降りて来る時の「柱」です。だから神様の数は「一柱・・二柱・・三柱」と数えるのです

 

私は今年初めての満月の日に、この御神木柱もとで自分の中の「カミ」を降ろします。

 
 
 
 

 

丹部神社 Map https://goo.gl/maps/x9XDLXxuGuH2

2017年。新年を迎え最初に松江市宍道町西来待にある宇由比(うゆひ)神社を訪ねました。

 

この宇由比神社は主祭神に

 

・宇比地邇神(ウヒヂニのカミ)

・須比地邇神(スヒヂニのカミ)

 

をお祀りしています。

 

この宇比地邇神(ウヒヂニのカミ)と宇比地邇神(スヒジニのカミ)は、神世七代の内の第三代に当たります。

 

初代の国常立神と第二代の豊雲野神は共に男女の性別のない「独神」ですが、この第三代の宇比地邇神と須比地邇神によって初めて「男女ペアの神」となります。

 

そしてこの男女二柱のペア神様は主従の関係ではなく、全く対等な立場として共立しています。

 

ここが重要なところであり、日本は実は神話の時代から既に「男女同格」なのです。

 

『古事記』では「宇比地邇神・宇比地邇神」と書きますが、『日本書記』では、

 

・泥土煮尊(ウイジニのミコト)

・沙土煮尊(スイジニのミコト)

 

と書きます。 こちらの漢字の方が神様の性質をよく表しています。 つまりそれぞれ「泥土」と「沙土」という文字が表すように大地を浄め鎮める「土砂の神」で、地球における男女の生命の始まりを表しています。 また神社の盛り土砂はこの二柱の神を表しているとも言います。

 

まさに「男性・女性」の原初・根源の神です。

 

実はこの宇比地邇神と宇比地邇神を一対として主祭神としてお祀りしている神社は全国的にも極めて少なく、この宇由比神社は貴重な存在であると思います。

 

私は神社境内の大地にしっかりと足を着け、そしてこの男女根源の二柱の神のエネルギーを感じます。

 

この二柱の男女神は共に同質な性質を持ち、そしてなおかつ立場は全く対等なのです。 どちらが上でもなく下でもなく、主従の関係でもないのです。 状況に応じての役割分担はあるだけなのです。

 

私はこの男女の関係性こそが大切だと思います。

 

 

 

 

 

 

宇由比神社 Map https://goo.gl/maps/v5nTWg1ohyT2

仏教の中にとても美しい吉祥天女という女神がいます。 彼女は毘沙門天の妃とされ、人々に豊かさと幸せをもたらす【福徳の女神】として多くの仏教寺院で祀られています。

 

でも実はこの吉祥天女には双子の姉がいます。

 

この吉祥天女の双子の姉を黒闇天女といいます。 もともとのインド名をカーララートリと言い、カーラは「黒」ラートリは「夜」を意味しますから、漢訳では「黒闇天」とか「黒夜天」、あるいは「黒耳天」と訳されています。

 

日本では吉祥天女の仏像や仏画はそれなりに多く作られていますが、黒闇天女は胎蔵界曼荼羅の隅っこの方に小さく描かれているだけで、単独での仏像や仏画は私は見たことがありません。 それだけ日本ではマイナーな存在ですが、しかし黒闇天女こそとても重要なのです。

 

黒闇天女の画像がないので、今は吉祥天女と黒闇天女のルーツであるインドの女神、「ラクシュミー」と「カーララートリ」の画像をアップします。

 

 

ラクシュミー(吉祥天女)は見ての通りインドでも【豊かさの女神】です。

それに対し、カーララートリ(黒闇天女)は、破壊と殺戮を好む【戦闘の女神】です。しかしその「破壊と殺戮」は新たなる「創造」へと人々を導きます。

 

そして日本の仏教の中に取り込まれたインドの女神カーララートリ(黒闇天女)もやはり、人々に災い・災禍・災厄をもたらす女神とされています。

 

仏教の経典である『涅槃経』には、吉祥天女と黒闇天女のおもしろいエピソードが載っています。

 

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ある家にとても美しい女性が訪ねて来ました。 その女性はとても豪華な服を着て、見るからに気品のある女性です。 その美しい女性は、家の人に「私は吉祥天女です。福徳を授けに来ました。」と告げます。 豊かさと幸せをもたらす女神がやって来たのです。

 

その家の主人はとても喜んで、この女性を家の中に招き入れようとします。しかしその美しい女性の後ろにもう一人の女性がいるのに気がつきました。 こちらの女性は、見るからにみすぼらしく、そしてとても醜い風貌をしています。

 

家の主人が「おまえは誰だ。」と尋ねると、もう一人の女性は「私は黒闇天女です。私の行くところには必ず災厄がおきます。」と告げます。

 

家の主人は、災いごとや不幸が家の中に入って来るのは嫌なので、「おまえなんか出ていけ。とっとと消え失せろ。」と怒鳴りつけます。

 

すると、その黒闇天女は大声をあげて笑い、そして家の者にこう告げるのです。

 

「あなたはとても愚かです。私と一緒に来た吉祥天女は私の双子の妹。 私たち姉妹はいつも一緒に行動しています。わたしを追い出せば、妹の吉祥天女もこの家から出て行くでしょう」と。

 

そして、まさにその通りになりました。 吉祥天女と黒闇天女は共にその家を去って行ったのです。

 

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信貴山でもそうですが、吉祥天女は毘沙門天の妃としてお祀りされていることが多いです。 しかしその吉祥天女の側には必ず黒闇天女がいるのです。

 

真言密教では毘沙門天の修法をするときには、その妃である吉祥天女のマントラを唱えますが、吉祥天女のマントラを唱えれば、それと同じだけの黒闇天女のマントラを唱えて両方を讃嘆します。

 

この修法において最も重要なことは、それは黒闇天女の存在を否定しないということなのです。

 

女性は自分の中の「光の部分」だけを表現しても、それは本当の意味での美しさとは言えません。 自分の中の「闇の部分」、そう凶悪で凶暴で残虐で非道で、とことんブラックな部分を出してこそ女性は輝くのです。

 

「豊かさと幸福」をもたらす吉祥天女と「災いと不幸」をもたらす黒闇天女はまさにコインの表と裏なのです。

 

私は吉祥天女と同じくらい黒闇天女が好きです。 そしてその両方の性質を遠慮しないで、どちらも出し切っている女性こそとても美しく魅力的で素敵だと思います。

 

 

 

2017年。正月の三箇日は毘沙門天の霊場である信貴山にて過ごしました。

そして私はここで本尊毘沙門天と向き合いながら自分自身の内側を見つめます。

 

毘沙門天には「双身毘沙門天」という極めて特殊な尊像があります。

 

「双身毘沙門天」は二尊が背中を合わせて立っており、片方が毘沙門天で、片方が吉祥天女であると見ます。 しかし両方ともにその姿は男尊であり、片方はさすがに吉祥天女には見えません。

 

最秘の口伝では、これは「毘沙門天」「半天婆羅門」であると言います。

 

半天婆羅門は毘沙門天の双子の片割れです。 毘沙門天は善の道を進みブッダの護法神となりますが、片や半天婆羅門は悪の道へと進み、障礙神となったのだと言います。

 

毘沙門天と半天婆羅門は常に背中合わせに一緒にいます。 これは全ての人たちが心の中に持ち合わせている「光と闇」「善と悪」「正と邪」などの二面性を象徴しています。

 

しかしこれは毘沙門天と半天婆羅門が一心同体で常に共にあるように、決して切り離すことが出来ません。

 

密教では、どちらか一方を肯定して、どちらか一方を否定するのではなく、そのどちらをも認めています。 つまり本来の密教では「善・悪」や「正・邪」と言ったような分別は持ち合わせていません。 その両方に同等の価値を置いています。

 

密教の世界は決して道徳や倫理ではありません。

 

この「毘沙門天と半天婆羅門」の関係性は「吉祥天女と黒闇天女」あるいは不動明王の侍者である「セイタカ童子とコンガラ童子」の関係性にも共通しています。

 

「半天」は反転や反天にもとれます。 「反転して・・天に反する・・・」

私は自分の中の半天婆羅門を意識を向けます。

 

 

(画像:『阿娑縛抄』大正大蔵経図像部

 

出雲市斐川町三絡。「三絡 みつがね」の中に「吉成」と呼ばれる集落があります。

 

そしてこの集落に昔からある神社が香取神社です。主祭神に経津主大神(フツヌシ)をお祀りし、配祀神に武甕槌大神(タケミカヅチ)をお祀りしています。

 

経津主大神(フツヌシ)は千葉県にある下総国一宮の香取神宮の主祭神であり、武甕槌大神(タケミカヅチ)は茨木県の常陸国一宮の鹿島神宮の主祭神です。

 

この両神はイヅモが国譲りをした時に高天原より遣わされた神です。

 

この香取神社は下総の香取神宮の分社のように思われますが、もともと「石応神社」と呼ばれ、「要石」をご神体としてお祀りする神社です。

 

300年に編纂された出雲国の史誌『雲陽誌』には

 

「石応神社・・この神社は鹿島明神の要石をお祀りする。そしてこの神は底立の石神で地震鎮護の神であり、この地域は今までに地震を全く知らない」

 

と記されています。

 

そして『雲陽誌』には「鹿島明神の要石をお祀りする」としながらも実際には「香取神社」という名前になっているのは妙な感じがしますが、でも常陸国の鹿島神宮と下総国の香取神宮には両方に地震鎮護の要石が祀られてあり、この両神宮の「要石」の影響を受けて、現在では香取神社と呼ばれるようになったものだと思います。

 

この吉成の香取神社で肝心の要石を探そうと思っても見つかりません。記録によれば要石は約2メートルくらいの大きさであると言いますが、地下に埋もれており、現在はこの要石の上に本殿が立っています。

 

ですから本殿の下に要石があり、まさにこの神社の御神体そのものです。

 

『雲陽誌』に「底立の石神」という言葉がありますが、本当の祭神の名前は「国底立神」なのかもしれません。

 

境内には大木に藁縄を巻き付けた出雲特有の「大荒神 龍蛇神」があります。うまい具合に大荒神を取り囲むように四方に木々があり、結界が張り巡らされています。

 

私は出雲の地より下総国(千葉県)香取神宮の経津主大神(フツヌシ)と、常陸国(茨木県)鹿島神宮の武甕槌大神(タケミカヅチ)に意識を向け、そして両神宮の要石とこの吉成の神社の要石とを結びます。

 

この両神は出雲の国譲りの時には最も重要な役割をに担った神です。今、この共通の「要石」という存在を通して、出雲の神々と香取・鹿島両神宮の両神とが「和合のエネルギー」によって更に深く結びつきます。

 

香取神社

 

 

 

香取神社本殿 ~ この下に「要石」が埋まっている

 

龍蛇神:大荒神

 

 

香取神社 Map https://goo.gl/maps/D8q6ZFoGVJQ2