黄金柱の地区部長会

創価学会の地区部長さんを応援するサイトです。
座談会御書の講義資料や、
折々のお役立ち資料を紹介しています。


テーマ:

2月度御書講義 「法華初心成仏抄」


拝読範囲:御書全集   557ページ3行目 ~ 13行目
       編年体御書 1069ページ3行目 ~ 13行目


「 凡そ妙法蓮華経とは ~ 唱へ奉るべき者なり 」



2月度御書講義の「法華初心成仏抄」の講義用資料を作成しました。
印刷して講義用原稿としてすぐに使えるPDFファイルをアップしています。



以下、資料の内容をご紹介します(更新後の内容です)。


-------------------------------
2013年2月度 教学の日 御書講義 「法華初心成仏抄」 (1/31改訂版)


【挨拶】

(地域の状況に応じて挨拶など入れてください。)


それでは2月度の御書講義を始めたいと思います。

学会伝統の「2月闘争」を大勝利で飾るために、皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。


大白蓮華の50ページを開いてください。今回の拝読御書は「法華初心成仏抄」です。


■本抄拝読の意義

本抄の内容に入る前に、今月の御書講義で本抄を学ぶ意義について、確認しておきたいと思います。


では、59ページを開いてください。
最初に一番上の段の「池田名誉会長の指導から」の【1】を確認したいと思います。
(P59上段【1 「絶対勝利」の信心を受け継げ】を読む)


はい。これは今年の新年勤行会で紹介された池田先生の新春メッセージの一節です。
池田先生は祈祷抄の一節を拝されて、強盛な祈りと新たな挑戦を叫ばれました。

この「法華経の行者の祈り」をより深く学んでいくのが今回の御書講義となります。


もう一度59ページを開いてください。
中段の「拝読のために」にもありますが、私たちの仏道修行は「唱題」から始まります。

「宿命転換」と「人間革命」と「立正安国」、また、自分自身の勝利の為にも唱題根本の前進がますます重要となります。


と言うことで、今回の御書講義のテーマは「唱題」となります。

「法華初心成仏抄」を拝して、この題目の意義と功徳、唱題の姿勢を学んでいきます。


もう一度60ページを開いてください。
上段の【2】で唱題根本の学会活動についての池田先生のご指導が紹介されていますので、あわせて確認しておきたいと思います。
(P60上段【2 妙法は大宇宙を動かす究極の力】を読む)


はい。こちらも年頭の先生のご指導です。

先生は一貫して「祈り」からこの一年が始まると言う事を教えて下さっていると思います。

また、ここでは紹介されていませんが、大白蓮華1月号の巻頭言で先生は、我らの祈りは「人間革命の祈り」である、また、「自他共の幸福の祈り」であり、「請願の祈り」である、という事を教えて下さっています。
私たちは、このご指導を受けて、本年の11・18に向けて、目標を定めて、祈りを根本とした前進をして行きたいと思います。

私たちのこの「祈り」を更に深めていく為にも、この「法華初心成仏抄」を学んで行きたいと思います。

では、これより内容に入っていきたいと思います。


■ 背景と大意

51ページを開いてください。
はじめに背景と大意ですが、中段にも書かれている通り、本抄は、いつ誰に与えられたのか、詳しくは分からないようです。

ただ、御書の内容から、この御書を戴いた方は、かつて念仏を唱えていた女性の門下と考えられています。

また、念仏を破折し法華経の信仰の基本を教えられた御書であると拝されます。


題号の「法華初心成仏抄」についてですが、「法華」とは一般的には「法華経」の意味ですが、その肝要は「南無妙法蓮華経」をさします。「初心」とは、初めて発心し仏道を志すことをいいます。
本抄の後半で末法の初心の衆生は妙法によってのみ成仏が出来ると明かされていて、このことから、後になってこの題号が付けられたとされています。


また、本抄は問答形式で書かれており、はじめに様々な宗教の正邪について論じられた上で、法華経こそが仏の本意を明かした経典である。また、一切経の中で最も優れた経典であることを確認されています。
そして、悪世の末法では、法華経の肝心である南無妙法蓮華経だけが衆生に利益をもたらす、成仏することのできる根本法であることが示されています。


(以下の段は時間に余裕があれば紹介)
あと、大白蓮華では紹介されていませんが、本抄では他に「よき師」と「よき檀那(法華経を持つよき人)」と「よき法」の三つが寄り合ってこそ祈りが叶うと仰せになっています。
また、仏法に無智の人も法華経によって成仏できることを教えられ、難を恐れず、どんな人にも誠実に仏法を語り抜き、強盛に弘教に励む様に勧められています。
そうして仏法を聞いた相手が素直に信じれば、成仏の境涯を得ることができますが、反対する人も「毒鼓の縁」によって必ず成仏の因を刻むことができると仰せです。
他にも、末法に法華経を持ち弘める人には三類の強敵が出現し、迫害することが明かされます。

難に遭いながらも恐れずに弘教を貫く人こそ法華経の行者であることを教えられています。
(ここまで)


最後に、南無妙法蓮華経の唱題によって、わが身の仏性を呼び現すことができるとの題目の意義が示され、強盛な信心で唱題に励むように呼びかけられ、本抄を結ばれています。


今回学ぶところは、この御書の一番最後の部分、いよいよ結びのところで、この法華経の題目「南無妙法蓮華経」の意義について門下に分かりやすく説明されている箇所となります。



■本文

それでは本文に入っていきたいと思います。56ページを開いてください。



■第1段

今回の拝読範囲は、3つの段に分かれます。

一つ目の段は、本文最初の「凡そ」から57ページ3行目の「無量無辺なり」までです。
最初に題号を読みますので、それに続いて第1段を拝読しましょう。
(本文 P64L1「凡そ」 ~ P57L3「無量無辺なり」を拝読)


はい、有難うございます。
では、続いて56ページ下の通解を確認しておきます。
(通解 P56L1「広く」 ~ P57L3「無量無辺である」を読む)
(更に時間に余裕があれば、語句の意味を確認)


この段では、全体として「題目になぜ偉大な功徳があるのか」と言うことを教えてくださっています。


まず最初に、「題目の意義」が完結に述べられています。
本文1行目「凡そ」から5行目の「妙法蓮華経と名けたるなり」がその部分です。


本文冒頭一行目「凡そ」とは“広く言えば”との趣旨と思いますが、これから題目の意義を簡潔に示されていきます。「妙法蓮華経とは」のあとに「我等衆生」とありますが、これは言うまでもなく「私たち一切衆生」の事になります。特に、「凡夫」、十界で言えば「人界」、「迷いの多い人々」と言えます。

①「我等衆生の仏性」とありますが、この「人々」の中に「仏性」がある、と言うことがまず述べられています。

このことは、法華経でしか言い切っていない原理です。
「仏性」とは「仏になる性分・仏になる可能性」ですが、この仏性が全ての衆生にある、誰にでも仏になる可能性がある、と言うことになります。

御文では続いて、②「梵天・帝釈や、舎利弗・目連、文殊・弥勒」などの名前を挙げています。

これらは二乗界・諸天善神・菩薩界の代表的存在となります。

これらの衆生にも当然ながら仏性があります。
そして更に、③「三世の諸仏の解(さとり)の妙法」とあります。

これは三世諸仏、現在世・過去世・未来世の一切の仏たちの悟った妙法、ここでは「妙法」とは「仏性」と同じ意味になります。

これら3つが一体不二である法理を「妙法蓮華経」と名づけると仰せです。
「一体不二なる理(ことわり)」とありますが、一体不二とは全く差別がないという意味です。
つまり、繰り返しになりますが、①私たち凡夫の衆生に具わる仏性も、②二乗・諸天善神・菩薩に内在する仏性も、③仏が覚った妙法も、「一体不二」で全く同じであり、この仏性が「妙法蓮華経」と言うことです。


「妙法蓮華経」というのは、全ての生命に普遍的に具わっている仏性の名前であり、「仏だけが持っている」という捉え方をしてはいけません。

“全ての衆生が元々この妙法を等しく持っている”、と言うことを「一体不二なる理(ことわり)」として明確に示して下さっています。


一般の宗教では「神など大いなるもの」と「自分」とを別々のものと捉えるのが一般的ですが、それに対して法華経では、「自分自身が、実は、大いなるものと一体である」と説いています。
仏教では、この「大いなるもの」を宇宙と生命の根源である「法」と捉えます。

この「法」とは宇宙の法則であると同時に、私たち人間の生命の中にもあります。

自分の中にある「法」、自分の中にある「無限の力」を引き出していく、これが仏教の大きな特徴である、と言えると思います。
この自分の中にある「無限の力」を信じて、この内なる力を出すことで様々な苦労を打ち破っていく。

そして、ゆるぎない幸福を築いていく。

その知恵を得た人が仏である、その仏の知恵によって、万人が自分の中にある無限の力を顕していく事ができる。

自分の中に「偉大な法」を見出していく、これが仏教の一番の特徴と思います。
仏とは「目覚めた人」で、「まだ目覚めていない人」「さまざまな悩みに対して苦しんでいる人」に対して、「万人が目覚める事ができるのだ」との確信を持って人々を目覚めさせようとして闘い続ける人間である、と言えると思います。
全ての人、全ての十界の衆生に仏性がある、と言うことは、全ての人が仏になれる、偉大な可能性を開いていける、と言うことです。

これが法華経の考え方になります。


「妙法蓮華経」とは、全ての生命に普遍的に具わる仏性の名前です。
凡夫の生命にもありますし、仏や菩薩の生命にもある。

従って、「題目」という唯一つの音声で、十界の一切衆生の仏性を呼び顕すことができる。
本文では次に、この仏性の名前「南無妙法蓮華経」の「唯一音(ただいちおん)」の功徳について述べられています。
本文6行目の「故に一度(ひとたび)」 から第1段最後の57ページ3行目「無量無辺なり」までにある通り、私たちがひとたび全ての衆生の仏性に名づけられた普遍的で且つ完全なる名前の題目「南無妙法蓮華経」を唱えれば、この「唯一音(ただいちおん)」によって、自分自身の仏性だけでなく、あらゆる仏の覚りの法と、一切の仏・菩薩をはじめとした十界の衆生の仏性を呼び現していくことができる、と示されています。


この御文の中で、「一切の」と何度も強調されています。
最初に「一切の仏」とありますが、ただ一人の仏ではない、と言うことです。

あらゆる仏の仏性を呼び現すということになります。
例えば念仏の題目は阿弥陀仏の名前を唱えているわけで、阿弥陀仏は応えてくれても、他の仏を呼ぶことはできません。

それに対して「妙法蓮華経」は、全ての仏がこの「妙法蓮華経」で仏になることが出来た訳ですから、あらゆる仏の生命の仏性を呼び現す力があるのです。
そして、仏だけではなく、御文にあるように、仏界から地獄界までの一切衆生の心中の仏性を、ただひとつの音声で呼び現すことができる、それが「妙法蓮華経」であると言う事を教えられています。
これは、私たちの実践で言えば、「今ここに生きている自分が、例えどのような境涯にあったとしても、自身の仏性を呼び現すことができる」と言うことです。さらに、「自分の仏性だけでなく、自身をとりまく全ての人々の仏性をも呼び現し、この現実世界を輝かせていくことができる」ということです。
また、本文57ページ3行目にある通り、この唱題の功徳は「無量無辺」であると仰せです。

私たちが唱える題目の功徳は、計り知れないほど広大な力を持っていると言うことです。


大事なことは、自分自身の仏の生命を引き出していく、自分自身が輝いていくための仏法です。

言い換えれば、自分自身が変革する為の唱題である、と言うことになります。

次の段では、そのことが示されていきます。


第1段は以上となります。



■第2段

引き続き第2段を学んでいきたいと思います。

第2段は、本文57ページ3行目の「我が己心の」から58ページ5行目の「此の心なり」までです。
それでは第2段を拝読しましょう。
(本文 P57L3「我が己心の」 ~ P58L5「此の心なり」を拝読)


はい、有難うございます。

では、続いて57ページ下の通解を確認しておきます。

もう一度57ページを開いてください。通解の4行目からです。
(通解 P57L4「わが己心の」 ~ P58L6「この心である」を読む)


大聖人はご自身の己心の妙法蓮華経をそのままご本尊として御図顕されました。

私たちはこのご本尊を拝するときに、我が胸中に大聖人と同じ尊極の生命を現すことができます。

逆に言えば、私たちの胸中のご本尊を現す為に大聖人がご本尊を現してくださった、と言うことです。
本文第2段の最初57ページ3行目で「我が己心の妙法蓮華経」とありますが、ここは非常に重要な意義があります。

自分胸中の外に見るのか、中に見るのか。

私たちの胸中にあるのを大聖人がご本尊として現してくださったのです。

それを忘れてしまい、釈尊滅後の仏教に歴史にある様に、いつの間にか、いろんな仏が拝まれる存在になってしまった。

結果、殆どの仏教が仏像を拝んでいるように思います。

つまり、自分の己心の外にある仏を拝んでいる姿と言えます。おすがりの信心と言えます。
自分の生命の変革を忘れて、自分の中に偉大な力がある事にも思い至らずに、ただあなた任せでおすがりする。この様な考え方は大聖人の仏法ではありません。
自分の中の偉大な生命を引き出していく。

自分の生命の変革から始まっていく。

また、大いなる可能性を信じ抜いていく。

自分の中の力に対して確信を持てるかどうかが大事です。


本文に戻りますが「我が己心の妙法蓮華経」を本尊とあがめると、「我が己心中の仏性」が「南無妙法蓮華経」と呼び呼ばれて現れるとあります。

自分の仏性が呼び出てくる、この事が私たちの成仏の姿であると言うことです。


「よびよばれて」と仰せのように、呼び唱えるのも、呼び現されるのも自分自身の仏性です。
大聖人はこのことを「籠の中の鳥」が鳴くと「空を飛ぶ鳥」が集まる。

また逆に「空を飛ぶ鳥」が集まると「籠の中の鳥」が出ようとすることに例えられています。


この「籠の中の鳥」は私たち凡夫の仏性の事です。

「籠」とは私たちが無明や煩悩、様々な苦悩に束縛された状態、正に籠の中の鳥の様な状態と捉える事ができます。

また、「空を飛ぶ鳥」とは全ての衆生の仏性です。
唱題は自分自身の仏性を呼ぶだけでなく、あらゆる衆生の仏性も呼ぶ事になります。
つまり、「籠の中の鳥」、私たちの様々な苦悩や悩みを抱えた私たちが題目を唱えると、それによって「空を飛ぶ鳥」、十界のあらゆる衆生の仏性が呼び集まり、そしてまたそのことによって私たちの仏性が現れようとする。

「籠の中」から出ようとする。つまり、無明や苦悩など、それまで縛り付けていた籠が消えて、そして束縛から解放されて、自分自身で自由自在に飛んでいくことができる。

これが私たちの祈りの儀式と言うことです。


本文では続いて57ページ最後から3行目で「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ」とあります。

私たちの題目によって自分自身の仏性も呼ばれていく。

そして「必ず」とあるように妙法の無限の功力を「必ず」我が身に現すことができると断言されています。
また続いて本文57ページ最後の行で「梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ」と仰せになっています。

すなわち、私たちが妙法の題目を唱えれば、必ず諸天善神が呼ばれて私たちを守護すると言うことです。
また、守護するだけでなく、本文58ページ1行目で「仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」とあるように、呼ばれて歓喜するとまで仰せになっています。


このことについて法華経見宝塔品第11では「法華経をしばらくでも持つ人なら、釈尊一人だけでなく諸仏が賛嘆し歓喜する」とあります。
末法の一切衆生が妙法を唱え、胸中に仏性を涌現して、幸福の直道を歩むことこそが、諸仏の最大の願いです。
私たちが一人の友を励まし、その人が励ましによって立ち上がる、そして宿命を転換していく。その姿を見ることが最大の喜びである。

正にその通りであると思います。
その意味で、私たち学会員が、現代において万人に妙法を弘め、また多くの人が唱題行によって自他共の幸福を実現している姿を、あらゆる仏が歓喜し賛嘆していることは間違いありません。


このことについての池田先生の指導を学んでおきたいと思います。
61ページを開いてください。上段の【3】です。
(P61上段【3 わが仏界の生命を賛嘆】を読む)


諸天善神を呼び動かすのは、どこまでも私たちの信心の一念です。

強き信心の一念で無明を打ち破った時にこそ、諸天善神が動かされるのです。

大聖人は、妙楽大師の釈の「必ず心の固きに仮(よ)りて神の守り則(すなわ)ち強し」の一節を踏まえて、「人の心かたければ神のまほり必ずつよしこと候へ」と述べられています。
大事なのは、広宣流布に生き抜く強盛な信心を貫く人の上のこそ、諸天善神の働きが厳然と現れるということです。


第2段は以上となります。



■ 第3段

続いて最後の第3段を学んでいきます。58ページの本文に戻ってください。
第3段は、本文58ページ5行目の「されば三世の諸仏も」から最後までです。
それでは第3段を拝読しましょう。
(本文 P58L5「されば三世の」 ~ 最後まで を拝読)


はい、有難うございます。では、続いて58ページ下の通解を確認しておきます。7行目からです。
(通解 P58L7「したがって」 ~ 最後 を読む)
(更に時間に余裕があれば、語句の意味を確認)


最後の段では「皆成仏道の妙法」と「唱題根本の信心」について示されています。


5行目からの本文では、釈尊はじめ、あらゆる三世の諸仏は皆、この「妙法蓮華経の五字」によって仏になったことが示されています。

妙法こそが成仏のための根源の法であり、三世の諸仏の「出世の本懐」の法であると仰せです。
その意味で私たちが日々唱えている唱題行は、全ての仏教の結論であり、そして最高の修行であると言うことになります。

それを日々実践ができると言う事がどれほど凄いことであるかを実感していただけると思います。


また、続いて最後から5行目で「一切衆生・皆成仏道の妙法」とある通り、あらゆる衆生が皆、成仏できる法であると示されています。

これが私たちの題目です。全ての仏教の結論であり、全ての仏の出世の本懐であり、どんな人も仏になることのできる道であると言うことです。
あらためて、この「南無妙法蓮華経」がどれだけ偉大な法であるか、と言うことがいえます。


そして大聖人は、続いて本文最後の3行で、「このことをよくよく心得て、我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱えていきなさい」と仰せです。

「我慢偏執」とは58ページ上段の語句の解説にありますが「おごり高ぶった心にとらわれ、偏った考えに執着すること」の意味です。


そのことが「拝読のために」の中で少し述べられています。
62ページを開いてください。下段の真ん中です。
(拝読のために P62下段L12「大聖人の時代」 ~ P63中段L4「成仏の直道とはなりません。」までを拝読)


自分自身の内なる可能性を開く大聖人の仏法を持って、自分自身の中に尊極な生命があるということを忘れないことが大切です。

そして我慢偏執、奢り高ぶったり他に法を求めていっては成仏の直道にはならない、と言うことです。


このことについての池田先生のご指導を学んでおきたいと思います。
同じ63ページの中段の最後から5行目からです。
(P63中段L9「大聖人は」 ~ 下段L8「宗教なのです。」 を読む)


続いて「題目の功力」についての池田先生のご指導を学んでおきたいと思います。
上段の【4】と【5】です。
(P62上段【4 妙法は最強無敵の利剣】を読む)
(P63上段【5 一切衆生の仏性を呼び顕す】を読む)


私たちの仏法は、どこまでも私たち自身の生命の変革に挑戦し、自他共の幸福を築いていく宗教です。

そして、その源泉となるのが、この唱題行です。

唱題行は、いわば万人に開かれた仏道修行です。

そして信心によって、誰にでも無量の功徳を引き出すことができます。


■最後に

以上、まとめですが、「南無妙法蓮華経」の題目は、一切の諸仏の根源の悟りの法であり、法華経の精髄です。

題目を唱えることで、自身の胸中に大聖人と同じ尊極の生命を呼び現し、あらゆる衆生の仏性また諸天善神を呼び起こすことができます。
そして、この意義と功徳をよく心得て唱題を実践する姿勢について学んできました。


この題目の力を現代に蘇らせたのが創価学会です。

創価の三代の師弟であり学会員です。


その反対に日顕宗は、御書に仰せの我慢偏執の姿そのものだと言えます。


私たちは、大聖人の仰せの通りに、この唱題を根本にして、歓喜の波動を拡大して行きたいと思います。

さあ「伝統の2月」、「信心根本」「唱題根本」で、友の胸中の仏性を呼び覚ます「対話」に挑戦していきましょう。


(各自、感じたことや決意など、それぞれの立場で追加してください。)


御書の学習は以上です。

有難うございました

-------------------------------


以上です。


印刷して講義用原稿としてすぐに使えるPDFファイルをアップしています。






【ご参考】

 忍者サンドボックスに、御書講義の原稿ファイルを置いています。

 但し、ご自身の教学力向上のためにも、極力、ご利用を控えてください。

 基本、研鑽の時間もないなど、「急場しのぎ程度」のご利用に留められる様に希望します。


忍者サンドボックス (黄金柱の地区部長会 ファイルスペース)
 URL:http://ougon.sdbx.jp/


 ※初めての方は ⇒  【おしらせ】「黄金柱の地区部長会」ファイルスペース

【ご参考】

 忍者サンドボックスに、御書講義の原稿ファイルを置いています。

 但し、ご自身の教学力向上のためにも、極力、ご利用を控えてください。

 基本、研鑽の時間もないなど、「急場しのぎ程度」のご利用に留められる様に希望します。


忍者サンドボックス (黄金柱の地区部長会 ファイルスペース)
 URL:http://ougon.sdbx.jp/


 ※初めての方は ⇒  【おしらせ】「黄金柱の地区部長会」ファイルスペース

PR
いいね!した人

[PR]気になるキーワード