日々の糧と回心の契機”のタイトルは、好きな作家の一人である池澤夏樹氏が、自身と本との関わりを語った著書『海図と航海日誌』の一節より。“日々の糧”とは、なければ飢えてしまう精神の食糧とでもいうべきもの。“回心”とは、善なる方向へ心を向ける、とでもいうような意味。
自分にとって“日々の糧”であり“回心の契機”となった音楽を中心に、日々の雑多な気持ちを綴っていきたいと思います

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2009-11-17

◇コスモスの影にはいつも誰かが隠れている

テーマ:学校では教えてくれない教科書のような
コスモスの影にはいつも誰かが隠れている/藤原 新也

ここしばらく、本当に読書をしていなかった。

いや、読書ということならば、仕事がらみの本も含めて読んではいるから、正確には「小説」や「物語」を長いこと読んでいなかった、ということになる。つまりは、読んでみたいと思う「小説」や「物語」に出会っていなかった、ということだ。

一週間ほど前にたまたま新聞の夕刊で藤原新也さんの記事が載っており、この新刊が出ていることを知り、何気なく手にとって読んでみて、それがなぜだったのかがわかった。

つまりは、よくある「物語」のための「物語」に飽き飽きしていたのだ。

僕がとてもひねくれているのだろうけれど、いい具合にいいタイミングで主人公に何かが起きたり、主人公が誰かと出会ったりする物語はとてもうさんくさく感じてしまう。

普通そんなふうにいいタイミングで物事は進展したりしないのだよ、と思ってしまうのだ。

残念ながらほとんどの人生には、そうそう都合よくドラマチックな展開は起きないし、人生は常に複合して連続していろんなことが動いているし、そうそう単純に語れるものではない。

そのことがうまく表現されていないまま安易に物語を進展させてゆく小説や物語はどうもインチキくさい気がしてしまうのだ。


この本に出てくる13のストーリーは、いずれも何も起きない。

いや、何かは起きる。けどそこらへんのドラマみたいにドラマチックに物語りは進まない。

例えば表題作の「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」というお話。

東京でネットカフェ難民になった主人公は、東京の暮らしにも嫌気がさしてたったひとりで離れ小島に住んでいる。人とのふれあいはない。そんなとき、東京でほんのちょっとだけ縁があった女性から手紙が来る。ふと主人公はその女性の便りにあった住所を訪ねる。

だいたいのドラマなら、その先で女性との偶然の再会があったりしてドラマが進展していくのだが、このお話では女性には会えない。ただそこにはコスモスの花畑がある。

ただなんてことはないそのすれ違いの物語の中に、なんともいえないいい匂いの風が吹いているのだ。

懐かしいような、とても芳しい匂い。淋しさや哀しさを含んでいるのにとても芳しい匂いの風。


今、世の中は「幸せでならなくちゃいけない」強迫観念に苛まれていて、幸せを追い求めるあまりに自分で自分の欲望がコントロールできなくなってその結果どんどん不幸になっていく人がたくさんいるように思える。少なくとも新聞やワイドショーで見かける不幸な自殺や殺人事件のほとんどの根っこにはそういうものがあるような気がする。

でも、世の中の人間が平等に物質的精神的にすべての欲求が満たされ続ける、なんてことはきっとありえない。人類が人類になってからの99.9999%以上の人間はそういう意味ではずっと不幸だった。

不幸であることは実はありふれたなんでもないことなのだ。

或いは、幸せではないことを不幸と感じてしまうことそのものがとても不幸なのだ。

この13編の物語から、感じたのはそんなこと。



藤原さんはあとがきでこんなふうに書いてる。

「本書は、私がこれまで上梓してきた書き物とはいささか風合いが異なる。そこには私がこれまであまり触れてこなかった、ごく普通の生活を営む男と女の交わりや別れの瞬間、生死の物語が通奏低音のように流れている。

そして改めて読み返してみるとそこには、人間の一生はたくさんの哀しみや苦しみに彩られながらも、その哀しみや苦しみの彩によってさえ人間は救われ癒されるのだという、私の生きることへの想いや信念がおのずと滲み出ているように思う。哀しみもまた豊かさなのである。」


また、先の新聞のインタビュー記事ではこんなことを言っている。

「喜びや楽しみや何かを獲得することだけが幸福、という幸福の一元論をあの本は裏切っているんです。僕は人の幸福というのは、その人が生きている間に“よく生きた”瞬間が持てたかどうかに尽きると思っている。悲しい瞬間であろうとそれは“よく生きた”瞬間なんです。ひょっとしたら悲しい瞬間の方が喜びの瞬間より、人はよく生きているのかもしれない。」


十年前ならこの感じはきっと理解できなかっただろうな。

今なら少し、わかりそうな気がする。


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2009-11-15

♪ブルース・スプリングスティーンが大好きだった / Working On A Dream

テーマ:今日のおんがく
Working on a Dream/Bruce Springsteen

中古CD店でたまたまこのアルバムを見つけて思い出した。

前作“MAGIC”から一年という短いスパンで発表されたこの“Working on a Dream”・・・今年の1月に発売されたこのアルバムをまだ聴いていなかったということを。


このブログの一番最初の記事 に書いたように、僕はブルース・スプリングスティーンが大好きだ。

そんな自分がまだ新作を聴いていなかったという事は、もはや「大好きだった」といったほうが正しいのかもしれないのだが。

思えば、スプリングスティーンの新しいアルバムを聴くたびに失望し続けてきたような気がする。

ぎっしりと詰め込んだ言葉をマシンガンのように発射しながら路上を駆け抜けるような“Born To Run”や、地面に足をしっかりつけて自分自身のスタンスにたっぷり自信を持った“Born in the U.S.A”までの作品に比べ、90年代以降の作品については、どこか迷いやふっきれなさやなんともいえない中途半端さを感じて、何度も何度も聞き返すことがなかった。

例えばストーンズなら、マンネリと言われようと堂々とかつての黄金フレーズを繰り出して「俺たちはこういうのが大好きなんだぜ」と言い切ってしまうしたたかさを持っているのだが、スプリングスティーンはとても誠実だから、アルバムにはそのときの自分自身の状態を隠さない。だから、作品ごとに大きな揺らぎやばらつきが出てしまう。同じようにそのときの状態で出来不出来が大きく変わってしまうアーティストにニール・ヤングがいるけれど、ニールがそういう気まぐれでぶっきらぼうな部分も含めて自分のアーティスト・イメージとしているのに対してブルースは、自分に求められているものがタフでポジティヴなロックンローラーであることをじゅうぶん知っているから、そのときの自分自身が一番に歌いたいと思ったものと、聴衆が求めるものの間で揺らぐことになる。自分自身にも聴衆が求めるものにも誠実であろうとするが故の煮え切らなさ。それが結果、中途半端な印象を与えてしまうのかもしれない。

ぁ、とにかくそんなふうに、僕はだんだんとスプリングスティーンの“現在”から遠ざかってしまったのだった。


そして、このアルバム。

相変わらず、切れ味のないぼってりとしたサウンド。或いは妙にカントリーっぽいアレンジ。曲調としては60年代風、“The River”の頃の雰囲気に近いのだが、どうもこのブレンダン・オブライエンの音作りはあんまり好きじゃないんだなぁ。

あちこちの資料によると、このアルバムはオバマ大統領の民主党政権支持のメッセージが詰め込まれたアルバムなんだそうだ。希望へのメッセージにあふれたとてもパワフルなアルバムだ、と。

例えば表題曲では、こんなふうに希望が歌われる。


I'm working on a dream
Though sometimes it feels so far away
I'm working on a dream
And I know it will be mine someday


夢を信じて努力を続ける 時々それはとても遠くに感じるけれど

夢を信じて努力を続ける いつかきっと叶うのだから・・・



確かにそれは、とてもポジティヴでパワフルなメッセージだ。

多くの人はそんな言葉に励まされ、勇気を得るのだろう。

けど、ポジティヴでパワフルな歌を歌うときでさえ、スプリングスティーンの声はどこかとても拭いきれない悲しみに浸されているような気が僕にはするのだ。希望を歌ってはいるけれど、それは決してすかっと晴れた青空のような希望ではない。むしろ、冬の空の、雲のすき間に少しだけ見える薄い水色の空のような、儚げで心もとない希望だ。

そして叶えようとしている夢は、とてもささやかなものだ。間奏のクラレンス・クレモンズの口笛がそれを象徴しているような気がする。

時代は、希望を歌わなきゃいけないほどに追い詰められていて、それでも希望を歌うしかないのだ。

ブルースはそう歌っているように聴こえる。


このアルバムがポジティヴでパワフルに聴こえるとすれば、それは聴き手の幻想じゃないのだろうか?

スプリングスティーンが、何の疑いもなくきらきらした希望を歌ったことは一度だってない。

スプリングスティーンが歌ってきたのはいつだって明りの見えない真っ暗闇の場所からの報告だったり、追い詰められた場所からの嘆きや叫びやぎりぎりの希望だったのだから。

ただ、そんなスプリングスティーンの歌は、誰かの心に確実に明りを灯したし、そのことをスプリングスティーン自身もよく知っている。

だからこそ、スプリングスティーンは、その求められている救世主のような役割に、これからも応えようとしているのだ、とこのアルバムを聴いて思った。

それを全うすること、多くの人々の期待に応えることが自分の使命なのだ、と。

そして、このアルバムのなんともいえない軽やかさ、どこかすっきりこざっぱりしたした感じは、そのことを受け入れた潔さ故なのではないのだろうか、と。


2009-11-07

♪本当の自分は自分自身の中にはいない / Rod Stewart 『Soulbook』

テーマ:今日のおんがく
Soulbook/Rod Stewart

発売したてのロッド・スチュワートのニュー・アルバムは、古いソウル・ミュージックのカヴァー集。

Rainy Night In GerigiaにYou've Really Gotta Hold On Me、Wonderful WorldにJust My InaginationにIf You Don't Know Me By Now・・・奇をてらったところなどひとつもないど真ん中直球の名曲だらけの選曲、その上、My Cherie Arourではスティーヴィー・ワンダーと、Tracks Of My Tearsではスモーキー・ロビンソンとという大御所オリジネイターとのデュエットも、どうだとばかりにあざとい。(そういやずっと前もThis Old Heart Of Mineをロナルド・アイズレーと演ってたっけ。。。)

“American Greatest Songs”と銘打った4枚に続いて“Rock Classics”とくりゃ、お次は“Soul Classics”に違いない、なんて誰だって予想できること。

きっと世間では「性懲りもなくまたカヴァー・アルバムかよ。」なんてあきれられるのだろう。

柳の下のどじょうばっかりすくってるロートル・シンガー。

かつてスーパースターだった時代の栄光にいまだにしがみつく老いぼれシンガー。

けど、そんな批判を承知の上で、「みなさん、次はこんなのをお求めだったんでしょ。」と期待通りにずばっとやってしまうのだから、本当にロッド・スチュワートって人は凄い人だ。

もちろん当然のことながら、あの声でこの名曲群。悪いわけはない。



ずいぶん前にも書いたことがあるのだけれど 、僕はロッド・スチュワートが大好きだ。

ロッド・スチュワートを聴いていると、いつもこんなことを思ってしまう。

「本当の自分自身なんていうものは、自分自身の中にはどこにもない。」と。


昔の栄光を看板にして懐メロを歌う歌手はたくさんいる。

そのほとんどが、どこか惨めな哀愁というか、本当はこんなことやりたくなかったけれどこれしかやらせてもらえないいんだ的な悲しさか、或いはとっくに新しい世界の構築なんて捨ててしまって「昔取った杵柄だけで生活してます」的な開き直りが鼻について、いずれにしろ見ていて気持ちのいいものではない。

なのに、ロッドにはそういう気持ち悪さを感じないのだ。

それはなぜなのか?

前者には「本当の自分は違うんだ」という卑屈さや、「本当の自分なんてどうでもいいんです」的なあきらめを感じるのだけれど、ロッドの演っていることは少し違う。

またあざとい商売ばっかりしやがって、と思いながらもその商売くささが鼻につかない。

そこにあるのは、卑屈さやあきらめではない、あえていうならば潔さ。

「あなたの求める姿が本当の私なのです。」という潔さなのだ。

ロッドはずっと昔から、そうやってそのときそのときに求められる姿を演じてきた。

いかれたロックンローラー、金髪美女をはべらかせた尻軽なスーパースター、ムーディーなスタンダードソングを歌うバラード歌手・・・。「みんながそれを俺に歌ってほしいのなら、俺にできることはそれを歌うことだろう。それでみんなが喜んでくれるのならそれが俺の存在意義なんだろう。」と。


仕事での自分、家庭での自分、ひとりきりのときの自分、友達といるときの自分。それぞれのシチュエーションで、同じ自分でも少しづつ違う。その場、そのときで求められている自分を無意識の内に演じているのだ。だから、きっと関わってきた人それぞれに、その人にとっての自分の姿は少しづつ違う。そして、そのそれぞれが本当の自分だ。

つまり、本当の自分自身は、自分の中にではなく、相手との関係の中にある。

『自分探し』なんてしなくても、関わった人の数だけある自分が全て本当の自分なのだ。

そのことを潔く受け入れて、あがかず自然体で「あなたの求める姿が本当の私なのです。」といえる。

そういう潔さを、とてもかっこいいと思う。





2009-10-31

♪一人でいることと孤独とは少し違う

テーマ:季節と気候と音楽と
     

  



このところ聴いていたアルバムたち。

たまたまだけれど、全部モノクロームでピンのポートレイトのアルバム・ジャケットだ。

共通点は「ソロ・アルバム」であること

それぞれに属していた有名なバンドで見せていた顔とは少し違う顔を見せてくれているところ。

そこには、「ソロ」だからこその、自分の表現したい音楽を思う存分プレイしている清々しさ、何であれ自分の歌を自分で歌うことへの潔さがあって素敵だ。


一人でいることと孤独とは、似ているようで少し違う。


通勤中の電車の中や、帰りの駅のホームで知り合いにたまたま出会ったりするのが苦手だ。

無視するわけにもいかないし、かといってとりあえずで取り繕ってその場だけのどうでもいいような会話をするのもとてもしんどいし、相手もそう感じていそうならそのしんどさは倍増するし、後になっても何となく虚しい。

では、気の会う奴ならいいのか、というと、確かに先の気まずさはないし、それなりに話も盛り上がって楽しい気分にもなる。だが、駅を降りた後、一人になる時間がないままに家に帰り着いてしまうと、なんだかぎこちない感じがしてしまうのだ。何故だか。

そして、そんなとき、一人でいる時間の大切さを感じるのだ。


会社での自分、家庭での自分、それはそれぞれに良くも悪くも何らかの「役割」を担っていて、それを正しく遂行することを求められている。

それはそれで構わないのだけれど、何の役割も担わない自分自身に戻る時間はとても大切なことなのだ。求められている「役割」を正しく遂行するためにも。

自分が何の役割も求められていないのではないかと感じること、それが孤独。

あえて一人でいる時間を大切にすることと、孤独であることは、やはり似ているようで違うのだ。





Robbie Robertson/Robbie Robertson

静寂の中から浮かび上がってくるような“Fallen Angel”で始まる、ロビー・ロバートソンがザ・バンド解散以来8年ぶりに姿を現したソロ・アルバム。ザ・バンドで担っていた役割をこれから先もずっと求められるのを避けるために、きっと長い長い空白の時間が必要だったのだろう。

マヌ・カッチェの生み出す浮遊感のあるグルーヴと、遠くから響いてくるようなロバートソンの歌は、まるで今夜の月のように特別な空間へ連れて行ってくれる。


The Dream of the Blue Turtles/Sting

「Synchronicity」で頂を極めたポリスから離れたスティングが接近したのは、ダリル・ジョーンズやオマー・ハキム、そしてブランフォード・マルサリスといった新世代のジャズメンたち。

新しい力を借りて自分の中で眠っている別の何かに形を与えようとしたのだろう、洗練された世界を紡ぎ出している。


King of America/Elvis Costello
コステロさんは時代ごとに作品ごとにいろんな姿を見せてきた人だけれど、アトラクションズと離れ「コステロ・ショウ」名義で発表されたこの作品だけは、とてもプライヴェートな感じがする。素焼きの手触りがするような歌だ。“Indoor Fireworks”、“I'll Wear It Proudly”“Jack of All Parades”…泣き笑いのようななんともいえない哀愁を漂わせた歌が落ち葉のようにハラハラと舞う。


Dave Stewart & Spiritual Cowboys/Dave Stewart & Spiritual Cowboys

ソロ・プロジェクトでは、ディランのような皮肉っぽい歌をルー・リードやデビッド・ボウイーのような声で歌うデイヴ・スチュワート。その歌の景色は、ユーリズミックスのカラフルさの内側に潜んでいたモノクロームの景色。


Nothing But the Truth/Ruben Blades

ルベン・ブラデスは、パナマ出身のサルサ歌手。

この作品は88年に発表された、全編英語ということで話題になったアルバムで、エルヴィス・コステロやスティングやルー・リードが曲作りから参加。しかめっ面じゃなく飄々とした顔つきで、パナマやラテンアメリカのシビアな現実が綴られてゆく。



2009-10-29

◇ものをつくること。「100文字レシピ」

テーマ:学校では教えてくれない教科書のような
ここしばらくの自分の記事を読み返してみて、本の記事が全くないことに気がついた。
まぁ、それもそのはず。ほとんど読んでいないからだ。
夏以降環境が変わってめまぐるしくばたばたとする中では現実だけで手一杯で、なかなか小説やなんかに手が出ない。
で、このところ通勤の電車で眺めているのは、この「100文字レシピ」という本。

100文字レシピ /川津 幸子

仕事上の必要もあって買ったのだが、これがなかなかいいのだ。
本の内容は、要は携帯サイトで画面をスクロールしなくても料理しながら見られるよう、アイデア料理や定番メニューのレシピを100文字以内で書きました、というもの。

日本には古くから俳句や短歌といった17文字や31文字で簡潔に感じたことを表現する文化はあるけれど、実際100文字ってのはとてつもなく少ない。このブログだとほぼ2行。

それを、こんなふうにやってしまう。

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<鶏の南蛮煮>

サラダ油大さじ1でねぎ2本のぶつ切りと赤唐辛子2本を炒め、5cm角に切った鶏もも肉2枚を入れて両面を香ばしく焼く。砂糖大さじ2、酒・しょうゆ各大さじ3、水3/4カップを加え、落としぶたをして15分煮る。

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どうでしょう?なんか簡単にできそうな気がしませんか?

僕なら「大匙」とか「落し蓋」とか漢字使って文字数ごまかしちゃうかなぁ、なんて。

この簡潔さと、たった100文字で「自分にも何かできるんじゃないだろうか感」を導き出させてくれるのはすごいと思う。大袈裟に言えば、これはひとつの詩ではないか、なんて思ったりした。


それから、レシピ以外に各料理について記されたちょっとしたコメントがまた素敵なのです。

この方は、本当に、ものを作り、食べるというシンプルな行為を愛しているんだなぁ、と。

それは、突き詰めれば、世界そのものを愛しているということなのだなぁ、なんて思わされるのです。


音楽や映画や文学や絵画といった芸術的なもののみならず、料理にしろ服飾にしろ建築にしろ、それから工芸やら農業やら…何にもないところから素材を集めて自分の手で何かを作り出す、ということはとても素敵なことだ。

その楽しさを知っている人と、与えられたものでしか生活できない人っていうのは、人生の豊かさが何百倍も違うんじゃないだろうか、って気がする。



2009-10-25

♪カレンダーの中の景色

テーマ:今日のおんがく

いくらでも眠っていたい週末。

曇り空でしかも気温も下がり気味なら、いつまでたっても眠気が取れないのも仕方ない。

先週はたくさん働いた。出張で出ずっぱりになってしまった分、日常業務がわんさか残ってしまったのだがこれもまぁ仕方のないことだ。その分、出張先では素晴らしい景色にめぐり合えたのだから。

訪れたのは、岩手県の三陸海岸沿いの僻地の村。花巻空港からはバスで3時間以上かかる山越え谷越えの道のりで、これがなかなかにたいへん。大阪から花巻までは飛行機で一時間半なのに…という矛盾や、なるほど都会では「無駄な高速道路なんて要らない」と簡単に言い切れるけど道路が整備されていない地方では現実的な問題なのだなぁ、などと感じたりしながら、果てしなく続くワインディング・ロードをバスに揺られながらうとうとしていたのだった。

バスがドライブ・インで休憩のために停まる。バスを降りた僕の前に姿を現したのは、鏡のような美しい湖だった。湖の向こうの山は既に紅葉し、その紅葉が湖面に映えている。湖の手前には白樺が林立している。それはとても美しい光景だった。まるでヨーロッパの、それもずいぶん北の方の国に迷い込んだような、陳腐な例えだけれど、カレンダーの中の景色の迷い込んだような、そんな感じがした


日々の糧と回心の契機  日々の糧と回心の契機


美しい景色を見るためにわざわざ遠くへ出かけたものの天候やらロケーションやらの関係で結局目当ての光景には出会えないままということもあれば、予期せぬ形でとても美しい光景に出会えることもある。

ほんの短い北の国の紅葉の時期、しかもよく晴れた青空の下で、たまたま通りかかることができた幸運。

そんな感慨に耽りながら、再びバスに乗り込み、道路沿いに続いていく鏡のような美しい湖面を見ながらふと聴きたくなったのは、ダイアー・ストレイツの“Romio & Juliet ”。

マーク・ノップラーの爪弾く繊細なギターで始まる美しい歌。

ぼそぼそと呟くように歌われるロミオとジュリエットの物語。

Eストリート・バンドからゲスト参加したロイ・ビタンのピアノが、ドラマチックな隠し味を添えている。

ギターやピアノからこぼれでる美しい音のひとつひとつが、湖面にキラキラと光っては飛び去ってゆく。


ダイアー・ストレイツの音楽には、過ぎ去っていく光景がよく似合うのだ。

通り過ぎていく美しさ、目を閉じれば今も広がる、すぐに消え去ってしまう儚いまぼろしのような、けれど確かにそこにあった景色や情景。

物事は過ぎ去っていく。それを過度にセンチメンタルにならず、しみじみと淡々とありのままに受け止めていくような潔さ。言葉にすればとても陳腐になってしまいそうな思いをあえて言葉にせずにいるような。

そんな想いが満ちているからなのだろうか、彼らの紡ぎだす音楽は切なくて美しいのは。


中でも大好きなのが“Romio&Juliet”が収録されている『MakingMovies 』というアルバム。

そういえばこのCDも、中古屋で安く売りさばかれていたのをたまたま見つけたのだったなぁ。




Making Movies/Dire Straits

2009-10-14

♪センスと才能のある奴には敵わない

テーマ:今日のおんがく
今日はちょっと落ち込むことがあった。
まぁ、要は、自分自身のセンスや才能の壁、みたいなことを思い知らされている、とでも言おうか。
仕事場が異動して新しい仕事になって2ヶ月、未だに「もう慣れた?」なんて聞いてくる人もいるけれど、ぶっちゃけ求められているレベルは「まだ慣れてないんで。」なんて言い訳はとても言えそうにない。言いたくはない、ということもあるけれど。
まぁそんなんでかなり頑張ってはいるのだけれど、仕事の出来栄えは結局のところは結果だから、どんな努力があろうとも結果がついてこなけりゃそれは自己満足でしかないし、そもそもそんなに胸張って言えるほど努力し尽くしたわけでもなく、中途半端なセンスと才能と過去の経験とその場しのぎでなんとか乗り切っているに過ぎないわけで。
このセンスや才能という奴、例えばちょっと絵がうまくて仲間内からは「絵が上手い」と認められているような奴でも、実際プロの絵描きや漫画家やイラストレーターになろうとでも目指したもんならいきなりハードルが高くなってしまって、たいがいの奴が挫折してしまうことがよくあるように(歌でもお笑いでもスポーツでもみんな同じだ)、素人でちょっとそこそこ上手いということと、プロでやっていけるレベルには歴然とした差がある。
では、センスや才能は生まれ持ったもので生まれてからずっとそのままかというとそうでもなくて、センスのある奴はさらにセンスが磨かれていってさらにどんどんすごくなっていったりする。途中で壁にぶつかってそこから伸びどまってしまう奴もいる。本人の持っている隠れたセンスが、時代や、タイミングや、よきパートナーによっていきなり日の目を浴びることもあるわけで、じゃあ自分はどれだろう?などと考えていたら、だんだんそんなことはどうでもよくなってきた。
結局、今の手持ちのセンスと才能でやるしかないもんね。
運がよけりゃそれなりにそこそこ勝負できるけど、運を呼び込むのもひとつの才能。運が悪けりゃ悪いなりになんとかやっていくのもひとつの才能。どっちにしてもその道でセンスと才能は活かされる。

そんななんとも言えない気分を感じつつ、そんな気分はロックンロールでぶっとばすに限る、というのが今日の結論。ブルースじゃ落ち込むばかりだし、ソウルに高揚するほどにはエネルギーがちょっと足りない。
センスと才能を持ち合わせた奴等に敬意を表しつつ。



    

  日々の糧と回心の契機-篠原太郎



With the Beatles/The Beatles
こないたCD屋へ立ち寄った時、かかっていたのがこのアルバム。リマスター再発なんて全然興味ないけれど、そういやコレ、アルバム単位でまともに聴いたことなかったなぁ、と。
“It Won't Be Long ”で始まり“Money”で終わる構成。“I Wanna Be Your Man ”も荒削りでスゲエいいやん!と改めて感服。ちょっとB面特集みたいな雑さというか、ドライヴ感がカッコいい。
My Aim Is True/Elvis Costello
センスのあるロックンローラーといえば、真っ先に思い浮かぶのはコステロとポール・ウェラーか。
このファーストアルバムだって、どこを切ってもかっこいい。
曲や、ぎゅっと凝縮されたポップなエッセンスもそうなんだけど、コステロの皮肉っぽくて、尚且つどこか悲しげな、でもやけっぱちにならない声が、曲のよさをさらに響くものにしている気がする。

Greatest Hits/The Jam
ジャムは実はリアルタイムでは聴いてませんでした。クラスの女子がアイドル的に騒いでいたからついついパスしてました。だから、このベスト盤が僕にとってのジャム。
なんといってもポール・ウェラーのジャキジャキかき鳴らすギターがかっこいい。
聴いてると、自分がとてつもなくかっこいい男になったような気がしてしまうのです(笑)。

Three into One/山下久美子

山下久美子が布袋寅泰と公私共にパートナーだった頃の3枚のアルバムからのベスト盤。

BOφWYは全然受け付けなかったけど、この久美子さんとのコラボはとてもいい。

コンパクトなメロディとしっかりしたビートの上で自由に跳ね回る久美子さんは、とてもキュートだ。

やっぱりセンスと才能のある奴には敵わない。


光と蔭/篠原太郎

篠原太郎さん。その昔、現クロマニヨンズの真島昌利と一緒にブレイカーズというバンドをやっていた人で、そのたった二枚のソロ・アルバムのうちの一枚。けっこう好きだったなぁ。ビートがきいていて、ちょっとMODSっぽくって。歌い方とか歌詞とかマーシーのソロそっくりで。

同じ価値観を共有しながら違う道を選んだ二人には、きっと二人にしか分からないいろんなことがあって、それってなんだかちょっとカッコいいと思う。


2009-10-10

♪Glad and Sorry

テーマ:今日のおんがく
前回の記事に、自分のお葬式の最後にジョーイ・ラモーンの“What a Wonderful World”をかけてほしいと書いたけれど、実はオープニングの曲はもうずっと前から決めてある。
フェイセズの“Glad and Sorry”。
ロニー・レインの歌う、淡々とせつない、けど、どこかこざっぱりとしたナンバーだ。


Ooh La La/The Faces

Thank you kindly
For thinking of me
If I'm not smiling
I'm just thinking

Glad and sorry
Happy or sad
When all is done and spoken
You're up or I'm down

Can you show me a dream
Can you show me one that's better than mine
Can you stand it in the cold light of day
Neither can I


おもむろに、イアン・マクレガンのピアノが始まる。
ロニー・レインのベースが入ってきて、ロン・ウッドがアコギを鳴らす。
参列者の列の中に、僕は君の姿を探すだろう。


優しくしてくれてありがとう。
僕のことを思ってくれてありがとう。
あいそ悪くてごめんね。
ちょっと考え事をしてたんだ。

ありがとう、それからごめんなさい。
幸せなことも、悲しいこともたくさんあった・・・



30年後なのか40年後なのか、それともその日はある日突然に予期せぬ形でやってくるのか。

いずれにしても、自分のお葬式のことを考えると、なぜだか穏やかな気持ちになる。

不思議なことだけど、そのことを考える時、死への畏れは消えているのだ。



雲に霞んだきれいなお月様を見て、台風が来て強い風が吹いて、それから台風が去ってさわやかな青空が広がって、毎日いろんなことがあって、いろんな人に会って、いろんな話をして、それから一人で眠る。

そんなふうに毎日は過ぎていく。

今日みたいな優しく緩く、そして少しせつなげに晴れ渡った空の日には尚更、フェイセズがよくしみる。

楽しいこともしんどいことも、過ぎていく毎日の中で、ロン・ウッドの弾くスライド・ギターみたいに、少しづつ透きとおってゆく。


誰かに優しくしてもらった記憶は、透明になって空の色と一緒に混ざって、見えなくはなるけれどずっとそこにあるような気がする。そのほのかに甘い記憶がある限り、僕は怖くもないし悲しくもない。


そんなことをふと思った、穏やかな秋の日。




2009-10-04

♪What a Wonderful World

テーマ:今日のおんがく
木曜日、学生時代の友人から久しぶりの電話があった。
「おぉ、ご無沙汰!どうしたん?」
「いや、実は、あんまりええ知らせではないんやけどな・・・・。」
そう言って彼は、学生時代に共にバイトをしていた居酒屋で、とてもお世話になったおっさんが亡くなった、と告げた。
とにかく酒が大好きな人だった。
仕込みしながら、焼き鳥を焼きながら、接客をしながら、いつでも酒を飲んでいた。
ヤクザみたいな、それも一昔前の仁侠映画のヤクザみたいな出で立ちで、くたくたの絹のシャツに金のネックレス、伸びてくずれたパンチパーマで、ギョロッとした目玉のいかついおっさん。酔っぱらっていても酔っぱらっていなくてもぶっきらぼうで、でもどこか憎めない可愛らしさのある人だった。
二十歳そこそこの僕らは、そんなおっさんとの関わりの中で大人になることの怖れを取り払っていったのだ。「こんなにやんちゃなまな大人になるのもありなんだ。」って。

金曜日、当時おっさんとバイトをしていた仲間たちをおちあって、お通夜へ。

そこで対面したおっさんは、働いていた頃よりもっと痩せこけてガリガリだった。

おっさんのお兄さんらしき人が「生きていたときは酒ばっかり飲んで人に迷惑ばっかりかけて、と思っていたけれど、こんなにもたくさんの人から慕われていたなんて…驚いているけれど、それは私にとってもとても嬉しいことです。」と語ってくださった。

ひとしきり懐かしい思い出話や、いろんな奴等の近況や消息や噂話をしてから、「これから、こんな機会で会うことの方が多くなるんだろうな。」などと呟きながら仲間たちと別れた。



土曜日、仕事の用事で街へ出たついでにタワーレコードで、ジョーイ・ラモーンのソロ・アルバムを買ってきた。『ドント・ウォーリー・アバウト・ミー』。

LA MOSCAさんのブログ で紹介されていて興味を持っていたアルバムだ。

そして、今日も朝からずっとコレを聴いている。



Don’t Worry About Me/Joey Ramone

2002年にリンパ系の癌で亡くなった、ラモーンズのジョーイが唯一残したソロ・アルバム。

癌と戦いながら、自らの死と向き合いながら、こんなにも素敵なロックンロール・レコードを作ってしまうなんて、さすがは20数年間ラモーンズでシンプルで、ちょっとお茶目なロックンロールばかり歌ってきた男だと思う。

死を覚悟した上で“Don't Worry About Me”なんて歌える彼のポップさは、ほんとうに彼らしくてカッコいい。それから「病院のベッドに寝そべってるんだ、ほんと嫌になっちまうぜ」と歌う“I Got Knocked Down”なんて曲もあって、病院のベッドで退屈しているジョーイの姿を思い浮かべてなんとなく微笑ましくなったりする。

このアルバムを聴いていると、なんていうか、ジョーイの親族なんかもきっと、生きているときは人の言う事聞かないで好き勝手ばっかりする迷惑掛けてばっかりのどうしょうもない男だと思っていたけれど、ほんとうに世界中の人々から愛されていたんだな、好きなこと取り上げて延命するよりも好きなことやって「心配するな」とかっ言って勝手に向こうへ行ってしまうほうがジョーイらしい生き方だったんだろうな…なんて思ったんじゃないかという気がするのだ。


そして、何よりも最高にカッコいいのは、一曲目の“What a Wonderful World”。

ご存知、ルイ・アームストロングが歌った名曲だ。

この世界の、とても小さな幸せを肯定する素敵なうた。

ジョーイは、これを、ラモーンズ流儀のシンプルでポップでワイルドなロックンロールにして、自分自身の最初で最後のソロ・アルバムの一曲目に持ってきた。

そのことそのものが、とっても素敵なメッセージなのだと思うのだ。

世界はいつだって素晴らしいもので満ちあふれていたし、俺はそんな世界が大好きだったし、だからこれからもみんな楽しくやりなよ・・・って。

そうだ、自分のお葬式の最後には、コイツかけてほしいな。

ひとしきりの儀式が終わってしんみりした後、大音量でこの曲をぶっ放すんだ。

サンキュー、みんな、アイラブユー!元気でやれよ!って感じでね。

うん。そいつは最高のアイデアだ。

What a Wonderful World!!



I see trees of green, red roses too
I see them bloom for me and you
And I think to myself, what a wonderful world

I see skies of blue and clouds of white
The bright blessed day, the dark sacred night
And I think to myself, what a wonderful world

The colours of the rainbow, so pretty in the sky
Are also on the faces of people going by
I see friends shakin' hands, sayin' "How do you do?"
They're really saying "I love you"

I hear babies cryin', I watch them grow
They'll learn much more than I'll ever know
And I think to myself, what a wonderful world
Yes, I think to myself, what a wonderful world




2009-09-29

♪なんとなくどこかいつもと違う秋

テーマ:季節と気候と音楽と
なんなんだろう?なんとなく今年の秋は、いつもと何かが違う気がしている。
相変わらず会社では、上期の決算状況が○○で××だから、背水の陣で下期に臨むのだ、全員が危機感を持ってやれ!みたいな号令が響いているし、世間でも相変わらずいろんな事件があっていろんなニュースが飛び交っているはずのに、なぜか奇妙に静かな感じがしてならないのだ。
それは世間みんながそうなのか、それとも自分が個人的に感じることなのか、その辺りがよくわからないのだけれど、静かといっても無関心とやシラケや無気力とも少し違う。穏やか、というのも少し違う。抑制が効いているとでもいうか分別あるというか、目の前で起きていることに一喜一憂しないというか、言ってみればそういう静けさなのです。

お天気のせいもあるのかも知れない。
盛り上がらないまま過ぎていった夏をそのまま引きずって、爽やかで過ごしやすいお天気が続く毎日。
毎年の関西の九月っていうのは、もっと残暑が厳しかったり、夕立や雷雨が鳴ったり、長雨が続いたりするのに、今年のお天気は平穏で従順で、まるでヨーロッパや北海道みたいなお天気だ。
良くも悪くも、感情を忘れてしまったみたいに、空が遠い。
そういや、今年は全然といっていいほど、台風が来ていないのだなぁ。

そんな気分のせいってわけでもないけれど、毎日聴く音楽もこのところ、ガツンガツンと気合いを入れまくるようなものじゃなくて、聴き流せるくらいがちょうどのものを選んでしまいがち。
それで、CD棚やカセットラックの隅に埋もれていたようなものを拾い集めてはなんとなく聴き流している。
そのことで何か強い感情が湧いてくるわけではないけれど、それはそれなりに居心地が悪いわけでもないので、しばらくはこんな感じでいいのだろう、と思うことにしておこう。


穏やかな秋の日に、聴き流していたアルバムからいくつか。


    

日々の糧と回心の契機-山根麻衣   日々の糧と回心の契機-芳野藤丸

Patty Smyth/Patty Smyth

その昔、スキャンダルというバンドでやんちゃに歌っていたパティ・スマイスのソロ作。

なんてことないありきたりなポップ・ロックやバラードの数々。毒にもクスリにもならないのだけれど、その引っかからなさが結構気持ちいい。

ドン・ヘンリーとのデュエット“Sometimes Love Just Ain't Enough ”はしみじみ来ます。


Lone Justice/Lone Justice

当時二十歳そこそこだったマリア・マッキー嬢がのびのびと歌う歌たちは、怖いもの知らずの若さの勢いがありつつも、ちょっとカントリーっぽくってのどかだったりして、その微妙なバランスがカッコいい。

この初々しさと怖いもの知らずな勢いは、語弊を承知で言えば、ビートルズに匹敵する気がする。


GREATEST HITS/Simply Red

あまり真剣に聴いたことがなかったのだけれど先日中古屋でつい買ってしまった一枚。

なかなかにソウルフルで、その心地よさについ心を委ねてしまうような質の高さに感服。


BEST/山根麻衣

80年代前半、まだまだフォークっぽい湿っぽさを残した、いわゆるニュー・ミュージックが主流だった中で、この人や松原みきの音楽は、洗練された大人の音楽って感じで憧れだった。

その頃はもっとアメリカナイズされた音だと思っていたけれど、今聴くと日本的な情緒もあって“たおやか”なんていうほとんど使われることのなくなった形容詞を思い出したりした。


FUJIMARU YOSHINO/芳野藤丸

先日ezeeさんのブログ「音系戯言」 の記事で久しぶりに思い出した、SHOGUN~AB's。その中心メンバーだった芳野藤丸さんのファースト・ソロ。

カッテイングが気持ちいい。決して上手いとはいえないヴォーカルも味があっていい。

すんなり聴き流せる音楽というのは、実は相当に質の高い音楽なのだ、ということを久々に聴いて改めて思い知った。


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