2012年5月。
あるきっかけでスズメを保護した。
今ではこのスズメを先生と呼んでいる。
先生は動き回るものの飛ぶことはせず、
ほとんどの時間、顔を羽にうずめて静かにしていた。
とても優しい眼をしていた。
じーっとこちらを見て、僕に何かを伝えているような気がした。
以前、数日ではあるが弱ったメジロを保護したことがある。
その時には感じなかった別の感情(いや、たぶん感情とは違うんだけど)が、
ググッと込み上げてきた記憶がある。
この写真の2日後に先生は旅立った。ほんの一瞬の出来事。
不思議な感覚の中で過ごした数日間。
ある日、食卓やテレビで食されている“鶏肉”を見て、ハッと気付いた。
『そうか、そういうことか。もう鶏肉はいらないんだな。』
私は単純にそう思った。
以前から抱えていた違和感がひとつ外れた瞬間だったと思う。
先生が死んでから、
どうしても先生と鶏肉との線引きがうまくできなくなった。
好きだった祖母の作るとりの唐揚げにも魅力を感じなくなった。
先生と重なってどうしようもないのだ。
きっと私にはメッセージ、お知らせが今までにもたくさんあったはず。
メジロにしてもそうだ。
あの時、私へのメッセージに私は気付かなかった。
もしかしたらタイミングではなかったのかもしれない。
メジロの保護を経験したからこそ、
この先生との出逢いに大きな気付きを得ることが出来たのだと思う。
要素だけを取り出したら、
「スズメ保護⇒死ぬ⇒ご飯食べる」だけなのですが、
私には大きな出来事だったのです。