肉・寿司。
ちょっと贅沢な気分。

みんなは『どこ産?』というけど、
本当の意味は『どこ生まれ?』だったりして。
う、肉とかって動物なんだよね。
動物って生きているんだよね。
おいしくいただくのが『感謝』というけれど、
それは間違いというわけではないと思う。
しかし、“出てきてしまったもの”限定だとは思うけれど。

もちろん、“出てきてしまったもの”を
いただかないというのも『感謝』のカタチだと思う。
可能であれば、私もそうすると思う。
言うまでもなく、『無駄にするな』というのも納得できる。
の命を全うしていないものへの『感謝』のカタチを考えるとき、
それぞれが何を選択するかは自由である。

自由ならばなぜ、こんなとこでタラタラ書いているのか。
それは、私が間違いなく菜食というものが、『自然で、優しくて、あたたかい』ものであり、
自分が自分でいられるようになる感覚を実感でき、それがとても素晴らしいことであると
確信しているからである。

そして、命を奪わないに越したことはないと思うとともに、
それを考えることを辞めている人が多いと感じるから、ここに書くのである。

は、ゆるいベジタリアン。
それを知った人は、私が『何かにとらわれている』様に思われることが多い気がする。
ここで私は断言しましょう。

『とらわれているんじゃなく、手放したんです』って。
真逆でしょ、おもしろいですよね。