【西村眞悟の時事通信】挙国一致体制・台湾と日本



               西村眞悟
            

 国家は国難に直面したときに、挙国一致体制を整える。
 これは、国難を前にして小異を捨てて大道につき一致団結して国難を克服するときに執られる体制である。

 何故、今になって挙国一致体制について語ろうとするのか。
 それは、台湾の蔡英文新体制を観て、「小異を捨てて大道につく」を思い起こしたからである。
 同時に、現在の台湾が置かれている状況と、その中で、蔡英文の二十日の総統就任演説の概要と人事、さらに翌二十一日の従来の学習指導要領の廃止措置を観た。
 そして、蔡英文が、何を自らの政治的使命として総統を目指し、何を決意して総統に就任しているのかを考えた。

 台湾の西に大きな虎がいて、前足で北と南から台湾を囲みながら口を大きく開けて台湾を見下ろしている。
 虎は大きい。しかし、その内蔵は癌でズタズタで膿が充満している。
 前任者の馬英九総統は、自ら虎の口の中に入ろうとした。
 しかし、新総統の蔡英文は、静かに虎の口の中から出ようと決意している。

 国民教育が国家存亡に如何に切実に関わっているのかを理解する者ならば、蔡英文新総統が就任の翌日に、従来の馬時代の学習指導要領を廃止したことを以って蔡英文総統の決意が「脱中国」にあることを理解するであろう。

 まことに、蔡英文に率いられた台湾は今、百二十五万人の陸軍兵力、千七百機の戦闘機と四百機の爆撃機、二百基の中距離核弾道ミサイルと千基の短距離核弾道ミサイルを擁する内蔵から腐臭を発する虎の口から脱出しようとしている。

 就任から一日後に、間髪を入れずに学習指導要領廃止を発表した新体制が、如何に緊張状態にあるか、我が国政界はそれを察知する生物的能力を欠落させている。

 その新体制とは、蔡英文総統が民進党の総統でありながら、副総統には父親が国民党の有力者である陳建仁氏首相に当たる行政委員長に国民党の軍人を父にもつ林全行氏外交部長(外相)と国防部長(国防相)にも国民党籍、この体制で、間髪を入れずに学習指導要領を廃止したことを思えば、まさに、挙国一致体制ではないか。

 この蔡英文新体制が、我が国に京都大学出身で行政院長を務め八年前に総統選挙を戦って馬英九に敗れたの謝長廷氏を「駐日大使」として送り込んできた。
 これで、蔡英文総統の意図が読める。
 台湾は、西の虎との強まる確執を覚悟して我が国との連携を深めようとしているのだ。

 台湾における新体制発足によって、東アジアに激変が起ころうとしている。
 我が国は、この変動に対処し得るのか?

 国政では、与党は連立で支那に弱く、育児休暇を求める男子議員のスキャンダルで補欠選挙に敗れ、野党は共産党と組んで中国共産党と連動して安保法制廃止を叫び、沖縄では米軍基地反対の機運を煽り地方では、首都の知事の公私混同、各地の議員の公金の詐欺・・・!
 つまり彼らの地方自治や地方分権とは「公」を忘れたやりたい放題のことなのだ!
 と、いうわけである。

 一体これらは「何を大切にした」党なのか。
 支那を大切にしているのか、ある個人を崇めて大切にしているのか、自分を大切にしているのか、いまの与野党はこの何れかである。

 もはや、小なりと言えども、日本のこころを大切にする我ら、この西村眞悟が起たずして日本の未来はない。

 思い返せば、悔しくもあるが、我が国は大東亜戦争においても、挙国一致ではなく、それが敗因となった。
 第一に、陸海軍の統帥が分裂していた。それ故、陸海軍に情報の共有がなかった。
 人事においても、蔡英文総統の決断はなく、意見の違う者との小異を捨てて大道につくことはなかった。
 東条内閣は、意見が異なる者に特高や憲兵をつけて逮捕し自決に追い込み、山下奉文将軍や石原莞爾将軍の能力を国家のために生かそうともせず閑職に追いやった。

 さて、最後に謝長廷新大使との思い出を書く。
 彼は総統選挙が始まる前に京都大学の学園ホールにに来た。その時初めて話をした。
 彼は京大の法学部で加藤新平教授の下で法哲学を学んだ。
 同じゼミで学んだ先輩に聞いたが、謝長廷は、中華食堂でバイトをしながら学んでおり、しかも分厚い原書を全て読破してゼミに臨んでいた。

 謝長廷は、総統選挙の時、夕方、公園で一万人以上の人を集めて演説会をした。
 薄暗いなかを謝長廷の一団が演壇を目指して公園を歩いていた。
 私は彼に「京都大学、頑張れ!」と言った。
 演壇に上がった彼の後ろには、綺麗なチベットの娘さんたちが並んでいた。
 彼は、話し始めた。京都大学頑張れ、に反応した。
 「私は、明治維新の地、日本の京都で学んだ。
  みんな、台湾の維新を起こそう、台湾は台湾だ!」
 そして、彼は、オカリナを取り出し、竹田の子守歌を吹いた。
 そのメロディーが公園の暗闇に響き、彼の後ろのチベットの娘さんたちが、泣きはじめ涙をぬぐっていた。
 その時、彼女らのチベットは中共に弾圧され多くの人々が殺されていたのだった。



『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html