ゴキゴキ殲滅作戦!

念のために言っておくが、私はゴキブリではない。
さらに念のために言っておきますが、このブログはコックローチやゴキブリホイホイとは何の関係もありません。
本と映画と渋谷とフランスについての日記です。


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ジョイス・キャロル・オーツの『生ける屍』(扶桑社ミステリー、原題はZombie [ゾンビ] )を読了しました。

 

過去に投稿した三つの書評(『とうもろこしの乙女』、『邪眼』、『二つ、三ついいわすれたこと』)でも紹介したように、著者はノーベル賞候補とされるアメリカの文豪。数々の重要な文学賞を受賞していますが、この作品もブラム・ストーカー賞(アメリカ・ホラー作家協会が選ぶ、その年の最優秀ホラー小説賞)を授与されています。

 

さて、主人公=話者は、31歳の男性同性愛者。著名な物理学者を父に持ち、本人も知能指数は悪くはないが、大学を中退、その後は定職に就くことなく、現在は祖父母が所有するアパートで管理人として働いている。黒人少年に対する性犯罪が露見し、現在は保護観察中の身だ。

 

彼には隠された悲願がある。若い男性を誘拐し、ロボトミー手術を施して、ゾンビ=彼の忠実な僕(しもべ)にしてしまい、それとのセックスに耽溺することである。話者はこの計画をすでに三人の男性に試みたが、すべて手術に失敗し、殺してしまっている。そして4人目の男性を物色していたある日、彼は祖母の家に芝刈りに行き、隣家のプールで泳ぐ美少年の姿態に感嘆するのだった・・・

 

「こんな小説もあるんだなぁ・・・」という印象。要するに、サイコパス(=反社会性パーソナリティー障害)の殺人鬼の内面を描いているわけですが、当然のことながら、私は主人公に感情移入することが全くできません。

 

阿部和重さんの芥川賞受賞作『グランド・フィナーレ』が、ロリコンの中年男(幼い娘を裸にして、写真を撮ったりしている)の心理を描写して、やはり私は主人公に全く共感できませんでしたが、そのときと類似した感覚を持ちました。

 

アメリカでは、トルーマン・カポーティの『冷血』やトマス・ハリスの『羊たちの沈黙』(共に私は未読なのですが)など、サイコパスの内面に迫る(でしょ?)作品がベストセラーになっていますから、本作もそれらの系譜に連なる小説なのかもしれません。そう言えば、『羊たち・・・』も、ブラム・ストーカー賞の受賞作でした。

 

まぁ、「文学」を「言語化されていない(あるいは十分には言語化されていない)事象を言語化しようとする試み」と定義し、作品の価値を「そこに現象する言語外的なものの強度」によって測定するのなら、この作品は優れて文学的なものと言うことができるのかもしれません。

 

私としては、判断に迷うところです。今回は評価は控えておきましょう。

 

少なくても、読んでいて退屈はしませんでした。サイコパスに興味のある方は、どうぞ。

 

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エマニュエル・トッドの『問題は英国ではない、EUなのだ/21世紀の新・国家論』(文春新書、2016年)を読了。

 

著者は国際的に有名な、フランスの歴史人口学者。本の帯は「現代最高の知識人」と紹介しています。

 

英国のEU離脱(第1章、第2章)、トッド自身の方法論とそれに基づく世界の現状分析・未来予想(第3章)、人口学的観点から予測する2030年の世界と中国の未来(第4章、第5章)、パリ同時多発テロとイスラム恐怖症(第6章、第7章)など、最新の時事問題についての著者のインタビューと講演を収録。

 

ドイツによるヨーロッパ大陸の「経済的掌握=支配」を指弾し、ブレグジット(=イギリスのEU離脱)の第一の動機は、押し寄せる移民ではなく、イギリス議会のドイツからの主権回復だと断言する。

 

さらに、ブレグジットを主導したボリス・ジョンソン前ロンドン市長を「民衆の側についた」と賞賛し、フランスの左翼を「インターナショナリズムと普遍主義の素朴すぎる、抽象的で時代遅れのヴィジョンによって機能不全に陥っている」と批判。

 

また、ドイツの開放的な移民政策の理由を、日本と同様の少子高齢化(合計特殊出生率は日本より低い)に求め、ドイツは経済成長を維持するために、若い熟練労働者を必要としている点を指摘する。

 

そして、現実に機能するには国民国家を枠組みとする他ない民主主義は、移民現象をコントロールする権利を、その前提として含んでいるとし、「リーズナブルな」移民の受け入れを主張する。

 

今まで考えてもみなかったこと、しかし言われてみれば「なるほど」と思うような指摘が多く、とても勉強になりました。

 

EU、および世界の未来に関心のある人にとっては、必読書の一つかもしれません。

 

前回に続き、今回も評価は、AAA=絶対にお薦めです!

 

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渡辺靖さんの『アメリカのジレンマ/実験国家はどこにゆくのか』(NHK出版新書、2015年)を読了しました。

 

著者は慶応大学教授で、高名なアメリカ研究者。サントリー学芸賞の受賞者でもある(for 『アフター・アメリカ』)。

 

さて、本書は、まずアメリカの政治家や外交当局者たちから見た戦後の日本像を多面的に記述し(第1章)、アメリカ政治における保守とリベラルの相克を歴史を辿って概観(第2章)、そして近年のアメリカ社会の変質を分析する(第3章)。

 

次いで、オバマ政権の外交政策の問題点を指摘し(第4章)、アメリカの自画像と現代世界に蔓延する反米主義を解析する(第5章)。

 

面白かったです。特に前半の3章は、眼から鱗が落ちる思いがしました。例えば

 

・・・移民国家であるアメリカでは、多種多様な移民が、いろいろなところにさまざまな像を建てて、さまざまなイベントを開催している。そんな中で、韓国系の移民が従軍慰安婦少女像などを建てたところで、一般のアメリカ人が特別な関心を寄せることはまずない(←言われてみれば、そうでしょうね)。そもそも過半数のアメリカ人は、従軍慰安婦をめぐる問題の存在そのものを知らない。日本政府が像の撤去を求めたりするのは、かえって問題を大げさにするだけだ(実際に、メディアで取り上げられてしまいました)。

 

・・・アメリカでは州政府に絶大な権限が与えられ、中央政府の権力は相対的に弱くなっている。各州が独自の憲法(←これは知らなかった)や軍隊(←「州兵」というのは聞いたことがあるが)を持ち、銃の保有から、同性婚、死刑、教育、税に至るまで、州がルールを決めている。アメリカでは、陸軍士官学校等を除いて、「国立」の学校は存在しない。

 

・・・アメリカでは保守主義もリベラリズムも、啓蒙主義を源流とするヨーロッパ的な自由主義を前提としており、イデオロギー間の差異はもともと小さい。保守主義は自由主義の右派に過ぎず、リベラリズムは自由主義の左派に過ぎない。そこには、いわば、「コーク」と「ペプシ」程度の違いしかない。

 

私の評価はAAA=この分野では必読書の一つでしょう。

 

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ジョイス・キャロル・オーツの『二つ、三ついいわすれたこと』(岩波書店)を読了。

 

オーツは、以前紹介した『とうもろこしの乙女』と『邪眼』の著者。本国アメリカでは「ノーベル賞候補」ともされ、最近、私が最も注目している作家の一人です。

 

三茶の図書館カウンターで予約して借りたのですが、手に取ってみると、岩波の「10代からの海外文学/STAMP BOOKS」叢書の一冊で、訳者解説にも「ヤングアダルト向け」などと書いてある。「読まずに返却しようか」とも思いましたが、実際に読んでみると、大人でも十分に楽しめる内容でした。

 

さて、有名女優の一人娘で、自らも天才子役という華々しい過去を持つ反抗的な少女・ティンクが、自殺を仄めかされる謎の死を遂げて、半年。友人だったメリッサとナディアは、悲しみと喪失感を引きずりながら生きている・・・

 

第一部は、メリッサの物語。彼女は、アイビーリーグの名門・ブラウン大学(日本では無名ですが、超一流の大学)の早期合格通知を手にしたほどの秀才で、容姿にも恵まれ、スポーツも苦手ではない。亡くなったティンクから、冗談交じりに「ミス・パーフェクト」と呼ばれていた高校三年生だ。しかし、やはり名門大学出身の父からの期待は強く、重圧に押しつぶされそうになっている。両親の別居にも深く傷ついて、いつしか自傷行為に走るようになって・・・

 

第三部は、ナディアの物語。彼女は、大企業の重役を父に持つ、顔は割とかわいいが、ちょっと太めの女の子。デートに誘われた男の子と、酒に酔った勢いでセックスをしてしまい、男子たちからは「尻軽」と罵られている。理科を教える若い教師に優しくされてのぼせ上がり、父が所蔵する高価な絵画と継母のバッグを盗み出して、彼の誕生日にプレゼントするのだが・・・

 

そして間にある第二部が、一般人称の「私たち」(=クラスの女の子たち)の視点で語られる、ティンクの物語だ。彼女は、小生意気で反抗的でありながら、ときどき怯えたような表情を見せ、自傷行為もしているらしい、小柄で痩せた女の子。母親との関係は、最悪。こうしたティンクは、物語の「現在」ではすでに亡くなっていることもあって、10代後半の若者なら誰でも持っているある側面の、「象徴」のようなものなのでしょう。

 

最後まで読むと、やはり「ヤングアダルト向け」ですね。同じ著者の他の作品にあるような、人間の心の奥底の「闇」や強烈な「悪意」は、描かれない。何よりも、「希望」がある。

 

読後感は悪くないです。オーツの「入門」としては、いいかもしれません。

 

今回は評価するのは止めておきましょう。オーツ、現代アメリカ文学一般、あるいはヤングアダルト向け小説に興味のある方はどうぞ。

 

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以前にも書いたように、4月から担当の授業が一つ減り、それに伴って収入も減ってしまうので、ここのところ節約に努めている。

 

その一環として、単行本の小説を購入するのは控えて、代わりに図書館を利用することにしている。幸いなことに、私の住む世田谷区三軒茶屋には、駅前の繁華街に「図書館カウンター」があって、パソコンで本を探して予約し、後日、受け取ったり返却したりすることができる。

 

その際、パソコンで本を検索すると、世田谷区立図書館(16館+5図書室)が、全体で何冊その本を所蔵しているかが示される。今回借りてきたアリス・マンローの『小説のように』は、11冊だった。前回借りたジョイス・キャロル・オーツ(私はマンローより高く評価している)の『邪眼』は5冊だったから、やはりノーベル賞の威信=宣伝効果は、絶大だ。

 

という訳で、今日紹介したいのは、マンローの『小説のように』。2009年刊行の短編集です(てか、マンローは短編しか書かないけど)。

 

まず表題作(原題は Fiction)。

 

主人公のジョイスは、高校時代、クラスで二番のIQを持っていたという、聡明で美しい女性だ(註・どうもアメリカやカナダでは、未だにIQに対する「信仰」が強いようです)。当時、クラスでも全校でも(そしておそらくその都市でも)一番のIQを持っていたジョンと交際するが、二人は大学一年でドロップアウトして駆け落ちし、数年間ヒッピー暮らしをした後、今は地方都市の郊外の森の中の家に住み、ジョイスは学校の音楽教師、ジョンは木工細工の仕事をして、生計を立てている。

 

ところが夫のジョンは、アシスタントとして雇った、愚鈍で平凡な容姿の、子持ちの若い女と恋に落ち、ジョイスは家を出ることになってしまう。

 

そして長い年月(20年?)が過ぎる。ジョイスは演奏家として成功し、大学教授の夫と再婚して、平穏に暮らしている。が、偶然、若い女性作家の書いた小説を読んで・・・

 

次に「顔」。

 

主人公の「私」は小さな男の子。顔の右半分に「グレープジュースかペンキでもぶちまけられたような」紫色のアザがある。

 

「私」の自宅には「離れ」があって、父親が経営する会社で働く女性が、幼い娘と住んでいる。「私」はその娘と親しくなる。

 

ある日、女の子と「私」は、地下室で一緒に遊んでいて、古いペンキの缶を発見する。彼女は、そのペンキを自分の顔の右半分に塗って、言うのだった。「ほら、これであたしもあなたと同じでしょ」。

 

激しい衝撃を受けた主人公は、泣き叫びながら走り去り、それが原因となって、少女とその母は「離れ」から出て行ってしまう・・・

 

前回紹介した『イラクサ』の裏表紙かどこかに、「一瞬が永遠になる」(註・手元に本がないため、正確な引用ではありません)とあったが、上記二つの短編では、まさにそのような「瞬間」が描かれている。「小説のように」で、ジョイスが小説を読んだときがそうだ。あるいは「顔」で、数十年後になって、少女が事件の直後に取った行動について、「私」が母から聞かされたときがそうだ。

 

そのとき、表面的には何も生じていないのに、主人公にとって「世界」の様相が変化する。それは、微妙ではあるが、明らかな変化である。その「瞬間」、何十年も隠されていた一つのピースが、「世界」の中に突如として現前し、そのことによって、その「瞬間」の前と後では、主人公が住む「世界」は、明確に異なった意味体系を提示する。

 

まぎれもない傑作です。他に「子供の遊び」も、私の趣味に合った作品でした。

 

収録された10編のうち5編しか読みませんでしたが、いい作品集だと思います。今回の評価も、AA=お薦めですね。

 

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5年前に亡くなった方だが、東郷健(とうごうけん)さんという社会活動家をご存知だろうか。

 

東郷さんは、私の学生時代、自ら「オカマの東郷健」と名乗り、国政選挙や都知事選など大きな選挙があるたびに立候補し、男性同性愛者の権利の拡大と差別の撤廃を訴えていた。そしてNHKで放映される「政見放送」で、放送禁止用語を連発し、視聴者の間に笑いの渦(それは「嘲笑」や「失笑」ではなく、まさしく「哄笑」だった)を巻き起こした後、毎回、大差をつけられて落選していた。

 

異性愛こそが「正常」であり、同性愛は「異常」で「倒錯」で「変態」でしかないと多くの人々が確信していた時代、臆面もなく同性愛者の社会的認知を求めていた東郷さんは、「稀代の変人」であって、彼の存在そのものが「壮大なジョーク」でしかなかったのだ。

 

ところがここ最近、同性愛者などの性的マイノリティは、マスコミから「LGBT」という呼称を与えられ、その社会的認知はかなりの速度で進んでいるように思われる。渋谷区や世田谷区などいくつかの自治体では、同性のカップルに「パートナーシップ証明書」を発行しているし、少なくとも、良識のある人間なら人前で彼ら彼女らを差別してはならないといった程度の、社会的同意は完成しつつあると言ってよいだろう。

 

そんなことを思ったのは、最近、ジャック・ランシエールの『不和あるいは了解なき了解/政治の哲学は可能か』を読み返し、東郷さんと同性愛者の方々が辿った軌跡が、ランシエールの言う「政治」の格好のモデルになることに気づいたからだ。

 

実際、ランシエールによれば、「政治」とは「当事者を決め分け前があるかないかを決める感性的なものの布置を、定義上その布置の中に場所を持たない前提、つまり分け前なき者の分け前という前提によって切断する運動」であって、「この切断は、当事者を決め分け前があるかないかを決めてきた空間を再配置する一連の行為という形で現れる」(邦訳60頁~61頁)。

 

もう少し日常的な用語で説明すれば、概ね、次のようなことだ。

 

さまざまな価値や権利(=「分け前」)が一定の仕方で配置された体系として、「社会」を考えよう。そのような「社会」の「中」で価値や権利を認められていない人たち(=「分け前なき者」)が、「社会」の「外」から、彼らの価値や権利を求めて声を上げる。

 

その声は、当初、「社会」の側では意味を持たないただの「音」、雑音、動物たちの鳴き声のようなものとして扱われてしまう。東郷さんの主張が、ただの「ジョーク」のようにしか受け取られなかったように。

 

しかし根気強くその声を上げ続けていくうちに、次第に賛同者も増えて、「社会」の側でもそれをただの「音」ではなく、意味を持った「言葉」として聞き取る人たちが出現する。

 

そして遂には、「社会」における価値や権利の配置が変わり、彼らの「分け前」が承認され、彼らも「社会」の「中」に居場所を持つようになる。性的マイノリティの人たちが、徐々に社会的認知を獲得していくように。

 

そう言った一連の運動が、ランシエールの言う「政治」なのです。なるほどねぇ・・・。

 

考えてみれば、アメリカで初期の黒人公民権運動に携わった人たち、あるいはアジア太平洋戦争前の日本で、女性の権利を要求していた人たちも、40年前の東郷健さんのように、「稀代の変人」、「存在そのものがジョーク」のように扱われたのでしょう。

 

ランシエールの「政治」は、大変な覚悟と、精神力と、エネルギーを必要とするようです。

 

東郷健さんのご冥福をお祈りいたします。

 

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4月から担当する授業が一つ減り、それに伴って収入も減ってしまうので、少し節約に努めなければならない。そこで当面は、単行本の小説を購入するのは控えて、文庫になるのを待つか、あるいは図書館で借りて読むかしようと考えている。

 

そんな次第で、近所の図書館で借りてきたのがこの本、ジョイス・キャロル・オーツの『邪眼/うまくいかない愛をめぐる4つの中編』(2016年)です。

 

前回、同じ著者の『とうもろこしの乙女』を紹介したとき、「著者は日本ではほとんど無名」などと書きましたが(本の解説で訳者がそのような意味のことを書いていたので)、調べてみると実はそうでもないようで、翻訳は何冊も出ています。特にミステリーファンの間では、一定の人気を博しているみたいですね。で、今回は・・・

 

まず表題作の「邪眼」(原題は evil eye)。

 

主人公はまだ若い女性で、舞台芸術の大家とされる男の、4番目の妻となる。男の家には、アジアやアフリカの仮面や彫刻、エキゾチックな壁飾りなど、奇妙な装飾品がたくさんあって、「ナザール」と呼ばれる平べったい巨大な目玉も、そうした装飾品の一つである。それは、男の最初の妻が買ったもので、「邪眼」(一種の悪霊?)を追い払うためのお守りであるらしい。

 

さて、結婚して一年もしないうち、その「最初の妻」が、姪をつれて、男の家に泊まりに来ることになった。

 

そして、いよいよその日、主人公の前に現れた彼女には右目がなく、それがあったはずの場所は、空洞になって窪んでいて・・・

 

妻を自分と対等の存在とは認めず、常に自分のことしか眼中にない「一流の男」と、そのような男を愛しながらも、次第に殺意を募らせてゆく、妻。

 

「最初の妻」は、元夫の家に残した「ナザール」と引き替えに、片目を失ったのでしょうか。仄めかされる暴力の予感が、不気味で怖い。

 

傑作と言っていいでしょう。

 

次に「すぐそばに いつでも いつまでも」。

 

主人公の「私」は16歳の女子高生。地味な容姿で子供っぽく、まだ男の子と付き合ったことは一度もない。そんな「私」が、ある日、図書館で調べ物をしてしていると、前に座ったハンサムな男子が微笑みかけてくる。

 

こうして「私」に、初めてのボーイフレンドが出来るのだが、どういう訳か彼は、「私」に連絡先を教えようとはせず、いつも突然、一方的に「私」の家にやって来るだけだ。

 

その後、ちょっとした事件があって、「私」は彼と距離を取ろうとするのだが・・・

 

ストーカーの狂気が怖いが、それ以上に、初めて恋をした少女の、揺れる思いの描写が秀逸だと思う。例えば

 

 「『二人はどの程度、仲がよかったの?二人は・・・うんと親しかった?』(註・ストーカーを心配した女教師が、「私」に尋ねている)

 その質問に、私は頬を引っぱたかれたような気がした。ノーと答えるのは惨めに思えた。イエスと答えるのはもっと惨めだっただろう。」(113頁)

 

これもいい作品だと思います。

 

他に、酒とドラッグに溺れ、成績不振で大学を停学となった男が、両親を殺して遺産を奪おうとする、「処刑」。

 

幼少期に実の祖父から性的虐待を受け、セックスを恐怖するようになった29歳の女と、40代前半の恋人が、復讐を企てる「平床トレーラー」。

 

『とうもろこしの乙女』ほどの衝撃はありませんでしたが、佳作ぞろいの良い作品集だと思います。

 

評価は、AAにしておきましょう。お薦めですね。

 

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今回紹介したいのは、アリス・マンローの『イラクサ』(新潮クレスト・ブックス)。
 
著者は、「短編の女王」と呼ばれるカナダ人の作家で、2013年のノーベル文学賞の受賞者です。村上春樹さんの翻訳短編集『恋しくて』にも、「ジャック・ランダ・ホテル」が掲載されていました。最近、改めて名前を聞いて、気になっていたところ、近所の図書館にたくさんあったので、借りてきたのがこの本です。
 
まず、表題作「イラクサ」。8歳の少女と9歳の少年との、まだ「恋」とも呼べない淡い絆。少年は一夏を過ごし、別れの言葉も言わずに去って行く。そして30年後、離婚して、子供達とも新恋人ともうまくいっていない女は、週末訪れた友人の家で、男と再会する・・・。
 
中年以上の読者にとっては、堪えられないシチュエーションですよね。タイトルとなった「イラクサ」の象徴も秀逸。甘くて、苦くて、文句のない傑作です。
 
次に「恋占い」。主人公は、堅実で有能だが、容姿には恵まれない、未婚の中年女性。家政婦として働く家の主人の孫娘と、その友人が書いた偽のラヴレターに騙されて、恋心を募らせて行くが・・・。
 
原書ではこちらが表題作になっていて、直訳すると「嫌い、友達、片思い、恋人、結婚」。孫娘が考案した「恋占い」で、男の名前と女の名前をアルファベットで書き、同じ文字を全部消して、残った文字を上記の順で数えていく、というもの。実際に家政婦の名前と男の名前で占うと、作品の結末通りになるそうです。
 
物語性があって、展開も意外で、面白かったです。
 
他に、若くして中年男と駆け落ちし、さらに別の男と駆け落ちした義理の姉(父の再婚相手の連れ子)への思いを綴った「クィーニィ」、田舎の労働者階級の家に生まれた優秀な娘の葛藤を描く「家に伝わる家具」など、計9編を収録。
 
総じて、ジュリアン・ソレルやラスコーリニコフのような、英雄的あるいは奇怪な人物は、全く登場しない。冒険も闘争も犯罪も、起こらない。どこにでもいる平凡な人々の、どこにでもある平凡な生活を背景に、そこにある微細な心の揺れを丁寧に描き出す。「現代のチェーホフ」と呼ばれることもあるそうですが、全くその通りだと思います。
 
「恋占い」での少女達のオナニーについての会話や、「イラクサ」の主人公が見る性的な夢など、女性の性欲についての記述は、男の立場では目新しく、新鮮にも感じます。
 
しかし、何分、「スケールが小さい」という印象は否めません(チェーホフは『ワーニャ伯父さん』『桜の園』『三人姉妹』などの戯曲があるから、大作家とみなされるのでしょう)。9編中6編だけ読んで、「もういいや」という気分です。
 
とはいえ、図書館には他にも何冊もあったので、私の好みに合いそうな作品だけ拾って、読んでみようかと思っています。
 
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もう1ヶ月以上も前ですが、読みました。ピエール・ルメートルの『傷だらけのカミーユ』(文春文庫)。
 
『悲しみのイレーヌ』、『その女アレックス』(日本での出版順序は逆ですが)に続く、ヴェルーヴェン警部3部作の完結編。イギリス推理作家協会賞受賞作で、日本でも「週刊文春ミステリーベスト10」で海外部門第1位を獲得した、世評の高い作品です。
 
パリ警視庁の名警部、身長145センチのカミーユ・ヴェルーヴェン(50歳)は、妻を亡くして絶望の5年間を過ごした後、半年ほど前に偶然出会った恋人・アンヌと、平穏に暮らしている。ところがアンヌは、ある日、出勤途中に二人組の強盗と鉢合わせ、瀕死の重傷を負わされてしまう。一命は取り留めるも、強盗一味は入院中の彼女を執拗につけ狙う。カミーユは彼女との関係を隠したまま、上司に偽って、強引とも思える手法で犯人を追うのだった・・・
 
物語は、三日間の出来事が時系列に沿って、カミーユ、アンヌ、犯人等々の視点が交錯しつつ、展開する。カミーユの視点で、目撃者の証言から構築される「事件」と、犯人の視点で語られる「事件」との間に明確な齟齬があって(「あれれ???」って感じです)、そのことが謎とサスペンスの効果を増している。
 
面白かったです。
 
今までに読んだ著者の他の作品(前記二冊と『死のドレスを花婿に』)と比べると、多少落ちるようにも感じますが、それを言うのも「野暮」というものでしょう。
 
今回の評価は、AA=いい作品だと思います。シリーズ未読の方は、『イレ-ヌ』、『アレックス』、本書の順で読むことをお薦めします。
 
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勤務先の大学で、突然、別の先生が病気で退職し、その代講をすることになったり、世田谷区と港区の中学校で英語の補習講師をしたりと、11月の始めから先月の終わりまで超多忙で、2ヶ月ぶりの投稿になってしまいました。
 
今回紹介したいのは、ジョイス・キャロル・オーツの『とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢』(河出書房新社)。4年前、新聞の書評欄で知って、興味を惹かれたのですが、そのままになっていたところ、近所の図書館で見つけたので、借りてきました。
 
著者は日本ではほとんど無名ながら、本国アメリカでは極めて評価が高く、昨年、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したとき、「ディランよりオーツこそがノーベル賞にふさわしい」という声さえあったようです。中編の「とうもろこしの乙女」を含む7編から成る短編集。
 
まず表題作。副題が「ある愛の物語」。「暗黒のジュード」は中学2年生、痩せて醜い少女だが、名家の出身で、知能指数は150前後と極めて高い。両親は離婚し、年老いた祖母と、高台に建つ古い大邸宅に住んでいる。
 
彼女は、「とうもろこしのヒゲみたいな」金髪を持つ、年下の美少女マリッサに目をつけて、「子分」の同級生二人と共謀して誘拐し、自宅の地下室に幽閉する・・・。
 
物語は、ジュード、マリッサの母親リーア、警察に容疑をかけられる教師ミカール、「子分」の同級生達の視点が交錯しつつ、進展する。
 
極限的と言っていいほどの緊迫感。そして悪意と、恐怖。副題にあるように、これも「愛」の形なのでしょうか。「文豪」の名に恥じない、傑作です。
 
次に「ベールシェバ」。タイトルは旧約聖書にも登場する、イスラエルの地名。知っているようで知らない若い女からの電話を取った、しがない中年男は、彼女に呼び出されて、廃墟の教会へと連れて行かれ・・・。これも、女の狂気と悪意、それが生み出す主人公の恐怖が凄まじい。
 
「化石の兄弟」と「タマゴテングタケ」。どちらも、優秀で美男で快活で、自信に満ちた兄との関係を、内気で臆病な双子の弟の視点から描いた作品。実際の私(容姿については、女性の間で評価が分かれるようですがw)と弟との関係を彷彿させるようで、個人的には共感する部分が大きいです。
 
他の三編も、どれも悪意と恐怖に満ちた物語で、一読の価値があると思います。
 
久しぶりに、「文学」を堪能しました。
 
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