梓弓真弓槻弓年を経てわがせしがごとうるはしみせよ 
   
(伊勢物語 第24段より)
    
   
   
片田舎で裕福ではないもの夫婦仲良く暮らしていた二人。
だけどある日、男は都へ出て宮支えをすると言って出て行ってしまった。
一生うだつのあがらないままこの片田舎で暮らすのではなく、愛する彼女のためにも一旗あげようと思ったのだろう。
   
思いはとてもよく分かる。
だけど別れはやっぱり悲しかった。
   
そして。
都で出仕し、1日も早く妻を迎えに行きたいと必死で打ち込む男はともかく、愛する人の気配があちこちに残った家に一人残された妻の寂しさは、いかばかりだっただろうか。
今と違って連絡一つ取れない中、ただ待って待って待ち続けることしかことしかできない不安と寂しさは。
   
   
   
   
  
3年が過ぎようとするころ、女は熱心に自分に思いを寄せてくれる男を通わせることにした。
彼を忘れたわけではなかったが、待ち続けることに疲れてしまったのかもしれない。
   
約束の日は、彼を見送ったあの日にした。
あの日から止まった時間を、新しいひととやり直すのだ。
   
   
    
しかし、なんとしたこと。
3年目の今日、と新しい男を迎えようとした、まさにその日。
  
   
待ち続けた彼が帰ってきたのだ。
   
    
「ただいま。さあ、この戸を開けておくれ」と。
しかし、女は戸を開けることなく歌を返す。
    
    
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あらたまの年の三とせを待ちわびてただ今宵こそ新枕すれ
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「ただ今宵こそ」っていうのが・・・切ないよねえ。
   
ごめんなさい。もう後戻りできない。
待って待って待ち疲れて、ようやく今夜、と思い定めたの。
だけど、信じてほしい。
ずっとずっと、今日までずっと、あなたのことを待っていたのよ。
   
     
       
それに対して男はこう返す。
   
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梓弓真弓槻弓年を経てわがせしがごとうるはしみせよ
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僕たち、弓を引いたり張ったりするように、たくさんの思い出を重ねてきたね。
寂しい思いをさせてごめん。
不安な日々を過ごしたよね。
もう少し早く帰ってあげられなくて、本当にごめん。
いいんだよ。
君が決めたんなら、それでいいんだ。
    
僕にしてくれたように、新しい人を大切にしてあげてくれよ
君のことを本当に愛してたよ、幸せにね。。。
   
   
   
   
   
自分を捨てて新しい男を選んだ妻に、言えるかなあ、こんなセリフ。
やせ我慢かもしれないけれど、いいオトコだなあ、この夫。
    
   
「うるわしみ」って、漢字にすると「麗しみ」または「愛しみ」。
麗々しく大切に敬い愛しあった、あの日々が蘇って切なくなってしまうよね。
  
     
お互いに大事に思っているのに、どうして愛し合う者同士がずっと一緒にいられないんだろう。      
         

白鳥哲監督の映画リーディングの上映会を開催します。



日時:2019 年 7 月 20 日(土)
   開場15:45 開演16:00  (17:45終了予定)


入場料金:1,700円(当日受付にてお支払いください)


場所:ラランジェ・ホリスティック・ラボ
(広島市中区本通り4-19 ラランジェ本通り店3F)
※店舗横のビルの入り口からエレベーターで3階に上がってください。

(階段では3階まで行けません)


定員:30名
申込:→ココをクリック
問い合わせ先:miyabi510fuki@gmail.com (渡邉)
 

 

お待ちしていまーす♪

 

 

ちなみに、会場をご提供くださるラランジェさんは広島でキレイを提案してくださっている美容院さん。

→ココも見てね

 

代表は「美容業は元気提供業」って仰るの。

ラランジェで心と体の両方が健康でハッピーに☆

 

 

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⭐︎⭐︎映画のご紹介⭐︎⭐︎
    
テロ、犯罪、対立、そして数多くの病・・・。
   
今、世界を見回すと、人心の荒廃を表すような事件や心を惑わされる出来事が数多く起き、多くの人が病にかかり亡くなっている。
混沌とし、荒廃した時代を生き抜く現代人にとって、映画『リーディング〜エドガー・ケイシーが遺した人類の道筋〜。』は大いに考えさせられる内容となるだろう。
「二十世紀最大の奇跡の人」と称せられるエドガー・ケイシーの“リーディング”は、病の原因に一人一人の生き方、生活の仕方が関連していると指摘する。
またそれは潜在意識下に蓄積している過去の行い(カルマ)とも繋がりがあるという。
    
「蒔いた種は必ず刈り取らなければならない」
   
最先端科学の量子論では、全ての思考、感情、感覚、行動は「アカシックレコード」と呼ばれる情報場に記録され続け、どんな行い(カルマ)も量子レベルで保存され、そしてその情報はたとえ現世で肉体を失ったとしても潜在意識に埋め込まれ、来世まで受け継がれていくのだという。
エドガー・ケイシーが行った“リーディング”では、相手を理解し、受け入れ、赦し、愛と祝福を送ることで潜在意識に埋め込まれた情報を書き換えることができると指摘する。 我々の生き方に「恩寵」つまり思いやりを持つことが大切になっていくのだ。
   
カルマを超えた更なる進化を遂げることが出来るか否かは今後の一人一人の気づきにかかっている。
映画『リーディング』は新時代の生き方に新たな目覚めを促すことになるであろう。
(©OFFICE TETSU SHIRATORI HPより抜粋)
 
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むかし、をとこありけり。
宮仕へいそがしく、心もまめならざりけるほどの家刀自、まめに思はむといふ人につきて、人の国へいにけり。
この男、宇佐の使にていきけるに、ある国の祇承の官人の妻にてなむあると聞きて、女あるじにかはらけとらせよ、さらずは飲まじといひければ、かはらけとりていだしたりけるに、肴なりける橘をとりて、
さつき待つ花たちばなの香をかげばむかしの人の袖の香ぞする
といひけるにぞ思ひいでて、尼になりて山に入りてぞありける。
(伊勢物語 巻60)
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仕事仕事に明け暮れてばかりの夫に寂しさが積もり積もって家を飛び出し、自分を大事にしてくれる人のところに行ってしまった女。

それから数年。
なんたる偶然! 
元夫が今の夫の上官として我が家にやって来たので 一家をあげてご接待することに。

普通は接待係は家の主人や使用人の役目んだけど、上官である元夫が
「奥さんにお酌させてくれないと、お酒飲まないもーん」
って愛嬌よくチャラけるもんだから、今の夫、二人の関係を知ってか知らずか「仕方ないなあ」って妻を宴席に呼んだ。


元夫にお酌をする妻、どんな気持ちだったかなあ。

嫌いで別れたわけじゃないもん。
むしろ好きだったからこそ、寂しさが募って一緒にいるのが辛かった人。
久しぶりに会って、出世もして男っぷりも上がった元夫に 少なからず トキメいちゃうよ。

だけど、自分はどうだろう。

あの時より確実に年をとった。
夫と共に暮らしていた都を離れて、今は田舎住まいの身。
以前に増して華やかで都の風雅を漂わせる夫に比べ、どこか鄙びた自分を悲しく思ったかもしれない。

つい、ほんの、この間まで。
彼の隣で、共に笑い、語り合い、愛し合っていたのに。
今はもう、彼は手の届かない遠い人。


自分で選んだ道とはいえ。
・・・寂しいなあ。
元夫のところを飛び出す理由になった寂しさとは、別の寂しさだ。



そんな時、元夫が 飾ってあった橘の花をひょいと手に持ってよんだのが冒頭のうた。

「五月待つ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする」


もしかして夫婦だったころ、二人で橘の花を眺めたことがあったかもしれない。
もしかして夫婦だったころ、ふとした動作で袖から漂う香りを褒められたことがあったかもしれない。


元夫にとっては、もう、終わった関係だ。

出て行った彼女を最初は恨めしく思ったかもしれないが、それも糧にして乗り越えた後の清々しさがこの歌にはあると思うから。

 

それでも、胸は痛む。

それはきっと、彼女が出て行った後の自分の寂しさではなく

出て行くことを選ばずにはいられないほどに彼女を追い詰めたことへの詫び。

 


二人の立場は変わってしまった。
二人の仲はもう昔のことで、今更元には戻れない。

だけど、変わらないものだってたくさんあるんだよ。

君の焚き染める香りが変わらないように、
君はちっとも変わらない。

ずっと僕を待っていてくれたんだろうに
構ってあげられなくて、寂しさに気がついてやれなくて悪かった。
君は信じないかもしれないけれども、あの頃。
僕は僕なりに、君のことをちゃんと愛していたんだよ。


元夫が伝えたかったのは、そんな気持ちだったんじゃないかなあ。


物語の女はその後・・・家を飛び出し出家をした。


新しい夫に大事にされ幸せに暮らしていたであろう彼女を
出家させるほどに激しく駆り立てたもの。

それは、
「あの時、もう少し寂しさに打ち勝つ努力をしたら、
今でもこの人の横で笑っていられたかもしれない。
あの時、もう少し努力をしていたら
今、こんなに切ない思いをしなくてすんだのに」


そんな後悔だったんじゃないかと思う。


 

花橘の白く可憐な花の芳香は、

「あの時もう少し努力をしていたら」

だなんて、そんな後悔をするんじゃない、と語りかけてくるような気がする。