藤井光は東京生まれのアーティストで、若くして渡仏、パリで美学・芸術第三博士過程DEA卒業後メディア・アーティストとして活動する。帰国後、その芸術活動はより社会に直接的に関わり合うものとなり、作品制作の他、ワークショップやレクチャー、研究なども行っている。

 

藤井の芸術活動が社会や歴史の問題を多岐に渡り扱っていることは、その活動の一部

も明らかだが、一見多様なそれらのテーマは、ある共通する問題意識によって一連をなしている。

 

 

昨年の活動から例を挙げてみると、六本木クロッシング2016では、「帝国の教育制度」下の日本人、そして当時の韓国人と日本人を、柯 念璞「旗、越境者と無法地帯では「渋谷事件当時の台湾人」を、現代の若者に再演させることで、身体的な体験として表象した。多くの芸術鑑賞者にとって自分の世界の外にある、社会や歴史の問題を、再演することを通じて現前のものとするのだ。歴史上の出来事も、被災地東北も、藤井の作品を通じて、「いま、ここ」にあるものとして現れる。今年に入ってからはシアターコモンズで、社会やコミュニティーの分断、そこに発生する差別の問題を「日本人を演じる」ことによって現前させ、更にそれを撮影することで外部からの視線をも再現した。

 

問題の外部にいる人間は再演によって問題に巻き込み、問題のまさにその中に生きる人々は、芸術活動に巻き込む。ホームレスにカメラを渡したり、市民と共同して被災地を記録したり、被災地でフェスティバルを開催したりとその手法は多様だ。つまり問題の内部を生きる者も、外部に身を置く者も芸術活動と作品に巻き込まれるという複合的な構造の中で、両者の分断は境界を超える。作品のテーマ、社会に切り口がどこにあろうと、芸術活動と現実世界を重層的に織り成していくという手法、超えるべき分断を逆説的に提示するという点において彼の活動は一貫している 。

 

 

2011年の震災を扱った数々の作品やプロジェクトでも、無数にある震災関連作品において、被災地や被災者と藤井との関わり方は独特だ。「非日常の中の日常にこだわっていますが、この映画でも『被災地』や『被害者』といった見方で取りこぼされてしまう、そこに生きる人々の生活、記憶、歴史を見つめたいと思いました。」と、2015年のインタビューで藤井は答える。そのような状況を端的に表している事象がある。原発被害の象徴「フクシマ」の風景として繰り返し私たち「部外者」が目にした無人商店街 は、実際には震災前から寂れゆく街の日常風景だったという。藤井は、震災前と震災後の断絶に連続性をもたせることで、未来について考える土台を作ろうとしたと話す。同じように、被災地と非被災地の空間の断絶にも連続性を持たせ、地方都市の疲弊と貧困という日本社会の構造的な難題が提示されるのだ 。

 

 

現在藤井は、日本社会における移民という切り口から、社会の分断を可視化する。まだ日本社会では見えづらい問題として覆われているこのテーマに、部外者はどのようにして巻き込まれていくのだろうか。世界的な危機の中、台風の目であろうとする日本を巻き込んで欲しいテーマだ。

 

※本文中の写真は、現在藤井が取り組む移民をテーマにした映像作品『演習1:非日本人を演じる』より

 

 

3月17日 金曜日、ゲーテ・インスティトゥート/ 東京ドイツ文化センターでは、トビアス・ツィローニと映像作家、藤井光のアーティストトークが開催されます。参加は無料。詳細はゲーテ・インスティトゥートのホームページをご覧ください。

 

 

 

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