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2009年06月23日 08時40分39秒

甘え?

テーマ:考える「俺」
 最近当家のお子様どもを見ていると、お子様なんて甘えるのもこれまた仕事なんでない?なんて思ってきたりする。
 そして、親。
 これが逆に子供に甘えてるんでない?とか思ったりもする。
 俺は、なるべく怒らずに、叱るように心がけている。
 怒ることと叱ることの大きな違いは、怒るのは自分が中心にあり、叱るのは基本的に相手が中心にあるということ。
 そして、叱るというのは、その後どうして欲しいかを伝える努力をするところまでであって、自分が気に入らないことを指摘するのは叱るとは違う、怒るということのような気がする。
 俺はアイメイトと生活しているが、彼がそのことを一番よく教えてくれる。
 犬が仮に3歳児ほどの知能だというなら、我が家では、まだ子供たちより賢いことになる。
 現実の生活からしても、正直今のところアイメイトの方が賢いように感じることもある。
俺の待ては絶対だし、許可があるまで食事を口にしない。無駄な声は絶対出さないし、命令には1度で従う。歩くということについては正直大人の人間よりも優れている部分が大きいようにも思うので、普段の生活の面ではこんなところか。
 しかし。子供たちだって、犬にはできないことがたくさんできる。そして、許されている。大きな声を出すこと、親の意図しない排泄、感情の表出、自由な意思での行動などなど。
 もちろん、アイメイトには厳しい訓練が成されているし、教育課程は修了しているので、まだまだ教育課程が残っている子供たちと一概に比較できるものでもない。そして、犬と人間なので、少し無理もある。
 しかし。
 生き物というところは同じ。そして、学習するという点でも、わりと同じ。教え方こそ違っても、許されることが違っていても、いろいろなことを身に着ける…ということではわりと近いように思う。
 そして、そのアイメイトに接するときの基本中の基本が…。怒らずに叱るということ、そして、褒めるために叱るということ。
 俺のアイメイトを叱るときの勢いは、正直わりとすごいと思う。少なくともその場が凍りつくほどの勢いで叱る。もちろん、度合いにもよるが、大きな失敗(命に関わるようなこと、二度とあってはならないことなど)の場合には、本当にかなりの勢いで叱る。
 しかし。それもこれも、後で褒めるため。なにがいけないのか、いけなかったのか。どこをどうするのが正解なのかということをハッキリしてからでないと、本気で叱ることは難しい。今日はダメでも明日ならいいなんてことはNG。今日がダメなら明日もダメ!今日はいいけど明日から…もNG。
 そして、子供たちにも似たようなことが言えるように思う。
 だいたいの場合「今日だけ」は、大人の都合で決められることが多い。「今日は…ま、いっか」などなど。
 しかし、子供たちがいつでも真剣に学習しようとしているとしたら、それは子供たちに対して不誠実だといわれても仕方が無い。
 子供たちこそが、もしかしたらいつだって真実を欲しているのかも知れない。
 で、今日。
 妻が子供たちに片付けるように言った。それは…いい。別に妻が言ったことが間違っているとか、そういうことが言いたいのではなく。
 ところで…「片付けて!!!」と言っても、なにをどう片付けていいのか、本当に彼らは理解できているのか?ということが、こっそり俺は気になった。
 まだ「同じ形を同じ場所へ」などという遊びもさせていない。いちおう親御さんたちは毎日「片付けて~~」と子供たちに言いながら片付けているが、本当はそんなの見てなくて、こっちは「やって見せた」とか「見ればわかるでしょ?」と思っているだけかも知れない。
 片付けるということを考えた場合、いろいろなことの複合であるように思う。
買い物に行って商品をかごに入れ、最後にレジに持って行く。片付けも、床に散乱したあれこれを、かごに入れ、最後に所定の場所に置く。子供たちから見て、最後にお金を払えば買い物で、お金を払わないのが片付けであるとか、店員さんが応対するのが買い物で、家の中でやるのが片付けだとか。お店のあちこちにあるものを勝手に入れて最後にお金を払うのが買い物で、そうじゃないのが片付け…だったり。「片付ける」という意味を明確に理解していないのかも知れないような。
 しかも、これらをもっと分解すると、その辺にある物をかごに入れるという導差は、遊びの中にもある。かごから出さなければかごに入れて遊ぶことはできない。となれば、出してから入れる。それは遊びの一部。そこを切り取って考えると、大人が「片付け!」といってかごにあれこれ入れようとしても、つい?そこからまた出してしまう気持ちも分からなくはない。大人からすると遊んだ後始末が片付けだが、子供からするとまだ遊んでいたり、遊びを再開したところで大人が「片付け」といってあれこれ入れてしまうので、つい?出してしまいたくなるのかも知れない。
 しかし、それは大人から見てとんでもない行為だ。せっかくあれこれ片付けているのに、また取り出されては大変だ。ましてほとんど全部を入れたところでかごをひっくり返されたりしたら、それはもうやってられない(笑)
 そこで。大人はつい?怒ってしまうのかも…なんて思った。
 しかし、子供たちからすると、いつだって最初はオモチャが入っているかごからオモチャを出さなければ遊べない。遊ぼうとすれば、取り出すしかない。遊びたいと思えば取り出す。なんならひっくり返す。
子供本人に時間や生活の概念が定着していない以上、そろそろ寝る時間だから片付ける…という大人としては当然の行為が、理解できないというのも、全く分からないことではない。遊ぶときにはなにも言われないのに、急にいつものようにすると大きな声を出されるとなると、どうしていいものやら…となるのかも…とか思った。
 なので今日。また長女を呼んで、ゆっくり話してみることにした。
 「いい?パパのお話をよ~く聞いて?」
長女:「きく。」
パパ:「お片づけってのは…。一度出した物を、前あったとこにないないすることを言うんだよ?分かる?」
長女:「う~ん…」
パパ:「う~ん。えっと、オモチャを出したら、それを片付けるってことは、前あった位置に…」
長女:「さんしーごーろーくなーなはーちきゅーじゅー!!できた!!」
パパ:っ!!「……。」
長女:「できたね~!」
パパ:「で、できたね。あ、あは。あははは。あはははははは…。そうだね。」
 俺は一瞬かなり驚愕したが、すぐにその理由が分かった。
パパ:「元の位置に…」
「もとのいちに」→「もとの1、2」
そう、彼女は本当に真剣に話を聞いていたのだ。自分の持ちえる知識や情報を準備して、パパの話を、だれより真剣にしっかり聞いて、理解しようと努力していたのだ。
 もう少し俺に心の余裕がなかったら、もっと俺が疲れていたりしたなら…「関係ないことを言うな!!」と怒ったかも知れない。長女が全力で話を聞こうとしたその姿勢さえも否定してしまっていたかも知れない。
 危なかった。本当に危なかった。
 それにしても…。
 長女よ…。本当に賢い子だ。よくそこまで集中してパパの話を聞いてくれた。
 賢いってのは、別にだれと比較するべきもんでもないし、比較できるもんでもない。そして、比較されても、その結果を気にする必要はない。勉強のできる、できないなんかはいつか比較されることがあるかも知れないが、本当の意味で賢い者が最後には笑う。そして、笑った回数が多ければ、きっとその人生は豊かだったといつか言える日が来る。
 本当にそう思った。
 そして、ひょっとしたら甘えているのは親の方で、都合のいいときは「ちゃんと見て勉強しといてよ!」というくせに都合が悪いときには「そんな言葉だれが教えた?」なんてことを言い出したりするのかも…なんて思った(笑)
 当家のお子様どもは、保育園や幼稚園に行っていない。ということは、テレビか、親しか情報源が無いことになる。
「いったいこれで何度目!?」と子供が1度で理解してくれないことに怒っても…。
もし、1度でしっかり記憶されたり、理解されてしまったら、勘違いや誤解で怒ってしまった場合にも記憶してしまうことになり、それは親として大変やりにくい(笑)矛盾だってきっとわだかまりとして子供たちの心に残ってしまうことになるだろうと思う。
 そう考えると、親としてはちょいと面倒だが、やっぱり何度も言って聞かせるとか、やって見せるとかして。それは自分が一方的にしてあげているのではなく、子供たちに矛盾や誤りを忘れてもらっている…と理解すると方が、なんだか怒らずに済むのかな?なんて考えた。
う~ん。難しいですね(笑)でも、面白いです(笑)
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2007年02月17日 13時16分54秒

昨日思いついたこと

テーマ:考える「俺」
昨日ふと考えたのですが…。
=(イコール)の使い方が、とても大切なんではないかと。
いや、生きてくときに…。
あのアインシュタインでも大脳皮質の数パーセントしか使っていなかった…みたいな話をどこかで聞いたような。
 とはいえ、今の医学で解析できない部分を使っていたり、アインシュタインだからこそ記憶の仕方が効率的だったりしたのかも知れないけど。
でも、もし本当に数パーセントしか使っていなかったとしたら…。
本当に人間という生き物は無駄の多い…(嘘)
いや、これからが楽しみな生物なのかも知れません。
 と、脱線しましたが…。
 記憶力ってのは、なんとなくですが、限界があるような気がします。
俺はあまり塾に行ったり、受験勉強をした方ではありませんのでえらそうにはいえないのですが、なーんかそんな気がします(笑)
 で、この記憶力を節約(?しようとすると、どうしても必要になるのが…
=(イコール)
なのかな?なんて。
 1+3=4
だと、1と3を足した物は4と同じだと書いてるんですから、きっとそうなんでしょう(ぉぃ)
ま、いまさらですが=(イコール)は、等号ってことなので(一緒)っていう意味なのかと思います。
 で、このイコール(=)ってのは、生きてくときに、とても多く使うもんなのでは?なんてふと思ってみたりしました。
 なんせ、違うか、一緒か…なんですからね(笑)
 なので、その線引きさえしっかりできれば、無駄に暗記したりしなくても、プロセスから答えを導けるのでは?と。
 でも!!
ここで大切になってくると思われるのが「確かな目」かと。
 α+β=a+b
とした場合
aとαは似てますが、違うわけですよ。
で、αをA、βをBと読んでしまうと、いわゆる…
そのまんまやん
となってしまうんですな(冷汗)
 そりゃ、AとB足した物は、AとB足した物と一緒なんてこた、言われなくても分かるってなもんです(冷汗)
 しかし、αとA、βとBは似て非なるもんなので、本当は違う物なわけです。
こうなると、導かれる回答が違ってきますし、その回答を利用して次の問題を解く必要がある場合、そこから全てが誤りとなってしまいます(滝汗)
 時計の針が右にしか回らないことを考えると……。
 別に全てのことが1度やっちまったらそれまでよ。
とは決して思いませんし、だいたいのことは修正可能だったりもしますが、価値観とかそういうのはね…。
経験とかそういうのから得られた教訓なんかも……。
 「払えない」と「払わない」が、結果から見れば同じような感じでも、微妙に違う…みたいな。(ぉぃ)
 確かな目を持って、=(イコール)していいものを=(イコール)する。
 そうすると、いろいろなことからいろいろなものが導き出せる…のか?なんて思いました。(謎)
ま、どうこう言っても、一人一人違う人間ですし、本当に=(イコール)できるものなんてそうそうないような気もするのですが…。
だからこそ、=(イコール)できるものを発見したりしながら記憶域を節約(?)しつつ、なるほどな~…と思いつつ…。
生きていきたいな~…なんて俺は思います(^_^)
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2006年11月30日 10時01分43秒

たどる面白さ

テーマ:考える「俺」
今日、ふと電気シェーバーを使いながら「そういえば…」なんて考えた。
 いつからか、T字かみそり?と、電気シェーバー、どっちも使うようになっていた。
 実はず~っと電気シェーバー生活をしていたのだが…。
数年前、電気シェーバーを床に落としてしまい、刃が壊れてしまって…。
しかし、ひげもじゃなままでは仕事できないと考えた俺は、コンビニへ。
そこで、T字のやつを始めて買ったのだった。
使い捨てだと、肌の弱い俺はすぐにかぶれてしまう。
 ちょっとならいいが、真っ赤になるぐらいの勢いだ。
なので、刃を交換できるようなのを購入したのであった。
 そして、恐る恐る使ってみると…。
なんといい感じ☆
 ひげそりではなんとなく残るようなひげも、さく~っと…。つるつるのお肌ゲット☆
そんな感じになってきた(笑)
 それから、T字かみそりと、電気シェーバー両方を日によって使い分けるようになった。
 思えば電気シェーバーデビュー?は、中学生の頃だった気がする。
「ちょっと早いかも知れないけど…」
と、母が誕生日に買ってくれたものだったと思う。
 当時、ひげなんてほとんど無かったのだが、なんだか大人になったような気がした。(笑)
 高校生になって、いよいよ電気シェーバーが活躍!!
すると思ったのだが、ひげが柔らかく、上手くそれない(汗)
 かと言って強く押し付けるとたちまち赤くなるし…。
 今思えばあまり良い品ではなかった気もするが、しかし…。比較なんてできるはずもなく、間に合わせ?で、クジかなんかで当たったレディースシェーバーでそっていた(笑)
 そうこうしているうちに、大学生になり、ちょっとはそのひげそりでそれるようになったものの、なんだかいまいち。
 だったが、今度は当時の彼女が高級な電気シェーバーを買ってくれた(笑)
 店員さんに聞きまくって買ったと話していただけのことはあり、びっくりするぐらい良い感じだった。
「へ~ぇ?新しいものはこうも違うのか…」
なんてのんきに考えていた俺だが、社会人になってから、そのひげそりがかなり高級品であったことを知り、ちょ~っと膝がガクッとなる思いだった(苦笑)
 そのシェーバーは社会人になってからもしばらく使っていた。そう、その彼女と別れた後も(ぉぃ)
 しかし、充電してもどうにも動かなくなり、ついに実費で電気シェーバーを購入しなければならなくなった。
 が、ほどほどのじゃなければ俺のひげなんてそれないだろうなんて考えて、当時ではけっこう高いモデルを買った。
 全自動で洗浄してくれるという…アレだ(笑)
 しかし、それも徐々に充電が長持ちしなくなってきたころ…。
上にも書いたように落としてしまい、新しいのに買い換えた。
 同じメーカーだし、同じ全自動で洗浄と充電をしてくれるモデルの進化したモデルだった。
そして、それを俺は今でも使っている。
 ってなことで、長々と書いたが電気シェーバーを使いながら、昔のことなんかを思い出したりした。
 なにかを思い出そうとして記憶をたどったり、ふとした出来事から記憶をさかのぼったりすることはあったが、なんだかそういうのって、俺としては、能動的に思い出そうとして思い出していたような気がする。
しかし、今日の電気シェーバーについては、なんだか「あれ?やられた…」ってな感じで、するする~っと思い出してしまった。
本当は思い出なんてこういうもので、無理して思い出さなくても勝手に?思い出されるもんなのかな~…なんて。
 それとか、33年も男をやってれば、そろそろ記憶の皿?にある程度の物が貯まってきて、そこからあふれるような感じであれこれ思い出したりするのかな~なんて。
そう言えば母(62歳?)も、最近思い出話が増えてきたような…(滝汗)
 ある程度いろいろな出来事を経験すると、記憶の皿がいっぱいになり、あふれ出してくるものなのかな~…なんて、分かったような、分からないような気になった(笑)
あふれ出した記憶は、言葉になって、ざざ~っと…。
でも、それは言葉にしたからといって消えたりするのでなく、だれかに話せば共有できるし、一人で思い出したらなにかを再認識したり、新しい問題?を見つけたりなんかして。
なんだか、なにかの出来事から記憶が噴出すというか、記憶の皿があふれるってこういうことなのか?なんて感じたので、ちょっと書いてみたのでした(笑)
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2006年10月28日 17時39分30秒

ん~…

テーマ:考える「俺」
 積み重ねるって事は、本当に難しいな~…なんて思います。
なにが嫌かって、その積み重ねた物が一瞬にして奪われたり、その他の理由で消えてしまったとき…なんですよね。
でも、なにかを積み重ねようとすれば、そこに執着が生まれやすくなり、結局は自分の自由までも危うい状態になってしまったりもするんですよね。たぶん。
 本当は日暮な生活を心がけると煩悩を最小限に抑えることができるのかも知れないな~…なんて思います。
積み重ねるってのは、それ自体が本当に難しく、またそれがいつか無くなると分かっていながらそれを続けていくなんてのも、これまた本当に難しい。l
けど、だからってなにもしないのでは、なんとなく生きて居るのかなんなのかがわからなくなりそうな感じがしたりもするし…。
生きているからには、なんか結果を…と考えてなにかをすれば、それは積み重ねていることになるのかも。
しかし、少なくとも自身で、いつかそれが消えていくという事実も理解?しておかないと…。
自分の人生まで否定するような結果にもなりかねないし…。
 でも、本当は人間って、なにかを積み重ねたい生き物なのかも知れないな~…なんて今日思いました。
愛とか、お金とか、仕事での業績とか。
経験は生きていれば勝手に…なんて思うけど…でも。
経験した本人が記憶しようとしなければ、それは本当の意味で「積み重ねた」とは言えない気がしますし、そこからなにかを学ぼうとしなければ、経験を生かしているとはいいがたい…そう思います。
 …なんて、あれこれ考えてみると人はどうこう言ってもついつい?積み重ねたくなる生き物なのかも。罪重ねじゃりませんよ?罪作りでもありませんし(汗)
いや、でも。そう思いました。
他の力で、自分が積み重ねてきたなにかの価値?が無くなったり、極端に下がってしまったりすると、人はショックを受けるのかも…なんて。
本当はだれも積み重ねてくれだなんて頼んでないのに、人は勝手になにかを積み重ね、そして、その価値?を見出してもらえなかったり、極端に下げられたりすると、怒ったり傷ついたりしてしまう生き物なのかも…。
なんて、ふと思ったので今日は書いてみました(^_^)
あ、それから。。
このブログをお読みいただいている方からメールをいただいたのですが…。
実は当家、現在メーラーが破損しております(爆)
いただいたという事は分かるのですが、返信ができずにおりますm(__)m
つきましては、メーラーが修復できしだい…返信させていただきたく思いますので、どうか今しばらくお待ちいただきたく…お願い申し上げますm(__)m
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2006年07月03日 12時16分12秒

集中力!!

テーマ:考える「俺」
とても大切だと思います。
今こそ!!って時に、自分の持っている物をそこに集められるか…。
な~んとなくですが、大人は、子供に比べるとその集める力が足りないというか、1点に集める事ができなくなっているように俺には感じます。
小学生の頃にやった、光をレンズに集めて紙を燃やす実験みたいな感じかと…。
子供の頃よりは、集められる物(材料みたいな感じ?)も多いはずだし、レンズだってあるはずなのに、それをなにかのために傾ける力?がど~も…。
幼稚園児がハサミなんかを使おうとする時、ついつい?口まで開けっ放しになってしまったり…。目薬する時、意味不明だけど口を開いてしまったり…(ちょっとこれは関係無いかも)
でも、そこまでハサミや目薬に注意を向けるってのも大切な事なのかな?なんて思います。
 仕事をしていたり、いろんな誘惑?があったり、体力的に徹夜ができなくなったりなどなど、大人には大人の都合ってのがあるんでしょうけど、でも…。
なにかをしようとして、それに自分の持っているいろんな力を集めようとする、または、集めて解決しようとするって事に意味があるような気がします。
おそらく、子供にとっては、毎日が猛勉強なんだと思います。大人の話から言葉を拾い集め、自分なりの「時間」と「感覚」の中で有る物全てを駆使して毎回問題?を解決してるんだと思います。
大人の言動を見聞きし、自分なりに遊び、たまにはずっこけたりしつつ、友達に影響を受けたりしながら、自分が持っている全てを毎回ぶつけているんだろうと思います。
大人は、子供より経験もあるし、いろんな事を知っていると思います。いわゆる「学習した」っていう言い方かと。
でも、それらの全てをなにかに集めたり、問題解決のために使ったりする事ってなんだかとても難しい事のような気がします。
しかも、ちょこっと考えて「全部なんて使えないじゃん。相反する物だってあるし…」なんて、ちょっと理性的なフリまでしてしまっている場合もあったりします(滝汗)
ま、やって良い、悪い。許してもらえる、もらえないなど、大人にはそれ相応のハンディはありますが…(苦笑)
でも、大人はいちおう学習していて、いろいろな物を寄せ集めるのは簡単なんだろうと思います。が、それをレンズで1点に集めるって事が難しいのかな…なんて思ったり。
過去の経験などから「どうせダメだ…」と思って諦めたり、知識から「止めておくべきだ」と結論したり。それは大人にとってとても大切な事だと思うんですけどね。
ただ、持っているいろんな物を1箇所に集めて、エネルギーを生む事ができるか、エネルギーを自分で作る事ができるのか…なんて考えると。
子供ってすっげ~な~~…
なんて思います。
子供が一つの事を続けられないのは、別に集中力が無いんじゃなく、他の事に興味が向いたり、体がしんどかったりするからなんじゃないのかな~…とか。感じたりしています。
テレビを見ている時に周囲の声が聞こえないとか…。
 全てを投げ出して一つの事に集中する事だけが良いとは言いませんし、そんなことしていたら身が持たないのも事実かと…(苦笑)
大人はいろいろ経験したり学習したりしていく中で固定観念が出て来てしまったり、記憶の量も膨大になってしまったりして、一つの事柄に取り組む時、多くの材料を使える反面で、どうやって処理したらいいのかが分からず、十分な力が出せていないのかも…なんて思いました。
材料を集め、どう使えば良いのかを考え、集中し、問題を解決していかないと…と今日改めて感じました。
適切な集中力の配分ができる事が、大人の条件なのかな…みたいな。
それこそ、仕事とオフを切り替えるように…。
…と、今日も纏まりませんが、このままで…m(__)m
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