brown2 3月4日、東京国際フォーラム。
 私は、生ける伝説を見た。

ジェームス・ブラウンこそは、まごうことなきホンモノの「生ける伝説」である。

 彼のコンサートを見よう、と思ったのには、ハッキリしたきっかけがある。

 2004年末、JBがガンだ、というニュースが報じられた。
 そのときに感じた喪失感と後悔は、決して小さなものではなかった。そのあたりの私の感情は、当時ここに記してもいる。

 だからこそ、今度来日したときには、絶対に見に行こうと思っていたのだ。

 JBは当時、「人生で多くのことを克服してきた。ガンも同様に乗り越えて見せる」と語っていた。そして、彼はその言葉どおり、みごとガンを乗り越え、ふたたびステージに返り咲いてみせたのである。

 たいした精神力だと思う。
 だが、今にして思えば、私は彼の精神力をナメていたのだ。
 なにしろ私は、彼のパフォーマンスに、まったく期待を抱いていなかったのだから。

 ジェームス・ブラウンは1933年生まれ(1928年説もあり)。若く見積もっても、今年で73歳になる。
 まごうことなき老人である。しかも、1年前にガンの手術をしたばかり。つまり、病み上がりなのだ。

 73歳、病み上がりの老人に、まともなパフォーマンスができるとは思えなかった。「熱唱」したり「絶叫」したりしなければ歌いこなせないJBのレパートリーは、73歳病み上がりにはどう考えたって荷が重い。
 だから、できるかぎり暖かい目で見てあげよう、と思っていた。たとえJBの声が出なくても、歌えなくても、ショーがしょぼくても、文句は言うまい。そう思っていた。

 だが、コンサートは予想に反して、すさまじいものだった。
 私がこれまでに見たライヴの中でも、まちがいなくベスト3に入るだろう。


        *

 開演時間が来ると、天井からミラーボール(!)がぶら下がってるだけの簡素なステージに、バック・バンドのメンバーがぞろぞろと現れた。

 ギター3台、ドラム2台、ホーン4本、それにベースとパーカッションが1名ずつ。総勢11人のビッグ・バンドである。

 バンドの演奏がはじまると、MC(これはラッパーではない。語源どおりの「司会」である)が出てきて、前口上をぶつ。

「さあ、スター・タイムのはじまりだ! ソウル・ダイナマイト、ジェームス・ブラウンのショー! 演奏される曲は、『トライ・ミー』『マンズ・マンズ・ワールド』『リヴィング・イン・アメリカ』そして『セックス・マシーン』だ! みんな、用意はいいか?」

 おお、あのジェームス・ブラウンのライヴ盤で演じられた前フリとまったく同じだ! しかも、総勢11人のバンドのグルーヴは最高である。思わず「カッコいい!!」と口走ってしまった。

 じつはこれも、心配してたのである。
 ここんとこのジェームス・ブラウンのアルバムは、打ち込みがメインだった。ライヴでも、つまんない打ち込みばっかり延々と聴かされたらたまらない、と思っていたのだ。
 私の心配は、御大が登場する前に霧消したのである。

 やがて、MCの絶叫に導かれ、スター・タイムの主役がステージに現れた。

 スターは、スターの格好をしてるもんである。金色に輝く肩飾りがついた、すごい形のジャケットを着ている。勲章でもつけられそうな服だ。しかも、色はショッキング・ピンクである。

 73歳病み上がりの老人が、ピンクの服を着ている! そう思ったとたん、曲はあの「メイク・イット・ファンキー」に移った。
 JBがマイク・アクションをキメる。会場は大盛り上がりである。なにしろ、ちゃんとカッコいいんだから! 73歳病み上がりの老人のアクションがカッコいいのは、驚異と呼ぶべきことだろう。

 そこからたっぷり2時間。
 JBとそのバック・バンドは、一度も演奏をやめなかった。曲間も、ほとんどないに等しい。しかも、決して観客を飽きさせなかった。
 すさまじく歌のうまい4人組女性コーラス隊が出てくるわ、上半身ビキニでパツキンの2人組ダンサーが出てきてクネクネ踊るわ、バンド各人のソロ・タイムはあるわ、バンド・メンバーとJBの寸劇はあるわ、とにかくめぐるましく舞台が動く。退屈することがない。徹底して楽しませてくれる。

 繰り返すが、ステージのギミックはミラーボール「だけ」である。どこまでも生身の人間を使ったエンターテインメントなのだ。これだけ舞台が動いても、各人の動きにはムダがなく、厳しすぎるほど緻密に計算されている。

 その計算をおこなった人物は誰か、といえば、まちがいなくピンクの衣装を着た73歳、病み上がりの老人、ジェームス・ブラウンだ。そのことも、痛いほど伝わってきた。

 バックのメンバーは、終始JBから目をそらさない。JBが指先でサインを出したら、しかるべき演奏なり、アクションなりを、こなさなければならないからだ。大所帯のバンドも、コーラス隊も、ダンサーも、煎じ詰めればJBの命令あって動く機械であり、JBの手足なのである。

 すげえ、と思った。
 73歳病み上がりの老人が、これだけのパッケージ・ショーを、完全にコントロールしている。

 JBはまるで衰えちゃいないんだ、と思った。

        *

 ジェームス・ブラウンは、バンドに関して、いろいろ逸話の多い人である。

 ライヴの終演後にはかならず反省会があって、ステージでミスをした人間には、罰金が課せられている。
 待遇改善と賃上げを願ってバンド・メンバーがストを起こすしたら、メンバーをその場で全員クビにして、新しいメンバーを揃える(この「新しいメンバー」が天才ベーシスト、ブーツィー・コリンズを擁するJBズである)。

 人を人とも思わぬサディスティックなバンド管理だ。

 だが、バンドを文字どおり自分の手足として使う、という発想なくして、ファンクなんて型破りな音楽は生まれなかったのだ。そのことが、よくわかった。

 JBは今でも、ファンク発明の母となった徹底したバンド管理を、変わらずおこなっている。

 JB・イズ・スティル・リビング。伝説のJBは生きているのだ。

        *

 ああ、JBは死んでないんだ、と思った瞬間はもう一度あった。

 ミラーボールがキラキラと輝く中、JBは大バラード「マンズ・マンズ・ワールド」を歌い上げた。

 曲の中盤、JBはステージのそでから、黒い服を着た日本人女性を呼び寄せる。なんのことはない、翻訳者である。

 JBは翻訳者を通じて、次のように呼びかけた。

「今、この時間にも、戦争でたくさんの命が失われています。今、私たちに必要なことは、『愛する』ということです。さあ、あなたの右隣の人に『愛してます』と伝えてください。それが終わったら、左隣の人に、『愛してます』と伝えてください」

 外タレ・コンサートで、ステージに翻訳者が出てきたのは、はじめて見た。
 しかも、それがこういうベタベタのメッセージだったのにも、驚いた。

 ピンクのジャケットを着た、ソウルのゴッドファーザーは、平和を訴えたかったのだ。たぶん、本気で。
 本気じゃなければ、翻訳者を呼び寄せるなんて、ショーの流れを害するようなことをするはずがない。

 ああ、JBだなあ、と思った。

 あまり語られないことだけれど、JBはメッセージ・メイカーであり、アフロ・アメリカンのオピニオン・リーダーだった人なのである。
 有名なヒット曲「Say It Loud, I'm Black And I'm Proud/誇りを持って『俺は黒人だ!』と叫べ!」をはじめとして、彼のメッセージは、多くの黒人聴衆を鼓舞してきた。「Payback」「Hell」「Reality」など、メッセージ色の濃いアルバムにも、名作は多い。

 目の前にいるのは、たしかに、あのJBなのだ。
 変わってないのである。JBは、メッセージ・メイカーだった60年代・70年代から、変わらずJBであり続けていたのだ。

 むろん私は、JBの呼びかけに答えましたよ。
 両隣の人に、「愛してます」って言いました。平和のために!
 ちょっと恥ずかしかったけどさ。


       *

 JBはあまり歌わなかった。
 すくなくとも、昔のライヴ・アルバムで聴けたような歌いっぱなし・叫びっぱなしではなかった。

 コーラス隊やらMCやらにマイクを渡して、JB自身はオルガンでイカすフレーズを弾く。そんな瞬間が多かった。
 たぶん、長く歌い続けることができないのだろう。

 だが、歌い続けないからこそ、歌ったときの迫力は、とんでもないものがある。
 同行した先輩は、JBの声の説得力に、「バケモノだ」とつぶやいていた。
 決して誇張ではない。

 ジェームス・ブラウン。伝説は、生きている。

 3月4日、東京国際フォーラム。私は、生ける伝説を見た。
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