ザ・バンドの映画『ラスト・ワルツ』のDVDには、特典映像として「JAM #2」という未公開映像が追加されている。
 以下の文章は、数か月前に『ラスト・ワルツ』を見たとき、特典映像があまりにおもしろかったので書いたものなのだけれど、少々マニアックすぎるので、発表を控えていた。
 名盤紹介ブログに『ラスト・ワルツ』のレビューを書いたので、それに合わせて公開いたします。

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『ラスト・ワルツ』のような、ゲストがたくさんいるコンサートの場合、最後はゲストが大勢参加しての演奏となるのが定石となっている。
 歌もののそれが映画のハイライトとなった「アイ・シャル・ビー・リリースト」だとすれば、インストのそれが、特典映像の「JAM #2」だ。

 このジャムにも、いいシーンはたくさんある。エアギターを弾きながら現れたスティーヴン・スティルスが、ロビー・ロバートソンからギターを手渡され、即座に得意のフレーズを弾きまくるシーンなんか、最高だ。

stills

 だが、ここで取り上げたいのはそこではない。

 ジャムの序盤。エリック・クラプトンが演奏をやめて、帰っちゃうのである。
 たぶん、その原因はニール・ヤングだ。

 ラリラリですっかりイッちゃってるヤング先生(映像の別テイクには、彼の鼻の穴に突っ込まれたコケインがハッキリと写っているそうだ)は、「ギターの神様」と呼ばれた男をあきらかに挑発してるのである。目つきが、それを物語っている。要は、ガンつけてるのだ。しかも、彼がつまびくのは、なんとも神経を逆撫でするような金属音のお得意のフレーズなのである(俺でも弾けそうな)。

 クラプトン先生はご機嫌ななめになって、帰ってしまった。
 そりゃそうだろう。ヤングのとんがったギターに対抗するには、クラプトンはクリーム時代に戻らねばならない。それは、「ギターの神様」が絶対にするべきことではない。
 私は、ここで帰ったクラプトンを大いに評価したい。
 

 たぶん、クラプトンに「俺、帰るよ」とでもささやかれたのだろう。
 ロニー・ウッドはびっくりしている。彼にしてみれば、この程度で帰るというクラプトンの気が知れないのだ。
 ロニーにしてみれば、よくあることなのである。
 彼は、キ○ガイの扱いに慣れている。なにしろ、「世界一の飲んだくれバンド」フェイセスを卒業して、「生きてるのが不思議な世界一のラリラリ男」キース・リチャーズのいるバンドに入ったばかりだもの。そのへん、クラプトンとは鍛え方がちがうのだ。

 カール・レイドル(デレク&ドミノスのベーシスト。私はこの人のベースが大好きだ)は、ヤングがニワトリの首を絞めたような音を出すたび、不快を露わにしている。そりゃそうだろう。彼から見たら、「誰だこのシロウトは」ということになる。

 ああ、でもね、私はこのときのヤング先生が大好きだ。
『ラスト・ワルツ』はどこまでも「ザ・バンドのルール」(正確には「ロビー・ロバートソンのルール」)で演奏が進むコンサートだけれど、このときだけ、それが粉々に砕け散っている。抑制の効いてない、ナマの衝動が顔をのぞかせる。これぞ、ニール・ヤングである。

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 それにしても、せっかくジャムをやるんだから、もうちょっとまともなテーマ(曲)でやって欲しかった。
 悪いのはソロのトップバッターだったガース・ハドソンである。じつにアブストラクトなソロ。みんなどうしていいかわからないから、ヘンなリズムのヘンな曲でジャムることになってしまった。
 協調性なさそうだもんな、ガース・ハドソンって。ひょっとしたら、彼もヤング同様、ラリっていたのかもしれない。
 当ブログに、スパムコメントが相次いでいる。
 毎日、短い時間で連続して書き込みがあるのだ。

 とはいえ、日に5~6本なので、大して気にとめちゃいない。
 巷間にはブログ炎上なんてものがある、というのも知識としては知っているが、この量なら「炎上」に至ることもまずないだろう。

 ただすこし気になるのは、コメントがついているのがほとんど次の記事であること。

王様は裸じゃない(ストーンズ来日公演に苦言を呈す)
http://ameblo.jp/goatsheadsoup/entry-10011143476.html


 読んでいただければわかるが、ストーンズの信者にとって、決して好意的な内容ではない。愛情ゆえに書いた批判記事なのだけれど、ひょっとしたら「愛情」の方が伝わりにくかったかもしれない。反感を買うこともあるかもしれないな、とは思う。
 しかもこの記事、私は多くのストーンズ・ファンに読んで欲しいと思って、けっこう宣伝したのだよね。

 言うまでもないことだが、私のストーンズ愛は相当に深い。このブログのタイトルだって、ストーンズのアルバム・タイトルからとっている(ついでに自分が山羊座であることとひっかけている)。

 だから、スパムコメントを送っている主がストーンズ・ファンだとしたら、すごく残念だなあ。
 だってさ、ストーンズを愛する者は、そんな姑息なことしない、と思いたいじゃないか。
 記事を批判したければ、真っ向から反論コメントをつけたらいい。ストーンズを聴く者は、そのぐらいの度胸は備わってるはずだ。私は、そう思いたいのである。

 スパムがつくのが、「たまたま」この記事であることを祈りたい。
 911の犯人は本当にアルカイダなのだろうか、という疑問は、誰もが一度は感じたことがあるのではないでしょうか。あのビンラディンの映像にしても、どこかフィクションじみた、「ヤラセ臭さ」がプンプン漂っていました。

 田中宇氏のニュース解説サイトによれば、FBIのサイトにビンラディンは賞金首として紹介されているものの、「911の犯人」という記述はどこにも見あたらないとか。
http://tanakanews.com/g0516WTC.htm

 その後に続く田中氏の論は、「推論」にすぎないわけで(この人のニュース解説はそれがウリです)、信じる根拠も薄いですが、FBIのビンラディンにたいする対応は、ちと臭いぞ、と感じるにじゅうぶんな根拠となるものだと思います。

 米国によるアフガン侵攻の目的は、「911の主犯ビンラディンおよびアルカイダの掃討」だったはずです。その手段としての「アルカイダに協力しているタリバン政権の打倒」だったわけですが、ビンラディンが主犯でなかったとすれば、どうも手段の方が真の目的だったのではないか、と思えてきます。

 そうそう、誤解の多いところなのでつけくわえておきますが、米国によるアフガン侵攻、あれは「負け戦」なんですよ。なにしろ、目的が遂げられなかったわけですから。米国のとんでもない軍事力を目の当たりにすると、なんとなく馬鹿勝ちしてたように思えますけど、逮捕するはずだったビンラディンにまんまと逃げられてしまったわけですから、あれは負け戦です。

 ただ、上記のように、当初から「タリバン政権の打倒とアフガンの占領」が目的だったとすれば、これは「勝ち戦」になります。マスコミおよび国際世論を味方につけて、アメリカはアフガンに因縁つけてケンカの口実をつくり、圧倒的な武力をもって制圧したのです。ビンラディンやアルカイダはあくまで、大義名分としてでっち上げられた方便、もっといえばインチキだったということになります。

 まあ、終わっちまったことですから翻しようもないことなのですが、世紀が変わってからこちら、われわれはずっとペテンにかけられどおしだなあ、という感は否めませんね。
 8月15日の靖国参拝は小泉首相の首相公約のひとつであった。

 かつて、公約を守らないことを野党から指摘された首相は、「(公約を守らないことは)大したことじゃない」と発言したが、公約を果たしたい、という気持ちがないはずはないのである。

 巷間には、今年の8月15日、首相は靖国参拝して職を辞すのではないか、との噂もある。たぶん、本人もそうしたいだろう。だが、これは飛ぶ鳥あとを濁して発つことになるわけで、悩ましいことであるにはちがいない。

 そんな折、アメリカの議会が首相の不参拝表明を求めてきた。

首相の米議会演説向け「靖国不参拝表明を」 下院委員長
http://www.asahi.com/politics/update/0513/006.html

「アメリカの犬」「ワンワン内閣」と揶揄された小泉、これはアメリカ政府の正式見解ではないけど、こたえるだろうな。どうするのだろう。
 関東地方に咲くタンポポの4割が同じ遺伝子をもつクローンなのだそうです。

 外来種のセイヨウタンポポによって、在来種のカントウタンポポが駆逐されつつある、という話は聞いたことがありましたが、タンポポは勝手に異種交配し、もっとも勢力範囲を広げられる形態を生み出したらしい。

 このクローン種は、セイヨウタンポポでもカントウタンポポでもありません。両者の雑種でありながら、両者と交配することもなく、自分のクローンをつくって子孫(?)を増やしているのです。
 おそらくは彼らによって、カントウタンポポはもちろん、セイヨウタンポポも住む場をなくしていることでしょう。

 生命の世界は闘争の世界だなあ、とあらためて思うと同時に、その不思議をあらためて見せつけられたような、そんな気になるニュースでした。


関東のタンポポ、4割クローン…セイヨウ生き残り図る
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20060512i506.htm
war

 よく、日本のロックをふくめたポップ・ミュージック全般に不足してるのは、メッセージ性だ、というような話を聞きます。

 じっさい、洋の向こうの音楽を見てみますと、メッセージ、わけても政治に関するそれはきわめてさかんなのです。
 さきの大統領選挙の際には、ブルース・スプリングスティーン、REM、パール・ジャムといった大物アーティストがアンチ・ブッシュのツアーをおこなって、民主党ケリー候補を大々的に持ち上げていましたし、現在は風前の灯火と成りはてているイギリスのブレア政権も、ポール・ウェラー、オアシス、ブラーといったミュージシャンの後押しを受けて成立した政権でした。

 その伝で考えると、日本にも「小泉万歳ロック」「ゆけゆけ小沢一郎」「憲法改正反対音頭」なんて曲がばんばん登場してもいいはずなんですが、そういうことはほとんどありませんし、あっても大きな支持を得ることはできていないようです。

 だから日本の音楽は駄目なんだ――と言うのは簡単ですが、私はそうは思いません。日本は所詮、平和な国なんだと思います。戦争を仕掛けることも仕掛けられることもなく、銃後でぬくぬくしてるからこそ、政治にたいするシビアなメッセージが生まれにくいのでしょう。やはり、同胞がひとりも死んでない、というのは大きいんですよね。イラクで死んだのって、外務官僚と旅行者だけだし。

 ただ、自殺者が毎年3万人いることとか、徐々に老人ばっかりの社会になりつつあることとか、日本固有の問題はたくさんあると思うんですけど、どうなのかな、そういうことを歌っている人はいるんでしょうか。


 さてさて、こんな話をしましたのも、ニール・ヤングの新作について語りたかったからです。
 60年代から活動を続けているミュージシャンで、今もっともアルバムを売っているアーティストは誰か、といったら、たぶんロッド・スチュアートだと思いますけれども、今もっともアルバム・リリースが頻繁なのは誰か、といったら文句なくニール・ヤングです。つまり、老いてますますさかんなのであります。

 新作のタイトルは「Living With War」。「戦争と生きる」です。ヤング先生はどうしても今、このタイミングでブッシュ政権の罪と戦争そのものについて、発言したかったのでしょう。

 下記のリンクで聴いていただくとわかりますが、相当な短時間で仕上げられたことがわかる、きわめて粗雑なサウンド・プロダクションです。ついでに言えば、曲もヤング先生の手癖みたいなもので仕上げられており、「いい曲をつくろう」というような意識はほとんどなかったことをうかがわせます。
 でもね、作品がつまんなくてもいいんです。だってさ、ヤング先生の名曲・名演を聴きたければ、過去にいいのがたくさんあるわけじゃん。ヤング先生は、過去の自分と戦うつもりなんか毛頭ないのでしょう。戦うべき相手は、ほかにいるのです。その「戦い」にたいする熱意が、曲に緊張感を持ち込んでいます。

 言いたいことがあるから歌う。きわめてナチュラルで、もっともプリミティヴなロック衝動を、ヤング先生は今だに持ち続けています。凄いですよね。


 アルバム「Living With War」は、ここで全曲聴くことができます。
http://livingwithwar.blogspot.com/
 たしか前作もネットで全曲試聴できたはずで、おかげで私は前作も買わなかったし、たぶん今作も買わないのですけど……。
 でも、この手の音楽は、まず聴いてもらわなきゃはじまらないからね。伝えることが大切なんだから。

 さらに、ここに全曲の訳詞が。
http://home.earthlink.net/~saori/11.html
 訳を読みながら聴くと、ヤング先生の言いたいことがきわめてリアルに伝わってきます。訳詞を手がけたsaoriさんの、アーティストの意図を汲み取った行動は、どんなに賞賛しても賞賛しつくせない、立派な行動だと思います。ヤング本人と同じぐらい偉いよ。

 なお、拙文の情報は、信頼する音楽ライターHidemuzic氏のブログ(質、高いです)から得たものです。
http://hidemuzic.typepad.com/hidemuzicblog/2006/05/living_with_war.html
 ヤングの作品にたいする日本の音楽業界の対応の遅さに関する論説も、きわめて示唆に富んでいると思います。

neil
 連休を利用して、新潟に帰省してきた。

 とはいえ、私自身は新潟に住んだことがない。だから、私の「帰省」は「帰郷」ではないのである。私にとっての「帰省」は単に「両親に会う」という意味でしかないのだ。
 人はよく、「帰省する」ことを「田舎に帰る」などと言ったりするが、新潟は私の「田舎」ではないし、故郷でもない。「帰る」という字を使うのも、正直、違和感を覚える。

 両親が新潟に移ってしばらくは、「帰省」は退屈な行事であった。だってさ、両親と7つ下の弟以外、新潟に住んでいる知り合いはいないんだぜ? 遊び相手がひとりもいないんだ。
 することがなくて退屈のあまり、ひとりで日本海に泳ぎに行ったこともあった。私の実家は、海が近いのである。
 日本海にプカプカ浮かびながら、水平線にかすむ佐渡を眺めたり、沖のテトラポットまで意味なく遠泳したり。のどかではあったけれど、あれも退屈だったなあ。


 最近は、そういう「退屈さ」は感じなくなっている。やはり、子どもがいるというのは大きいのだ。

 今回の新潟行でも、両親や餓鬼どもと一緒に、あちこち出かけた。

 越後平野に点在するチューリップ畑は、本当に美しかった。なぜもっと宣伝しないのだろう。チューリップの農園なんて、そうそう見られるもんじゃないのに。
 水族館のマリンピア日本海にも行った。子どもが魚を見るのが好きなので、新潟に行くたびに行ってるような気がするが、サンシャイン水族館の100倍ぐらい楽しい。新潟を訪れる機会があれば是非、とお勧めしたいスポットである。魚の質と量がちがう。
 父親の案内で、新潟県立自然科学館にも行ってきた。新潟の公共施設――道路・公園・文化施設など――の立派さは、特筆に値するが、ここも例外ではない。それもこれも田中角栄のおかげである(角栄と新潟については、言いたいことがたくさんあるけど、長くなるからまたの機会にしよう)。

tulip
(越後平野のチューリップ畑)

 前述の日本海にも、二度にわたって出かけた。一度は貝殻拾いと称して餓鬼どもと砂浜を歩き、もう一度は弟の企画で家族バーベキューをやった。
 ウチは父親が下戸なので、酒を日常的に呑むという習慣がない。クルマ二台で出かけてきたせいもあって、ビールもない、完全にノンアルコールのちょっと変わったバーベキューだった。でも、楽しかったし、うまかった。弟の仕込みはみごとだったと思う。子どもたちは海遊びに熱中していて、ロクに料理を食ってなかったけどさ。

sea
(日本海の荒波に挑むウチの餓鬼)


 弟の店にも、はじめて行った。
 私の弟は、新潟で若者向け居酒屋(ほかに表現はないものか)の店長をやってるのである。
 店の名は「JAM」。ロック・ファンたる私にはうれしい店名だ。現在2店舗あって、近々3店目を出店する予定だと聞いた(ブログはこちら)。

 弟は以前、東京にもある大手の電機量販店で働いていた。営業成績も良かったらしく、本社から表彰されたとかいう話も聞いた。
 だが、思うところあったのだろう、量販店は退いて、居酒屋JAMの立ち上げメンバーとなったのである。
 牛後であるよりも、鶏頭であれとは言うけれど、なかなかできるこっちゃない。立派なもんだと思う。

 もっとも、事業をはじめるのは誰にでもできる。大切なのは、それをいかに持続させるかなのだ。

 居酒屋JAMは、とても流行っているようだった。
 私には、それが何よりうれしかった。

 近くに工業団地があるそうで、ロケーションもいいのだろう。料理も手作り感があって意外にイケるし、値段もお手頃だ。常連客も多そうだった。
 私と家族が案内されたのは無国籍な異国情緒漂う個室だったけど、だらだらといつまでも呑んでいたい気持ちにさせる部屋だった。聞けば、個室のテーブルは弟の制作になるものだという。道理で釘の頭が不揃いなわけだ。そこがかえって味になっているのも泣かせる。

 忙しく動いている弟を見て、ウチの長男坊が「おじちゃん、カッコいい!」と言ったのが印象的だった。子どもは正直なもんだからね。働く男の姿をしてたってことだろう。自信を持っていいぜ、和哉君。

 というわけで、みなさん、新潟にお越しの際は、是非一度「居酒屋JAM」を訪ねてやってください。ひときわ背が高くて、気のいいナイスな店長があなたに最高の時間をお約束します。



居酒屋JAM赤道店
http://www.niigata-cci.or.jp/present/detail.asp?preCode=123
ブログ「JAMな人々」
http://blog.livedoor.jp/jamonestar/
(なんと、弟がウチの餓鬼の写真をアップしている。我が子もついにネットデビューだ)
 自衛隊でまた薬物。 

覚せい剤打ち、自分で救急車要請…空士長を逮捕
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060428i408.htm?from=main4

 以前は「国防にたずさわる人間が薬物など、ケシカラン」と思っていた。だけど、そういうことじゃないんだな。

 戦地にいる/いないにかかわらず、軍隊というのは薬物依存を生み出さざるを得ない形をしているのだ。
 だから、自衛隊から薬物を文字どおり「根絶」するためには、組織形態を変えるのがいちばん手っ取り早い。

 だが、組織形態を変えたら、それは「軍隊」ではない。国防の役にも立たないだろう。

 高校生のタバコじゃあるまいし、防衛庁も「持ってるやつを探し出して罰する」だけじゃ駄目だ。
 薬物犯罪の大元である、軍隊ならではのストレスを取り除くような策をとっていかなければ。
 むろん、組織形態は変えずに、である。

 これは難行ではあるが、最善の道であると思う。
 先日、自分のメールアドレスから、送った記憶のない迷惑メールが送られてきて驚きました。
http://ameblo.jp/goatsheadsoup/entry-10011451395.html

 続報ですが、あれから毎日来ています。
 しかも、日替わりでメニューが替わるんだよ!

 いわゆる迷惑メール・フィルターも自分のアドレスじゃあ設定しようがない。
 それを見込んだ送信者=宛先な手口らしいです。

 とりあえずご報告まで。
 あらかじめ、お断りしておきます。
 この記事には、極めて破廉恥かつ公共良俗に反する言辞がふくまれています。
 18歳未満の人は、読まないほうがいいかもしれません。

 あたしのあそこに、入ってくるんです。
 ちょっとじゃないんです。たくさん、入ってくるんです。
 あふれちゃうぐらい。
 卑猥な、言葉と、いっしょに、入ってくるんです。
 あたし、それをひとめ見るだけで、
 ジュン。
 ってなっちゃうんです。

「ジュン」ってのは力が抜ける擬音、入ってくる場所はメールボックス、入ってくる「もの」は迷惑メールだったりするのですが。

 いわゆる「迷惑メール」が大量に届くようになってから、しばらく経つ。今はたぶん、一日平均80通ぐらいは届いているのではないかな。
 メーラに迷惑メール・フィルターを設置し、それを日々バージョンアップしているので、たいがいは直接ゴミ箱に行くようになっているが、それでも日に平均5通ぐらいは、その手のメールを手作業で削除しなければならない。
 メールにはたいがい、次のような扇情的なタイトルがつけられている。

「お願いです。私の妻を犯してください」
「欲しいのはアナタの体だけ……」
「江里子です。お話ししたいことがあります。」
「会ってご奉仕で収入もUP☆」
「性に飢えた人妻」
「快楽に満足したい女性の満足度であなたの報酬が決まります」

 私は生きることとは性的なるものに突き動かされることだと心得ているから、性的なるものを排除することはかならずしも正しいことであるとは思っていない。
 また、性的なるものが大いに人の耳目を呼び集めるものであることも、職業上、心得ているつもりである。
 だから、性的なるものにたいしてはかぎりなく寛容、なのであるが。

 さすがに、その手のタイトルがズラリ並んだメーラの惨状を見ると、ゲンナリしますぜ。

 でもまあ、いいんだ。それももう慣れた。

 ……と思っていたら、今日、とんでもないメールが配達された。
 なんと、送り主が私のアドレスで、メールが来たのである(差出人無記名)。
 あいたたたた。

 タイトルもイカしている。

「おてぃんぽ買取の女性用市場~男性個人売買所~」

 男性個人売買所だよ。いやあ、参ったね。

 むろん、私はそんな営業した記憶はないから、これは、どっかで私のアドレスが流出したのだろう。
 
 第三者がウェブ上のどこかで私のアドレスを拾ったのかもしれないし、以前、私のプロバイダ(so-net)は個人情報流出をやらかしているから、そのせいなのかもしれない。

 いずれにせよ、私のアドレスが私の知らないところで、悪さしてるのはたしかなようで。

 みなさんのお手元に、私から「おてぃんぽ買取」メールは届いてませんよね?



追記:
知人から、「私も同じ内容で、自分が差出人のメールを受け取った」という報告を受けました。どうやら新手の手口みたいで。
発信元が割れにくい、とかそういう理由でしょうか。うーん……