2012年02月07日 14時10分06秒
glidebranchの投稿
茶人とは
Theme: お庭を造ろう仕事柄、自分以外の方々による構造物や庭等を含む大小様々な製作物から
無意識のうちに見聞きして得た膨大な情報を
常に自分のものとして都合良く蓄積していっておりますが、
おそらくはこの13年以上『モノを見て驚く』なんて思いをした事は1度もないです。
しかも、この『ど・シンプル』な竹だけを使った些細なものから。
『お茶で、もう30年遊んでるのよ』と言ってるこちらの方が、
一体何を考えているのか理解できたのは、この竹の境が完成した瞬間でした。
『次のお茶会ではこうしよう』という思いを、
ご自分のお庭、お料理等の全てを考えてから準備しておもてなしするというのは、
とても楽しくて素敵な事だとは思うのですが、
何でまたこの竹をこうするのが良いと頭に浮かぶものか不思議でならなかったですし、
年末や数日前の打合せ時にあった何となくのお話からは全く分からないこの仕上げ。
粋になってはうまくないし、でもこの新年最初の出会いにさり気ない面白さが欲しいという気持ちは
竹の太さや高さ、角度を制作時にその場でお話して初めて感じる事ができたのですね。
おそらくは、この方は私のいう所の造園家と同じ方向性をお持ちの茶人でいらっしゃいます。
あまりの鋭さに我々少々この製作物に見入っておりましたが、
なんと、現場の去り際に出たセリフが
『大変恐れ入りますが、もしもご迷惑でなければ私とお茶で遊んでいただけないものでしょうか。』
でございます。
ご高齢でお家の事でもお忙しい方に、
しかも全くの素人が人生の大先輩にいう事ではないのでしょうが、
『感動』を受けてしまったものは仕方ありません。
昨年の秋に、うちの職人さんにお庭を見て欲しいと近所でお声をかけていただいてから
何度かお話をさせて頂く機会があったのですが、どうも私の知りたい事を
このお方は普通のものとしてご理解されていらっしゃるに間違いございません。
この度の製作作業で確信しました。
誰でもそうだと思いますが、物事を教わるのは優れた人間から教わりたいものでございます。
幼少より身内やご近所にいらしたお茶の先生さま達からはこの気配は感じなかったのと、
当時から現在までの私には、
必要なものとしての優先順位として高い位置づけでは無かったのだから仕方ないでしょう。
ここに存在する哲学を体験し、この方との言葉でのやり取りによって得られる内容は
私を更なる高みへ導いてくれるものだという確信があります。
この話を私の母親にしましたら、
『なんて迷惑な事をいう人なんでしょうね。
1人でも5人でも準備は同じなんですよ。
だいたい、あなた帛紗も扱えないでしょう。
お弟子さんがいたり、沢山の作法があるのはそれなりの理由があるのに、
簡単に考えすぎですよ。』
と、真面目に恐い顔で言われてしまいました。
はいはい。
一応、音として聞いておきました。
毎度の事でございますが、形式なんぞ私には無縁のもの。
こういう時に中途半端な前情報は邪魔になるものです。
植木屋になりたい人が本屋で立読みしてきても何の役にも立たないのと同じです。
私が知りたいのは作法そのものではなく、そこにある、 なんだ。 あれだ。 それそれ。
まあ、とにかくやってみないと話は始まらないものでございます。
ちなみに、正座は足首の関節が外れそうになるので長時間は無理なんだな。
やはり、前途多難は間違い無しです。














































