ついにvol.64までやってきたDVDマガジン

燃えろ!新日本プロレス最新刊(13日発売)のタイトルは、

『百花繚乱、世界に誇れ

スーパージュニア!!』。


90年代・新日本ジュニアの黄金期、

門戸開放により他団体のジュニア戦士も光り輝いた時代、

その中でも絶対に欠くことのできない名勝負、

歴史的瞬間も含めて、全6試合を収録している。


全試合ノーカット収録(特増133分)DVDの

ワクワクものメニューは次の通り。


①『トップ・オブ・ザ・スーパージュニア』、伏兵の優勝に歓喜!!

獣神サンダー・ライガーvs保永昇男

1991430日、両国国技館〕


②“世界の獣神”vsみちのくの曲者に浪速大熱狂!!

獣神サンダー・ライガーvsスペル・デルフィン

1994613日、大阪府立体育会館〕


③世界最高峰!究極のタッグリーグ優勝決定戦!!

ワイルド・ペガサス&大谷晋二郎vsザ・グレート・サスケ&

ブラック・タイガー

19941018日、岡山県体育館〕


④“東北の英雄”が師匠を超え8冠王者に!!

ザ・グレート・サスケvsウルティモ・ドラゴン

199685日、両国国技館〕


⑤眠れる“ジュニアの巨人”が覚醒、壮絶ド突き合い!!

エル・サムライvs金本浩二

199765日、日本武道館〕


⑥前代未聞の“問題児”マスクマンが傍若無人!!

大谷晋二郎vsケンドー・カシン

1997128日、大阪府立体育会館〕




①3年ぶりに開催された『トップ・オブ・ザ・スーパージュニア』の

大本命は獣神サンダ―・ライガーとペガサス・キッド(クリス・べノワ)

の2強と目されていた。

リーグ戦の全日程を終えた結果、ライガー、ペガサス、

ネグロ・カサス、保永昇男の4人が同点で並び、

最終戦の両国国技館で決勝トーナメントが開催される運びとなった。


まず、ペガサスが保永に敗れる大波乱。

続いてライガーが順当にカサスを下した。

ファイナルへ駒を進めたのは本命・ライガーと伏兵・保永。

S・S・マシン、ヒロ斉藤、後藤達俊とレイジング・スタッフ

の仲間たちが騎馬を作って保永を優勝戦のリングへ送り出す。


そして、奇跡の結末が待っていた。

保永が秘密兵器のクロスアーム・ス―プレックスで

ライガーを完全フォールしてのけたのだ。

ジュニア№1の座へ上り詰めると同時に、

空位のIWGPジュニア王座も奪取した保永。


セコンドのレイジング・スタッフは狂喜乱舞、

国技館も大”ホナガコール”に沸き返った。

ついに”寡黙な職人”保永の実力が満天下に示された瞬間であり、

この大会の大成功が新日ジュニア黄金時代への礎となったわけである


②94年4月に開催された『スーパーJカップ』の大成功によって、

ジュニアというジャンルは超党派で注目を浴びるようになった。

その直後に開催された『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア』には、

みちのくプロレスからスペル・デルフィン、TAKAみちのくがエントリー。


ここで快進撃を見せたのがデルフィンだった。

ブラック・タイガー、ディーン・マレンコ、デーブ・フィンレーと

世界に名だたるジュニア外国人3強を撃破。

なんとライガーと並ぶ同点首位でリーグ戦を終えた。


優勝戦はデルフィンの地元、大阪にて。

ここでデルフィンは自分のマスクとライガーのマスクを

ハーフ&ハーフにした驚きの”デルイガ―”として登場。

ショーマンシップの塊のような魅せる男は、

確かな実力派でもあった。


結果はライガーの優勝に終わったものの、

この大会を通して、サスケに続き、デルフィンが大ブレイク。

さらに、石澤常光(のちのケンド―・カシン)から白星を挙げた

TAKAもその将来性を存分に見せつけている。


③94年、ジュニアブームが巻き起こる中、ついに新日本は

初のジュニアタッグリーグ戦となる『スーパージュニア・タッグリーグ戦』を開催。

ライガーの負傷欠場により、急遽、ザ・グレート・サスケが出陣し、

ブラック・タイガー(エディ・ゲレロ)と夢のマスクマンコンビを結成する。


なんといっても特筆すべきは、興行の前半にヘビー級の試合を組み込み、

後半から場外フェンスを撤去し、すべてジュニアの試合で大会を行なったこと。

今ではどうということもない光景であるが、

当時は新日本の常識を覆す快挙であった。


最終戦の岡山大会に同点首位で勝ち残ったのは4チーム。

ワイルド・ペガサス&大谷晋二郎、ディーン・マレンコ&石澤常光の

ザ・サブミッション・シュータ―ズ、サスケ&ブラック、グラン浜田&保永昇男。

そして、予想通り決勝で相まみえたのはペガサス組vsサスケ組。


想像を絶するような危険技が飛び交う中、背筋が凍りつくような

フィニッシュシーンへとなだれ込む。


ペガサスが肩車に捕えたブラックめがけ、

エプロンから大谷がスワンダイブ式フランケンシュタイナーを仕掛けたのだ。

ところが、バランスを崩した大谷とブラックは重なり合うように

脳天からマットへ落下した。

緊急事態発生に一瞬、時間が止まった。


しかし、大ダメ―ジのため記憶が飛んでしまっているにも関わらず、

大谷は無意識のうちに生涯初めてトライした

ドラゴン・ス―プレックスによってブラックをフォールした。


まさに、命を削る死闘。

試合後のバックステージで、共同インタビューに応じた大谷は

「クリスのおかげです……」と言いかけたところで、

右腕を押さえ錯乱状態に陥った。

「動かない、右腕が動かない、身体が痺れて動かない」と

叫んだまま床に倒れ込んだのだ。


すぐに救急車が呼ばれ、担架に身体を固定された大谷はストレッチャーで

救急車に乗せられ、ブラックも病院へ搬送された。

その光景を青ざめた表情で見守っていた石澤が、

私に向かってポツリとつぶやいた。


「命懸けですね……

俺にはとうてい真似できません」


バックステージで起こったアクシデントを頭に置いて見ると、

よけいに壮絶さが伝わってくる。

また、この試合をきっかけに大谷のフィニッシュ・ホールドが

ドラゴン・ス―プレックスになったのも運命的な話である。


④さらにジュニアの闘いは新日本マットを舞台にエスカレートしていく。

96年6月、日本武道館で全試合タイトルマッチの

『スカイダイビングJ』が開催され、王者が8本のベルトを返上。

8月、『G1クライマックス』開催中に、8冠王座統一トーナメント

『JーCROWN』が行なわれる。


8月5日、両国国技館。

4本のベルトを保持して8冠総取りに挑んだのは、

ウルティモ・ドラゴンとザ・グレート・サスケ。


ユニバーサルプロレス時代、ウルティモ(浅井嘉浩)の付人

でもあったサスケだけに、師弟対決の意味合いもあった。

また、かつてウルティモは新日本の通いの練習生であり、

サスケは新日本プロレス学校出身。

ともに、新日本プロレス入門という夢の叶わなかった男たちが、

ジュニアの頂点をめぐり対決することもドラマチックだった。


結果的に、鉄柱超えトぺ・コン・ヒ―ロで頭蓋骨骨折という

アクシデントに見舞われながらも、サスケが執念の師匠超えを達成。

サスケが初代ジュニア8冠統一王者に輝き、

東北の英雄を中心に日本ジュニア界はまた新時代に突入する。


⑤問答無用のジュニア史上に残るド突き合い、

ジュニア史上に残るインパクト満点の名勝負がついに登場!


97年の6・15日本武道館。

『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア』優勝戦に駒を進めたのは、

壮絶な抗争を繰り広げていたエル・サムライと金本浩二。

金本がサムライのマスクを引き裂き素顔をさらせば、

サムライは金本の顔面をこれでもか!と蹴り上げていく。


そして、戦慄のシーンへ。

金本の仕掛けたリバース雪崩式フランケンシュタイナーにより

サムライが脳天からマットに突き刺さる。

今でも語り草になっている壮絶な一撃。


しかし、受身の達人、スタミナ天国と称されるサムライは立ち上がり、

垂直落下式リバースDDTを決め、ついに初優勝を達成。

中邑真輔をはじめ、現役のトップレスラーたちの多くが、

私的ベストマッチに挙げる名勝負。

ワタクシ金沢の中でも未だにジュニア史上

3本の指に入る名勝負をとくとご覧あれ!


また、マニアにはたまらない注目点を指摘しておこう。

マスクを剥がされたサムライが試合後に急遽被ったのは、

マスカラスもどきのヘンテコなマスク(笑)。

実は、ライガーの指示で代えのマスクを控室から持ってきたのは、

新弟子時代の真壁伸也(現・刀義)だった。


その一部始終がよーく分かるので、

こちらもお見逃しなく!


⑥97年4月、ケンド―・カシン(※当時は、ケンド―・カ・シン)として

海外修行から凱旋した石澤は長州現場監督の意向にも聞く耳を持たず、

マスクマンとしてシリーズに参戦し続けた。

マスクマンか素顔か、ジュニアかヘビーか?

会社サイドもカシン自身も方向性を決めかねる中、

ライガーが半ば強引にカシンをジュニア世代闘争へと引きずりこんだ。


事件が起こったのは、同年の10・16四日市大会。

金本に敗れたカシンは自らマスクを脱ぎ去って大暴れ。

バックステージに戻ると、

「俺はこのプロレス界に必要な人間じゃない!

だから、いつ辞めたっていいんだ!

あいつらと、やるかやられるか勝負してやるから!」

と爆弾発言。


これが、いわゆる10・16四日市事件。

ここからカシンは時の人となり、

その人気に火が点いた。


実は、その陰で知られざるドラマもあった。

ファンとしてこの会場に観戦に来ていたのが、

当時、高校レスリング部の同期だった柴田勝頼と後藤洋央紀。

2人とも、石澤、永田、中西、藤田らに稽古をつけてもらった経験もあり、

ともに新日本プロレス入りを目指していた。


このカシンの大暴れを観た直後、

柴田は大学進学をやめ新日本への入門を心に決めたという。


この四日市事件を経て、

カシンは大谷晋二郎からピンフォールを奪い、

ついに97年度最終戦、12・8大阪大会での

IWGPジュニア初挑戦を決める。


若き絶対王者・大谷と、ついに自分の居場所を見つけ

ギラギラと燃え盛る問題児・カシン。

ヤングライオン時代から、絶対にハズレのなかった

両者の一騎打ちがグレードアップして実現する。


顔面ウォッシュの応酬、カシンオリジナルの雪崩式とびつき腕十字、

大谷の磨きのかかったドラゴン・ス―プレックス。

のちに休憩前がメインイベントと言わしめた

ライガー&サムライ&カシンvsトンガリコーンズ(金本&大谷&高岩)

への布石となるカシンの出世試合でもある。


なお、冊子のメニューも充実。

「俺の趣味」vol.14には中邑真輔が登場。

テーマはもちろん、アートを語る。

絵を描きはじめたキッカケから、

絵画がどうプロレスという職業に生きてくるかなど、

真輔ワールドはじつに読み応えがある。


「魂が震えた新日ベストバウト」44回には、

ついに武藤敬司が登場する。

「他人の試合には興味がない」(笑)天才レスラーが

いったい誰の試合をベスト3に選出しているのか?

こちらも注目だ。


燃えろ!新日本プロレスvol.64

百花繚乱、世界に誇れスーパージュニア!!

発行元=集英社

定価=1680円

絶賛発売中!


現IWGPジュニアヘビー級王者、飯伏幸太は、

90年代のジュニアを観てプロレスラーを志した。

いま現在のジュニアワールドへと継承される

世界最高峰ジュニアの時代を、ぜひ堪能してもらいたい!