「君の傍にいたいんだ」



 真剣に自分を見る省吾の顔に蓮の顔が重なって見える。蓮を忘れることなんて出来ない。
 
「ご……めんなさい」
 
 俯いた結菜の上で、暫く黙っていた省吾からプッと笑いが漏れた。

「冗談だよ。驚いた?」
「先輩……」
「ほら、恋人らしくしないとみんなにばれちゃうでしょ?」
「そうだね……そうだよね」


 冗談……
 
 いつもの笑顔を崩すことなく省吾が帰って行った後、結菜は心に不安がよぎっていた。

 省吾がこの子の父親役にと簡単に考えていたけれど、子供の自分が考えている以上に、その作戦には色んな想いが絡んできそうだと―――
 現に省吾だけではなく、省吾の父親にも迷惑をかけている。

 この先どうなるのか不安だけが大きくなっていく。

 そして、その不安が現実になっていくことを、結菜はすぐに知ることになる。








―――ガシャン

 自分の手をすり抜けて、出来たてのオムライスの乗ったお皿が床に叩き付けられた。
「結菜ちゃん大丈夫!?」
「すみません!!」
 今日だけで、これで二度目だ。
「いったいどうしたの?悩み事?」
「いえ……」
 楽しみに待ってくれている人に食べてもらうはずのオムライスが、無惨にも割れたお皿と一緒に足下でぐちゃぐちゃになっていた。
 蓮のことや、これからのことを考えると、OMURASUでのバイトにも身が入らない。
「今日はもういいわ。バイトあがりなさい」
「……はい。すみませんでした」
 厨房にいる拓郎にも謝り、結菜は店の奥に入っていった。


 何やってるんだろ……

 産まれてくるこの子のためにも、動けるうちにバイトをして、出来るかぎりお金を貯めておきたいと思っているのに。



 その日の夜。大きなお腹をしたマユが部屋を尋ねてきた。

「ユイ。省吾さんとはいつから付き合ってたの?」
 マユの質問はいつも唐突だ。
「う~ん。いつからだろ」
 ずっとこうやって誤魔化していけるのだろうか。
 マユにもみんなにも嘘をつき続けていかなければいけない。
「塚原の家では大騒ぎよ。まあ。騒いでるのはお義母さんだけだけどね。お義父さんと省吾さんは落ち着いたもんよ」
「そ、そう……」
「で?私に報告することがあるんじゃない?」
「報告?」
「寝ぼけてんじゃないでしょうね」
 マユの睨みに、赤ちゃんのことを言っているのだとやっと気づいた。
「赤ちゃん……出来たの。もしかすると、マユとこと同級生かも」
「そうなの?この子の予定日は3月の末だから、もしかすると4月になるかも~だったら同級生ね……って、そんなことで誤魔化されないからっ!省吾さんと結婚するの?ユイはそれでいいの!?」
「け……こん?」
 どうしてそんな話しになるのだろう。
「そう!省吾さんとユイの結婚。ユイのお腹の中にいる赤ちゃんが省吾さんとの子なら、必然的にそうなるでしょ!私と純平の時も大騒ぎだったけど、省吾さんは塚原の長男だからきっともっともめるよ。」
―――結婚……
 省吾と結婚……そんなこと思いもしなかった。
 この子を守るために自分は省吾の人生をめちゃくちゃにしようとしている……
 だ、だめだ。
 そんなのダメに決まってる。
「先輩と話すよ。ちゃんと話してそれからマユに報告するから、それまで待っててくれる?」
「私はそれでもいいけど……って言うか、私は賛成だよ。省吾さんの奥さんになったら、私のお義姉さんってことになるじゃん。私的にはユイが省吾さんと結婚って大歓迎だけど……でも、早急に事を進めたい人が一人いるから……」
「先輩のお母さん?」
「そう……今にも乗り込んでくるよ。きっと……」

 マユがそう言い終わると、テーブルに置いてあった携帯電話が鳴った。
 その着信音はダースベイダーだった。
「広海さん……」
『あんたって子は!!どうしてすぐに言わないの!!』
 いきなりの耳を劈くような広海の声に思わず受話器を遠ざけた。
『聞いてるの!!』
「うん。聞いてる」
『とにかく、今からそっちに行くから』
 どんどん大事になっていくような気がする……
 どうしたらいいんだろう。
 でも、蓮との子供だと絶対に言えない。
 あんな思いまでして蓮と別れたのだ、それもこれもこの子を守るため。

「ユイ。私帰るけど、一つ聞いていい?」
「……うん」
「そのお腹の子。本当に省吾さんとの子なの?もしかして雨宮蓮との……」
「違うよ。蓮くんとはもうとっくに別れてるから」
 これでいいのだろうか……
 疑問を持ちながらも口からは当たり前のように嘘が出てくる。
「そう。変なこと聞いてゴメンね」

 謝らなければいけないのは私の方なのに……

 マユが帰った後。結菜は省吾に電話をかけた。

「先輩。話したいことがあって……」
『結菜ちゃん?僕、今そっちに向かってるんだ。もうすぐしたら着くけど、緊急の話しなら』
「ううん。来てから話すよ」

 いつも優しい省吾をこれ以上巻き込むわけにはいかない。
 でもどうしたらいいんだろう。

 答えがでないまま、広海より先に省吾が部屋にやって来た。

「そっか。マユちゃん来たのか」
「先輩ゴメンなさい。こんなことになるなんて私思ってもなくて。ホント迷惑ばかりかけて……もうどうやってこの子を守ったらいいのか分からなくて」
 省吾の前で泣きそうになる。
「もうすぐ母さんがここに来るんだ。でも大丈夫だから。僕に任せてくれるかな」
 いつもは頼りなく見える省吾が頼もしく感じる。
 自分のことなのに何も思いつかない自分とは違う省吾が大人に見えた。


「ど、どうぞ」
 広海と省吾の母親が同じ頃部屋に来ると、狭い寝室兼客室に省吾も入れた三人は肩を寄せるように座っていた。
「お茶なんかいいからここに座りなさい」
 広海に言われ、結菜もそこに加わる。
 省吾の母親には二度会ったことがある。いつもの優しい笑みは消えてしまっていた。

「結菜ちゃん。きちんと説明してちょうだい」
 広海からの投げかけに言葉に詰まる。
「あの。僕の方からお話させていただけますか」
 困っている結菜に省吾はすぐに助けに入った。
「そうよ。あなたが結菜ちゃんを誑かしたのね」
「誑かしたですって!?省ちゃんはそんなことしないわよ」
「だったらどうしてこの子にお宅のとこの息子の赤ちゃんが出来るのよ!」
「そ、それは」

 広海と省吾の母親の喧嘩腰の言い合いに、結菜はただおろおろするだけだった。
 これもすべて自分のせいなのだ。
 何も言えない。

「止めてください。話しを聞くためにここに来たんじゃないんですか?話しを聞く気がないのなら出て行ってもらえますか」
 狼狽えるだけの自分とは違い、凛とした態度で言い放った省吾を改めて頼りがいがあると感じていた。
 この人は優しいだけではない。

「分かったわよ。話しとやらを聞こうじゃないの」

 広海と省吾の母親は言い合いを止めて省吾に注目した。
 結菜も固唾を呑んで省吾を見つめた。




 いったい省吾は何を話すつもりなのだろう。








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