70.塚原家にて



「結菜ちゃん、いらっしゃい」
 出迎えてくれた純平の後ろでは、にっこりと笑う純平とよく似た可愛らしいお母さんが、アプリコット色のトイプードルを抱きかかえて、興味あり気に結菜を見ていた。
「おじゃまします。あのこれ」
 美味しいと評判のお店で買ってきたケーキの箱を渡すと、純平は嬉しそうに笑って受け取り後ろにいる母親に渡した。
「兄貴は部屋にいるけど、取り敢えず、オレの部屋に行こ」
 脱いだ靴を揃えていると、純平は母親を意識しながら、急かすようにそう言う。
「あら。お友達が来るって言うから、お母さん楽しみにしてたのに。純くんが独り占めなんてズルイ~」
「はあ?何が『ズルイ~』だよ。母さんの友達じゃないだろ?あっち行ってろよ」
 純平は上っていた階段の途中で振り返ると、母親を鬱陶しそうに手で追い払う仕草をした。
「純くん。冷たい……ねえ。ユズちゃん」
 抱いている子犬の頭を撫でながら同意を求めると、寂しそうに笑った。その表情は省吾に似ている。二人ともきっとお母さん似なんだなと、そんなことを思っていると、階段を上り終えた純平がもう一度結菜を呼んだ。
「おじゃまします」
 純平の母親に軽く頭を下げ、結菜も階段を上った。


 通された純平の部屋は、教科書が乱雑に積み重ねてある机、それに漫画本がいっぱい詰まった本棚にベッドと男の子の部屋という感じがした。
「適当に座って」
「うん」
 純平は机の椅子に逆向きに座り、背もたれに両腕を乗せている。結菜はベッドに凭れるように腰を下ろした。
「兄貴のこともあるんだけどさ。結菜ちゃんに聞きたいこともあって」
「なに?」
「……ちょっと待ってて」
 ドアの方へ眼をやると、純平は椅子から立ち上がり、そのドアを開けた。
「あら。見付かっちゃった?」
「……母さん」
 廊下にいた母親に向かって、純平は呆れたように溜息を付いた。

 純平はもう一度母親を追い払うと、また椅子に座った。
「お茶目なお母さんだね。こんなに大きな子供がいるなんて思えないほどかわいいし」
「息子にとっては鬱陶しいだけだけど?」
「いいな。あんなお母さん」
 羨ましい……
 もしも自分の母親が生きていれば、男の子がこうして家に遊びに来たりしたら、あんな風に心配してくれるのかな。と想像したりして。休みの日には一緒にショッピングに行ったり、恋の悩みなんかも聞いてもらったり……
 でも、それは普通のお母さんだったらだ。
 たとえ、母親が生きていたとしても、きっと休みの日にでも忙しくて、やっぱり寂しい思いをしていたのかもしれない。
「結菜ちゃん?」
「あ。ごめん。で?聞きたい事ってなに?」
 純平は言いにくそうに結菜から眼を逸らすと、口に手を当てた。
「その……結菜ちゃんの友達のことなんだけど」
「友達って……アッキーとマユ?」
 純平が友達と言うのだから綾ではないだろう。だとしたら、アッキーとマユしかいない。
「そう。マユって子のことだけど」
 マユがどうしたのと言いかけると、純平の携帯電話が鳴った。

 純平は電話に出ると、慌てたように部屋から出て行った。もしかすると、蓮からかもしれないと、結菜も取り残された純平の部屋でひとり焦っていた。
 今朝、蓮から電話があり『今日の予定は?』と聞かれ、友達の所に行くと答えたものの『そっか』と沈んだように聞こえた蓮の声に、罪悪感でいっぱいになった。騙しているわけではないが、黙っているのも悪い気がする。だから、用事が済んだら蓮くんの家に行くよとついつい約束をしてしまったのだ。何時に行くとは言ってはいないが、もしかすると、自分が蓮の所に行くまでに、蓮は純平と会おうとしていたりして。そのお誘いの電話とか?

「純くんはお客さんを放って何処へ行ったのかしら?」
 そう言いながら、純平の母親が待ってましたとばかりに、部屋へ入ってきた。抱いていた子犬を下ろすと、一目散にこっちへ駆け寄ってきた。
「わあ。かわいい」
 小さい身体を賢明に振りながら、黒い瞳でじっと見つめられている。舌を出した口からはハッハッと慌ただしく息が漏れていた。
「ユズっていうのよ。女の子なの」
「ユズちゃんかぁ。名前もかわいいんだね」
 フワフワの背中を撫でるとユズは嬉しそうに飛び跳ねた。
「うちは、二人とも男の子でしょ?何も話してくれないし、息子って面白くないわ。その点、女の子はいいわよ。結菜ちゃんのお母さんが羨ましいわ」
 純平似の母親が結菜を見てニコリと微笑んだ。
「あ……私は両親がいないから。さっきも純平くんと話してたんです。かわいいお母さんで羨ましいって」
 今、出来る限りの笑顔でそう答えた。
「そう。ご両親が……そうなの」
 でもやっぱり、結菜の言葉に、悪いことを言ってしまったという風に純平の母親は俯いた。
「いや。あの。気にしないで下さいね。うちにはうるさい兄と、更にうるさい伯父がいますから。毎日が賑やかで、ホント困ります」
 結菜は手を振りながら慌ててそう繕った。
 両親がいないと言って、そういう顔をされるのが一番困る。それは純平の母親が悪いわけではないけれど、そんな顔をされると、自分がすごく可哀想な子供に思えてしまう。

「またいる。母さんいい加減にしろよ」
 電話を終えたらしい純平が部屋に帰ってくると、ユズが純平の足に嬉しそうにまとわりついていた。
 
「お母さんがいてもいいじゃない?」
 純平が三度目になる母親の追い出しを遂行していると、邪険にされた母親はまた寂しそうな顔をしていた。けれど、結菜の言葉を聞くとその顔が、一瞬でぱっと明るくなった。
「ほら。結菜ちゃんはいいって言ってるじゃない」
「オレがダメなの」
 そんな押し問答をしながらも、結局は追い出しを成功させ、純平は、はあと大きく溜息を付いた。椅子に座って、見せた顔はなんだか疲れ切っている。
 母親の登場と、純平にかかってきた電話で、話しがなかなか前へ進まない。
 そう言えば、聞きたいと言っていたマユのことってなんだろう。それに答えて早く省吾の元気な顔を見て、帰りには蓮の家に寄って……今日は盛りだくさんな一日のような気がする。
 純平の顔を見ると、純平はまたドアの方に眼を向けていた。
「また、お母さん?ホントにいいよ。居てもらっても」
「兄貴が出てきたみたいだ」
「え?省吾先輩?」
 耳を澄ますと確かにドアの閉まる音と、それから廊下を歩くスリッパの足音が聞こえた。
「先輩!」
 廊下を歩く省吾の背中を呼び止めると、その背中は一瞬ビクッと動いた。それから、恐る恐るというように省吾は振り返った。
 グレーのスエットに紺色の半纏を羽織っていて、寝起きのような乱れた髪に、さっき見たばかりのユズの眼に似た、子犬のような瞳をうるうるとさせている。
「結菜ちゃん?……え?ええっ?なんでここに?」
「今日。先輩、誕生日でしょ?だから……ってあれ?」
 結菜が言い終わる前に、省吾はもの凄い勢いで階段を駆け下りていった。
「そりゃ驚くよ」
 自分で計画しておいて、純平は他人事のように、ははっと笑っている。
「おめでとう。も言えなかった……」


 一階では、何やらドタバタと慌ただしい音が、時々響いてきていた。
 そして、階段を上り自室に入る省吾の足音がした。
「それじゃ、行ってくるよ」
 純平にそう告げ、結菜は省吾の部屋のドアをノックした。


 昼間なのに、カーテンを閉め切った、薄暗い部屋。
 難しそうな参考書や、辞典などがぎっしりと詰まった本棚で、見えない圧迫感が襲ってくる。
 この部屋は空気が重い。
 目の前には、一応着替えを済まし、髪も整えた省吾が悲壮感を漂わせながらも、あたふたと焦って落ち着きのない、定まらない眼の動きをしていた。
「先輩痩せた?」
 そう言わずにはいられないほど、大きな省吾の眼が、頬が以前より窪んだような気がした。
「受験生だから……」
 こんなもんだよ。と薄く笑う。
 純平が心配するのも分かる。元気がないというか、生気がないというか……とにかく、太陽のように笑っていた、あの頃の爽やかな省吾とはかけ離れていた。
「受験ってそんなに大変なんだ?」
「大変って……僕は医学部を受けようと思ってるから、余計に頑張らないといけないかな」
「先輩はお医者さんになるの?」
「うん。出来れば小児科医になりたいんだ」
 省吾が医者……小児科医?
 想像してみた。子供達に囲まれている省吾を。
 きっと優しくて、子供達にも人気があって、誰よりも一生懸命に子供のことを考える。そんな先生になるんだろうなって思う。
「小児科医って、省吾先輩にぴったりだね」
 本当に心からそう思った。

 話しが途切れると、そうそうと、手にしていた省吾へのプレゼントを渡した。
「先輩。誕生日、おめでとう」
「あ、ありがとう」
 省吾は戸惑いながらもプレゼントを受け取り、リボンを解いた。そして中に入っていた紺色のマフラーと手袋を取り出すと、もう一度ありがとうと優しく笑った。
「あと。これも」
 結菜はそう言うと、省吾にお守りの入った袋を差し出した。
「あ……」
「受験。頑張ってね」
「…………」
「先輩?」
 何も言わない省吾にどう対応したらいいか分からない。そんな省吾に、今度は結菜がうろたえていた。





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