メモリー オブ ウスチャー | giogioitaliaさんのブログ

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動物達との「共生」をメインに、日々気づいた事や思う事など
色々書いていこうと思います。
よろしくどうぞ~♪

またまたご無沙汰のうちに5月も終わりですね…クローバー
前回のブログでも少し触れましたが、容態が芳しくなかったウスチャーニコ
4/28(金)の夜、天国に旅立っていきました…虹
 
ウスチャー生前最後の写真 ひなたぼっこおひさま
 
1ヶ月以上も報告が遅れたのは、気持ちの整理がつかなかったのと、
ウスチャーが亡くなって間もなく、
メイが、血尿出したり(膀胱炎)、足を痛めたり(軽い捻挫)してすったもんだしてたからですあせる
子沢山は次々と心配事が絶えません…苦笑
 
お騒がせ男子 メイ… おデブだけど、とってもデリケート…苦笑
 
ウスチャーの事を書こうとすると、メイの症状が振り返すので、
『 自分は精一杯生き抜いたから悲しまないで、今居る子達ときちんと向き合ってあげてにゃ 』
というメッセージなのかな~と感じたり…思いやりのある優しい子でしたからね…
 
お陰様でメイもやっと落ち着いてきたので、遅まきながらウスチャーとの思い出を
書こうと思います。
少し長くなりますが、よろしければお付き合いください。
 

 

約2年4ヶ月前に『 外猫として苦労した分、家猫として幸せになってほしい 』
と家族に迎えましたが、
猫エイズ(+)、肝臓、腎臓病、口内炎、悪性リンパ腫…多くの病に冒されたウスチャーの
家猫生活は、通院治療が不可欠の闘病生活でもありました。
(ウスチャーが家の子になった経緯等はコチラに書いてあります→ ウスチャー    )
 
しかし、お母ちゃん役を担ってくれた妹が、本当に献身的にケアし、たくさん愛情を
注いでくれたのでラブラブ
 
甘えたり
 
 
マッサージしてもらったり
 
 
臭い嗅いだり
 
 
変顔にされたり(笑)
 
満更でもない家猫生活も送れたのでは…とも思いますOK
 
とにかく病気の影響で偏食で、次々と好みが移行する為、ドライフードもウェットカレー
ほぼ全種類の猫フードを口にしたと言っても過言ではなく、
一時期は体重も5㎏近くまで増え、
『 ミャ~ミャ~ 』と近所に響き渡る位雄叫びをあげながら家中パトロールしたりNYイエローキャブ(旧)
縄張り意識に芽生えて、父母の布団に放尿したり小便小僧(布団やむなく廃棄)
結構やらかしてくれましたね(笑)
…このまま奇跡が起きて完治してくれるんぢゃないか!?と思う時期もあった位…
残念ながら叶いませんでしたが…
 
あと、やっぱりウスチャーのハッスル源筋肉は、ガールフレンドの大トラ
 
ウスチャーは、最初から好意的でしたが、大トラは、興味ある反面怖かったようで、
逃げたり、近寄っては猫パンチパーーーンチ!(苦笑)の繰り返し…
決して怒らず、反撃せず、ひたすら大トラパンチパーーーンチ!パーーーンチ!パーーーンチ!を健気に受け続けて3ヶ月程
経ったある日、
大トラの背中の毛がごっそり抜けていて、ウスチャーの口元に大トラの毛が…
誰も目撃してないので想像ではありますが、
連日のパンチングに穏和なウスチャーも遂に堪忍袋の緒が切れ、大トラの毛を口で
むしり取ったのではないかと…(本気出すとかなり強者ですから…)
尤も傷や出血もなく手加減した事は明白で
『 パンチングやめて仲良くするにゃ!! 』 的行為だったんでしょうね。
その日を境に、大トラの猫パンチは鳴りを潜めました(笑)
 
以来、付かず離れずの程好い距離感を保っていた2匹ですが、不思議な事に
亡くなる前の数日間、大トラはずっとウスチャーの傍に寄り添い、離れませんでした。
別れが近い事を感じていたのかもしれませんね…
そして、※彼の旅立ちを唯一、隣で見送ってくれました…
※こたつの中で逝ってしまった為、人間は誰も最期を看取る事ができなかったんです…
 
最期の姿は、少し手足を突っ張り、目を開けた状態ではありましたが、心停止の際
そうなったようで、特に苦しんだ様子もなく、瞼を閉じたら、凄く穏やかな顔になりました。
 
多くの病を抱えていたウスチャーが、寝込んだり、酷く苦しんだりせずに最期を迎えられのは、彼自身の頑張りと、
昨年秋から始めた自宅での輸液(点滴)点滴。効果も大きかったようです。
病院でレクチャーを受けた妹が、毎日やってくれたんですが、日増しにガリガリに痩せて
骨皮状態になっていくウスチャーの身体に針を刺すのは、
獣医さんでも『 難しい 』と言われ、素人には相当なプレッシャーとストレスだったと思います。
ウスチャー共々、本当に良く頑張ってくれたと心底感謝していますお願い
色々サポートしてくれた両親にも。
 
私は、ウスチャーを保護し半年一緒に暮らしたけど、彼が実家に移ってからはスポンサーに徹し、直接ケアしてあげる事もできなかった至らないとこだらけの隣のおばちゃんでした。
でも、亡くなる10日位前から、実家に行くとやたらすり寄ってきて『 撫でるにゃ~ 』って感じで
背中やお腹を見せたりして甘えてきたんですよ。
今思えば、彼なりの挨拶というか気持ちを伝えてくれてたのかなと思ったり…
 
亡くなった当日の朝も、スマホを見たら、何もしてないのにいきなりウスチャーの写真が
画面に出てきて…
『 そろそろ覚悟しなくちゃいけないのかな… 』 と思ってたんですが、
いざ逝かれてしまうと、やっぱり悲しいし寂しいですね…
 
病気のデパート状態で、臓器の数値ぶっちぎってて、獣医さんから
『 自力で食べてるのが不思議 』
『 生きてるのが不思議 』 と言われ、
悪性リンパ腫で 『 余命長くて半年 』 告知されてから1年半も生き続けてくれたウスチャー。
別れは辛いけど、彼が様々な苦痛から解放された事が唯一かつ最大の救いです。
今頃は、先に逝った子達と一緒に、元気に走り回ってる事でしょう流れ星
 
『 色々あったけど、なかなか面白い猫生だったにゃ~あしあと 』
 
なんて思ってくれてたら嬉しいな…
 
ウスチャーの逝去後、友人から 高崎白衣大観音様 の御守が届きました。
 
私も以前参拝し、とても感銘を受けた素敵な観音様です→高崎白衣大観音
 
友人は、ウスチャーがまだ存命だと思い『 回復祈願 』の意を込めて送ってくれたのですが、
御守を手にした時、
『 観音様の優しい光に包まれて天に昇っていったんだな…キラキラ 』 と確信し、
悲しい気持ちが和らぎました。
 
妹がふと 『 観音様も白、ウスチャーも白系だった…何か繋がってるね 』とつぶやきました…
確かに…命も出来事も全て繋がっていて、この世は 《 偶然 》 ではなく 《 必然 》 で
できているのでしょう。
ウスチャーとの出会いも、共に過ごした時間も起こるべきして起きたかけがえのないもの
だったのだと…
 
『 ウーさん 』、私は彼の事を親愛と尊敬を込めてこう呼んでました。
(決して『 ウスチャー 』 が言いにくいから略していたのではないですよ~)
 
ウーさん、頑張って生き抜いてくれて有難うハート
出会ってくれて、家の子になってくれて有難うハート
たくさんの愛と優しさを有難うハート
ウーさん、また…会おうね…🐾バイバイ
 
LOVE ラブラブ