私の履歴書その4 | ドアを開けろ

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さて、私の履歴書その4。91年に独立したと書いたが、その理由は丁稚の頃から勤めていた工務店が廃業したのである。

90年にバブル経済が弾けて、未曾有の不況時代に飛び込んだ日本経済であるが、広島は94年にアジア大会が控えていたので、建設不況はそこまで感じなかった。

アストラムラインという新交通システムが建設され、メイン会場の西風新都には選手村としてのマンション・住宅・施設群がどんどん建設されて、槌音が絶えなかった。

工務店に元居た同僚3人で一応オレが親方ってことで独立した。このメンバーは「最強の職人軍団」と呼べる奴らだった。

が、その後、下がり続ける請負単価の下落にはうんざりした。

一例を言うと、一平米幾らで請け負うのだが、バブル期はこれが5000円とか6000円。

その後下がりに下がり続けて半額以下はおろか3分の1にまで落ち込んだ。

請負単価が下がるって事は自分達の取り分が減ることになる。

職人の給料も自分の分も減る。

今までと同じ仕事量を同じようにこなしていても勝手に給料が減る。

最悪な時は請負単価が500円って時もあったらしい(オレはその頃には辞めていたが・・)

確か、ダイエーが「価格破壊」とか言い出したのもこの頃であったと思う。

デフレの足音はオレ達が気がつかない間に、すぐ後まで迫っていたのだ!

さてさて、最初は「大工とFPがどうしても繋がらない。経過が知りたい」とコメントを頂いたことから始まった「私の履歴書」であるが、大工とFPより「大工と作家」の方が繋がらないような気がする。

明日は「どうして本を書こうか?と思ったか?」

その辺りについて思い出しながら書いてみよう!

もう暫しお付き合い願いたい。