秋風や 甲羅をあます 膳の蟹 ―芥川龍之介
この連休は冬の味覚の王者“ズワイガニ”を福井県の名湯「あわら温泉」で食べた由美ママ一家でしたが、
もうこの冬の旬の味覚を味わえましたか?http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10431393459.html
掲句は、詞書に「室生犀星金沢の蟹を贈る・・・」とあるように、
龍之介と仲良しだった犀星が、越前の港で捕れた“ズワイガニ”を贈ったものと思われ、
この句からは“越前かに”の長い脚が、お皿からはみ出して豪快に盛られているさまが読み取れますね。
『日本橋ゆかり』http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10428804856.html
では、兵庫柴山港・西善丸より直送の“ズワイガニ”が食べれます!
甲羅の“黒い粒”は「カニビル」というヒルの仲間の卵で、この「カニビル」の卵がたくさん付いているほど、ズワイガニの脱皮後の時間が経っていて、身入りがよく上質であるとされています。
さて、龍之介が句に詠んだほどありがたがられた“ズワイガニ”ですが、
“カニ漁”とは、いったいいつ頃から行われていたのでしょうか・・・?
歴史上では、日本における“カニ漁”は1500年代、安土桃山時代に始まったといわれ、
水深200m前後の海で漁ができるようになったことから、カニも獲れるようになったのでしょうが、
福井(越前)におけるカニに関する記録は安土桃山時代から始まり、
その記録は、公家である三条西実隆の日記(永正8(1511)年3月20日付け)に、
「伯少将送越前蟹一折」、翌21日には「越前蟹一折遣竜崎許了」と、
越前でカニが水揚げされていたと思われる記載があります。
その後、1600年代になると、全国に先駆けて若狭湾の沖合いでは、
船を錨で固定し網を手で手繰り寄せる“沖手繰り網”が行われるようになり、
やがて、1700年代には風力を利用して網を引き回す“打瀬網”で、より深いところでの漁に成功し、
それによって深海に棲むカニが、さらに多く獲れるようになったと思われます。
そして現在は、“底びき網漁”で漁獲し、こうして現在に至りますが、
ちなみに“ズワイガニ”の名称が初めて登場するのは、江戸時代中頃からで、
当時の越前国の特産品が書かれてある「越前国福井領産物」(1724年)によれば、
「取得かたき時節も御座候・・・」との注意書きに加え、「ずわいがに」とも書かれており、
また「日本山海名産図会」(1789~1800)内の若狭鰈網にも、「カニの混獲が多い・・・」と記されています。
また“ズワイガニ”の名前の由来は諸説さまざまですが、
広く知ら、れているのは“楚蟹”と書くもので、“楚”とは訓読みで「いばら」、音読みで「そ」ですが、
古くは「すわえ」と呼ばれていたらしく、
この“すわえ”の意味が「若い枝の細くてまっすぐなもの・・・」とされていることから、
それが訛って“ずわい”になったとも云われています。
こうして、安土桃山時代から食べられていたであろう“ズワイガニ”は、
福井(越前)から他地域に送ったり、特産品として紹介するなど、その美味しさは全国に広く知れ渡り、
そののち、明治42(1909)年には、この“越前かに”を皇室に献上したことで、
ついに名実共に全国ブランドとなりました。
この“献上がに”の記載は、明治43(1910)年元旦、地元新聞には、
当時の福井県知事が、「四ケ浦村(現、越前町四ケ浦)で獲れたカニを東宮御所に献上した・・・」
と書かれており、現在では毎年、、三国港で水揚げされた“越前かに”が皇室に献上されています。
(「科学の目でみた越前がに」「「越前がに 五十五の秘密」より引用)
どう見てもスターウォーズに登場しそうな顔立ち???
『日本橋ゆかり』では是非、この↑↑↑蟹さんと戦ってみて下さい!!!
http://nihonbashi-yukari.com/
http://r.gnavi.co.jp/g322600/
Phot by Kimio-Nonaga
そんな公家の日記にも記され、古くより皇室に献上され続けるこの“越前かに”の至福の味を
是非、“カニ漁”解禁期間中の福井に出かけて味わってみてはいかがですか?
そして掲句に「甲羅をあます・・・」と、犀星に感謝をこめて詠った龍之介のごとく、
膳の上に盛られた豪勢な“越前かに”をじっくり眺めながら、北陸の冬の厳しい海のうねりが、
膳の上にまで押し寄せてきている様を想像し、この冬の味覚の王者を堪能あれ・・・
「芥川龍之介句集 我鬼全句』」(1976)所収