阪神の金本選手、城島選手、
ソフトバンクの小久保選手、
ロッテの今岡選手、
オリックスの北川選手、
ヤクルトの福地選手、宮出選手など、
名球会入りした選手や元メジャーリーガーなど大物選手の引退が特に目立つ今シーズンの終盤。

中でも衝撃だったのは、広島の石井琢朗選手。





俺にとって琢朗さんは特別な選手です。

今後の長いプロ野球ファン人生で彼と同じくらい、彼より好きになる選手が現れるかもしれませんが、
俺は彼がきっかけとなって横浜ベイスターズを、広島東洋カープを、そしてプロ野球好きになりました。

最初に好きになった野球選手なんです。





琢朗さんを知ったそもそものきっかけはパワプロ6からでした。

このパワプロ6というのは98年末のデータなのでベイスターズファンにとっては永久保存モノで、
勿論ベイスターズが一番強いワケです。

当時プロ野球なんて巨人とイチローくらいしか知らなかった自分ですが、

このベイスターズに心惹かれました。

「ベイスターズって強いんだ!!」

「この青いユニフォームかっこいい!!」


まあ小学生なんでこんな感想でした、たぶん。

特に1番ショートの琢朗さんが強く印象に残ってますね。

当時のBCAAAという能力はパワプロにおけるショートの最も理想的な能力と今でも思ってます。

そんな感じでこのゲームを通じてベイスターズに、琢朗さんに少しですが興味を抱いてました。



それから1年後か2年後、

いとこが野球観戦のお土産としてくれた選手下敷きが大きなきっかけとなりました。

そう、それが琢朗さんだったんです。

東京ドームに行ったのにどうして琢朗さんなんだろうと今でこそ思いますが、
いとこよ、ありがとう。これがなかったら横浜ファンになってなかったかもしれない。

元々パワプロで知ってた選手であり、同じ栃木出身ということでますます琢朗さんに心を奪われました。

この下敷きは10年以上経った今でも大切に保管してあります。

現役最終戦にもおまもりとして持って行きました。

ベイスターズファンになった最大の要因がコレでした。





それからまた1,2年経った2001年9月22日。

この日、初めてハマスタへと足を運びました。

今でも覚えてます。カープが相手で、初回に3失点したけど、5-3で見事逆転勝利。

みんな忘れてそうな横浜時代の小宮山投手が10勝目を挙げた試合でした。

プロ野球観戦はこれが初めてで、勿論生で琢朗さんを見たのもこの日が初めて。

守備の時はずっとショートばかり眼で追ってました。

完全に憧れの的でしたね、ええ。



翌2002年、試合観戦には行かなかったものの、ファン感謝デーに初来場。

この年以来受験生だった2007年を除き10年間ずっとファン感には通い続けています。

ただ、それだけ訪れてもこの年を超えた時はありません。

なぜか?

琢朗さんの直筆サイン本を手に入れられたから

家宝。

いやホントに家宝。

聖書よ聖書、バイブル。

書名は「疾走!琢朗主義」なんですが、これは余程売れ行きが好調だったのが重版されたと思いたいほど大量の在庫がありまして、

それを購入したら目の前で琢朗さんが本にサインしてくれたんですよ。

うん、別に抽選とかそういうラッキーじゃなくて、ファン感によくある課金によるサインGETなんですけども。

しかし今思えばたかだが千数百円出してスター選手の自伝とサインがもらえるなんてかなり良心的。

今のベイのファン感は酷い時だとクレジットカード入会して2軍選手との握手券とかだから…。

この時買った琢朗さんの自伝は今持ってるベイスターズグッズの中で最も誇れる物です。

時々眺めて愉悦に浸るのが楽しみなんや…。




それからベイスターズに暗黒期が訪れても決してファンを辞めませんでした。

琢朗さんがいたからというのもありますし、

なにより長い最下位暮らしの中で訓練されてきたから!

選手はダメだけど、まあファンになら負け癖はついてもいいと思うんだ。

その方が勝った時嬉しいから。





琢朗さんを語る上で外せないのが2000本安打。

投手として勝ち星を挙げた選手の達成は史上2人目、というのはよく知られていますが、

2000本達成時に正遊撃手として活躍していたのはおそらく彼だけ。

他の名ショート、直近だとヤクルトの宮本選手なんかサードに移ってから達成ですからね。

内外野の中で特に負担の大きいショートでの達成というのも価値ある偉業です。



ただし、私が押したいのは2000本安打を達成した試合ではなく、

その1つ前の試合。



たしか9回裏の満塁で、打席には2000本安打まであと1本とした琢朗さん。

「2000本目をサヨナラヒットで!」

という期待が勿論かかるわけです。

しかし、彼が選んだのは四球。

あくまでチームプレイに徹する彼の姿勢がよくわかる打席でした。

それが先日の最終戦の無安打2四球にも表れています。





だが…


2008年秋、

戦力外通告。




後にも先にも本気でフロントが腐ってると思ったのはこの時だけです。

この年は他にも川村丈夫や鈴木尚典など黄金期を支えた選手たちが大量解雇されたのもあります。

引退の今年以上のショックでした。

ただただ一日中茫然としてた。

いろいろあったけど思い出せない。

とりあえず、今まで見たどのニュースより憤慨し、衝撃だった。



広島が獲得してくれた時は嬉しかった。

あれから同じ弱小球団の広島が好きになり始めた。

広島に行ってから琢朗さんの雄姿はあまり見れなくなりましたが、

選手でいることだけで満足でした。





そして8月27日。

現役引退を発表し、10月8日に背番号25のユニフォームを脱ぎました。
















石井琢朗選手、24年間お疲れさまでした。

貴方がいたから、野球の楽しさを知りました。

貴方がいたから、ベイスターズを愛しました。

貴方がいたから、10月8日が今年最高の日となりました。



本当に…本当にありがとうございました!

いつかまた
横浜のユニフォームに
袖を通す日まで待ってます!!


銀核寺