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6月10日、天聖経増補版の出版記念会が挙行されました。


この天宙史的な暴挙を、いかなる美辞麗句をもってしても、覆い隠すことはできないでしょう。天聖経の言葉が滑らかでないなどと理由をつけるなら、それはまるで、ノアを毛布で覆ったハムの過ちを再現するようなものです。


「天聖経に手をつけてはいけない」・・「遺言書、最後通牒である」


み言を参照するまでもなく、み言が、そのまま留められなければならないことは、少し考えれば誰でも理解できることです。聖書にも同様のみ言があることを知らない人はいないでしょう。


ところが、まるで、お父様が聖和されるのを待っていたかのように、
聖和からほんの数ヶ月で天聖経の改訂がそそくさと進められ、
1年も経たないうちに「天聖経増補版」として出版されました。


しかし、「遺言」とまで言われた天聖経の改修に、監査委員に任命された方が、
それは「命取りになるのではないか」という深刻な問題を提起していました。



天聖経増補版監修委員である先輩家庭が、お母様に差し上げた手紙
http://nokenkin.blogspot.jp/2013/06/blog-post_17.html



2012年末から2013年初にかけての状況を監査委員として間近に見ながら、
止むにやまれぬ心境で不利益を覚悟の上で韓総裁あてに上訴した文面を読めば、天聖経増補版が投げ掛ける深刻な問題を理解できると思います。


改行およびハイライト、引用注※を付加しました。
投稿者(鮮文大学生)の寄稿文および翻訳原文はリンク先を参照下さい。


以下 韓国先輩家庭のお母様への手紙(日本語訳)


***********************


お母様に申し上げます


お母様!新年が明けました。基元節が始まる2013年になりました。お父様がこれほどまでに寝ても冷めても忘れることができなかった基元節を考えると、お母様のご苦労がどれ程であるか、私がお伺いしたとしてもどうなるものでもありません。どうぞ、玉体康寧であられ重大な天の摂理を大きな栄光で率いて下さるようにお祈り申し上げます。


今日、私がお母様にお伺いしたいことは他でもない、天聖経の再編纂に関連した事項に関することです。
昨年12月29日午前10時に青波洞協会本部8階講堂で金栄輝天聖経増補版編纂委員会委員長の名前で周旋された「天聖経増補版監修委員委嘱式」がありました。その集まりで金栄輝会長、李ジェソク会長、金ソクピョン院長、金ハンジェ教授が順番に登壇してこれまでの経過報告を行い、最後に質疑応答の時間がありました。
70人余りの参加者は、その時まで天聖経再編作業がどのように進行されて来たのか如何なる資料も見ることができなかったために、具体的な質問をすることができない状況でした。それで私とY会長は以下のような概括的質問を委員長である金栄輝会長に尋ねました。



(私の質問要約)


「先ほど報告された4人の方のお話しを伺い、これまでご苦労様でした。お父様のみ言により近く接することができる良い経典が作られることをご期待申し上げます。ところで、私は新しく発刊しようと現在、準備しているこの天聖経と既に発刊済みのオリジナル天聖経とは、どのような関係になるのかご質問いたします。


新しく天聖経が出るのであれば、オリジナル天聖経はどのような立場になるのでしょうか。何故、天聖経を再び作ろうとしているのかに対する大義名分と理由が、上の方である聖和されたお父様に対しては勿論のこと、下に対しては世界各国の全ての食口らにまで堂々と通じるものでなければならないと考えます。


これは私達が既に余りにもよく知っているように、オリジナル天聖経に対するお父様の認定と執念がかくも絶対的なものであったために、二言が必要ではない重要な考慮事項です。


ある者は、オリジナル天聖経には重複の引用が余りにも多く、又、お父様の原文のみ言資料を滑らかな表現にした内容が多くあり、その本意が変わっているのではないか(※1)という心配のために、天聖経は再び出されなければならないし、オリジナル天聖経には時期でいうと2000年代以降のみ言が余り載っていないため、再度、出刊しなければならないと言っています。(こうした根拠は、金珍春清心大学院総長が分析したもので、その資料を私も見たことがあります) 


※引用注1:オリジナル天聖経に表現を滑らかにした内容があるという話。


しかし、お父様は生前にオリジナル天聖経を7度以上通読で精読されるほどに非常に愛されながらも、滑らかになった文章に対しては一度も指摘されたことがありませんでした。実際に、滑らかになった文章の内容で深刻な所はほとんどないと見ることができるほどです。


重複した内容に対しては、数度、ご指摘を申し上げた幹部らに対してむしろ、一節も修正しろとは語られず、そのままにしておかないといけないと強調されたことを私達は良く見てきました。


お父様は生前にこれほどまでに絶対生命視されて祝祷され、全ての祝福家庭に伝授され、43ヵ国の言語に翻訳して全世界に伝承された原本の天聖経を再度、修正して出刊するということは、事実上、オリジナル天聖経を絶版あるいは廃棄するという話ではないでしょうか。


新しく出る天聖経を『増補版』とすることは理に適いません。報告を聞いて見たところによると、これは完全に変えて出刊する改訂版だからです。


私は、お父様の愛と香りがするオリジナル天聖経はそのままにして、2000年以降のみ言を集中的に補充し、後続編として『天聖経第2巻』として出刊するのが妥当だと考えます。お父様の精誠の汗と涙が滲んでいるオリジナル天聖経の権威はそのままお父様の権威と位相を示すものではありませんか。


そして、もう一つ、建議したいことは、『平和神経』に載っているみ言こそ、2000年代を代表するお父様の最後の重要な教えを集約したものである為に、別に講演文集に載せるのではなく、新しく作る『天聖経第2巻』に収録することが妥当だと考えます。金栄輝委員長は私がここでお伺いした以上の内容をお母様にお話されて、監修委員として参加する私達の心をどうぞ軽くして下さるようにお願いいたします。」




以上の様な私の質疑に金栄輝委員長は『私は○博士の質問に対して何ら答えることができない。何故なら私は、この仕事をするようにと語られたお母様の命を受けて天聖経再出刊作業にだけ参加しているだけだ。そのような質問に私が答えたり、お母様に伺うことは私がすることではない。よってその質問は当事者が直接お母様に伺うようにして下さい。』 金会長の答えはこのようであった為に、それ以上、語る内容はなくなりました。次の質問でY会長が発言しました。



(Y会長の質問要約)


「私がブラジル・パンタナール研修院長の時に、オリジナル天聖経編纂のための資料集の本を教材としてみ言の訓読教育をしている時に、天聖経に重複する内容が何ヵ所かあるとお父様に丁重にお伺いしましたが、お父様の答えは、そのみ言を聞いた対象と時代的環境が違う為に、み言の内容は同じように見えるが、それは同じ意味の反復ではないと語られ、手を付ける考えをするのではなく、そのままにしておけと語られました。


そして、滑らかになった文章に関することですが、お父様が使われる方言問題を取り上げると、怒鳴られて、誰が使う言葉が標準語なのか。これからは私が使う言葉が全部、天の国の標準語になるのだから、修正するのではなく、そのままにしておかなければならないと語られました。このように、お父様のオリジナリティーは厳重に生かさなければならないと考えます。これらを編纂作業に深く参考にしてくださるようお願いします。」



このような内容の質疑応答が終わり、解散して『増補版天聖経』13編を分冊で束ねた仮本天聖経を一巻ずつ配りながら、1月10日までに全部読んで、指摘して下されば編纂の参考にするということでありました。このように拙速に監修できるのか、本当にどのように考えたらいいのか分からないし、残念でもありました。その日に来た人たちには編集監修の専門家はほとんどおらず、教区長、巡回師、元老、機関長など、年末年始で忙しく奔走している人たちが、10日間の内に天聖経の監修作業をするということは不可能なことであり、形式的なものに過ぎません。読後の感想程度を書く程度になるものと思われます。


私は、私が受け取った‘真の父母編’天聖経、いわゆる増補版を読む時、一句節、一句節を読みながら、その句節が引用されたみ言選集の元の資料と、ひとつひとつ照らし合わせてみました。そのようにしながら、私はとても驚きました。


滑らかにした文章が多く、天聖経は再び編纂する必要があるというのが、今回新しく天聖経がでるようになった主な理由だといいましたが(もちろん重複したところはたくさん削ったものと判断するが)、どうしたことか、見る句節ごとに、ほとんどが滑らかに変えたものでした(※2)。約80%ぐらいだと思われます。それも滑らかな文に変えた程度や内容がオリジナル天聖経よりはるかに問題が深刻になったという点です。お父様の呼吸や香りがほとんど除去されているという感じを受けるほどです。


※引用注2:オリジナル天聖経に表現を滑らかにした内容があるという話しが、

 改訂版では、ほとんどが滑らかな表現に化けてしまったという話です。


すべての引用句節が本来は口語体の文章ですが、ほとんど文語体の文章に変えられ、み言の味わいが違っていることがもっとも大きな問題です。元来、お父様のみ言集や天聖経オリジナル本は、私たちが読むとき、その臨場感を感じながら、お父様が一緒にいらっしゃる情感がよく伝えられるため共感と感動が大きいというのがみ言の生命だということができます。そのためにとても理解しやすく、親密感が高いのです。


ところが今回の場合、編集者たちの人為的で作為的な滑らかにした文章の尺度が共通に使われているのではないかという懸念を感じます。お父様が与えてくださった血肉の、あるいは生命のみ言が剥製になって骨格だけが残り、血と肉がなくなったように感じられ、み言が堅苦しい思想の本か哲学書を読んでいる感じがするとすれば、これがきちんとした天聖経だと言えるでしょうか。


もし、再び出刊されるのだとすれば、それはいつまでも愛され、陰口の出ない誇り高き本として出なければならない点が最も重要なことだと思います。それが、お母様の本来の趣旨ではないのでしょうか。そのような点から考えてみると、天聖経が再度、出されたとしても、余りにも切迫した期間内に(一月しか残っていない基元節までに)出版するのではなく、基元節記念事業として確定宣布された後、すこし余裕の時間を持った上で、お伺いしたいくつかの質問を考慮され、より完璧なものとして出版されるのは如何でしょうか。


オリジナル天聖経の滑らかな文体を最も深刻に指摘していた人は、金珍春総長だと理解していますが、現在、彼は新しく編纂されている天聖経の滑らかな文体をどのように見ているのかも、一度、問うて見られても良いかと考えます。私も、金総長が現在どのような考えを持っているのか気になるところです。こうした内容が私一人だけの思いと判断であるのか、お母様が客観的な確認を直接されることが必要だと思いますので、お伝え申し上げる次第です。


お母様に私がこのように僭越に直接申し上げたことをお許しください。しかし、お母様の重大な天聖経摂理に関する私の忠誠を誰も代弁することはないようなので、このように無礼を顧みることなく文を差し上げるものでございます。数日間考えて、この文を差し上げなければならないか、差し上げるべきではないか、祈祷しました。お伺いしなさいという結論が出た為に、この文を差し上げるものです。同じことの繰り返しになったようで、私の忠誠がきちんと表現されたのか心配でございます。
どうぞ、寒い日に玉体を保存され、遍く平安であられますように。


天基3年 天暦11月24日(2013.1.5)
不肖 ○○○ 拝上

**********************


(引用ここまで)


最後に、み言を引用します。


先生が書いたみ言を、誰かが新たに何かを修正することを望みません。

その内容が、なぜそのようになったのか分かりません。知らずに修正すると、あの世で、万民の前で審判を受ける、讒訴されるでしょう。

ですから、むやみに触れてはいけません。
(493-287、2005.4.26)



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