午後、天気が急変しましたが、
こひつじクラブの時間はとてもいい天気でした。

祝日でしたが、子どもたちは
いつものように集まって来てくれました。

先週のハッピーサタデーに続いて、
来てくれたお友達もいました。

今、来てくれている子どもたちは
多くが高学年になりました。

また、

その兄弟姉妹たちも来てくれるようになったので、
今日から小学生クラスと幼児クラス2つに
分けてすることにしました。


小学生クラスでは、
イエスさまの復活について考えました。

イエスさまの復活を信じる人々と
信じない人々の両方の立場に立ちました。


今の僕たちには、イエスさまの復活の真実を
タイムスリップして確かめることはできませんが、
当時、イエスさまの復活を否定することもできなかったのです。


『弟子たちは主を見て喜んだ。』(ヨハネ福音書20:20)


人間には復活する力はありませんが、
もし、イエスさまが復活されたなら、
イエスさまは神さまということになります。

もし、イエスさまが復活されなかったら、
僕たちには何の喜びも希望も慰めもありませんが、
イエスさまが復活されたなら、
これほど大きな喜びはありません。


僕はこのイエスさまの復活を信じます。



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ただ信じなさい

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今日もとてもいい天気です。



12年も苦しんでいた一人の女性が
癒されて帰って行ったのを
ただ一人、ヤイロだけは
心から喜ぶことができませんでした。

娘が死にかかっていたからです。
一刻も早くイエスさまをお連れしたかったのです。

ただでさえ大勢の群衆に囲まれて
思うように進めないというのに、
イエスさまが急に立ち止まられて…
大幅に時間をロスしてしまいました。

一人の人が癒されたという
奇跡を目の前で見ましたが、
共に喜ぶ余裕はありませんでした。

そして、

最も恐れていたことが
起こってしまったのです。

娘が亡くなったという
知らせが届いたのです…

でも

たった今、娘を亡くしたばかりの父親に、
イエスさまの言葉が響いてきました。

“恐れることはない。ただ信じなさい。”


『イエスはその話をそばで聞いて、
「恐れることはない。ただ信じなさい」と
会堂長に言われた。』(マルコ福音書5:36)


イエスさまは神さま、救い主であると、
ヤイロは確かに信じていました。

でも、

一点だけ不十分な点がありました。

それは、イエスさまは病気を癒すことができるが、
死んでしまったらもうどうすることもできない、と
考えていたことです。


イエスさまは神さまだということは、
できないことは何一つありません。

イエスさまご自身、十字架にかかり死なれましたが、
3日目に生き返られました。

イエスさまは娘の手を取り、
一言、“起きなさい”と言われると、
娘は生き返りました。


復活して、今も生きておられる主は、
僕たちをも生き返らせてくださいます。


『イエスは言われた。
「わたしは復活であり、命である。
わたしを信じる者は、死んでも生きる。
生きていてわたしを信じる者はだれも、
決して死ぬことはない。このことを信じるか。
…もし信じるなら、神の栄光が見られる」』(ヨハネ福音書11:25-26,40)


“恐れることはない。ただ信じなさい。”

僕たちの身に何が起こっても、どんな時にも、
イエスさまを神さま、救い主とほんの少しも疑わず、
ただ信じ続けることができますように。

死んだような、眠ったような信仰を
主が起こしてくださいますように。

God bless you!



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イエスさまに触れる

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昨日の雨から一転して、
今日はとてもいい天気です。

アンネのバラも生き生きと伸び、
つぼみをふくらませています。

あと数日で、開花しそうですね。



イエスさまはヤイロの信仰に答えて、
一緒に出掛けて行かれました。

その時、思いがけない出来事が起こりました。

12年も病気で苦しんできた女性が
イエスさまの服に触れ、その瞬間、癒されたのです。


彼女は長い年月とすべての財産と
努力と気力と…すべてを費やしましたが、
病気は良くなるどころがますます悪くなる一方でした。

もうどうすることもできなくなったところから、
彼女の信仰が始まりました。


彼女は、イエスさまなら癒すことがおできになる、
イエスさまの服に触れるだけでも癒される、と信じて
イエスさまの服に触れたのでした。

すると、

イエスさまの内から力が出て行って、
彼女は癒されたことを体感しました。


『イエスは、触れた者を見つけようと、
辺りを見回しておられた。
女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、
震えながら進み出てひれ伏し、
すべてをありのまま話した。
イエスは言われた。
「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。
安心して行きなさい。もうその病気にかからず、
元気に暮らしなさい。」』(マルコ福音書5:32-34)


彼女もイエスさまの前にひれ伏しました。
イエスさまを神さま、救い主と信じていたのです。


“あなたの信仰があなたを救った”


そこには大勢の人々が押し迫り、
イエスさまの体に触れて人もいたはずです。

でも

誰もイエスさまの内にある力を
引き出すことはできませんでした…


神さまは、今日も全世界を見回しておられます。
イエスさまを神さま、救い主と信じる人々はいないか、と
主の目は僕たちにも注がれています。


今日は祈祷会です。

僕たちもイエスさまを信じて、
イエスさまにしがみつき、すがりついて、
祈って祈って、祈ります!!

イエスさまの内にある復活の力によって、
強めていただくことができますように。

God bless you!


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既に得られたと

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『そこで、イエスは言われた。
「神を信じなさい。はっきり言っておく。
だれでもこの山に向かい、
『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、
少しも疑わず、自分の言うとおりになると
信じるならば、そのとおりになる。

だから、言っておく。
祈り求めるものはすべて
既に得られたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになる。」』(マルコ福音書11:22-24)


信仰とは、頑張って信じるものではありません。
一生懸命、信じて信じて、祈って祈ったから、
求めるものが与えられるのではありません。

それは信仰ではなく、努力です。

信じるということは、
信頼すること、ゆだねることです。

自分の抱えている問題や
目の前に立ちはだかっている山の前に、
自分の弱さや無力さを知り、
主の御前に謙遜にひれ伏すことです。


これがヤイロの信仰です。

イエスさまによるなら、娘の病気は癒されると、
祈り求める者は既に得られたと信じたのです。


どんなに小さく、弱々しい信仰であったとしても、
イエスさまを神さま、救い主と信じるなら、
山は動く!!

主は立ち上がられるのです。


このことを信じて、祈り求めます。


ヤイロの信仰

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新約聖書の中にある4つの福音書の中で、
マルコによる福音書は最も短く、16章です。

それにもかかわらず、約3分の1が
イエスさまの十字架と復活についてです。

十字架と復活こそ、
神の子イエス・キリストの福音の頂点です。


『イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、
大勢の群衆がそばに集まって来た。
イエスは湖のほとりにおられた。

会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、
イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。
「わたしの幼い娘が死にそうです。
どうか、おいでになって手を置いてやってください。
そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」

そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。』(マルコ福音書5:21-24)


この出来事は、最も長いマタイによる福音書には
それほど詳しく書かれていないのに対して、
マルコは詳しく書き記しているのです。


ここにも福音があります。

神の子イエス・キリストに対する
ヤイロの信仰が現れています。


まず彼は会堂長でした。

会堂とはいわば教会です。その管理者でした。
社会的にも、宗教的にも立派な人物であり、
人々から尊敬されていたでしょう。

その人が、集まった群衆の目の前で
イエスさまの前にひれ伏したということは、
よっぽどのことです。


“ひれ伏した”とは、礼拝です。

イエスさまを礼拝の対象として、
神さまと信じていたということです。

また、

彼は自分の娘の病気を癒してほしいと願いました。

イエスさまにはそれができると信じ、
イエスさまを救い主と信じていたということです。


“そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。”

これこそ、主の御手を動かす信仰です。


どうか、イエスさまが
僕たちと共に行ってくださいますように。

God bless you!