「たった一度の運動会」(前編)

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後になって思い返せば、、、ってことは良くあることで、かと言って、
過ぎた時間は決して取り返すこともできませんし、戻ることもできません。
ただ忘れることのできないこととして、
時々心の引出しの中から思わず取り出してしまったり。
今回はそんなお話です。


私がGIDのことを両親に告白して、そのまま家を出ることになった時に、
その時初めて、今は亡き父も自分の本当の気持ちを私に話してくれました。

一応、それなりに歴史のある旅館の跡とり(長男)だった父は、
周囲の反対を押し切って、半ばかけ落ちという形で母と結婚しました。
その反対された理由と言うのも、
母親が(もちろんれっきとした日本人ですが)日本生まれでなかったことや、
さらにその母(私から見て祖母)とはなさぬ仲だったという、
とてもくだらないことだったみたいですが、結局、
結婚を認める代わりにその旅館の財産を受け取らないし、
代々の墓にも入らないという条件で、二人は結ばれました。

やがて非常に苦しい生活の中で、
父と母に二人の子供(正確には三人だそうです)が生まれたのですが、
その頃から父には母に対するある疑念が湧いたそうです。
かと言って、大事な所で気弱な父はそのことをはっきりと母に正すことができず、
当然、二人の間は静かに冷えていきました。

もちろん、母は母で生活が苦しいのだから外に働きに行っていたわけなのですが、
その忙しさや苦労を父は素直に受け止めることが出来ず、
母と同じ職場にいたある一人の男性(Mさん)に、父はその疑念を向けてしまいました。

そこで二人は、それぞれ別々の人生を歩むことに決断しようとしました。
二人の姉たちはが母が引き取り、
父も母もとりあえずそれぞれの実家に戻ることになる予定だったそうです。

しかし残念なことに、その矢先に私がこの世に生を受けてしまったのです。
当然、そのタイミングは父にとって、逆に疑念を強めるものでした。
さらに私が生まれてすぐに「血液型不適合」で生死の境を彷徨ったことは、
父の心の中に「この子は面倒な子」という気持ちを植え付けたようです。

しかし、父に言わせれば、
それで仕方なく離婚を思いとどまった」のだそうです。
もちろん、母に対する疑念ははっきり晴らせないままで。
ただ、その疑念の矛先は母とMさんという男性、
そして私の三人の対象に向いてしまいました。

その結果として、父は私を高校まで行かせる気もあまりなく、
できれば中学も行かせたくないが、中学を卒業したら、
自衛隊か僧侶か競馬の騎手にする

と公言するようになりました。
つまり、少しでも早く家を出て欲しいという気持ちだったのです。

そう言えば、と思い起こせば、
確かに私の小さい頃の母は日曜日まで仕事だったり、
数日間どこかへ家出することもありました。
そのMさんも何かと私のことをかわいがってくれました。

もちろん、当時の私は詳しいことなど何一つ知らされてもいないし、
気づかないままでした。
ただ何となく、
家の中には自分の居場所はない
ことだけは肌で感じていたような気がします。

さて、私が小学校に上がる前の頃だったと思います。
それはある日曜日のことでした。

後編はこちら。

。。。。。

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