「性転換」ってコトバがキライ。

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性転換」とか、「性転換手術」。

確かにショッキングで人目を惹くコトバです。
男性が女性に、または女性が男性に、まるで変身するように反対の性別になる。

でも、私はこのコトバがとってもキライです。
だって、現実にはそうではないから。
もちろん、性同一性障害に対する治療のゴールでもないし。

実際のSRS(一般的な訳語では「性別再判定手術」)は、
肉体の性別を心の性別に近付けていく手術です。
コロっときれいさっぱり変えてしまうわけではなく、
決して、TVのヒーローみたいに改造するようなことでもないのです。


かなり以前の話ですが、私がSRS(性別再判定手術)を受ける前の頃、
その手術の日本語での名称を巡っては、私も医師から意見を求められました。
もちろん、あくまで性同一性障害の当事者の一人として。


その時の私は、確か「性別適合手術」を主張したと思います。
肉体の性別を心の性別に適合させる」って意味で、わかりやすいかなと。

結局はご存知の通り、
SRSの直訳で「性別再判定手術」が一般化されて来ていますが、
それに関しては、私にも特に不満はありません。


でも、「性転換(手術)」は違うと思う。


確かに(MTFのような人の場合)、最初はそんな気持ちも無かったのに、
誰かに誘導(強制)された女性化の結果としてとか、
SM関係の一要素(調教)としての女性化の最終形態としての手術なら、
それは間違いなく「性転換」だと私も思います。
気持ちも男性で肉体も男性だったのに、女性にされてしまった経緯をひっくるめて。

ただ、そういう、結果論的な(後付け)「性同一性障害」を主張する方たちまでが、
正規の性同一性障害に対する治療を受けるようになってしまうと、
世間の性同一性障害に対する意識も、
少しヘンな人たち」って以前のような感じに戻りそうで怖いです。
まして、小さな頃から深刻に性別違和に悩んでいた人の手術の順番が遅くなったりするのは、
私は絶対にあってはならないと思います。

もちろん、それは私の一人の人間的な気持ちであって、医学的にどうかは知りません。
でも、やはりそこを一緒にされたくはないわけで。

元々性別に違和感を感じていて、ましてきちんと「性同一性障害」と診断を受けた人が、
性転換(手術)」ってコトバを使うのは違うと思うのです。

「性転換」ってコトバで納得してるの?

どうしても私はその人たちに尋ねたくなります。
少なくとも気持ちの性別は以前から違っていたんじゃないのって。

もちろん、本人が好きで使ってるなら、私にはそれ以上何も言えないですけど。

ただ、ずっとずっと「性転換」ってコトバを当事者が使ってると、メディアにだって、
本人たちもそう言ってるじゃん?」って論法が成り立ってしまうのです。
もちろん、メディア以外でも。

新聞の大きな見出しに「性転換」。
目を惹く効果は大きいでしょう。
まるで改造人間が生まれたようなアナウンス。


私はSRSの訳語に意見を求められた時からずっと、
性転換」ってコトバはキライだと医師たちに気持ちを伝えていました。
そう、確かに私一人の気持ちの吐露に過ぎなかったのですけど。

それでも、私の手術を伝える新聞(地方紙)では大きな見出しで「性転換」と出て、
同じくらいの大きさで「性同一性障害の男性」と書かれてしまいました。
(↑これは仕方ない、、、か?)

手術の翌日、麻酔が少し抜けて、気持ちのはっきりしてきた状態でそれを見た私には、
それなりの気持ちの動揺がもたらされました。
そんな風に書かれるとは全く想像もしていなかったのです。

そのことに限って言えば、記者会見に出なかったことを少し後悔しました。
お願いですから「性転換」ってコトバは使わないで欲しいと、
どっちにしても受け入れてもらえなかったにしろ、きちんと訴えるべきだったかと。

しかし、私がその場でそういう主張をしても、
はっきり言って、見栄えの良くない私では「説得力」がなかったよね、とも思います。
でもきっと、私の気持ちはメディア側に伝わってると私は勝手に思っていました。


そう、私は「性転換」なんてした覚えはありません。

少なくとも私の気持ちはずっとずっと「女性」だったし、
それは医学的にも何人もの医師によってきちんと診断されたわけで、
人情的にも納得してくれているようでした。

私は「男性」から「女性」に性別を転換したわけではありません。

確かに性同一性障害の治療の大きな部分を占めていて、
私のように肉体的な性別に特に違和感を感じる人の求めることとして手術療法があるわけですが、
それはあくまでもやはり一部分でしかなく、そこに至れば全てが変わるってことでもありません。

本人の納得する形でのゴールとしては、
社会的な生活での性別でもそうだし、肉体的な性別の変更も、
少しずつ変って行く、変えて行くことなのです。
手術療法はそれを気持ち的に後押しすることに過ぎません。

まして、見た目や気持ちが変って行けば行くほど、当然、欲も出てきます。
ここがもう少しこうだったら」、「やっぱりこの手術も受けたい。
それは「本人の納得度」が変わっただけで、否定されるべきことでも無いと思います。

結局、お金を払うのは本人(周辺)ですから。
お金をきちんと払えるなら、医師と相談して手術なり、何なりをすれば良い。
それだけのことです。

手術を受けた私自身、やはり色々な欲は出て来ています。
もちろん、今は経済的余裕がないので、考えると落ち込む毎日ですが。

そう、手術を終えれば、すべてがハッピー、なんてことも決して無いのです。
自分の納得度と欲とのバランスをとる、それが手術の一要素でもあり、
その後の生活での命題になっています。


と言うわけで、受けた(受ける)手術の名称が、「性別再判定手術」にしろ、
性別適合手術」にしろ、
それは性同一性障害に対する手術療法の一部でしかなく、
それは「気持ちの性別と肉体の性別が違っているから受ける」ことが根本です。

決して、全てをひっくるめて性別を改造してしまうような手術ではないでしょう?


ですから、「自分は性同一性障害だ」と思うなら、
性転換」ってコトバを使うの、そろそろ止めませんか?

。。。。。

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