明けましておめでとうございます。

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ついに年が明けちゃいましたね(^^;。

しばらく更新してなくてすいません。

今年もよろしくおねがいします(^◇^)。

 

それはそれとして、年末年始にかけて、

ブログとツイッターに乗っ取りをかけられたとのこと。

物騒ですね(^^;。

 

というか、えんじぇる。のブログとか乗っ取って、

どうしようってんだか。

まあ、みなさんもお気をつけて(^^;。

 

それではまた(^◇^)。

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姉のこと。

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ついでに今日は(上の)姉のことを書こうか。

 

上の姉はえんじぇる。と7歳違いで、これまたタチが悪かった。

いつも気弱なえんじぇる。を馬鹿にして、

「あんたはね、橋の下で拾われてきたのよ」と言い続けていた。

まだ幼かったえんじぇる。はそれを素直に信じかけていた。

 

何度もとっくみあいのけんかもしたが、

えんじぇる。は小学生で小柄、

姉は高校生で身長170センチを超えてて、

いつも一方的にやられるばかりだった。

 

更にえんじぇる。は馬鹿正直だったので、

「相手は女だから顔だけは殴っちゃいけない」と思い続けてた。

だから、いつも結果は姉の完全勝利だった。

 

当然、親や親せきには、

「あんたらは性別が逆だったら良かったのに」とよく言われた。

 

さらに、(下の姉も含めて)姉はずる賢かった。

共働きの母親からの電話で、買い物を頼まれると、

えんじぇる。に「お菓子あげるから」と代行させていた。

 

まあ、それが元で買い物かごをぶら下げて歩くえんじぇる。は、

外で「男の子のくせに」といじめられる要素を足されたわけで。

(当時はね。)

 

もちろん、買い物を済ませてもお菓子なんてくれなかった。

それでも、姉たちは「今度こそは本当だから」と、

何度もえんじぇる。を買い物に行かせた。

馬鹿なえんじぇる。は数えきれないほど騙された。

 

家の他の用事もそうだった。

姉たちがさすがに、

自分の下着とかだけは自分たちで洗うようになるまで、

えんじぇる。が洗濯機を回して干していた。

「畳み方が悪い」とかまで言われながら。

 

あ、もちろん、姉たちは母親に、

「自分たちがした」とアピールしてましたよ(笑)。

 

たぶん、えんじぇる。も感覚が麻痺していたんだと思う。

最後にはご飯を研いで炊飯器をセットし、

前日の洗い物までえんじぇる。がやっていた。

 

中学生の時に引っ越した後しばらくまでそんな感じだった。

 

ちなみに家を建てるときに、

両親はえんじぇる。の部屋を4畳半の和室にするつもりだった。

いつかお祖母ちゃんを面倒見るときのために。

もちろん、えんじぇる。は珍しく反抗した。

だって、姉たちはそれぞれ6畳の洋間だったから。

 

ちなみに引っ越しするにあたって、

姉たちには新品のタンス(&鏡台)を買ってもらい、

ベッドは少し高級なものを買っていた。

えんじぇる。には父親が使っていた古いタンスと、

えんじぇる。の噛み跡がついた机だけだった。

 

この頃、えんじぇる。は学校や家で辛いことがあると、

机にかじりついていた。

文字通り歯形が付くまでかじりついていた。

 

引っ越しの時、その机が部屋に搬入されても、

両親はその噛み跡に気が付いてくれなかったわけだが。

 

引っ越し前にベッドを買いに、お店について行った時、

えんじぇる。は母親に「どれが良い?」と訊かれて、

「うちは貧乏だ」と余りに思い込んでいたえんじぇる。は、

一番安いパイプベッドを選んだ。

しかし、その後、姉たちにはタンス&少し高いベッドを選ばれて、

これもさすがに反抗した。

結果、ベッドだけは同じ物を買ってもらえた。

 

そして、えんじぇる。にも思春期が来たのだけれど、

たまに起こるらしいホルモン異常で、

お尻と胸が少し膨らんだことがあった。

 

姉たちはさらにえんじぇる。を「異物」扱いした。

それまでも姉たちはえんじぇる。に、

「あんたはブサイク」攻撃をしかけていたので、

えんじぇる。自身、もう自分が何者かわからなくなっていた。

 

話は遡るのだけど、

えんじぇる。が小学生、姉が高校生の時に、

姉が近くの少し大きい家に住むお嬢様と、

お友達になったと喜んでいたことがあった。

えんじぇる。は学校のいじめのことで精いっぱいで、

「ふ〜ん」としか思わなかった。

 

ところが、姉が突然、

「うちにはあんたみたいなブサイクな弟はいないの。

外ではうちには妹一人しかいないって言ってあるから」と言った。

でも、正直、えんじぇる。にはわけがわかんなかった。

 

それから数日後、

えんじぇる。が(引っ越し前の)家に帰って来ると、

姉が玄関でそのお嬢様らしき人としゃべっていた。

すると、姉は、

「またあんた来たの?早く自分の家に帰りなさいよ」。

「え?誰?」とお嬢様。

「たまにうちに来る近所の子よ。」と姉は言ってきた。

小学生のえんじぇる。には姉が望むような演技はできなくて、

普通に家に入ってしまった。

姉は怒り心頭って感じだった。

でも、おバカ正直なえんじぇる。は姉が怒っている理由もわからず、

その晩、また殴る蹴るの暴行を受けた。

 

家から出るといじめられ、家の中にも、

えんじぇる。の居場所なんてなかった。

 

えんじぇる。はどうすればよかったのでしょう。

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STSに苦闘。

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今日の作業所では、丸一日かかって、

STS(Spring Tools Suits)のインスト&設定でした。

 

なんせ、JAVAのパスが通ってても、

JAVACの方は通ってなかったり、

イニシャルファイルの開くソフトが悪かったり。

 

もう、何がなんやら。

頭がついていかん。。。

 

結局、なんとか作業所のパソには導入できたんだけど、

今度は家のパソコンでは動かん。

 

誰か助けてくれい。

Spring FrameWorkはなかなか手ごわいよ〜。

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いじめのこと。

えんじぇる。が小学校から中学卒業まで、

ずっと同じ連中にいじめられてた。

 

一番のいじめっ子Xと、Y、取り巻きのK、

転校後、すぐにそのいじめっ子グループに取り入ったT.。

 

えんじぇる。は学校以外、外に出れなくなった。

今は「学校に行かない」という選択肢もあるのでしょうが、

当時は「学校に行かない」=「不良」だったので、

えんじぇる。は地獄に通学するしかなかった。

 

いじめの内容とは、もちろん暴力、X煽動のクラス全員からの無視。

ありきたりの、自分の物を隠される、ごみ箱の捨てられる。

 

一番のいじめっ子Xと同じ地域だったから、

えんじぇる。は「いじめられっ子」のレッテルを張られ、

年下の子からもいじめられるようになっていた。

 

自転車で走っている途中に車輪に棒を突っ込まれたり、

買い物かごをぶら下げてるのをはやし立てられたり。

お正月に、広場で凧揚げをしてたら、

「あいつの凧を落としてやれ」との号令で、

その場にいたみんなが敵になった。

えんじぇる。は急いで家に逃げ込んだ。

 

買ったばかりの靴を隠され、パクられた。

後日、えんじぇる。の名前の上に別の苗字が上書きされてた。

 

お祭りでお神輿を担いでる最中に、

後ろにいた子に靴を踏まれ、靴が脱げ、

えんじぇる。は這いずるようにして靴を取った。

その後、集まったお金を分配する時も、

Xは大人に「こいつには少なくて良いですよ」とか。

 

「地区の子供はみんな野球団に入らなくちゃいけない」って、

もちろん大嘘で、奴らはえんじぇる。の家まで上がり込んで、説得し、

父と母に野球道具とユニフォーム一式を買わせた。

外に出なくなったえんじぇる。をいじめる機会を増やすために。

 

もちろん、野球なんてできないえんじぇる。は、

メンバー全員から道具の準備、片づけを押し付けられた。

失敗すると怒号の嵐だった。

 

それからも、学校でのいじめはもちろん続いていた。

特に小5、6の時の女先生が屑だった。

彼女はいじめっ子たちを支持してた。

「男のくせに泣き虫で手に負えない」との彼女の言い分だった。

 

体力テストでは、いじめっ子たちは、

「お前はこんなにできるわけない」と、

えんじぇる。の記録に嘘ばかりつけた。

えんじぇる。が泣いてると、

屑先生は「今度はなんで泣いてるの?いつも仕方ないわね」と、

何もしてくれなかった。

 

当時、その屑先生は「一点見つめの罰」というのをやっていた。

その日、忘れものをしたとか、宿題をやってこなかったなどの理由で、

その子たちを前列に並べ、みんなの前に向かって立たせ、

蛍光灯の一点を指定してそこを凝視させるというもの。

 

立たせられてる子が何秒間かじっと見つめているとOK。

クラスの.誰かが、「今視線が動いた」という限り立たせる。

ええ、えんじぇる。はその罰の常連でしたよ、濡れ衣と言いがかりで。

そして、「今、えんじぇる。の目が動いた」と、何度もいじめっ子が指摘し、

えんじぇる。は「動いていない」と言うと、

「動いたんじゃ、ボケ」といじめっ子。

そんな時、屑先生はいつも笑ってた。

 

いつだったか、いじめっ子と屑先生と一緒にいた時、

「うちのクラスはこいつ(えんじぇる。)をいじめることで団結してますね。」と。

屑先生は「えんじぇる。君は人気者なのよね」と笑った。

 

放課後、いじめっ子に呼び出されて、

当時、「チキン」と名付けられたいじめで、

他の子との殴り合いを強要された。

その子はしばらく後に転校しちゃったけど、

「えんじぇる。にいじめられて転校した」と噂になった。

 

えんじぇる。は先日の「父親の話。」で書いたように、

誰にもいじめのことを相談できなかった。

当時は、「いじめられる方が悪い」って風潮だったから。

 

授業でもいじめは続いた。

後ろから物をぶつけられたり、

隣の女の子が消しゴムを落としたから拾ってあげると、

「あ〜あ、バイ菌がついたからもう使えないじゃない」とキレられた。

屑生先生のなんでもないような質問に間違いを答えた時、

クラス中が「ばっかじゃないの」と爆笑。

屑先生ももちろん笑ってた。

 

いじめられっ子専用席みたいになっていた一番前の中央の席が、

えんじぇる。の指定席だったんだけど、

ある時、屑先生の質問に独り言で答えてしまい、

それを聞いた屑先生は激怒して、

「もうあなたが手を挙げても当てませんよ」と宣言。

 

それからえんじぇる。は授業中に手を挙げるのを止めた。

すると、通知表に「授業に参加する意思がない」と書かれた。

 

卒業式まであと半年ってくらいで、

えんじぇる。の上履きはボロボロだったんだけど、

もう半年だしと使い続けていたら、

片方は運動場の真ん中、片方は焼却炉に入れられてた、

 

決定的だったのは、小学校最後の遠足の時。

 

誰かが後ろにいるといじめられるので、

えんじぇる。はクラスの一番後ろを歩いていた。

 

ふと気が付くと、えんじぇる。の前には、

(先生は一番後ろと決まっていたのに)

屑先生と一人の女子が歩いていた。

 

「先生はどんな男の人が好きですか?」

「う〜ん、男らしい人かなあ。」

「じゃあ、えんじぇる。君なんてダメですね。」

「あんな子、早く死んじゃえば良いのに。」

二人は機嫌良く笑ってた。

 

物理的に殴られたり蹴られたりするよりショックだった。

そこまで思われてたんだって。

 

遠足の帰り道に家がある子は途中で帰れる決まりだったのに、

えんじぇる。がそうするのをいじめっ子たちは「許可」しなかったので、

えんじぇる。はその日も無駄に学校まで帰り、家に帰った。

 

誰かに聞いて欲しかった。

 

しばらくすると、高校生だった下の姉が帰った来たので、

「おかえり」と声をかけたが、姉は無視して、

家の中に入っていった。

 

えんじぇる。は裸足で外に出て、走った。

気が付くと、近くの川辺に立っていた。

「死のうか」と自然に声に出た。

 

それからえんじぇる。は笑えなくなった。

泣くことも怒ることも無くなった。

それからえんじぇる。のあだ名は「能面」になった。

 

両親は喜んだね、「泣かなくなった」ことを。

 

えんじぇる。は一人でリハビリをした。

TVのお笑いを見て無理やり笑うようにした。

普通に笑えてるかなって思うまで、それから二年かかった。

 

屑先生はえんじぇる。達の卒業と同時に九州にお嫁に行った。

 

一度、お産のため戻ってきた屑先生と出会った。

話しかけてきた屑先生にえんじぇる。は無視した。

すると先生は、「照れてるのね」とまた笑った。

 

正直、○してやりたいと思った(ごめんなさい)。

 

 

中学になって別のクラスになっても、Xたちからも、

新たないじめっ子たちも参戦し、

えんじぇる。へのいじめは続いた。

 

クラスでブームになった「ぶったたき」。

数人で突然、前触れもなく一人を取り囲み、殴る蹴る。

もちろん、えんじぇる。の回数が一番多かったんじゃないかな。

 

ある時、廊下を歩いていたら、

いきなり背中に衝撃を受けて振り返ったら、

足を上げて、顔がひきつってるKがいた。

もちろん、Xの命令だったんだろう。

物陰からXたちが笑っていた。

制服の背中には綺麗に上履きの跡がついていた。

 

中学一年の途中でえんじぇる。は引っ越しをした。

仲が良いと思ってた子二人だけに、

「お菓子とかお金がもらえるから「棟上げ」に来てね」と言ったが、

家に帰るとその子たちが家に来て、

Xに「もし行ったらお前たちもいじめるぞ」と言われたそうだ。

もちろん、二人とも来なかった。

 

引っ越した次の日、えんじぇる。は何気なく昔の家に行ってみた。

道路に面する壁一杯にチョークで、

「暴力団事務所」だの、「暴走族の集会所」と書かれていた。

まあ、見事だったね。

もし、あれを父親が見ていたら、、、変わりなかったかな(笑)。

 

突然、家に電話がかかってきた。

ほんとに女性かと思うくらい、乱暴でえんじぇる。を呼び捨てで、

母親から電話を変わると、「カメラを返せ」と怒鳴られた。

身に覚えのないえんじぇる。は、

「知りません」と答えるしかなかった。

 

次の日に学校に行くと、Xたちが待っていた。

「お前がカメラを取ったことにしておけよ」と言われた。

KはXにカメラを借りパクされようとして、Xが怖くて、

母親に「えんじぇる。のせいにした」とのこと。

もう好きにしろよ、と思った。

 

でも、この時の担任の先生はまだましだった。

実はこの先生はえんじぇる。の父親の友達の奥さんだった。

えんじぇる。はこの先生に文才を認められ、

先生の言うまま作文を書き続けて、

たくさんの賞をもらった。

 

えんじぇる。はやった生きがいを感じた時だった。

 

その後、さすがにえんじぇる。と同じ高校には、

いじめっ子たちは入学できなかったらしい。

 

まあ、高校でも裏でいじめられてたけど、

選抜クラス⇒国立大学理系志望クラスだったから、

あまり表立ったいじめはなかった。

 

でも、体育教師が今度は屑だった。

体育の授業は私立文系志望クラス(成績最低)と合同だったのだけど、

「俺はお前たちよりこっちのクラスの方がかわいい」

「どうせお前たち、本当は体育なんてやりたくなくて、

理科とかと数学をやりたいんだろう?」

 

なぜかえんじぇる。はこの先生に目をつけられた。

「ポールの代わりにそこに立っておけ。でも、俺の言うことも聞いておけよ」

30メートル先で言うことを聞いておけと?

 

卒業の時、担任の先生に、

「えんじぇる。ちゃん(ちゃん付けだった)、体育こんなに休んだの?」

「いえ、一回も見学とかしたことないですけど?」

「おかしいなあ、屑先生に聞いてみるよ。」

もちろん、屑先生の嫌がらせだった。

 

 

また、死にたくなってきた。。。

今度のカウンセリングで吐き出して来なきゃ。

独り歩き。

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今日は作業所ではバーベキュー、一方、

えんじぇる。は精神科でのカウンセリングと診察。

バーベキュー行きたかったな(ぼそっ)。

 

父親のことから始まり、

数珠つなぎに嫌なことばっかり思い出して。

すっかり病んでるえんじぇえる。だったり。

 

えんじぇる。としては、父親のことも、

某大学病院からカルテが引き継がれてると思ってたから、

カウンセラーも先生もちょっとびっくりしてた。

 

一通り話した後、えんじぇる。は、

「心の整理の仕方を教えてください」と。

そう、えんじぇる。の心の中での決着。

 

とりあえず、カウンセリングが月二回に増えたりして。

 

それから先生が、

「ある学会でえんじぇる。さんの症例を発表しても良いかな?」だって。

 

今度は「女性の不安」とかってのテーマの学会だそうで、

GID(性同一性障害)とは関係ないそうです。

 

また、えんじぇる。の症例が独りで歩きます。