姉のこと。

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ついでに今日は(上の)姉のことを書こうか。

 

上の姉はえんじぇる。と7歳違いで、これまたタチが悪かった。

いつも気弱なえんじぇる。を馬鹿にして、

「あんたはね、橋の下で拾われてきたのよ」と言い続けていた。

まだ幼かったえんじぇる。はそれを素直に信じかけていた。

 

何度もとっくみあいのけんかもしたが、

えんじぇる。は小学生で小柄、

姉は高校生で身長170センチを超えてて、

いつも一方的にやられるばかりだった。

 

更にえんじぇる。は馬鹿正直だったので、

「相手は女だから顔だけは殴っちゃいけない」と思い続けてた。

だから、いつも結果は姉の完全勝利だった。

 

当然、親や親せきには、

「あんたらは性別が逆だったら良かったのに」とよく言われた。

 

さらに、(下の姉も含めて)姉はずる賢かった。

共働きの母親からの電話で、買い物を頼まれると、

えんじぇる。に「お菓子あげるから」と代行させていた。

 

まあ、それが元で買い物かごをぶら下げて歩くえんじぇる。は、

外で「男の子のくせに」といじめられる要素を足されたわけで。

(当時はね。)

 

もちろん、買い物を済ませてもお菓子なんてくれなかった。

それでも、姉たちは「今度こそは本当だから」と、

何度もえんじぇる。を買い物に行かせた。

馬鹿なえんじぇる。は数えきれないほど騙された。

 

家の他の用事もそうだった。

姉たちがさすがに、

自分の下着とかだけは自分たちで洗うようになるまで、

えんじぇる。が洗濯機を回して干していた。

「畳み方が悪い」とかまで言われながら。

 

あ、もちろん、姉たちは母親に、

「自分たちがした」とアピールしてましたよ(笑)。

 

たぶん、えんじぇる。も感覚が麻痺していたんだと思う。

最後にはご飯を研いで炊飯器をセットし、

前日の洗い物までえんじぇる。がやっていた。

 

中学生の時に引っ越した後しばらくまでそんな感じだった。

 

ちなみに家を建てるときに、

両親はえんじぇる。の部屋を4畳半の和室にするつもりだった。

いつかお祖母ちゃんを面倒見るときのために。

もちろん、えんじぇる。は珍しく反抗した。

だって、姉たちはそれぞれ6畳の洋間だったから。

 

ちなみに引っ越しするにあたって、

姉たちには新品のタンス(&鏡台)を買ってもらい、

ベッドは少し高級なものを買っていた。

えんじぇる。には父親が使っていた古いタンスと、

えんじぇる。の噛み跡がついた机だけだった。

 

この頃、えんじぇる。は学校や家で辛いことがあると、

机にかじりついていた。

文字通り歯形が付くまでかじりついていた。

 

引っ越しの時、その机が部屋に搬入されても、

両親はその噛み跡に気が付いてくれなかったわけだが。

 

引っ越し前にベッドを買いに、お店について行った時、

えんじぇる。は母親に「どれが良い?」と訊かれて、

「うちは貧乏だ」と余りに思い込んでいたえんじぇる。は、

一番安いパイプベッドを選んだ。

しかし、その後、姉たちにはタンス&少し高いベッドを選ばれて、

これもさすがに反抗した。

結果、ベッドだけは同じ物を買ってもらえた。

 

そして、えんじぇる。にも思春期が来たのだけれど、

たまに起こるらしいホルモン異常で、

お尻と胸が少し膨らんだことがあった。

 

姉たちはさらにえんじぇる。を「異物」扱いした。

それまでも姉たちはえんじぇる。に、

「あんたはブサイク」攻撃をしかけていたので、

えんじぇる。自身、もう自分が何者かわからなくなっていた。

 

話は遡るのだけど、

えんじぇる。が小学生、姉が高校生の時に、

姉が近くの少し大きい家に住むお嬢様と、

お友達になったと喜んでいたことがあった。

えんじぇる。は学校のいじめのことで精いっぱいで、

「ふ〜ん」としか思わなかった。

 

ところが、姉が突然、

「うちにはあんたみたいなブサイクな弟はいないの。

外ではうちには妹一人しかいないって言ってあるから」と言った。

でも、正直、えんじぇる。にはわけがわかんなかった。

 

それから数日後、

えんじぇる。が(引っ越し前の)家に帰って来ると、

姉が玄関でそのお嬢様らしき人としゃべっていた。

すると、姉は、

「またあんた来たの?早く自分の家に帰りなさいよ」。

「え?誰?」とお嬢様。

「たまにうちに来る近所の子よ。」と姉は言ってきた。

小学生のえんじぇる。には姉が望むような演技はできなくて、

普通に家に入ってしまった。

姉は怒り心頭って感じだった。

でも、おバカ正直なえんじぇる。は姉が怒っている理由もわからず、

その晩、また殴る蹴るの暴行を受けた。

 

家から出るといじめられ、家の中にも、

えんじぇる。の居場所なんてなかった。

 

えんじぇる。はどうすればよかったのでしょう。

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STSに苦闘。

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今日の作業所では、丸一日かかって、

STS(Spring Tools Suits)のインスト&設定でした。

 

なんせ、JAVAのパスが通ってても、

JAVACの方は通ってなかったり、

イニシャルファイルの開くソフトが悪かったり。

 

もう、何がなんやら。

頭がついていかん。。。

 

結局、なんとか作業所のパソには導入できたんだけど、

今度は家のパソコンでは動かん。

 

誰か助けてくれい。

Spring FrameWorkはなかなか手ごわいよ〜。

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いじめのこと。

えんじぇる。が小学校から中学卒業まで、

ずっと同じ連中にいじめられてた。

 

一番のいじめっ子Xと、Y、取り巻きのK、

転校後、すぐにそのいじめっ子グループに取り入ったT.。

 

えんじぇる。は学校以外、外に出れなくなった。

今は「学校に行かない」という選択肢もあるのでしょうが、

当時は「学校に行かない」=「不良」だったので、

えんじぇる。は地獄に通学するしかなかった。

 

いじめの内容とは、もちろん暴力、X煽動のクラス全員からの無視。

ありきたりの、自分の物を隠される、ごみ箱の捨てられる。

 

一番のいじめっ子Xと同じ地域だったから、

えんじぇる。は「いじめられっ子」のレッテルを張られ、

年下の子からもいじめられるようになっていた。

 

自転車で走っている途中に車輪に棒を突っ込まれたり、

買い物かごをぶら下げてるのをはやし立てられたり。

お正月に、広場で凧揚げをしてたら、

「あいつの凧を落としてやれ」との号令で、

その場にいたみんなが敵になった。

えんじぇる。は急いで家に逃げ込んだ。

 

買ったばかりの靴を隠され、パクられた。

後日、えんじぇる。の名前の上に別の苗字が上書きされてた。

 

お祭りでお神輿を担いでる最中に、

後ろにいた子に靴を踏まれ、靴が脱げ、

えんじぇる。は這いずるようにして靴を取った。

その後、集まったお金を分配する時も、

Xは大人に「こいつには少なくて良いですよ」とか。

 

「地区の子供はみんな野球団に入らなくちゃいけない」って、

もちろん大嘘で、奴らはえんじぇる。の家まで上がり込んで、説得し、

父と母に野球道具とユニフォーム一式を買わせた。

外に出なくなったえんじぇる。をいじめる機会を増やすために。

 

もちろん、野球なんてできないえんじぇる。は、

メンバー全員から道具の準備、片づけを押し付けられた。

失敗すると怒号の嵐だった。

 

それからも、学校でのいじめはもちろん続いていた。

特に小5、6の時の女先生が屑だった。

彼女はいじめっ子たちを支持してた。

「男のくせに泣き虫で手に負えない」との彼女の言い分だった。

 

体力テストでは、いじめっ子たちは、

「お前はこんなにできるわけない」と、

えんじぇる。の記録に嘘ばかりつけた。

えんじぇる。が泣いてると、

屑先生は「今度はなんで泣いてるの?いつも仕方ないわね」と、

何もしてくれなかった。

 

当時、その屑先生は「一点見つめの罰」というのをやっていた。

その日、忘れものをしたとか、宿題をやってこなかったなどの理由で、

その子たちを前列に並べ、みんなの前に向かって立たせ、

蛍光灯の一点を指定してそこを凝視させるというもの。

 

立たせられてる子が何秒間かじっと見つめているとOK。

クラスの.誰かが、「今視線が動いた」という限り立たせる。

ええ、えんじぇる。はその罰の常連でしたよ、濡れ衣と言いがかりで。

そして、「今、えんじぇる。の目が動いた」と、何度もいじめっ子が指摘し、

えんじぇる。は「動いていない」と言うと、

「動いたんじゃ、ボケ」といじめっ子。

そんな時、屑先生はいつも笑ってた。

 

いつだったか、いじめっ子と屑先生と一緒にいた時、

「うちのクラスはこいつ(えんじぇる。)をいじめることで団結してますね。」と。

屑先生は「えんじぇる。君は人気者なのよね」と笑った。

 

放課後、いじめっ子に呼び出されて、

当時、「チキン」と名付けられたいじめで、

他の子との殴り合いを強要された。

その子はしばらく後に転校しちゃったけど、

「えんじぇる。にいじめられて転校した」と噂になった。

 

えんじぇる。は先日の「父親の話。」で書いたように、

誰にもいじめのことを相談できなかった。

当時は、「いじめられる方が悪い」って風潮だったから。

 

授業でもいじめは続いた。

後ろから物をぶつけられたり、

隣の女の子が消しゴムを落としたから拾ってあげると、

「あ〜あ、バイ菌がついたからもう使えないじゃない」とキレられた。

屑生先生のなんでもないような質問に間違いを答えた時、

クラス中が「ばっかじゃないの」と爆笑。

屑先生ももちろん笑ってた。

 

いじめられっ子専用席みたいになっていた一番前の中央の席が、

えんじぇる。の指定席だったんだけど、

ある時、屑先生の質問に独り言で答えてしまい、

それを聞いた屑先生は激怒して、

「もうあなたが手を挙げても当てませんよ」と宣言。

 

それからえんじぇる。は授業中に手を挙げるのを止めた。

すると、通知表に「授業に参加する意思がない」と書かれた。

 

卒業式まであと半年ってくらいで、

えんじぇる。の上履きはボロボロだったんだけど、

もう半年だしと使い続けていたら、

片方は運動場の真ん中、片方は焼却炉に入れられてた、

 

決定的だったのは、小学校最後の遠足の時。

 

誰かが後ろにいるといじめられるので、

えんじぇる。はクラスの一番後ろを歩いていた。

 

ふと気が付くと、えんじぇる。の前には、

(先生は一番後ろと決まっていたのに)

屑先生と一人の女子が歩いていた。

 

「先生はどんな男の人が好きですか?」

「う〜ん、男らしい人かなあ。」

「じゃあ、えんじぇる。君なんてダメですね。」

「あんな子、早く死んじゃえば良いのに。」

二人は機嫌良く笑ってた。

 

物理的に殴られたり蹴られたりするよりショックだった。

そこまで思われてたんだって。

 

遠足の帰り道に家がある子は途中で帰れる決まりだったのに、

えんじぇる。がそうするのをいじめっ子たちは「許可」しなかったので、

えんじぇる。はその日も無駄に学校まで帰り、家に帰った。

 

誰かに聞いて欲しかった。

 

しばらくすると、高校生だった下の姉が帰った来たので、

「おかえり」と声をかけたが、姉は無視して、

家の中に入っていった。

 

えんじぇる。は裸足で外に出て、走った。

気が付くと、近くの川辺に立っていた。

「死のうか」と自然に声に出た。

 

それからえんじぇる。は笑えなくなった。

泣くことも怒ることも無くなった。

それからえんじぇる。のあだ名は「能面」になった。

 

両親は喜んだね、「泣かなくなった」ことを。

 

えんじぇる。は一人でリハビリをした。

TVのお笑いを見て無理やり笑うようにした。

普通に笑えてるかなって思うまで、それから二年かかった。

 

屑先生はえんじぇる。達の卒業と同時に九州にお嫁に行った。

 

一度、お産のため戻ってきた屑先生と出会った。

話しかけてきた屑先生にえんじぇる。は無視した。

すると先生は、「照れてるのね」とまた笑った。

 

正直、○してやりたいと思った(ごめんなさい)。

 

 

中学になって別のクラスになっても、Xたちからも、

新たないじめっ子たちも参戦し、

えんじぇる。へのいじめは続いた。

 

クラスでブームになった「ぶったたき」。

数人で突然、前触れもなく一人を取り囲み、殴る蹴る。

もちろん、えんじぇる。の回数が一番多かったんじゃないかな。

 

ある時、廊下を歩いていたら、

いきなり背中に衝撃を受けて振り返ったら、

足を上げて、顔がひきつってるKがいた。

もちろん、Xの命令だったんだろう。

物陰からXたちが笑っていた。

制服の背中には綺麗に上履きの跡がついていた。

 

中学一年の途中でえんじぇる。は引っ越しをした。

仲が良いと思ってた子二人だけに、

「お菓子とかお金がもらえるから「棟上げ」に来てね」と言ったが、

家に帰るとその子たちが家に来て、

Xに「もし行ったらお前たちもいじめるぞ」と言われたそうだ。

もちろん、二人とも来なかった。

 

引っ越した次の日、えんじぇる。は何気なく昔の家に行ってみた。

道路に面する壁一杯にチョークで、

「暴力団事務所」だの、「暴走族の集会所」と書かれていた。

まあ、見事だったね。

もし、あれを父親が見ていたら、、、変わりなかったかな(笑)。

 

突然、家に電話がかかってきた。

ほんとに女性かと思うくらい、乱暴でえんじぇる。を呼び捨てで、

母親から電話を変わると、「カメラを返せ」と怒鳴られた。

身に覚えのないえんじぇる。は、

「知りません」と答えるしかなかった。

 

次の日に学校に行くと、Xたちが待っていた。

「お前がカメラを取ったことにしておけよ」と言われた。

KはXにカメラを借りパクされようとして、Xが怖くて、

母親に「えんじぇる。のせいにした」とのこと。

もう好きにしろよ、と思った。

 

でも、この時の担任の先生はまだましだった。

実はこの先生はえんじぇる。の父親の友達の奥さんだった。

えんじぇる。はこの先生に文才を認められ、

先生の言うまま作文を書き続けて、

たくさんの賞をもらった。

 

えんじぇる。はやった生きがいを感じた時だった。

 

その後、さすがにえんじぇる。と同じ高校には、

いじめっ子たちは入学できなかったらしい。

 

まあ、高校でも裏でいじめられてたけど、

選抜クラス⇒国立大学理系志望クラスだったから、

あまり表立ったいじめはなかった。

 

でも、体育教師が今度は屑だった。

体育の授業は私立文系志望クラス(成績最低)と合同だったのだけど、

「俺はお前たちよりこっちのクラスの方がかわいい」

「どうせお前たち、本当は体育なんてやりたくなくて、

理科とかと数学をやりたいんだろう?」

 

なぜかえんじぇる。はこの先生に目をつけられた。

「ポールの代わりにそこに立っておけ。でも、俺の言うことも聞いておけよ」

30メートル先で言うことを聞いておけと?

 

卒業の時、担任の先生に、

「えんじぇる。ちゃん(ちゃん付けだった)、体育こんなに休んだの?」

「いえ、一回も見学とかしたことないですけど?」

「おかしいなあ、屑先生に聞いてみるよ。」

もちろん、屑先生の嫌がらせだった。

 

 

また、死にたくなってきた。。。

今度のカウンセリングで吐き出して来なきゃ。

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独り歩き。

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今日は作業所ではバーベキュー、一方、

えんじぇる。は精神科でのカウンセリングと診察。

バーベキュー行きたかったな(ぼそっ)。

 

父親のことから始まり、

数珠つなぎに嫌なことばっかり思い出して。

すっかり病んでるえんじぇえる。だったり。

 

えんじぇる。としては、父親のことも、

某大学病院からカルテが引き継がれてると思ってたから、

カウンセラーも先生もちょっとびっくりしてた。

 

一通り話した後、えんじぇる。は、

「心の整理の仕方を教えてください」と。

そう、えんじぇる。の心の中での決着。

 

とりあえず、カウンセリングが月二回に増えたりして。

 

それから先生が、

「ある学会でえんじぇる。さんの症例を発表しても良いかな?」だって。

 

今度は「女性の不安」とかってのテーマの学会だそうで、

GID(性同一性障害)とは関係ないそうです。

 

また、えんじぇる。の症例が独りで歩きます。

 

父親の話。

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ふと父親のことを思い出したので、吐き出します。

嫌な人は読まないでね、お願い(はぁと)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えんじぇる。の父親は、今思うととっても器が小さい人でした。

 

「父親のことを悪く言うなんて」って思う人もいるかもしれませんが。

 

 

まず、車の運転ですが、必ずその道路の法定速度-10キロで走る(大迷惑)。

 

ビアガーデンに付いて行った時も、自分はビールと枝豆を頼み、

 

えんじぇる。には何も頼まなかったり。

 

 

友達連中(皆子連れ)の集まりで喫茶店に行った時も、

 

えんじぇる。に注文を聞こうとしたウェイトレス(死語?)に、

 

「あ、こいつは良いんだ、朝飯食わしてるから」と。

 

気を使ってか、お店からモーニングのパンだけを恵んでもらったが、

 

えんじぇる。は惨めになって号泣して、車に戻った。

 

 

お祭りに行った時も、出店を横目に見ながら、

 

「買うのは帰り、お参りしてからな」という言葉を信じ、

 

帰りにわくわくしていたが、もちろん何一つ買ってもらえず。

 

まあ、確かに貧乏だったんだろうけど。

 

 

学習塾の勧誘の電話がかかってきた時も、

 

自分自身は電話を変わらず、「早く切れ」を連呼。

 

えんじぇる。が受話機を置いた後も、

 

「なぜさっさと切らなかったんだ」となぜかキレられる。

 

 

えんじぇる。が小5、6の頃、担任教師ぐるみのいじめに遭ってたけど、

 

「お前の担任の先生、美人だなあ」とか、

 

一番のいじめっ子の父親に酒場で奢ってもらって、

 

とっても嬉しそうだったな。

 

そんなんだから、えんじぇる。は父親にも相談できなかったんだよ。

 

 

勤めている会社が代替わり(社長の息子が継いだ)した時も、

 

「年齢も年齢だし、昇進してください」を固辞。

 

結局、平社員のままで定年退職しました。

 

 

そんなチキンな父親でしたが、これからが本筋。

 

 

大学を二年留年してやっと卒業はしたものの、

 

既にバブルが弾けた後のさらに二年後。

 

えんじぇる。はそのまま一人暮らしのアパートでニート。

 

そう、さらに二年間。

 

 

この頃のえんじぇる。のスペック。

 

身長156センチの小柄で、体重40キロ。

 

そりゃ、「女装趣味のある子」って噂に拍車がかかりますって。

 

大学も英語科卒だったため、手に職一つなし。

 

 

もちろん、えんじぇる。なりに就職活動しましたよ。

 

きちんと男物のスーツを着て。

 

珍しく父親に、ネクタイの締め方を習ったりして。

 

でも、全滅。

 

そりゃあそうでしょう。

 

営業職なんて相手になめられるだろうし、

 

私服だと高校生くらいにしか見られなかったし。

 

 

あ、父親の姉旦那の紹介で、

 

国会議員さんのお世話になろとこでしたよ。

 

 

でも、えんじぇる。はやっぱり「男」としての人生が嫌でした。

 

 

実家に帰って、母親に手紙でカミングアウト。

 

いぇ〜い。

 

 

母親と姉(看護師)、大パニック。

 

お決まりの「そんな子に育てた覚えはない」吐かれる。

 

父親はというと、、、何も言わず。

 

それからまあ、嵐のようでしたが、

 

母親の「じゃあ、ニューハーフとかってしかないんじゃないの?」って、

 

セリフでえんじぇる。覚醒(おい)。

 

そうしかないんだと素直に納得(おいおい)。

 

 

で、「じゃあ、都会にでるしかないじゃない?」と母親。

 

父親は「これは生前贈与」だと40万円くれた。

 

 

えんじぇる。は半ば絶縁して、大阪に出ることになり、

 

三日間、えんじぇる。の好きなものを食べさせてくれた。

 

 

その間、家族三人の食卓で、ふと父親が静かに語り始めた。

 

 

「実はな、母さんには俺と結婚する前から好きな人がいてな。」

 

はい?

 

目が点のえんじぇる。を尻目に父親は続けた。

 

「おまえはぞの人の子じゃないかとずっと思ってたんだ。」

 

はいはい?

 

「だから、お前の高校からの学費は母さん一人で負担してたんだ」

 

えんじぇる。、助けを求めるよう母親を見る。

 

母親、否定も肯定もしてくれなかった。。。

 

 

あれ?

 

えんじぇる。の中で点と点が繋がった。

 

 

そう言えば、父親も二人の姉も血液型はB型、

 

母親はO型のRH-、えんじぇる。はO型。

 

確かに少し微妙。

 

 

えんじぇる。は二番目の姉とは5歳違い、

 

えんじぇる。が生まれた当時は、家族4人で三畳一間暮らし。

 

その中で父親と母親はえんじぇる。を作ったことになる。

 

ちょっと疑問(笑)。いや、笑えないけど(^-^;。

 

 

名前も二人の姉は父親がつけたそうですが、

 

なぜか、えんじぇる。だけ近くの神社の神主さん。

 

 

そういえば、いつだったか、確か中学生の頃、

 

「こいつは背が低いから潜水艦の乗務員とか考えてるんですよ」

 

とかって、父親は誰かに言ってたっけ。

 

 

「お前には中学を出たら、家を出てもらうつもりだったんだ」

 

目の前の父親が話を続けていた。

 

 

確かに「お坊さんになるか、自衛隊に入るか、競馬の騎手になるか、選べ」

 

とかって言われたことがあった気がする、

 

つまりは家を出て、お金だけ欲しかった様子もあり。

 

家のローンも父親が退職してからも残る計算だった。

 

 

しかし、今更、言う?

 

 

「お前が生まれたから離婚しなかったんだ」と続けられ、

 

目の前の父親がなんだか更に老けた気がした。

 

後に母親にも、

 

「自分のパンツも買わないで、あんたにお金かけたのに」なんて、

 

言われたけど、そんなんだったら、

 

大学も行かなかったし、離婚してくれても良かったんじゃない?

 

 

少なくとも今からニューハーフになろうとする息子に聞かせる話?

 

えんじぇる。プチパニック。

 

 

そっか、えんじぇる。のことを「不貞の子」として見て育ててたのか。

 

それをはっきりと母親に聞くことができないままの父親だったんだ。

 

 

ちなみに、その母親の「相手」って言うのは、

 

同じ会社のMさんという人で、

 

一度だけ、母親と三人で市民運動会に行ったっけ。

 

肝臓がんで亡くなったとか言われたけど。

 

 

で、そんな父親が死んだって聞かされたのは、

 

死んでから4、5年経ってからだった。

 

いつも事後報告の母親だったな。

 

「最後にあんたに会いたがってたわよ」とか。

 

いやいや、連絡先は教えてたじゃん。

 

 

ちなみに、死ぬまで直接母親にきちんと「答え」をもらえなかったそうです。

 

えんじぇる。自身もはっきりと母親の口からは聞けなかったです。

 

 

一体、えんじぇる。は誰の子だったのでしょう?

 

やっぱり「今更、気にするな」って言われちゃうのかなあ(^-^;。