Agfa倒産 ひとつのフィルムメーカーがなくなる日 | 見えない真実

Agfa倒産 ひとつのフィルムメーカーがなくなる日

2005年5月27日。
米・Eastman Kodak、日・富士写真フイルムに並ぶ世界三大フィルムメーカーのひとつAgfa(アグファ)が倒産した。「Agfa」というのはブランド名なので、実際に倒産したのは、独・Agfa-Photo(アグファ・フォト)社だ。


【Agfa】
カメラや写真に造詣が深くない人には、あまりなじみがない名前かもしれない。そもそも「Agfa」とは、Aktiengesellschaft für Anillinfaktoren(直訳してアニリン製造株式会社)の頭文字の略で、元々は染料メーカー(1867年創業)であった。近代染料という化学薬品の専門知識とノウハウを蓄積していったAgfa社は、写真現像液の製造~写真・映画用フィルムの製造事業を展開していった。また、カメラ製造も手がけ、第二次世界大戦後は、西ドイツのカメラメーカーとしては最大規模の工場を持っていたのだ。

1964年。X線フィルム製造などで有名だったベルギーのGevaert(ゲパルト)社と合併し、Agfa-Gevaert社(アグファ・ゲパルト社:ベルギー)が生まれる。Agfa-Gevaert社は1981年から1999年まで、世界的な有名なドイツの製薬メーカー、バイエルの子会社だったが、1999年に株式上場し現在に至る。

Agfa-Gevaert社は、デジタルカメラの急速な普及などによる業績不振で、2004年度の前半決済は大幅な赤字となり、2004年11月にフィルム製造部門をAgfa-Gevaert社の役員などによる新設会社Agfa-Photo社に売却。このAgfa-Photo社が今回、破産したというわけだ。


写真を撮っていない人は、「ひとつのフィルムメーカーがなくなること」は、どうでもいいかもしれない。「ほかのフィルム使えばいいじゃん」なんて考えているのかもしれない。しかし、Agfaのフィルムには、Agfaにしか出せない色、質感があるのだ。

AgfaAgfa-Photo社に売却される際に、Agfaのフィルムが市場から消えるという噂になり、多くの人がカメラ店に買いだめに走ったのだ。しかし、今回、いよいよもってAgfaのフィルムは市場から姿を消してしまうのかもしれない。


Agfa-Photo社の破産は世界的な写真業界にとって問題だが、2004年10月には国内でもハンザ(近江屋写真用品株式会社)が解散してしまったのは記憶に新しい。ハンザといえば写真用品ではなじみが深い上、国内の写真・カメラ業界の発展を支えてきた立役者だったのだ。

いままで出てきたメーカーとは違って、こちらは誰でも知っていると思うキヤノン。このキヤノンが発売した日本発の国産高級35mmカメラ「ハンザキヤノン(標準型)」は、ハンザこと近江屋写真用品株式会社の持っている販売チャンネルがなければ、世に出ることはなかったのだ。ちなみに、この1936年に発売された「ハンザキヤノン(標準型)」は、製造を精機光学研究所(現:キヤノン)、販売をハンザ(近江屋写真用品株式会社)、レンズ製造は日本光学工業株式会社(現:ニコン)という夢のコラボレーションだった。いまでは考えられないことだが、惣明期ってライバル企業が支え合って時代を築き上げてきたんだよね。


ハンザキヤノン(標準型) 1936年に発売された「ハンザキヤノン(標準型)ニッコール50mm F3.5付き」

キヤノン、ハンザ、ニコン(ニッコール)と、3代ブランドの名が冠されたカメラ。現在のOEMとも似たような印象を受ける


Agfa-Photo社は破産だけど、Eastman Kodak富士写真フイルムは、デジタル化に対応して新たな活路を見いだそうとしている。もちろん、Agfaはデジカメにも手を出したが失敗してしまったのだが。


時代の変遷と共に移り変わる技術。その波の取り残されてしまった企業がどんどん消えていく時代。利益を求めているだけの企業理念は、絶対的なダメージを被っているような気がする。ここは、業界の惣明期のように、ライバル企業が手を組んで業界の活性化、立て直しに力を入れなければいけないのではないか? これは写真の世界だけではなく、すべての業界に言えることだが、自社の利益だけにとらわれていると、業界全体のバランスが崩れ、結果的に業界そのものがなくなってしまうとという危惧感を持たねばならないのではないだろうか。