野球マニア その14 函館1 函館市民運動場 | げんまつブログ 野球の話と趣味の話

野球マニア その14 函館1 函館市民運動場

北海道に上陸しました野球マニアです。


函館の地に2つの球場(跡)を探しにきました。


ひとつめは函館山のふもとにある函館市民運動場跡です。



函館市民球場については
数年前から調査を行っていましたが、先日初めて跡地を訪問することができました。

http://www.jttk.zaq.ne.jp/genmatsu/data/KYUJO/hakodate.html


函館市総務部市史編さん室に問い合わせを行った際の返信メールにて
「函館市民運動場(函館市民球場)は、現潮見中学敷地にありました。昭和15年8月1日に完成、現在も潮見中グランド脇には記念碑が立っています。」
との情報を得ていました。

正式には「函館市民運動場」でした。

まずは、航空写真からその姿を確認したいと思います(国土地理院撮影 航空写真)
2005年撮影
函館2005

1948年撮影
函館1948

両者の比較から潮見中学校が跡地である事は確認されました。
潮見中学校は野球場のイメージでスタンドの位置に校舎を建てているらしいですが
それも航空写真から確認できます。




それまで函館市近辺には湯の川にグランドがありましたが
野球人気が高まる中、函館市中心部に運動場がほしいとの声がおこったそうです。

野球場建設推進に際して函館オーシャンズの久慈次郎氏が市議会議員に立候補し当選、野球場の設計・建築を行いました。
6800坪で野球、運動会、テニスなど多機能に利用できる総合グランドでした。
収容人数3500人 総予算は32000円 建設に当たって市民は労働奉仕で協力しました。
完成は1940年、すでに久慈次郎氏は他界していました。

函館オーシャンスタジアム前に久慈次郎氏の像が建てられています。 




わずか10年余りで廃止されたのは、
この球場が本格的な野球興業を行うのに手狭だったため、千代台に野球場が建設された事によります。
1951年に千代台野球場が完成したのち、1953年に廃止が決定。
1954年の北洋博「北洋漁業再開記念北海道大博覧大会」会場に利用された後に1955年に中学校となりました。


現在の住所は函館市青柳。


市電の青柳町で下車して函館公園へ


その裏にあるのが潮見中学校。

函館山の山麓の傾斜地にある。

土を盛って平坦なグラウンドを作った事がよくわかる。

函館市民運動場の碑が現存しています。


次は湯の川に行きます。


つづく